この世に生まれて初めて目にしたものが何だったのか、覚えていない。
気が付いたら身を起こし、キョロキョロと周りを見回している自分が居た。
我ながら落ち着きが無い。
思い返すたび失笑が零れるが、この上なく僕らしいなとも思う。
これまた失笑ものだけど。
何を探すわけでもない動きを止めた後、膝を抱えた。
自分の、この行動の意味は、後で分かった。
「う・・・・・・・・・」
何か、呻くような声が聞こえてビクリとした。
今度は目的を持って辺りをぐるりと見渡すと、同じような格好で寝ている『誰か』
寝返りを打ったのか、少しだけモゾモゾ動いた後、静かになる。
ドキドキする胸を押さえて、そろそろと近寄る。
起こさないように、そうっと覗き込んだ。
上下する胸から、細めの首筋に続いて、顎、耳、それから・・・・・・・・・
うん、割と整ってる気がする。
少し、満足。
鏡は見ていないから、自分の顔は分からないけど。
これは多分、同じモノ。
「起きないかな・・・・・・・・・」
あ、声が出た。
初めて聞く、自分の声。
嬉しくなって続ける。
「ねぇ、起きてよ。話そうよ・・・・・・」
そこで気付く。
あぁ、しまった。名前を知らない。
何だかそれは、とても残念な事のような気がする。
勿体無く感じて、自然手が伸びていた。
頬を撫ぜて、黒い髪を梳く。
少しひんやりとして、サラリと指通りの良い感触が気持ち良い。
同じ感触の筈、と自分のそれに触れてみて、また気付く。
色が違う。
何だか・・・・・・薄い?
漆黒の髪が綺麗だな、と思っていた所なので軽く驚いた。
ちょっとだけガッカリして、3秒後にはまぁいいかその位の差異はあった方がいいかもしれない、と思い直す。
我ながら見上げたポジティブシンキング。
うん、この軽い性格なら髪だって軽い色合いの方が似合いだろう。
他にも違う所はないか、楽しく観察していた所、突然障子が開いた。
眩しいヒカリと、植物の織り成す緑。
それから・・・・・・・・・
「おや、お目覚めですか」
落ち着いた声。
黒い髪を一つに纏めた大人と、その腕に抱かれた幼女。
「あ・・・・・・・・・」
僕にとって初めての会話で、何を言うべきかわからない。
「えっと・・・・・・・・・」
落ち着け、僕。
「お、おはようございます」
とりあえず、お目覚めですかと言われたのだから。
という単純な理由で口にした言葉は、少しだけその人に意外そうな顔をさせた。
「おはようございます。・・・・・・・・・初めまして、羽鳥」
『はどり』・・・・・・・・・羽鳥、と聞いた瞬間自動変換。
その3音節は自然に胸に響いて、ああこれが僕の名前なんだなと納得する。
それから、そうかそういえば初対面なのだから、朝の挨拶よりも先に『ハジメマシテ』が適当だったかと思い当たった。
「初めまして。貴方は?」
「鴉です」
簡潔に。続けてその人―――鴉さんはそして、と神妙に幼女を示した。
「この子は蝶子。わかりますよね、貴方がたの宿命です」
ちょーこ。ちょーこ。僕は胸で反芻する。
・・・・・・・・・字は蝶子、かな?後で聞こう。
それよりも、僕らはこの子の為に生まれたのだという自覚が重要だ。
「はい、わかります」
誰かの為の自分、それは決して嫌な事ではない。
むしろ使命がはっきりと示されている事が嬉しく、僕はニッコリと笑って答えた。
「愛想の良い方ですね。助かります」
「は?」
助かる、とは?
「情緒豊かに育てるには必須でしょう。世話できますね?」
「ぇえ?え・・・・・っと」
急な展開に焦りつつも頭を巡らす。
食事の与え方にオシメの換え方、むずがった時の対処や通常時の注意点。
「知識としては。でも自信ありません・・・・・・」
頭には浮かぶ。けれども経験が全く伴わない。
「それはおいおい付いてきます。まずはこちらへ。住職にご挨拶を」
伸ばされた手をジッと見詰め、
「後でじゃ、だめですか」
「・・・・・・理由を」
はっきりとした訳があるのではない。ただ、何となく・・・・・・
未だ目覚めぬ半身に顔を向ける。
「傍に居たいんです。目が覚めたとき、誰も居ないと寂しいんじゃないかと・・・・・・・・・いえ」
思うんです。という続きを飲み込んで、
「寂しかった、です」
これは、数少ない現時点での経験論。
だぁれもいないかと思ったから、多分自分は寂しかった。
膝を抱えてじっとするしかないくらい。
居ると分かって、すごく安心したから。
その分、感謝を込めて、返してあげたいと思った。
我ながら不安そうな声が出てしまった僕の肩を、鴉さんが軽く叩いた。
「わかりました。では少しの間ちょーこを見ていてください」
「え、でも・・・・・・」
「住職に報告ついでに、昼餉の準備をするだけです。危険がないよう見張るだけでいいですから」
「あ・・・・・・はい。わかりました」
「では、後ほど。飛鳥によろしく」
聞き覚えのない名をひとつ残し、鴉さんが去っていった。
鴉さんが居なくなると、三人―――実質上二人になった部屋に居るのは手持ち無沙汰だ。
とりあえず、ちょーこ(字を聞き損ねたので平仮名)をじーっと観察してみる。
畳の上を、ジタジタもがいている。
まだ四つん這いにはなれないのか、匍匐前進のような動きを始めたりして。
・・・・・・・・・いーのかな、廊下に出ちゃって。
追って、縁側に出てみる。
全開にすると眩しそうなので障子は半分閉め、重なる部分に軽く凭れ掛けた。
ちょーこの方は、まだあまり早くは動けない模様。
縁側から落ちなきゃ問題ないかな?
少し気が楽になった。
まだ続く。
羽鳥は、生まれた時から外来語OK。例、ポジティブシンキング
とりあえず、初めて見た動くもの、は飛鳥ちゃんですね。