ギャラリー東栄個展会場 |
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渡邊榮輔の | |||
川崎歴史ガイド | |||
川崎市民となってはや20年を超えました。考えてみれば、生まれ故郷の九州(福岡県直方市)より長くこの地のお世話になりながら、第二の故郷とも言うべき川崎の歴史的・文化的な背景や、先人の遺産について、何も知らないという事に愕然とし、たとえ表面的にでも川﨑の歴史的遺産を訪ねてみたいと思いたちました。幸い、川﨑は昔より矢倉沢往還〔後々の大山街道・厚木街道・国道246号〕や中原街道、江戸時代になって東海道が拓かれるなど東西交流の要衝として文物の往来が盛んであった土地柄の所為もあり、今回の歴史巡りは、愉しさばかりでなく無くいろいろ啓発される事も多く貴重な体験でした。 | |||
二子新地(田園都市線)…多摩川の渡し…岡本かの子(岡本太郎の母)文学碑…二ヶ水…溝口神社…ねもじり坂…笹の原子育て地蔵…梶ヶ谷(田園都市線)旧大山街道を訪ね歩いてきました〔歩行7828歩〕 |
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〔岡本かの子の碑〕 | 〔溝口神社〕 | ||
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二ヶ領用水を歩く 1 〔10月17日〕 今日は二ヶ領用水[徳川家康の命により多摩川の治水と新田開発のために建設された用水路]を歩きました。 |
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〔中野島取水堰〕 | 〔二ヶ領用水中野島取入口〕 | ||
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〔桜並木〕 | 〔稲田堤の旧桜並木〕 | ||
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〔宿河原取水堰〕 | 〔二ヶ領用水宿河原取入口〕 | ||
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二ヶ領用水を歩く Ⅱ 〔10月23日〕 二ヶ領用水用水の続きをあるきました。 |
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〔二ヶ領用水の流れ〕その1 | 〔二ヶ領用水の流れ〕その⒉ | ||
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〔久地円筒分水〕堰からあふれ出る流を、それぞれ異なった四つの幅にわけ、 かく堀ごとの水量比率を保つよう設計された分量樋で、昭和初期まで使われ ていた。 | |||
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〔二子宿問屋場跡地に建つ二ヶ領用水記念灯篭〕 | |||
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中原街道を歩く 〔11月2日〕 好天に誘われ中原街道 〔この街道は江戸虎ノ門を起点として、三田,馬込を通り、丸子で多摩川を渡り、さらに相模川を越え平塚の中原で東海道につながる脇往還としての生活道であった〕 を歩く。 |
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〔中原往還ルート案内図〕 | 〔小杉陣屋に近い西明寺〕 小杉学舎発祥の地 |
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〔旧名主安藤家の長屋門〕 | 〔丸子の渡し(現在の丸子橋付近)〕 | ||
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東海道と大師道を歩く 〔11月4日〕 川崎駅(JR)…川﨑宿…六郷の渡し跡…運河と水門の遺構…大師道・観音道…東門前…鬼を祀る千蔵寺 “鬼は内、福は外” 歩行 9090歩 歩行 7781歩 本日歩行合計 18000歩 約14・5キロ少々疲れた。 |
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〔東海道と太師道案内図〕 | 〔旧東海道川﨑宿の当たり〕 | ||
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川﨑宿を構成していた四町のうち、「砂子」は今も地名として残り、「子土呂」と「久根崎」はわずかながら、バス停や交差点にその名を留めているにすぎない。「新宿」という、かって賑った町の名残りを見出すことは困難になってしまったようです。 | |||
〔旅籠絵図〕 | 〔六郷の渡し対岸の風景〕 | ||
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六郷大橋は、千住、両国と並び江戸の三大橋とよばれたほど立派なものでしたが、洪水の度に流され、ついに幕府も橋をあきらめる。その後は、広重の絵にあるような渡し舟の時代が明治の初期まで実に200年のあいだ続いたようです。 | |||
〔大師道〕 | 〔川崎大師正月風景〕 | ||
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〔河港水門の遺構〕 | 〔多摩川堤防の葦原〕 | ||
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註 明治以降、河口付近に工場群が進出。水路網つ つくりのため川崎河港の建設がすすめられ、このような立派な水門も完成(昭和3年)したが、財政事情の悪化などから計画は中断された。 | 註 河口から2km 干潟と葦原の茂るこのあたりは、水鳥・野鳥の観察地として知られ時期には多くのカメラマンで賑わう。 | ||
津久井道と枡形城址を歩く 〔11月14日〕 登戸駅(南武線)…登戸の渡し…登戸宿…多摩川の筏流し跡…二ヶ領用水…くらやみ坂…戸隠不動…枡形城址…生田緑地 歩行 9350歩 菅生バス停まで 歩行計11991歩 ポカポカ陽気に誘われて…… 註 「津久井道」は登戸から西へ生田・柿生・鶴川へ向かい、さらにその先は鶴見川に 沿って橋本から津久井地方に至る道です。津久井道の往来が頻繁になったのは、 津久井・愛甲地方の絹がこの道を経由して直接江戸へ送られるようになった江戸時 代も末期の頃からです。東海道や中原街道・大山街道のように制度的に整備され た道ではなく、人々の生活、商人の活発な活動を通じて独特の役割を果たすように なった商業路だったのです。 津久井道から分かれて枡形城址に向かう道は、鎌倉幕府の北辺の守りとして築か れた枡形城への古道であり、今では訪れる人に、ひとときの安らぎを与えてくれる貴重 な散歩道になっています。
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〔登戸の渡し付近〕 | 〔枡形城址の自然探勝路〕 | ||
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稲毛丘陵(南回りルート)を歩く 〔11月16日〕 宮崎台駅(田園都市線)…泉福寺(大銀杏・境内相撲図〔絵馬〕…三ッ叉の庚申様… 有馬不動尊…梅林公園(影取大蛇伝説)…鷺沼駅(田園都市線) 歩行 12509歩 一汗かいた。 稲毛丘領(北回りルート)を歩く〔11月17日〕 梶が谷駅(田園都市線)―しばられ松(バス停)…東高根森林公園…等覚院〔つつじ寺〕…五所塚…妙落寺〔あじさい寺〕…東泉寺〔稲毛三十三ヶ所札所〕…白幡八幡宮…蔵敷(バス停)―溝の口駅(田園都市線) 旧王禅寺村を歩く 〔11月21日〕 鷺沼(自宅)…多摩プラザ―保木(バス停)…山王社(日枝神社)…星宿山 註 多摩丘陵にあって、川崎市域の北西部に位置する旧王禅寺村は、真言宗 |
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〔村境の石仏群〕 | 〔禅寺丸柿発祥の地〕 | ||
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〔王禅寺観音堂〕 | 〔入口谷戸の鎮守 神明社〕 | ||
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註 「柿生ふる柿生の里 名のみかは禅寺丸柿 註 星宿山王禅寺は新義真言宗豊山派の古刹で、本尊は聖観音菩薩です。 |
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〔夢見ヶ崎古墳群の案内〕 | 〔了源寺〕 | ||
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註 加瀬山台地一帯は関東地方でも有数の古墳群が有ることで有名です。特に第3号墳 |
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