ギャラリー東栄個展会場
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渡邊榮輔の
   ぐるり一周山手線を歩く(大江戸探訪)
  
          ご 挨 拶

私達にとって身近な町・東京には、まだ知らぬ意外な一面がたくさん隠されています。
そんな街の魅力を自分の足で歩いて探訪してみたいと思いたちツアーに参加しまし
た。                                        渡邊 榮輔

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第1回 2月8日 晴


池袋駅…本教寺[註1]…雑司が谷霊園[註2]…鬼子母神[註3]…三味匠"蔵"〔昼食〕…金乗院(目白不動)[註4]…面影橋[註5]…甘泉園公園[註6]…新江戸川公園〔註7〕…夏目漱石誕生の地[夏目坂]…穴八幡[註8]…都立戸山公園[註9]…内藤新宿大宋寺[註10]…大木戸門跡[註11]…新宿御苑…新井白石終焉の地…代々木駅 約12km

註1 芭蕉の熊本藩主門人服部嵐雪 
    "梅一輪一輪ほどの暖かさ"
   浮世絵師歌川派の始祖歌川豊春の
   墓がある。
註2 江戸時代、将軍の御座所として御
    用屋敷や御鷹部屋があった。  
   現在ここには、永井荷風・夏目漱石・小泉八雲・竹久夢二・東郷青児・島村抱月
   等の墓がある
註3 祀られている鬼子母神は鬼が改心して安産・子育ての守護神となったという。
   その由来から、鬼の文字上にある角「ノ」を取って記すのが正式名称。
註4 目白不動堂本尊の不動明王像は
    目黒目赤などの江戸五色不動の
    ひとつ。
   目白の号は三代将軍家光の命に
   よると云われ、墓地には丸橋忠弥
   の墓もある。
註5 神田川に架かる橋で広重の「江戸
    の名所百景」に描かれた橋。
   また、江戸城主・太田道灌の「山吹」伝説 "七重八重花は咲けども山吹
   の……"が残っている。現在も、付近の神田川の景観の美しさ、特に桜の
   開花時期の見事さは有名です。
註6 尾張徳川家の清水家の下屋敷で、こじんまりとした庭園が美しい。
   付近には富塚(戸塚の由来)古墳・堀部安兵衛 「高田馬場助太刀」の由来碑が
   ある。
註7 熊本藩主細川家の下屋敷。松声閣は明治20年頃の建造で細川家の勉強所。
註8 「一陽来復御守り」で有名な穴八幡。冬至・大晦日・節分には老若男女の参詣
   人で賑わう。
   高田馬場の流鏑馬は、将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ
   奉納した流鏑馬を起源としたことに由来する。現在も高田馬場流鏑馬保存会に
   より、10月10日戸山公園内にて公開されている。
   〔新宿区指定無形民族文化財〕
註9 尾張徳川家下屋敷跡。箱根山を中心に東海道五三次に似せて造った池泉回
   遊式の庭園である。   
註10 大宋寺の 銅造地蔵菩薩坐像は
    江戸の出入口六ヶ所に建立され
    た「江戸六地蔵」のひとつです。
註11 四谷大木戸。関所ほどの厳格なも
    のではないが、江戸への出入口と
    して木戸を設け通行を制限(午後
    10時閉門)していた。また、玉川上
    水は羽村堰から、ここ四谷大木戸
    まで43kmを堀にし、その先の江戸
    城と江戸の町へは石樋木樋を地
    下に埋めて配水し、飲料水の供給
    が行なわれていた。   
  

第2回 2月17日 晴


代々木駅…千駄ヶ谷冨士塚…[註1]…瑞円禅寺…千壽院…
(キラー通り)…熊野神社[註2]…梅窓院[註3]…cafe de Genoise
(南青山3−13−21)で昼食…斎藤茂吉歌碑[註4]…岡本太郎
旧宅[註5]…(骨董通り)…(金王坂)…尾崎 豊記念碑(渋谷クロス
タワー)…金王八幡宮[註6]…渋谷氷川八幡宮[註7]…温故学会
[註8]…ふじみ坂〔南郭坂〕…恵比寿麦酒記念館…目黒駅約10km

代々木・千駄ヶ谷・神宮前・青山・渋谷・恵比寿この辺り一帯は江戸時代
より大名の下屋敷と寺院、樹林と畑地に囲まれた閑静な地域であったが、
その後の急速な都市化による変貌は著しく、今日では、公園・寺院の一部
にその俤を留めるに過ぎない。


註1 文化・文政(1,804〜1830)の頃より富士山を信仰する冨士浅間
   信仰で、冨士登山を擬似体験する為に冨士塚が造られた。〔鳩森
   神社内〕
註2 当初徳川頼宣卿の邸内(現赤坂御所)に奉賛されていたお宮を
   正保(1615年)に現在地〔神宮前2−2〕に移す。
註3 嘉永20年(1643年)、譜代大名青山忠成公の四男、青山大蔵
   少輔幸成の菩提寺として青山家下屋敷内に開山された。
註4 青山脳病院の院長として病院経営ひあたりながら、アララギ派の
   歌人として活躍し「赤光」「あらたま」などの歌集のほか多くの歌論・
   随筆を残した。
註5 岡本太郎はこの地〔南青山2−6−4〕に50年程住み製作に励ん
   だ。現在記念館レンズ型屋根のアトリエと庭に設置された巨大な
   オブジェが興味ぶかい。
註6 渋谷駅の東側一帯の高台は、平安時代末期から渋谷氏一族の
   居館跡だったところ。渋谷・代々木・赤坂・飯倉・麻布・一ツ木・今井
   など谷盛七郷の産土神として崇敬をあつめていた。〔区重宝〕神前の
   金王桜(憂忘桜)は、一重・八重桜が一本の木に混り咲きするので
   有名。
註7 関東一円220社ある氷川神社の中で渋谷区最古の神社。境内に
   は江戸郊外三大相撲の相撲場の跡が残っている。
註8 江戸時代の盲目の国学者で、塙 保己(検校)が「群書類従」編纂
   した版木、17244枚(約666冊)がある。
   〔重要文化財〕ヘレンケラーも来日した際、この版木に触れ感激した
   そうである。
   (冨士塚)

(梅窓院)
  
(岡本太郎邸
アトリエ)

(巨大な
 オブジェ)
  (金王八幡宮)   (氷川神社)
第3回 3月16日 晴

目黒駅…誕生八幡神社…高福寺[註1]…自然教育園・庭園美術館[註2]
…常光寺[註3]…池田山公園[註4]…旧正田邸…清泉女子大[註5]…
(八ッ山の坂)…御殿山[註6]…高輪Pringchen Gerten[註7]…品川駅
…東禅寺[註8]…泉岳寺…細川家中屋敷跡[註9]…薬王寺[註10]…
伊皿子貝塚遺跡[註11]…正覚院[註12]…斎海寺[註13]…(聖坂)
…田町駅    歩行12km

註1 長谷川 伸の墓所
   「一本刀土俵入り」
註2 松平讃岐守の下屋敷
   跡で、庭園美術館は
   昭和8年に建てられ
   た旧浅香宮邸を
   美術館として公開。
   20世紀後半ヨーロ
   ッパで流行した
   アール・デコ様式を現代に伝える貴重なもの。
註3 増上寺下屋敷のあった所で、現在も常光時寺ほか多くの寺院が
   建ち並び寺町として特異な風景を見せている。常光時は福沢諭吉
   永眠の地として有名。 註4 備前岡山藩池田家の下屋敷跡で、
   敷地の広さは約12万4千平方メートルの広大なものであったが、
   昭和初期より下屋敷の敷地は宅地として分譲される。うち庭園
   部分を昭和60年に品川区が買収し現在池田山公園として公開
   している。                   
註5 元は仙台伊達藩の
   下屋敷。
   キャンパスにある
   旧島津公爵邸は大正
   時代にイギリスの
   建築家コンドル氏に
   より設計された
   イタリアルネッサン
   ス風の洋館。   
註6 御殿山には大田道灌が築いた城があった。徳川家康の江戸入国
   後は、ここを鷹場の休息所(品川御殿)として利用したことから御殿
   山といわれるようになった。御殿山トラストタワー、ホテル・ラフォ
   ーレ御殿山ガーデンと洒落た雰囲気が漂っている。また、近くには、
   原美術館・三菱開東閣など優れた建物が見られる。
   *昼食 トラストタワー「海宴」にて海鮮散らし寿司を賞味
註7 高輪プリンツヒュエン・ガルテン 若者に人気の独逸風の高級レス
   トランと欧風小間物(gift)の洒落た店で、夜のライトアップが素晴
   らしいとのこと。
註8 幕末、最初にイギリス公使館が設置された場所。
   尊皇攘夷の頃、玄関内の柱には銃痕の跡が多数残っている。 
註9 大石内蔵助良雄等17名は、細川家に預けられ、
   ここで切腹を命じられた。                 
註10 俳人加賀千代が、諸国歴遊の途中、薬王寺の
   井戸水が霊水であるとの噂を耳にして立ち寄り、
   "朝顔に釣瓶取られて もらい水"の句を詠んだ。
註11 昭和53年に発見さ
   れた縄文・古墳時代
   の貝塚断層であり、
   その一部を現状の
   まま保存・展示して
   いる。「交易食品」
   としての加工が行
   われていたのでは
   ないかとも云われ
   ている。
註12 福島正則の墓所。
   此処にある五輪の塔
   には、梵字に代えて
   漢字で空・風・火・
   水・地と刻まれて
   いる珍しい塔。
註13 幕末に最初にフラン
   ス公使館が設けられ
   た場所である。
   (フランス公使館跡
    の碑)

第4回 3月23日 曇り

田町駅…田町界隈[芝浜・雑魚場と呼ばれ、魚の水揚場であり大名の
蔵屋敷が建ち並んでいた。落語"芝浜囃子"発祥の地]…西郷南州・
勝海舟会見の地[註1]…慶応大学キャンパス[註2]…高野山龍生寺
[註3]イタリヤ大使館[註4]…綱町三井クラブ[註5]…(手引き坂)…
赤羽橋[註6]…東京タワー…芝公園[宝珠院・閻魔大王・芝丸山古墳他]
…芝東照宮[註7]…増上寺[註8]…(昼食)…青松寺とアタゴグリーン
・ヒルズ[註9]…愛宕山[註10]…愛宕神社[註11]…浅野内匠頭
切腹の地[註12]…日比谷公園[註13]…神田駅 歩行22000歩
註1 薩摩藩蔵屋敷で西郷隆盛と勝海舟が江戸城開城の
   会見を行った場所
註2 慶応大学キャンパス
   には「演説館(当初
   は演舌館)・図書
   館」など貴重な重要
   文化財が保存され
   てる。
註3 源氏の武将 
   渡邊 綱産湯の井戸
   がある。
註4 松平隠岐守屋敷跡
   で赤穂浪士大石主税
   他9名の切腹の地
註5 ジョサイア・コンド
   ルの設計にかかる
   貴重な建築物
註6 久留米藩有馬氏の
   屋敷跡で幕府浪士
   隊の清川八郎が
   暗殺された場所。

(イタリヤ大使館)
 (綱町三井クラブ)
註7 徳川家康を祀った
   神社。境内には家光
   植樹の大銀杏(天然
   記念物)がある。
註8 徳川家の菩提寺で
   上野寛永寺とともに
   徳川将軍13名の内
   6名が此処に祀られ
   ている。

(解脱門)
 (三緑山広度院
 増上寺本殿) 
  (霊 廟)   (鋳抜門)
   (大梵鐘) 
  
  (しだれ桜)
註 9 愛宕フォレスとタワーと愛宕森ビルに挟まれたこの地域は森ビル
   グループによる新都市開発地域であり、近代的なビルに旧い寺院を
   巧みに調和させた景観となっている。なお、青松寺は浅野内匠頭の
   菩提寺である。
註10 海抜26mの山だが東京23区の最高地点であり、愛宕神社とNHK
   放送博物館などがある。
註11 愛宕神社は慶長8年、徳川家康の命により江戸の防火の神様とし
   て祀られた。
   講談「間垣平九郎の"愛宕山石段馬登り"」で有名な石段(旧68段、
   現86段)は急峻で、今日まで3例を数えるのみ。また、桜田門外の
   変の水戸浪士が集合した場所として「桜田烈士愛宕山遺跡之碑」が
   ある。
註12 田村右京太夫屋敷跡【指定史跡】(新橋4丁目)
   は現在松岡美術館になっているが浅野内匠頭が
   自刃したところ。
註13 明治36年に開設されたドイツ式庭園。旧長州
   毛利藩やその他の大名屋敷地であった所。
   野外音楽堂・公園資料館・画廊等もあって、都心
   部の貴重な憩いの場となっている。
   有名な松本楼の前には"首かけ銀杏"の大樹が
   聳えている。

参考 日比谷公園―丸ビル―日本工業倶楽部(電話
   交換創始の地)―東京駅―神田駅説明するまで
   もなく近代的なビルが林立し、東京駅を中心とす
   る丸の内界隈の変貌は目を見張るものがある。 
第5回 4月13日 曇り

神田駅…須田町(神田青果市場発祥の地)…観音坂…東京復活大聖堂[註1]…
聖橋[註2]…湯島聖堂[註3]…神田明神[註4]…妻恋神社…湯島天神
[註5]…岩崎邸庭園…横山大観記念館…上野公園(上野動物園)[註6]…
東叡山寛永寺[註7]…東叡山浄明寺…谷中霊園[註8]…谷中5丁目寺町
界隈[註9]…諏訪神社・浄光寺[註10]…西日暮里駅  歩行11km

註1 通称ニコライ堂の名
   で親しまれている
   東京復活大聖堂は
   明治17年起工、
   同24年に完成した
   もので、設計者は
   ロシア工科大学
   教授シチュールポフ
   博士、工事監督は
   英国人コンドル博士
   です。      
   〔重要文化財〕。日本ハリス正教会はロシア正教会
   の系統をひいたもので十字架の形式がカトリック
   プロテスタントのものとは異なっている。
註2 神田川に架かる聖橋(御茶ノ水駅)はニコライ聖堂
   と湯島聖堂を繋ぐ橋の意で聖橋と呼ばれる・叉この
   地は、狂歌で有名な蜀山人終焉の地であり"生き
   過ぎて75年食いつぶし 限り知らぬ天地の恩"の
   碑がある。
註3 寛政年間に江戸幕府は孔子廟と昌平坂学問所を
   設けた。
註4 平 将門を祀る神田
   明神は江戸三大祭の
   神田祭とともに、
   人気ドラマ銭形平次
   捕物帳でよく知られ
   ている。
註5 湯島天満宮。雄略
   天皇の勅命により
   創建(158年)
   される。正平10年
   (1355年)、
   郷民が菅原道真の
   遺徳を慕い合祀、
   学問の神として
   今日まで親しまれ 
   ている。文明3年(1478年)に大田道灌が再建したものの元禄
   16年(1703年)の火災で全焼した為宝暦元年(1704年)将軍
   綱吉の寄進で再建される。境内には銅製の鳥居・迷子探しの奇縁
   氷人石新派の記念碑や泉鏡花の筆塚もある。『婦系図』の舞台と
   しても有名。
註6 上野公園一帯は旧
   藤堂高虎屋敷跡で
   動物園の一画には
   現在も藤堂家の墓地
   であり旧い宝鏡印塔
   9基を見ることが
   できる。
註7 徳川家康の意を受
   け、天海僧正が寛永
   元年創建に着手。
   上野が選ばれた理由
   は、江戸城鬼門に、
   幕府鎮護の地として 
   京都の比叡山になぞらえ、東叡山寛永寺と号したものである。
   慶応4年彰義隊の戦いで殆ど焼失し、現在の本堂は川越喜多院の
   本地堂を移したものである。根本中堂には増上寺とともに徳川将軍
   家の墓所として7人が祀られている。 
註8 谷中霊園には数多くの著名人〔鳩山一郎・長谷川一夫・獅子文六・
   高橋お伝他〕の墓がある。中でも15代将軍徳川慶喜の墓地は壮大で
   あり、大政奉還後、新政府への遠慮から徳川家の墓所である増上寺・
   寛永寺に祀られる事無く、この地に婦人と共に祀られている。
註9 谷中5丁目界隈には、江戸の大火以来多くの寺院が移され寺町の
   様相を呈している。比較的世人に知られる墓地として*興福山永久寺 
   仮名垣魯文『西洋道中膝栗毛』の墓*臨済宗全生庵 山岡鉄舟・
   三遊亭円朝・弘田龍太郎の墓
註10 諏訪神社・浄光寺(雪見寺) 諏訪台(西日暮里から日暮里にかけて
   の高台)は、安藤広重の名所江戸百景「日暮里寺院の林泉」「日暮里
   諏訪の台」などでも取り上げられている景勝地でもある。今回は景色と
   して、特に見るべきものは無かったが見聞を新たにするものが多々あっ
   た。
   1、 ニコライ堂と東方正教会
   2、 聖橋の由来
   3、 徳川将軍家の墓所について
   4、 谷中寺町界隈の風物
牡丹の花の季節から、全生
庵の墓地内を彩る牡丹が
満開で大いに目を愉しませ
てくれた。
第6回 4月27日 雨風

西日暮里駅…(よみせ通り)…須藤公園[註1]…旧安田楠雄庭園[註2]…
高村光太郎住居跡…動坂遺跡〔註3〕…天祖神社…駒込名主屋敷[註4]…
駒込冨士神社…〔昼食〕…諏訪山吉祥寺[註5]…駒込市場跡[註6]…
白山神社…(逸見坂)…小石川植物園[註7]…占春園…教育の森公園…
護国寺[註8]…池袋駅 

註1 松平備後守下屋敷跡で弁財天を祀る旧い祠がある。
註2 現在修復工事中であり、見学できなかったが
    "しだれ桜"で有名。
註3 動坂の塚 江戸時代には鷹匠屋敷があったところで
   この地より住居跡22戸と多数の土器・石器などが
   発掘された。
註4 大阪夏の陣後豊臣方
   の残党として此処に
   亡命し当時伝通院領
   であった駒込の開拓
   を許され名主を務め
   た高木家の屋敷。
   武家でも旗本以上
   の屋敷にしか許されなかった式台付きの玄関がある。また、表門は
   医薬門の特異な形式で、宝永年間(1704〜1711)のものといわれる。
註5 大田道灌が江戸城を
   築いた際、和田倉門
   近くの井戸から
   『吉祥』と書かれた
   金印を掘り当て、こ
   れを城内の庵に祀っ
   たのが始まりで、
   大永年間(1521〜
   28)に吉祥寺という
   寺号になった。  
(特徴的な三層の瓦葺門) 

経蔵一棟 
有形文化財)
   明暦3年の振袖火事で焼失し、その後現在地に移転。  江戸期には
   梅壇林(修学所)が置かれ、全国から1000人を超える学僧が集まった。
   中央線の吉祥寺は余談ながら、この地に住んでいた人達が移り住んで
   名付けたものと言われる。
註6 江戸三大市場〔神田・千住・駒込〕の一つで、江戸市中へ主として野菜
   類を供給していた。
註7 東京大学大学院理学
   系研究科付属の植物
   園で、植物学の研究
   教育を目的とする教
   育実習施設である。
   小石川植物園の
   始まりは、貞亨
   元年(1684年)に
   徳川幕府が設けた
   小石川御薬園で明治
   になり東京大学付属
   植物園となった。
(旧東京医学校本館) (日本庭園)
〔見所〕   
 @ 旧東京医学校本館 赤レンガの建物
 A 日本庭園 5代将軍徳川綱吉の幼児の居邸であり、
   遠州流の流れをくむ庭園は江戸三代名園の一つに
   数えられている。
 B 旧養生所の井戸 映画"赤ひげ"で有名な小石川
   養生所跡であり、町医者小川笙船の意見により
   享保7年につくられ、明治維新の時に廃止される
   まで続いた。
 C 植物・メタセコイア林  昭和20年に中国四川
   省の奥地で メタセコイア属の現生種が発見され、
   「生きた化石」として世界的に有名になった。
  ・ニュウトンのリンゴの木「万有引力の法則」で
   有名なリンゴの樹はイギリスだけでなくアメリカ
   ドイツ・スウェーデン等でも接木により育てられて
   いる。
  ・メンデルの葡萄 「遺伝の法則」で有名なメンデル
   が実験に用いた由緒あるブドウの分株で「メンデル
   葡萄」とよばれている。
  ・ハンカチの木 女性に人気のハンカチの木は若葉の
   間から白いハンカチをヒラヒラ振っているようだ               
(小石川植物園の絵図)江戸時代と
明治時代の風俗を描いた比較絵図
註8 真言宗大本山。天和元年(1681)五代将軍
   徳川綱吉の生母、桂昌院の発願により創建された
   もので、本尊は天然琥珀如意輪観音菩薩像である。
   観音堂(本堂・道重要文化財)は、元禄時代の建築
   工芸の粋を結集した建造物で、その雄大さは都下
   随一のものである。 
(観音堂)
   明治16年、大正15年の火災で堂宇の多くを失っ
   たが観音堂は残り、月光殿(重要文化財)は桃山期
   の建築美を今に伝えている。
   仁王門〔正面仁王・裏面二天〕は創建当時のものと
   伝えられる。
   当寺はまた明治の元勲が眠る寺としても知られ、
   大隈重信・山県有朋・田中光顕・三条実美などの墓
   が並んでいる。寺内には、全国にもその例を見ない
   形式 の庚申塔(天明五年の銘)が見られる。 
 (庚申塔)
 
今回を以って、山手線を巡る大江戸探訪を駆け足さながらではあるが完歩する事が出来た。主として、江戸期以降の歴史的事実を背景に、その風物の移り変わりを興味深く垣間見ることが出来た。

それでは、大江戸から一歩出た五街道〔東海道(品川〜)・中仙道(巣鴨〜)・甲州街道(内藤新宿〜)・日光街道(千住〜)・奥州街道(宇都宮〜)〕の歴史的な変貌は、どの様なものであろうかと新たな興味を駆り立てられている。
  叉の機会に…

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 高橋秀治  渡邊榮輔
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