名月の里 姨捨 (2)
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■天台宗の古刹 長楽寺

八幡の神宮寺の別当寺でありましたので、当時は住職は神宮寺におりましたが、この排仏毀釈のころを期に当地に引きあげました。現在の本堂もそのころの再建と言われています。

観音堂はそれよりも古く、元禄七年(1694年)ころといわれています。
本堂には阿弥陀如来が安置されています。
月の名所として、芭蕉・宗祇をはじめ俳人文人が挙って訪れています。

■観音堂
境内の「姥石(うばいわ)」の脇に立てられた観音堂の観世音菩薩は秘仏とされ、ご開帳の時だけ公開される。
信濃の国三十三番札所の第十四番、姨捨山 長楽寺は千曲市八幡の姨捨地区にあります。
長楽寺は姨捨の代表的な存在として本堂のほか、観音堂、月見堂など修復されてきています。

■「月見堂」 
月を眺めるために建てられた御堂で中秋の頃は広く開放され句会などが行われ松尾芭蕉になったような心が落ち着き良い句が詠めます
境内にはたくさんの句碑・歌碑が並び、古来より数多くの俳人文人が訪れました。
松尾芭蕉は名古屋から『更科紀行』の旅に出て、元禄元年8月15日にこの長楽寺に立ち寄りました。
その時に「おもかげや 姨ひとりなく 月の友」という句を詠みましたが、「芭蕉翁面影塚」として「月見堂」前に建立されています。
■姥石(うばいわ)
 棄てられた老母が死んで、この石になったとの謂れであり、礫の粒々が岩の表に浮き出し、痩せ衰えた老婆のはだを想像させ、「姥石」と名付けられているらしい。

 又一説には欲深い老婆が、中秋の名月の真ん丸いあまりにも大きな美しい月を見て、己の醜い心が我慢できなくなり身投げした岩ともされています。

■姨捨山
冠着山(かむりきやま)標高は1252mで、またの名を「姨捨山(おばすてやま)」といい、古く、『古今和歌集』(905年)において、 「わが心なぐさめかねつ さらしなや をばすて山に照る月を見て」 読人しらず と歌われており、月の名所として古くから知られ、 「国土地理院」発行の地図には「冠着山(姨捨山)」となっていますが地方では「更級山」とも呼んでいます。

さらしなの里からの冠着山(姨捨山)      <<<姨捨伝説>>>

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