交換条件


雪が降っている。

いつもと変わらぬ景色。

いつもと変わらぬ空。

雲に覆われた空に、今日は月の姿が見えない。

ただ、月が出ていたとしてもそれが『夜』だとは限らないのだ。


闇に呑みこまれた景色。

ここではそれが全てなのだから。


空から見下ろしたラキの大陸。

たとえ月明かりに照らされていたとしても、この大陸を支配しているのは闇。

その闇に抵抗するかのように、かすかな光が大地に散らばっている。

その光の1つ、『アルカ』の町。

人口二千人の小規模なこの町には、パルメラの様な支配者はいなかった。

人口が少ない事に合わせて、これといった特産物も無い。

ましてやラキティスの生成地が近くにある訳でもなかったため、この町に住む人々は支配に脅えて暮らす事は無かった。

その分裕福な暮らしを送る人間がいない事もあり、町の税金を使ってラキティスを購入していた。

巨大な町に隠れて、静かな生活を送っている町。

『田舎町』とも言い換えることが出来るだろうか。


パルメラの町を出て、二人はこの町へと足を運んでいた。

十字架の耳飾りが目を引く、金色の髪、雪のような白い肌、透き通るような青い瞳を持った女性。

アリア。

そして、ガラの人間でありながら180cmに届かない身長に巨大なリュックを背負い、その後ろを歩いている赤い瞳の青年。

アルベルト。


二人のその姿は滑稽だった。

どう見ても、アリアの荷物をアルベルトが背負わされているようにしか見えなかったからだ。

執事、と呼ぶには若すぎで、従者と言うべきか、子分とでも言うべきか、そんな見た目だった。

しかし、当の二人はそんな視線を気にしている様子は無かった。

アリアは普段から周囲に意識をそらす事は無い。

アルベルトはパルメラの事があるので気にするかと思われたが、視線に悪意が無いと分かると気にしなくなっていた。

どちらかと言えば、アルベルトの姿よりもその背中のはちきれんばかりに膨れているリュックに視線が送られているのだから、当然と言えば当然の事だ。

そんな周りの様子を気にすることも無く、二人は街を歩いていた。

しばらくして、ふとアリアが足を止めた。

それに合わせるようにアルベルトも足を止める。

止まった場所は宿屋の前である。

「今日はここで宿を取ろう。その荷物は置いて、身軽な状態にしたら買い物に行くから。」

「分かりました。じゃあ、これ。僕の分の料金です。」

そう言ってアルベルトはアリアにお金を渡そうとした。

この宿の宿泊費は1500ゼン(1ゼン=1円)で、普通の宿ならこの程度の値段だ。

アルベルトの持っているお金は、フランクの屋敷から持ってきた物だった。

だが、アリアは数回顔を左右に振ると、その手を押し戻した。

「この旅に終わりは見えない。そのお金は自分の為に使った方がいい。あなたが生きている限り、生活費は私が払う。」

突然のその言葉にアルベルトは驚きを隠せなかった。

「それじゃあアリアさんに迷惑がかかります。自分の分は自分で払います!」

アリアの言葉に驚き、言い返すように出たこの言葉。

しかしその言葉は、自分自身の心の動揺を隠す為に出た言葉なのかもしれない。

そう。

アリアははっきりと言っていた。

(あなたが生きている限り・・・)

言葉に含まれた意味を、アルベルトは本能的に悟っていたのかもしれない。

そこまで考えて言ったセリフなのかは分からないが、アリアは淡々と話を続ける。

「旅を続けていく中で、あなたは・・・アルはどうやってお金を稼ぐつもりなの?」

「それは・・・。」

もっともな言い分だった。

この旅の目的は、支配に苦しむ人々を救う事。単なる観光や興味本意での旅行ではないのだ。

一箇所に留まりお金を稼ぐ事は到底無理な話であるし、アリアはアルベルトが付いて来なくとも、

更に言うならば、アルベルトが旅の途中で死んだところで関係が無いという姿勢をとっているのだ。

実際、アルベルトは『働く』事についてあまり経験が無い。

フランクの屋敷にいた時の仕事は、はっきり言ってただのつかいっぱしり。

フランクの思いつきで町までただ買いに行かされていただけなので、店などで働いた経験も無い。

・・・しかもニブイ。


生活の為の援助が受けられるのは、素直にありがたい事だ。

ただ、それでは旅に出る前と同じで何も変わらないのでは、と言う考えが浮かんでしまったのだ。

戸惑うアルベルトに語りかける。

「そう、確かに『タダで』と言う訳にはいかない。アルの気持ちも理解できるつもりでいる。

 だからアルには手伝ってもらいたい事があって、それを交換条件にしよう。」

「僕に出来る事ならっ!!!」

身を乗り出して勢いよく近づいたアルベルトの顔に、さすがのアリアもちょっと照れたが、急に真剣な表情になった。

その口から出る言葉を、今か今かと期待の眼差しで見つめるアルベルト。

その条件とは予想もしていなかった事だった。

「私の剣の相手をしてもらう。」


・・・。


・・・。


・・・。


「・・・へっ?」


短く長い沈黙。

無造作に出た、なんとも間の抜けた返答。

彼は生まれてこのかた、一般的な武器と呼べる物を持ったことが無かった。

叔父のフランクの存在が大きかった事もあるが、それ以上にアルベルトは傷つくことの痛みを知っていた。

課せられた条件は厳しい、そう思えた。

喉から出かかっている言葉は似たような意味の言葉だ。


無理。

不可能。

出来ません・・・。


そういった反応を想像していたのだろう。迷いを断ち切る様にアリアの言葉が続く。

「私は剣の腕が落ちないように、体を動かさなければいけない。だけどアル、あなたの為とも言える。

 この世界で自分の正しいと思うことを行うつもりならば、それなりの力が必要になってくる。力の無い正義は自らの破滅を生むだけ。」

アリア自身も無意識に左耳の十字架に触れていた。複雑な思いが込められているに違いない。

「力に力で対抗する。矛盾しているのは覚悟の上、命を守る為にはそれ以外に方法は無い。」


何をする為に自分はこうして旅に出たのか?


どんな決意をして自分は旅に出たのか?


この旅の意味、前に進もうと歩き出したこの道。

アルベルトはただまっすぐに前を見つめて答えた。

「やります。僕に剣を教えて下さい、アリアさん!!」

その姿を見てアリアはわずかに、だが確かに優しく微笑んでいた。