第十章 野心家




コンコン。 ドアをノックする音にレオは反応した。

「誰だ?」

「ネルソン、参りました。」

「そうか、入ってくれ。」


・・・ここはオライオン場内にある一室で、レオ3世の個人的な部屋だ。

王の部屋と言うのだからどれほど華やかなのかと想像するのかもしれない。

が、そんな左往増を無にするように、この部屋には物も飾り付けも無かった。

あるのは少し大きなテーブルと、向かい合わせで並べられた二つの椅子。

三つ並んだ本棚には分厚い本が何冊も納められ、書類の束が整理されて入れてあった。

本の内容はと言えば、地図に始まり、政治、経済、歴史、地理、軍略、外交・・・、

その様な題の付いた本がびっしりと隙間なく棚に納まっている。

・・・ここはレオの私室であると共に、気にを統治していくための会議室でもあった。

ただし、この場でレオと共に国について語るのはネルソン意外には誰一人いない。

「現在の状況を報告してくれ。そして今後の対策について何かあれば言ってくれ。」

「了解しました。では、まず・・・」

レオの言うとおり、ネルソンは『報告』を始めようとした。

だが、それを遮るようにレオが口を挟む。

「ネルソン、それは止めろと言ってあるだろう? この場に外の関係を持ち込むなと。 

 これで何度目だと思う? 記念すべき100回目だ。」

「・・・そうだったな。すまん、癖になっているからな。どうしても直らんよ。」

そう言うネルソンは、普段ならほとんど見せない笑顔になった。

「そこがお前らしい、と言えるのかな。さて、続けようか。」

「ああ、ついに動きを見せ始めたな。2年ぶりか? ロークシャーが戦争の準備を見せ始めた。

 近い内に宣戦布告をしてくるだろう。」

「避けられぬか。」

「野心の強い王だ。この平原一帯を奪うまではあきらめんだろうな。」

「バイエルは動くだろうか?」

「恐らくは。王太子がカールの親族と婚姻を結んだそうだ。望もうと望むまいと、バイエルは逃げられん。

 政略結婚なのは明確だが、兵を出さざるをえないだろう。」

「・・・兵力の規模を教えてくれ。」

「これは推測の範囲だが・・・まず、我々の全兵力を動員したとしておよそ2万。

 第四部隊を国の防衛に回すならば1万5千になる。」

「うむ。」

「一方、ロークシャーは4万近い兵を集めている。しかしこれはまだ増え続けている。

 最終的には5万。それだけの見積もりを私はしている。」

「さすがに今回は多いな。よくそれだけの人が集まるものだ。」

「確かにな。それにバイエルの兵が1万だ。合わせて6万になる。」

「6万・・・兵力だけでは3倍か。」

「カールとて物量だけで押し切れるとはもう思っていまい。となれば何か策があるのか、

 それとも別の力を得たか、どちらにしてもこの兵力の差はどうしようもない。」


3倍の兵力差。

常識で考えればまず勝てないと思われる差だった。

それでも、レオやネルソンは焦っていない。

単なる兵士と兵士との戦いなら、オライオンの兵は大陸最強なのだ。

例え三対一になったとしても、簡単にはやられない。

何より、広大な平原を疾走する騎馬隊がいる。

オライオンの2万の兵の内、5千が騎馬兵だ。

その突進力は、単なる兵力差では計れない。

レオも、ネルソンも、しっかりと理解していた。

机上の計算がいざと言う時に役に立たない事を。

戦では何があるか、何が起こるか分からない。

その場その場において一人一人が考え、最もよい判断を下す事が大切なのだ。

オライオンの取る道は一つ。


『国を守る』ただそれだけの事。


未知の力をあれこれ考えたところで答えは出ない。

「ネルソン。ハイムの王、ディスカが亡くなったのは知っているな?」

「聞いた。レオU世、ヒルト様のいたころからハイムを治めていたが・・・良い王だった。

 少々気弱でもあり頼りない所もあったが、ハイムは良い国になったな。」

「息子のハーディスが王位を継承したとの事だ。喪に服すらしく公には知らせに来なかったが。」

「こちらから誰も送らなくてもよいのか?」

「必要無いと言われたよ。そういう訳にもいかぬのだがな・・・。」

「それだけか?」

「戦の話をしたら、ハイムにもその情報は入って来てるらしい。

 その時が来れば1万の軍全てを出すと、あらかじめ伝えてくるように言われたらしいな。

 若さ故血の気が多いのは分かるが・・・とても親子とは思えんな。」

「・・・何を考えているか理解し難いな。注意しておくべきだ。」

「私は常に油断はしてないさ。もとが臆病だからな。」

「よく言う。お前の若い頃と比較してやりたいくらいだ。」

「はは。確かにそうかもしれんな。」

「そう言う事だ。・・・しかし、ハーディスはどうするのだ? シャルロットの夫となるのではなかったのか?」

「二人にその気は無いらしい。シャルロットの心は別の所にあるようだしな。」

「シュナイダー=ハーツ・・・か。」

「あの者はどうだ? 確かに人として悪くはないと思うがな。」

「まさか本当に国を継がせるつもりか? お前の取る行動はいつも周りを驚かせるが・・・、

 さすがに世継ぎを簡単に決める訳にはいかんぞ。お前と私が納得しても周りが納得しない。」

「今のこの時代、血筋や血縁をどうこう言っている時代ではないのだ。

 太平の世ならそれでもかまわんが、愚かな王が国を統治して滅びの道を歩むのは困るからな。」

「それでも、この国の象徴として『レオ』の存在は必要だ。」

「・・・私の最終的な国の統治のシステムは、民衆に選ばれた人間が王になることだ。」

「それも壮大な考えだな、アスエル。」

「私はその名に戻りたいな。『レオ』の名は大きすぎる。

 戦に出る。畑仕事でもする。王などと言うものは性に合わんよ。」

「人には生まれながらにして決まっている事もある。『運命』と呼ぶならそれでもいい。

 お前は王になる運命だった。あの日お前と会えたのも運命なら、私がここにいることもまた、運命なのかもしれんな。」

「・・そうだな。」

「・・・。」

「・・・。」

「・・・。」

「ネルソン。」

「何だ?」

「白髪が増えたな。私も・・・お前も。」

「老いたと言いたいのか?」

「そうだな。若い力に負けまいと虚勢を張ったところで、体の反応は正直になった。」

「分かっている。若い時のように体が動かないのは、もう頭に覚えさせている。

 無茶はしない、いや、出来ない・・・か。」

「死ぬなよ。お前はまだこの国に必要だ。」

「・・・お互い様とでも言っておくか。お前の理想をかなえるためには死ねんよ。

 この国に私とお前が必要無くなるまでは・・・あと数年、若い力が育つまではこの剣を振るう。」

「そうだな、落ち着いた隠居生活もまだまだ先の話・・・か。」

オライオン現皇帝、レオV世

オライオン騎士団イオ、総隊長ネルソン

長きにわたりオライオンを支えてきた二人の獅子の会談は、深夜遅くまで続けられた・・・。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



オライオンからはるか北東にある国『ロークシャー』。

大陸に存在する国々の中で、最も野心に満ち溢れた王のいる国。

その王の名は、『カール=ノイマン=ロークシャー』

オライオンの王レオよりも若いこの王は、戦を好み、兵を鍛えることが生き甲斐になっていた。

特に歩兵に関してその力が高かった。

だが、そんな彼のプライドを打ち砕く存在がこの大陸にある。

オライオンの兵士達。

そして、大陸最強と呼ばれているオライオン騎士団イオである。

カールが皇帝としてロークシャーに君臨して後、二度オライオンとの戦を起こした。

だがそのどちらも退けられ、無駄な戦となった。

更に言うならば、一兵たりともオライオン本国へと踏み入れる事すら叶わなかったのだ。


屈辱


その言葉を噛み締めながら、カールは再び国力が充実するのを待った。

前回の戦から約二年。

寒さの厳しい季節は過ぎ、心地よい風が吹くようになった。

オライオンへ南下すべく鍛え上げてきた兵の準備は整った。

その時が迫りつつある。

誰もがそう思っていた・・・が。


「どうあっても反対だと言うのだな、ノイスよ?」

厳格な雰囲気と重い空気の中、男が話し出した。

「恐れ多くも申し上げます。わずか数年、この短い期間の中で三度も戦を起こしては、いくら国が豊かとは言え限度があります。

 国の財政を預かる身として、今回の戦の話は喜ばしいものではありません。」

二人の男の会話に、もう一人の男が加わった。

「大臣殿、この戦乱の時代において国の領土の拡大は当然の事。

 我らにとって、オライオンは南へと進出する為の障害なのです。

 この国は鉄が全てだ。戦でも、貿易でも、いかに鉄を使うかによってこの国の未来は決まる。

 このような事ぐらい、大臣殿ならもちろん承知のはずだ・・・。」


ここはロークシャーの軍議室。

明日にでもオライオンに向けて侵攻を開始しようと考えるカールに対し、

国の政治、財政の中心人物である大臣の『ノイス=トルウェル』が、異を唱えたのだ。

これは今日に始まった事ではない。

もう二ヶ月以上も前から、ノイスは戦争の突入を回避させてきた。

だが、そんな彼の抑制行動ももはや限界に達しようとしていた。


兵士達は戦を望んでいる


大陸最強と呼ばれる騎士団イオの名に、脅えている者はいない。

前回の戦から二年の間、決戦に備えて鍛え上げられてきた兵士達である。

時が来るのを待ち、勝利をつかもうと時間をかけてきたのだ。

そこには落とし穴もある。

集められた兵士の中には、勝利の後の報酬に目がくらんだ者がいるという事だ。

そういった者は勇敢だとか、精強な兵ではない。

『死を恐れない』のではなく、『死を知らない』のだ。

それでも軍の中枢となる部隊は間違いなく強力だった。

オライオンの力の中心が騎馬兵にあるのならば、ロークシャーは重装歩兵だ。

その重装歩兵でどうやって騎馬兵の突進を止めるか?

これまでの戦は、そこが勝負の決め手となっていた。

無論、ロークシャーにも騎馬兵はいる。

しかし、オライオンの騎馬兵にはどうやっても追いつく力を持てなかった。

それ故オライオンと戦うには、もっと騎馬兵を強くするべきだと言う人間もいる。


・・・カールはプライドが高い。

騎馬兵に対して騎馬兵で勝つのは、彼のプライドが許さなかった。

なぜなら、すでに騎士団イオが大陸最強だと言われているからだ。

他人と同じ事を極端に嫌う、そんな性格の持ち主がカールなのである。

ロークシャーには鉄鉱石を大量に採れる鉱山がある。


『鉄の国』


その様な呼ばれ方をし始めたのは、カールがその鉄を国の全てにおいて活用し始めてからだ。

そして、戦で鉄を使う際の結論、それが重装歩兵であった。

何より、ロークシャーは他国よりも装備が充実しているのは間違いなかった。


「勝算はあるのですか、ベノム殿? わずか10年足らずの間に三度も戦を起こす。

 国力が回復してきたと思えば戦・・・どう考えても民が疲弊してしまいます。」

「国の更なる充実の為・・・と、先程も申したはずです。大臣殿。」

毎日のように繰り返されてきた討論。

数少ない開戦消極派のノイスの願いを遮るように、部屋のドアを叩く音が聞こえてくる。

「何用か?」

カールが問う。

「ベノム殿の招集によりロークシャーに参りました、ノイラント兄弟であります。

 カール大帝にご拝謁賜りたいと伺いました。」

「陛下、此度の戦の切り札となるべく私が呼び寄せた者達です。

 是非ともその面構えを見て頂きたいと思います。」

そう行ったベノムの顔は、自信に満ち溢れていた。

「よいだろう。この座に入り、次の戦いについての意見を聞こうか。」

「おお、ありがたいお言葉。ノイラント兄弟、陛下の許しを得たぞ、入れ。」

「承知しました。」

・・・ドアを開けて入ってきたのは3人の男達であった。

円卓を囲み討論を交わしていたカール達を見下ろすような巨漢だ。

その姿を見れば、どの者も戦う為に生まれて来たと言える風貌だった。

「カール大帝にお目通りできて光栄に思います。我らはノイラント三兄弟。

 そして私は長兄のゴレル=ノイラントと申します。」

言葉の後、ゴレルと名乗った男は軽く会釈をする。

「私の隣にいるのが次男のガロード、端にいるのが三男のレギと言います。」

ゴレルが兄弟の名を告げると同時に、二人は同じ様に会釈をする。

「うむ、私がカールだ。ベノムの呼びかけに応じて・・・と言ったな。

 良い顔つきをしておる、気に入ったぞ。ベノムと共に我が国の力となるのだ。」

「ありがとうございます。」

ノイラント兄弟は、同時に答えた。


・・・戦に向けてロークシャーは着々と準備を調えている。

カールをはじめ、ベノム以下軍人は開戦を今や遅しと待ち望んでいた。

唯一国の重鎮として最後まで戦を回避しようとしていた大臣ノイスは、

熱くなるその軍議の中で、たった一人青ざめた顔をしていた・・・。


嫌な予感が頭から離れなかったのだ・・・。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「エディ様、やはり無謀としか言えません。万が一オライオンに勝ったとしても、ロークシャーの支配が広がるだけです。

 もう一度、もう一度だけカール大帝を説得すべきです。」

「もはや何を言っても聞き入れてはくれまい。避けては通れぬのだ。」

悲痛な表情を浮かべた男が数人、向かい合って討論している。

オライオンのはるか北。

そして、ロークシャーの西方に位置する国、

『バイエル』

オライオン、ロークシャーと比較すると小国であると言わざるを得ない国。

ただ、その歴史は古く、先の二国の倍を誇る歴史を築き上げてきた国。

このバイエルもまた、戦と言う時代の渦に飲み込まれようとしていた。

「では、ロークシャーと組んでオライオンを攻めると言われるのですね?」

まだ若さの滲み出る風貌の男が、座の中心にいる男に問いかける。

「・・・そういう事になろう。」

答えた男。

この男の名は『エディ=ガルド=バイエル』

古き歴史ある国、バイエルの現国王。

そのエディを中心に、3人の男が席に着いている。

軍の大隊長『フォルカス=ブラウン』

騎馬隊長『ケリィ=ウィング』

歩兵隊長『グスタフ=トイス』

いずれも、バイエルの軍の中心を担う男達だ。

齢50を超え、60歳と言う年齢に近付きつつある老兵士フォルカスは、

長年にわたってバイエルを支えてきた兵士だ。

常に冷静で馬上の戦闘が得意なケリィ。

それとは逆に感情で物事を判断する癖を持ち、先陣をきって戦う猛将グスタフ。

バイエルの核とも言うべき四人は今、国の命運を左右しかねないほどの問題に悩まされていた。

討論の内容は、いずれ始まるであろうオライオンとロークシャーの戦についてであった。

だが、本来なら戦を始めようとしているのはロークシャー。

その相手となるのはオライオン。

両国から離れた場所に位置し、本来なら特に関係の無い対場にあるはずなのがバイエルだ。

ただ、ある事が理由で戦争に参加せざるを得ない状況に追い込まれているのだった。

「低のいい人質として使われただけだ、王妃様と王大使様は!!」

声を荒げたのはグスタフだ。

彼はその直情的な性格ゆえ、怒りをあらわにして叫んだ。

そんな彼をなだめる様に、先程エディに質問した男・・・ケリィが答える。

「万が一の事を考えれば・・・やはり戦うしか道は残されていないようですね。」


バイエルとロークシャー。

両国の関係に大きな結び付きが出来たのは3ケ月ほど前の事だ。

バイエルの王太子ロディに結婚の申し入れがあった。

相手はロークシャーの皇帝カールの血縁の者だと言う。

ロークシャーは野心溢れる国として大陸中にその名を響かせてはいたが、

二人の婚姻は互いの国の関係においても素晴らしい架け橋になると考えられた。

二人のやりとりは一月ほど続き、めでたく結婚に至る事になったのだ。

だが、問題はその後に発生した。

バイエルでの婚儀を終え、続いてロークシャーでも行われる事になった。

自ら出向く事の出来ないエディに代わり、王妃が太子ロディと共にロークシャーに向かう事になったのだ。

その滞在日数は1週間ほどのはずだった。

が、一月を過ぎてもバイエルに戻る事は無かった。

そんな折、ロークシャーからの使者がバイエルへと到着する。

その使者の持ってきたもの。

それは、オライオンとの決戦の為の同盟条約であった。


戻らぬ王妃と王太子。

つき付けられる戦の為の条約。


断る事は出来ない、だが、エディは今まで返答を先延ばししてきた。

今まさに、それが限界に達しようとしている所なのだ。

拒絶するような事をすれば、何が起こるのかは分かりきっている。

かといって、オライオンと戦う事の『大義』はバイエルには何も無かった。


・・・ケリィの言葉は、グスタフの怒りを静めるものにはならなかった。

更なる怒りを加えて、グスタフはケリィに突っかかった。

「王妃様と王太子様を救う為に戦うのなら分かる。だけどこれじゃあロークシャーの言いなりじゃないか!

 全軍を挙げて先鋒を務めろだと? ふざけんな!」

「静かにせんか、グスタフ!!!」

怒りをあらわにして叫ぶグスタフを沈黙させるほどの声で、フォルカスが圧倒した。

年齢57歳。

オライオンのネルソンと同じ様に、国の民からの絶対的な信頼を持つ男、フォルカス。

さすがのグスタフも、エディとフォルカスには頭が上がらなかった。

それでも怒りを収め切れないグスタフは、顔を真っ赤にしている

「落ち着かんかグスタフ。怒りに任せて行動したところで何も解決しはせん。今話さなければいけないのはこれから始まる戦の事。

 そして、ロークシャーにいる王妃様と王太子様をどのように救い出すかと言う事だ。」

「聞く所によれば、外出すら出来ぬよう監禁されているとの事。

 外出が許されたとしても常に監視がついているようで、逃げ出す事も救い出す事も困難なようです。」

ケリィが静かな口調で答える。

「まさかこのような事態になるとは予測しておらんかった。私の認識不足だ。

 皆には迷惑をかけるな・・・真にもって申し訳ないと思っている。」

その突然のエディの言葉に、フォルカス、ケリィ、グスタフは目に涙を浮かべながら沈黙してしまった。

解決策は何も出ないまま、会議は終わりとなった。

ただ確実なのは、もはや戦は回避出来ないと言う事。

高笑いするカールの姿を思い浮かべて、部屋を出る際にグスタフはドアを思いきり蹴飛ばした。



自室に戻ったフォルカスは、天を見上げて溜め息をついた。

バイエルとオライオンは、どちらかと言うと友好的な関係にあった。

他国を侵略しないと言うレオV世の言葉に偽りはなく、バイエルはオライオンと剣を交えた事はない。

だが、オライオンの兵の強さは知っている。

長い人生の中で、フォルカスはオライオンとの親善試合に幾度も出場していた。

試合の中で、その兵士の強さに圧倒されたのは間違いなかった。

個々の戦闘能力が果てしなく高いのだ。

そして、現オライオン騎士団イオの中心にいる人物・・・ネルソン。

自分より年下のこの男に憧れと恐れのようなものを同時に感じもしていた。

過去の戦の情報をまとめて見ても、オライオンは集団戦で弱体化するような軍ではない。

あのネルソンが軍の中心にいれば当然だ・・・と、常にそう思っていた。

そのオライオンと本気で戦をする事になる。

ロークシャーの先鋒として、ある意味で捨て駒のような物だ。

どのように戦うべきか?

何も考えが浮かばなかった。

そして、戦が終わった後どうなるのか?

王妃様と王太子様をどう救うのか?

悩みが募る一方だった。


と、そこにドアをノックする音が響いた。

「誰かな?」

フォルカスが尋ねる。

「親父さん、俺だ。入っていいか?」

「エリンか。構わんぞ、入ってくれ。」

「会議はどうだったって・・・その顔じゃあ戦う事になったんだな。」

「その顔・・・とは、私の顔がそんなに困った様に見えるのか?」

「どう見たってマイッテル顔にしか見えないぜ、親父さん。」

フォルカスの部屋に入って来た男、エリンは少しからかう様に笑って見せた。

「まあ、お前の言う通りなのかもしれんな。とにかく、オライオンと戦う事になる。」

「ひゅ〜。」

エリンはその答えを予想していたらしく、なおもおどけた調子を崩さなかった。

「気楽に考えられるものではないぞ、この戦には王妃様と王太子様の命もかかっておるのだ。」

少し怒気を含んだ口調でフォルカスは言った。

「分かってるさ、けど、傭兵の俺にはそこら辺は関係ないからなぁ。」

「ふぅ、簡単に言うなお前は。」

「気楽だから傭兵なんかやってるんだよ、親父さん。」

「やれやれだな。」


フォルカスとエリンの関係。

それは、親子のような関係だった。

傭兵としてバイエルに雇われたエリン。

彼はその調子の良い性格から周りの受けはよかったが、

軍の規律を守らせようとする上官からの受けが良くなかった。

どこか気の抜けたような態度と雰囲気が、将校の気に障ったらしい。

ただ、やるべき事はきちんとこなしているし、戦闘の腕も卓越したものを持っていた。

そこが更に上の兵の気に入らない所だったらしい。

ある日、そんなエリンを落とし入れてやろうとした将校がいた。

エリンに対し訓練の時間を偽って報告し、遅刻を理由に罰しようとしたのだ。

当然ながら、エリンは抵抗した。

「俺は確かにこの時間だと聞いていた!」

「自分の過ちをごまかそうとしても無駄だ。言い訳は見苦しいぞ!!」

「冗談じゃねぇ、これが軍の将校のする事か? 規律だなんだとか言いながら、

 やってる事は人を陥れる事じゃねぇか!!」

「違反は違反だ、大人しく罰を受けろエリン。」

「この糞野郎っ!!」

そんなやり取りがあり、頭に血が上ったエリンは、その将校を殴り掛かろうとした。

だが、将校を殴り飛ばしたのは横から現れたフォルカスであり、

エリンの拳はそのフォルカスによって止められていた。

「な・・・?」

「無実を証明するの為に暴力を使ったのでは意味のない事だ。

 部下が愚かなのは上官の責任。私を許してくれ、若き兵士よ。」

「・・・。」

それ以来、エリンはフォルカスにつきまとうようになった。

フォルカス自身もそれが嫌ではなかったらしく、

いつしかエリンはフォルカスの事を「親父さん」と呼ぶようになった。

そんな経緯から、二人は親子のような関係になっていた。

どちらも無意識の内にだが、それがどこか微笑ましくもあり、気恥ずかしく思っていたかもしれない。

傭兵とエリンは自分を呼んでいるが、フォルカスと共に戦うためにバイエルから離れなかった。


エリンが現れた事でフォルカスは少し気持ちに余裕が生まれて来ていた。

なんとなくだが、二人でいると心が和む。

そんな力をエリンは持っているのかもしれないと、最近思うようになっている。

老いた・・・と、自分でも思い始めているのかもしれない。

血の繋がらない、出来の悪い息子を見ている・・・そんな感じなのか。

「オライオンと戦うのなら、俺は是非ともフォルって奴と一騎打ちがしてぇ・・・。」

その言葉に、フォルカスは現実に引き戻された。

過去を懐かしむ暇はない。

オライオンとの戦は目前に迫っており、もはや回避する事は不可能な段階まで来ている。

だが、エリンのその一言が妙に頭に響いた。

オライオンの将、フォル・・・。

騎士団イオの副隊長であり、あのネルソンの息子と言う男。

なんとも不思議な因果だと思える。

互いに戦場で生きて来た男。

そんな男に揃いも揃って血の繋がらない息子がいるとは・・・。

「フォルか・・・実力の詠めない男だったな。」

槍を使う将、という記憶だけはある。

この男とも一度手合わせをした事があるからだ。

普段はケリィのような物腰だったが、いざ戦闘になると別人だった。

その時の勝負には勝った。

勝ったが、それは勝たせてもらったようにも思えている。

・・・どこかで自分はオライオンに対して恐怖の感情を持っている。

若い頃ならそんな事はなかったかもしれない。

今更生にしがみ付くつもりはないが、やはりどこかで気力が萎えて来ているのだ。

其の点では、エリンが少し羨ましくも見えた。

「納得はいかないけどな・・・ロークシャーのいいなりみたいでよ。」

「今は仕方があるまい。なんとかお二人を連れ戻せるよう考えるしかない。」

「そこは俺パスだから。親父さんはみんなと悩んでくれよ。」

「・・・お前も少しは手伝わんか。」

「俺、頭悪ぃし。でも、戦になったら必ず親父さんの力になって見せるぜ!」

「・・・。」

とにかく、オライオンとの戦は目前に迫って来ている。

下手をすればバイエルが滅亡に追い込まれる状態の中。

フォルカスは頭を悩ませながら、『我が子』の戦い振りを想像するのだった・・・。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



そこは、光の届かない暗闇だった。

その暗闇の中には、二つのロウソクの炎と、闇を飲み込むような深く暗い瞳があった。

その男は誰も信用しなかった。

その男は誰よりも深い憎しみを持って生きて来た。

ハイムとオライオン。

レオV世と父ディスカ。

そして、大陸最強と名高い騎士団イオとハイムの兵。

全てを比べ、全てを憎み、己の生まれた故郷の境遇を呪った。



憎い。



オライオンが・・・その全てが・・・。



憎い!!!



憎悪が彼の心を支配して後、彼は己の存在に気が付いた。

『全てが間違っていると言うのなら、俺がその全てを正せばいい・・・。』

何が正しくて、何が間違っているのか?

いや、そもそも正しい事などあるのだろうか?

間違った事などあるのだろうか?


正しいものがあるならば、それは勝者だ。

勝った者がその全てを認められ、負けた者はその全てを否定される。


ハイムは?

父は?

そして、俺は?


ハイムも父も敗者だ。

だが、俺は敗者になるつもりはない。

体が朽ちて土に帰るその時まで、オライオンに頭を下げるつもりなど無い。

他人に命令され、従う事など、苦痛以外の何物でもない。


心の闇が荒れ狂う獣へと姿を変えてから、何年の時が過ぎただろう?

闇から姿を変えた獣は、彼の心を支配し、さらに大きな獣へと成長した。

憎しみ、恨み、・・・負の感情を吸収し続けた獣はいつしか彼に力を与えた。

戦う力と、考える力となって。


他人を従わせる力。

他人を欺く力。

他人を引きつける力。

他人を排除する力。

永きに渡って持ち続けて来た憎しみは、ついに現実に姿を現した。

北の大地に眠る、複雑な不協和音の中に混じって・・・。


現れたのは小さな火種。

その火種はやがて大きな炎となり、大陸全てを飲み込む業火へと広がる。

計画は誰にも気が付かれる事無く、全て彼の思うがままに進んで行った。


ハイム王、いや、

ハイム皇帝『ハーディス=アルマドール=ハイム』


全ての計画が整った時。

彼はその手で・・・




父を殺害した。