名月の里 姨捨 (3)
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■更科紀行

芭蕉は元禄元年(1688年)門人「越人」をともなって、木曽路からこの地を訪れました。『更科紀行』はこの時の紀行文。芭蕉が猿ヶ番場峠を越えて姨捨の月を観賞したのは旧暦八月十五夜の仲秋の名月、当夜の感慨がこの一句に結集しました。月光の中で伝説の姨を連想し、「おもかげや 姨ひとりなく 月の友」を呼んだものと思われます。

この芭蕉の句碑は「芭蕉翁面影塚」と呼ばれ、明和六年(1769年)八月、上田出身の俳人白雄が建立しました。


『更科紀行』の一節
更科の里、姥捨山の月見んこと、しきりにすすむる秋風の心に吹きさわぎて、ともに風雲の情をくるはすもの、またひとり、越人といふ。
木曽路は山深く道さがしく、旅寝の力も心もとなしと、荷兮子が奴僕をして送らす。おのおのこころざし尽すといへども、駅旅のこと心得ぬさまにて、共におぼつかなく、ものごとのしどろにあとさきなるも、なかなかにをかしきことのみ多し。
中略
姨捨山は八幡と云里より一里ばかり南に、西南に横をれてすさまじく高くもあらず、かどかどしき岩なども見えず、只あはれ深き山のすがたなり。
なぐさめかねしといひけんもことわりしられて、そゞろに悲しきに、何故にか老たる人を捨たらんと思ふに、いとゞ涙も落そひければ。
 俤や姨ひとり泣月の友
 いざよひもまだ更科の郡かな
 更科や三よさの月見雲もなし 越人
 ひよろひよろと猶露けしやをみなへし
 身にしみて大根からし秋の風
 木曾の橡うき世の人の土産かな
 送られつ別れつはては木曾の秋
 月影や四門四宗も只ひとつ
 吹飛す石は浅間の野分かな

芭蕉は北国街道を碓氷峠越えし1688年に関東入りしています。   <<<印はリンクしています>>>
  「更科や三よさの月見雲もなし」・・・・ 十四夜の月 冠着山・十五夜 姨捨 ・十六夜の月 坂城で越人が詠む
  <<<「月影や四門四宗も只ひとつ」・・・・長野市往生寺>>>
  <<<「いざよひもまだ更科の郡かな」・・・・坂城町>>>
  「身にしみて大根からし秋の風」・・・・旧四賀村の会田に句碑があるが坂城ではないかと言う説もある
    <<<「吹飛す石は浅間の野分かな」・・・・軽井沢町>>>

芭蕉が訪れてから121年後、文化6年(1809年)8月15日、小林一茶もこの寺を訪れています。 小林一茶もこの地のことをたくさん詠んでいます。
☆姨捨てし国に入りけり秋の風
☆姨捨てた奴もあれ見よ草の露

このほかにも、宗紙句碑、景山三千香句碑などいくつかの句碑があり、俳人達がこぞって訪ねています。
月の名所としての姨捨山は平安時代から都に知られていて、新古今和歌集や大和物語などに書かれています。

「松尾芭蕉」が更科紀行で月の名所と姨捨伝説を尋ねたという小路で「聖(ひじり=東筑摩郡)」方面より猿ヶ馬場峠を越え、「更級」入りしたと言う。


■面影塚
「おもかげや 姨ひとりなく 月の友」は、「更科紀行」の代表作でその句は上田出身の加舎白雄(かやしらお)の手によって「芭蕉翁面影塚」として建立されています。
日本三塚の一つと言われていて「松島やああ松島や松島や」等と共に有名です。
他に近辺で詠われている芭蕉の句
元日に田毎の日こそ恋しけれ    千曲市八幡 長楽寺付近
姨捨はこれからゆくか閑古鳥    千曲市八幡中原 茶屋跡
姥石になきかはしたるきゞすかな  千曲市八幡 長楽寺
何に此の師走の市にゆくからす   千曲市稲荷山 治田公園
名月やちごたち並ぶ堂の椽(えん)  千曲市寂蒔
膝行(いざり)ふ便や姨捨の月     埴科郡坂城町鼠宿
散花に垣根をうがつ鼠宿        埴科郡坂城町鼠宿

■その他の句碑
境内には所狭しと句碑が立ち並び如何に大勢の俳人文豪が訪れたり姨捨を題材に詠まれているかが伺えます。

☆更級や昔の月の光かはただ秋風ぞ姨捨の山 藤原定家
☆隈もなき月の光をながむればまづ姨捨の山ぞ恋しき 西行法師
☆あやしくも慰めがたき心かな姨捨山の月を見なくに 小野小町
☆君が行く処ときけば月見つつ姨捨山ぞ恋しかるべき 紀貰之
☆諸共に姨捨山を越るとは都にかたれ更級の月 宗良親王
☆信濃では月と仏とおらが蕎麦 詠み人知らず
☆姨捨し国に入りけり秋の風 小林一茶
☆更級や姨捨山の月ぞこれ 高浜虚子
☆今朝は早薪割る音や月の宿 高浜虚子
☆枯れ果てて信濃路はなほ雪の前 能村登四郎
☆くるみ割るこきんと故郷鍵あいて 林 翔
☆名月の鏡にむかふ今宵かな 伊藤松宇
☆姨捨や月もむかしのかがみなる 加舎白雄

「信濃では月と仏とおらが蕎麦」は有名で「一茶」の故郷の蕎麦と善光寺の仏それに名月の姨捨を謡った「一茶」の作とばかり思っていましたが詠み人知らずと紹介されています。「さらしなの蕎麦」と長楽寺にも秘仏の観音様を詠まれた物らしい。
長楽寺ばかりでなく冠着山(姨捨山)の山頂にまで訪れている文人もいる

参考資料:新更科紀行 田中欣一著 信濃毎日新聞社発行 
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