第九章 導く答えは、光か? 闇か?




シャルロットとのデートの日から一週間が過ぎた。

シュナイダーはシャルロットを危険にさらした罰を受け、一週間、城の牢屋で謹慎処分を受ける事になった。

牢屋に連れて行かれる時、シュナイダーはシャルロットに「ごめん」と一言だけ言葉を掛ける事しか出来なかった。

一方、シャルロットも同じように自室での謹慎処分を受ける事になっていた。

広い部屋とは言え、おてんばなシャルロットにとっては退屈で仕方がなかっただろう。


その一週間はあっという間に過ぎ、今日は牢獄生活からの解禁の日。

ようやく部屋から出れるようになったシャルロットは、急いで牢屋に向かった。

退屈だったと言えば嘘ではない。

シュナイダーがプリンセスガードに就いて以来、毎日遊びの相手をしてもらっていた。

それが突然無くなり、また一人ぼっちで生活しなければならなかったからだ。

だが、それ以上にシュナイダーに会いたかったのは彼にお礼を言うためだ。

わがままを言ってデートに連れて行ってもらったこと。

罰を受けるのを覚悟してまで町の外まで連れて行ってくれたこと。

それが原因とはなってしまったが、暗殺者から自分を守ってくれこと。

何一つお礼を言ってなかった。

シュナイダーが連れて行かれるとき、「ごめん」と言ってくれた時、何も言えなかったのが更に後悔を広げた。

結婚は無理に違いないと思っていたが、シュナイダーが優しい言葉を自分にくれた。

そんなシュナイダーが・・・好きな相手が罰を受けるのを見ているのは辛い事だ。

何から話そう?

シュナイダーに会ったらどうやって話そうかと考えながら、シャルロットは牢屋へと走った。


現在、牢屋に囚人はいない。

シュナイダーが脱獄をする人物ではないと誰もが思ったし、今日が釈放の日だと皆が知っていたため、牢屋の入り口は開いていた。

それでも警戒の為、見張りは常についている。

だが、二人いた見張りの兵は、牢屋に入ろうとするシャルロットに驚いてしまった。

慌てて止めようとした二人を振り切って、シャルロットはシュナイダーの牢の前に駆け寄る。

まだシュナイダーの牢の鍵は開いていない。

ジャンが迎えに来て、もう一度王と会って完全に釈放、プリンセスガードに復帰する手配だった。

鍵が開いてないのを知って、シャルロットは悔しがったが、会いたかったシュナイダーに会えて満面の笑みを浮かべた。

「シュナイダー! 今日、ここから出れる日だよっ!! シャルはシュナイダーにずっと会いたかったんだから。

 私ね、シュナイダーに言わなきゃいけない事があるの。聞いてくれる・・・?」

そこまで言ってシャルロットは言葉を止めた。

もしかしたらシュナイダーが怒っているかも知れないと思ったからだ。

恐る恐る言葉を待つが、返事が返ってこない。

やっぱり怒っているのかと思ったが、もう一度聞いてみる事にした。

「ねぇ、シュナイダー、怒ってる? 私の話、聞いてくれないかな?」

だが返事は返ってこない。

シャルロットは泣きそうになりながらシュナイダーを見つめた。

シュナイダーは与えられた毛布を体に掛けたまま、うつむいてこちらを向こうとはしない。

シャルロットはふと、視線を移す。

粗末な食器が置かれ、その中にはまだ何も手のつけられていない食事が残っている事に気が付く。

「シュナイダー・・・御飯・・・食べてないの・・・?」

さすがのシャルロットも、シュナイダーの異変を見抜いたようだ。

目の前にいるシュナイダーが、自分の知っているシュナイダーではないような感じさえ受ける。

シャルロットはただ、見つめる事しか出来なかった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




シュナイダーは精神の袋小路に迷い込んでいた。

シャルロットとのデートの日。

自分の一番気に入っている場所で起きた事件。

平和のシンボルの前で起きた事件。

シャルロットを守るため、暗殺者を・・・殺した。

自分の手で殺した。

その時見たあの男の顔が、どうしても頭から離れない。

苦痛に満ちた表情、それでいて血走った目。

こちらを睨むその瞳には、凄まじいほどの殺意が込められていた。

殺さなければ、自分が死んでいた。

同時にシャルロットの死でもある。

それは理解していた。

理解していたはずなのに・・・。


目を閉じると、あの男の断末魔の叫びが響いてくる。

夜、睡眠に入れば、あの時の事が悪夢となって蘇って来る。

体中から血を流しながら、助けてくれとこちらに向かってくる男に対して、毎回シュナイダーは剣を振り下ろす。

この世の物とは思えない絶叫を上げ、男は絶命する。

その男の返り血を浴びて、真っ赤に染まった自分。

それを見て毎回悲鳴を上げて目が覚める。

この一週間それの繰り返しだった。

三日程前からは、まともに睡眠も取れてない気もするが、もうよくは分からない。

食事ものどを通らない。

何を食べてもすぐに吐き出してしまった。

血の・・・味がした。

たった一週間で、驚くほどやつれた気がする。

体も、心も、疲労を伴った痛みでボロボロになっている。



つ・・・かれた。



自分の憧れていた騎士とは何だったのだろう?



国の英雄とはいったい何なのだろう?



そう、ジャンの言っていた『本当の騎士』の意味は?



誰かに頼りたい。

ここから救ってくれるのなら誰でもいい。



助けて・・・。


誰か・・・。


タスケテ・・・。



牢屋に入って一週間、ひたすら朝と夜を繰り返し、今日が釈放の日だという事は知っていた。

それでも、体が上手く動かせない。

怪我は一つも無いのだが、肉体と精神の疲労で、動こうとする気力も湧いてこない。



笑ってしまう。



これが今の自分の姿だと。

牢屋の外で話しかけてくるのはシャルなのかな?

迷惑を掛けちゃったな。

せっかくのデートを台無しにしてしまった。

シャルロットは何も悪くないのに、僕と同じように部屋に監禁されるって聞いていた。



ごめん。



僕が無理をしなければそんな事にはならなかったのに・・・。



本当にごめん。



そんなシュナイダーの心とは裏腹に、牢屋の鍵が開け放たれた。

鍵を開けたのはジャンだ。

シュナイダーを確認して声を掛ける。

「おう、シュナイダー、外に出ろ。これからレオ陛下に挨拶に行くぞ。」

シュナイダーは答えられなかった。立つ事も出来ない。

それを見たジャンは、牢の外にいるシャルロットへ振り返り軽く手で促した。

「姫様すいません、俺はちょっとシュナイダーに話があるんで外で待っててもらえますか?」

「シュナイダーを怒るの? だったら行かない!!」

「ははっ、そんな事はしませんよ。ただ重要な話をこいつとしなきゃいけないんで、お願いします。」

そう言ってジャンはシャルロットに笑いかけた。

それを見てシャルロットは渋々ではあるが牢獄の外に出て行く。

「さて。」

それを見てジャンがシュナイダーに話しかける。

「おい、シュナイダー。返事ぐらいしろ。本当にお前を怒ろうって訳じゃない。」

声が出なかった。

だが頭を下げ・・・頷いて返事を返す。

「飯も食ってなけりゃ元気もでねぇか。まぁいいや。とりあえず俺の話を聞けよ?

 今回の件。確かに街の外から出たのはまずかったよな。完全に違反行為だ。」

「・・・。」

「ま、それに関してはどうこう言うつもりは無いんだ。俺も命令違反はしょっちゅうやってるしな。

 それよりお前、街の外で暗殺者と戦ったんだろ? よく姫様を守りきったな。」

「・・・したんです。」

「ん?」

シュナイダーは久しぶりにまともに声を出した気がした。

だがその声はか細く、上手くジャンには聞こえなかったらしい。

「何をしたって?」

声を振り絞り、もう一度同じ事を繰り返す。

「僕が・・・殺したんです。その・・・暗殺者・・・を。」

「・・・。」

ジャンは黙っている。シュナイダーが話すのを待っているようにも見えた。

「初めて・・・人を斬りました。姫様を守るためとは言え、人を・・・殺しました。」

少しずつではあるが、徐々にシュナイダーの声がはっきりしてくる。

「暗殺者の男を斬っ・・・た時、僕は・・・震えてました。自分の剣で人を傷つけたのは、初めてだったから。

 その男の顔が、頭から消えないんです。毎日、毎日夢に出てきて・・・苦しがっているんです。

 それに対して僕は剣を振り下ろす。男の返り血を浴びて真っ赤になった僕が・・・そこに立っているんです・・・。」

「それで?」

「食事をとっても味がするんです。血の・・・味が。苦しくて何度も吐きました。

 そこからどうやっても逃げられなくて、僕は、僕は・・・。」

それを遮って、ジャンがシュナイダーに語り始めた。

「お前の言いたい事はよく分かる。覚えているか? 俺とお前が戦った時に言った事?

 焦るなって。お前たちは若いから、まだ焦るなって。」

「はい・・・覚えてます。」

「俺はこうも言ったよな。本当の騎士ってのをお前は知らないって。」

「はい。」

「お前はさっき、初めて人を斬ったって言ったよな。それは言われないでも分かってた。

 お前が・・・いや、お前とキースは間違いなく人を斬った事は無いだろうって、一目見て見て分かった。

 騎士を、本当の戦場を体験した事が無い人間だろうってな。

 一度でも戦場で人を殺した事のある人間なら、喜んで戦場に向かおうなんて思ったりはしない。

 死ぬのが怖いんじゃない。生き残って、血に染まっていく自分を見たくないからだ。」

「・・・。」

「ちょうど、今のお前みたいにな。」

「そう・・・かもしれません。」 

「勘違いだけはしちゃ困る。戦争に勝てば国の人々からは『英雄』だと誉められるかもしれねぇ。

 それが口先だけの外交戦争だったらいいんだ。問題なんて何も無い。

 だが、俺達のやってるのは武器を持った戦争だ。

 勝つ為には・・・いや、負けない為には相手を傷付け殺す事が当たり前になってくる。

 『英雄』と呼ばれれば呼ばれるほど、自分の手が血に染まっていくんだ。」

「ジャン隊長も、ネルソン総隊長も・・・?」

「当然だ。だけど、俺は目的を持って戦っている。

 あの戦斧を振る時は、国を守る時。そして国の人々を守る時だ。

 お前は、自分の剣に目的を見出す事は出来るか?

 剣を振って『戦う』という覚悟をもてるか?」

「僕は・・・。」

「実際、お前はシャルロット姫を守った。

 町から出た時を狙って来やがったから、初めから狙われてたんだろ。

 狙われる隙を作ったのは失敗だったが・・・姫様は守ったんだ。

 『騎士プリンセスガード』の使命は充分果たしたって事だな。」

「でも僕は・・・殺そうと思って暗殺者の男を殺したんじゃありません・・・。」

「割り切れない思いは当然あるだろ。

 でも、それでいい。お前みたいな若い奴が、人を殺して普通にしてたらな・・・。

 そんな狂ってる人間に、オライオンの姫様を守らせるなんて出来ねえよ。

 本当に狂っちまう前にどっかに退散願うな。」

「狂った、人間・・・。」


・・・考えてみる。

憧れや、想像の世界だけで『騎士』の存在を見ていた事。


『戦争』とは何を意味するのか?


人を殺す・・・それがどれほど重く、深く、心に残るのか?


『本当の騎士』と『英雄』の持つ意味とは何だったのか?


何も考えていなかったほど、自分が幼稚だったに過ぎない。

だけど、幼い頃から騎士になる事だけを夢見て来た。

親友のキースと、汗だくになり、泥だらけになって稽古を積んで来た。

ついに一月前、その夢は叶う。

結局、そこで自分は何がしたいのか?


・・・剣を振るう目的。


強くなる事。

剣を扱う力を高める。

そこだけにしか、自分は目を向けていなかったと言う事だろう。

『心』を鍛える事を学ばなかった。


・・・戦う、覚悟。


ジャンが言う覚悟には、多くの意味が込められている。

人の生死。

自分が死ぬ事。

そして・・・人を殺す事。

それだけではない。

今の自分のように、その後の事もある。


知らなかった、分かっていなかった。

でもあの時、思った。

シャルロットを守りたい。

それだけは本当だ。

シャルロットを守る、その為に剣を振るったのだ。


・・・これから、僕がなすべき事は?


・・・騎士として、僕が剣を振るう目的は?


・・・。


・・・。




・・・・・・・それは・・・・・・。




「だから後はお前次第だ。このまま城に残るなら、今回みたいな事はいつ起きてもおかしくない。

 それに耐えられなければやめちまってもいい。無理をして続ける事はない。」

「・・・。」

「どうする? 俺はどちらかを強制するつもりはないぜ。」

「もう少しだけ・・・悩ませてもらってもいいですか? 答えは決まってるんですが・・・今は心の整理をしたいです。」

そう言うシュナイダーに何かを感じたのか、ジャンはもう何かを語ろうとはしなかった。

牢に入り、話し掛けた時のシュナイダーとは違う。

その眼差しに、はっきりと意思の光が込められていた。

「ああ。でもしっかりとけじめはつけねぇとな。ほら、さっさと行くぜ・・・ってちょっと待て。

 そんな汚ねぇカッコじゃレオ陛下に挨拶も出来ねぇな。よし、水でも浴びて来い。」



「・・・はい!」



その返事には、そしてシュナイダーの瞳には、ようやく力強さが戻ってきた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




牢獄から出て、すぐさま飛びついてきたのはシャルロットだ。

ただ、シュナイダーがあまりにも汚いのですぐに引き離した。

「ごめん、僕、汚いだろ? これから体を洗いに行って来るからさ。シャルはレオ陛下の所で待っててくれるかい?」

シャルロットは素直に頷いた。

いつものシュナイダーだ。

何度も振り返り手を振りながら、シャルロットは駆け足で戻っていった。

それを見送ってから、シュナイダーは井戸に行き、水で体を洗った。

水の冷たさで完全に意識がはっきりする。

シュナイダーの着替えは、ジャンが持ってきてくれた。

久しぶりに着るいつもの普段着、その感触を体に感じながらシュナイダーは袖を通していった。

「うしっ、そんじゃ行くか。」

そう言ってジャンは歩き出した。シュナイダーもそれに続いて行く。


後ろから見るジャンの背中は大きい。

シュナイダーよりも身長が高いのだから当然だが、それだけではないように思える。

父親の背中は大きく感じると、話で聞いた事がある。


自分には父親がいないけど、もし今も生きていてくれたらこのジャンのように大きな存在と感じるのだろうか?

こうしてジャンのように、僕の悩みを和らげてくれるのだろうか?

ジャンの背中を見ていたら、少しだけ父親かと思えたなんて言ったらジャンは笑うだろうか?



とにかく嬉しかった。



自分を気にかけてくれる存在がいてくれる事。



自分を必要としてくれる人間がいてくれる事。



ここで生きていく上で、何よりも幸せな事だ。

もう答えは決まっている。これから自分が何がしたいのか。

でも、今日だけは気持ちに整理がつけたい。

この時シュナイダーは、大人になるという事を無意識の内に実感したのかもしれない・・・。



レオはシュナイダーにこれといって何も言わなかった。

シュナイダーが牢にいる間、シャルロットにまったく元気が無かったからだ。

それほどまでに、シャルロットが心を開いている人間は今までに誰一人としていない。

レオはシュナイダーにこう言った。

「お前の存在は、シャルロットにとっていい影響を与えていると思う。

 母がいなく、男の私が育ててきてしまったせいか、わがままに育ってしまったが、私にとっては大切な娘だ。

 これからもあの子をいい方向に導いてやってくれ。よろしく頼む。」

シュナイダーはこう答えた。

「もったいないお言葉、恐れ多くも感謝します。シャルロット姫は私に似た存在です。

 私は幼い頃、父をなくしました。それ故、母との二人暮しを余儀なくされてきました。

 ですが、父を恨んだりはしていません。父の存在を忘れた事もありません。

 たった一人で私を育ててくれた母には、どんな時でも感謝の気持ちで溢れています。

 それは、シャルロット姫も同じだと思います。

 あつかましいと思うかもしれませんが、私はシャルロット姫のことを、実の妹のように感じています。

 出会えて良かった。プリンセスガードの仕事を命じられて幸せです。」

その言葉を聞いて、レオはシュナイダーに頭を下げた。

そして一言「感謝する」とだけ伝えた。

シュナイダーは深く頭を下げ、部屋から出た。


外に出ると待っていたシャルロットが勢いよくシュナイダーに飛び付く。

ジャンはあくびをしながらそれを見ている。

「シュナイダー、私ね、シュナイダーに言いたいことがあるの。」

「なんだい?」

「私とデートしてくれてありがとう、守ってくれてありがとう!」

シュナイダーは首を振った。

「いや、僕の方こそ謝らなくちゃいけない。

 僕が不注意だったからシャルを危険な目に合わせてしまったんだ。

 本当にごめんよ。怖かっただろ?」

「そんなことないよ。怖かったけど・・・シュナイダーが何とかしてくれるかなって。

 あの湖、綺麗だったよね。出来ればもう一度見に行きたい・・・・。」

「それは駄目だ。今度は俺の首が飛ぶかもしれない。」

横で聞いていたジャンが口を挟んだ

「しかしまぁ、『シャル』ねぇ。シュナイダー君、仲がよろしいことで。」

それを聞いてシュナイダーがはっとする。

慌てて弁明するが、ジャンはニヤニヤするだけであまり聞いていない。

それを見て、さらに横からシャルロットが割り込んだ。

「シュナイダーは私と結婚するからいいの。夫が妻を呼ぶのに『姫』って言わないでしょ!!」

「は〜、そうですかい。」

やれやれといった感じで、ジャンは両手を広げて見せた。

「まあそこら辺は俺には関係ないからな。じゃ、明日っからまた頼むぜ、色男っ!」

そう言い残してジャンはその場を去った。

シュナイダー自身も、今日は疲れているから休みたいとシャルロットに言い、その場を去った。

シャルロットは遊んでもらいたいと思っていたのだが、朝のシュナイダーを見ていたので仕方なく我慢することにした。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




一週間ぶりの兵舎、一週間ぶりの自室。

わずか数日の間だったけど、本当に長く感じた。

部屋に備え付けのベッドに腰をかけ、ボーっと天井を眺めてみる。

何かを考えようとすると、頭の中に浮かんで来るのはあの日の事だけだ。



思い出したくはない。



でも、現実から目を背けて生きていく事はできない。

あれぐらいの事は、戦争が始まれば当然の事なのだから・・・。

覚悟・・・たった一言の言葉では言い表せない。

もう、足を踏み入れてしまった。

ここに残る限り、逃げ出す事は・・・出来ない・・・。


ベッドの上に上がり、大の字になって寝転がる。

牢の中での疲労もあって、シュナイダーは時間と共に深い睡眠に入っていった。

暗く沈んだ気持ちは薄れている。

誰かにすがりたいと、助けてもらいたいと思った。

感情をぶつけられる相手が欲しかった。



ジャンに・・・隊長に感謝しよう。



その寝顔は穏やかだった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




コンコン。



シュナイダーが睡眠に入ってから数時間後、ドアをノックする音が響いた。



コンコン。



再びノックの音がした。

「う・・ん・・?」

久しぶりにまともにすることができた睡眠から目覚めて、シュナイダーは現実に引き戻される。

夢・・・悪夢は見なかった。

本当に久しぶりだ。

なにかの音で目が覚めた・・・と思う。

「ふあぁぁあ。」

目をこすりながら一つあくびをした。



コンコン。



再びドアをノックする音がした。

その音を聞いて慌てて返事をする。

「はい。どなたですか?」

その声を確認してドアが開かれた。

「シュナイダー、寝てたの?」

入ってきたのはシャルロットだ。

両腕を後ろにまわし、なにかを持っているのがよく分かった。

「ああ、ちょっと疲れてたからさ、横になっているうちに眠っちゃったみたいだね。どうかしたの?」

「へへ。私ね、シュナイダーの元気が出るように良い物持ってきたの。」

「良い物?」

シュナイダーがそう言うのを聞いて、シャルロットは後ろに持っていた物。バスケットを前に出した。

「ケーキ・・・?」

シャルロットが上にかかっていた布を取ると、部屋中に甘い香りが立ち込める。

「うんっ! シュナイダーに食べてもらおうと思って持ってきたの。」

ケーキは少し大きめのシフォンケーキだった。

これを全て食べるのはちょっと無理かなと思ったシュナイダーだったが、せっかくシャルロットの持ってきてくれた物だ。

とりあえず一口食べてみる事にした。

「じゃあ遠慮なく、とりあえず一口いただきます。」

そう言ってケーキの端をちょっと欠いて食べてみる。

「うん、おいしい。食べ物がおいしいって思ったのは一週間ぶりだよ。でも、このケーキはどうしたんだい?」

「それはね・・・。」

シャルロットが何かを言おうとした時、部屋の外から誰かが入ってきた。

「私が作ったのよ。シャルロット姫に頼まれてね。」

入ってきたのはイリアだった。

それを見てシュナイダーは驚きと嬉しさで顔を紅潮させてしまう。

まさか自分の憧れの人がここに来るとは思っても見なかったからだ。

「いきなり私の部屋に来て初めに言った言葉が『ケーキを作って』だったのよ。あまりにも唐突だったんでびっくりしたわ。

 昔作ってあげたのを覚えてたのね。最近は忙しくて作ってあげられなかったけど・・・。味はどうかしら?」

「えっええ、おいしいです。」

「そう? それならよかった。」

その会話を聞いて、シャルロットが口を挟んだ。

「私も手伝ったんだよ? おいしくないなんて言ったら怒るからね。」

そう言ってシャルロットはぷーっと頬を膨らませる。

「そっか、ありがとう。本当においしいよ、このケーキ。」

少しづつケーキを千切って食べながら、シュナイダーは笑顔で言った。

ふと気付いてみると、シャルロットの視線がケーキに向けられているのが分かった。

その視線の意味に気が付いてシュナイダーはシャルロットに言ってみる。

「僕一人じゃ全部食べられないし、残すのは勿体無いから一緒に食べようか?」

その言葉を待ってましたと言わんばかりに、シャルロットもケーキを食べ始めた。

「うん、おいしい!」

その表情は喜びにあふれている。食べっぷりもなかなか見事なものだ。

そんな二人の様子を見ながら、イリアがシュナイダーに話しかけた。

「今回の事件・・・大変だったみたいね。」

「・・・聞いたんですか?」

「ええ、城の郊外で暗殺者に襲われたって。よくシャルロットを守ったわね。立派だわ。」

「立派なんて言われる事じゃないです。約束を無視して町から出たのは僕の責任ですから。」

「確かにそうかもしれないわね。でも、町の中でだって襲われたかもしれないでしょう?

 シャルロットを守る事がプリンセスガードの仕事なんだから、あなたはしっかり任務を果たしたのよ。」

「そう言ってもらえるとありがたいですけど、不注意でした。」

「なんにしても今後戦争が起きてしまうのは避けられないかもしれない。そうなれば今回の様にシャルロットが狙われるのは当然。

 穏やかな日々はもう無くなってしまうかもしれない・・・その時の覚悟は出来てるわね?」

一転してイリアの口調が厳しくなった。

具体的には示さずとも『覚悟』の意味はシュナイダーにも分かると踏んでの事だろう。

「覚悟・・・してるつもりです。」

その返事を聞いて、イリアは少し怒りも交えた口調で答えた。

「中途半端な覚悟では戦争は乗り切れないわ。次は・・・」

そこまで言いかけてイリアの口が動かなくなる。

当然、シュナイダーは尋ねた。

「次は・・・なんですか?」

「・・・死ぬかもしれないって事よ。」

「そう・・・ですね。」

そんな二人の会話を聞いてか聞かずか、シャルロットが元気よくしゃべり出した。

口元にはケーキのカスが付いている。

「それなら大丈夫だよ、シュナイダーはすっごく強いから。絶対に私を守ってくれるもん。

 それにシュナイダーは私と結婚する人なんだから、死ぬなんて嫌な事言っちゃダメ〜!!」

明るく元気にそう言ったシャルロットを見て、シュナイダーとイリアも笑顔を見せた。

「そうだったわね。シュナイダー君は責任重大ね。」

イリアはそう言ってクスクスと笑い出した。

シュナイダーは少し照れながらも力強く答える。

「そうだね、僕も約束通り、騎士としてまずは一人前だと認めてもらわなきゃね。」

「そうだよっ! シュナイダー、約束破っちゃ嫌だからね!!」

笑顔の戻った二人を見て、イリアは部屋を後にした。

扉を閉めてそれを背にしたイリアは、消えるような小さな声でつぶやいた。

「シャルロット・・・あなたの笑顔は私みたいな人間にとって、本当に眩しくて痛い・・・わ。

 シュナイダー君もごめんなさい。あなたにはどんなに誤っても許してもらえないわね。」

 今あなた達がここにいなければ、私はもっと楽な気持ちでいられたのかな?」

その表情はいつかの夜の如く、暗く沈んでいた。


覚悟・・・。


そう・・・覚悟。


次にあなた達を殺し・・・に行くのは・・・




私・・・だから・・・。




小さくつぶやいたイリアの瞳には、冷たい殺意と決意の意思が込められていた・・・。