第三章 生と死の境で
それから更に一週間。
毎日の様にシャルロットの相手をする事に、シュナイダーは不満を溜め続けていた。
シャルロットと別れ兵舎に帰る途中、シュナイダーは考えていた。
自分が何のために騎士になったのかを。
お姫様のお守りをするために騎士になった訳じゃない。
大陸最強の騎士団イオの一員として自分も活躍するため、国の英雄と呼ばれる騎士になるためだ。
彼の不満はピークに達していた。噴火する寸前の火山のように。
イライラしながら兵舎に帰ると、そこでシュナイダーは不気味な光景を目にした。
親友キースと第四部隊長ジャンが肩を組んで歩いていたのである。
その光景を見たとき、シュナイダーは呆然と立ち尽くしてしまった。
正式に騎士として任命される前、あの武闘会の帰り道にあれだけ第四部隊に配属されるのを嫌がっていたキースが(シュナイダーもだが)
まさかその部隊長であるジャンと、仲良くしているはずが無いと思っていたからである。
シュナイダーはプリンセスガードの任務に就いたが、キースはジャンの下っ端のような雑用のような役割を任命されていた。
二人とも第四部隊に所属することになっているのだが、実戦に出る確率はキースの方が高い。
シュナイダーは姫であるシャルロットを守る訳だから、ノコノコ城を出て行けるはずは無い。
だが、ジャンの近くにいるキースならば城外の援軍として出かけて行ける事もあるだろう。
そんな所にシュナイダーは心配を抱いていた。
ともかく、その光景をポカンと見ていたシュナイダーに気付いたキースとジャンが話しかけてきた。
「おうっ! シュナイダーじゃねぇか。どうだ? お姫様の警護は。」
「・・・。」
「よう、シュナイダーだったな。上司の顔と名前ぐらいは覚えたよな?」
「・・・。」
「何だよお前、返事もしないでボーっと突っ立って。どうかしたのか?」
「・・・。」
「そうだぜシュナイダー君。副長が挨拶はしっかりしろって言ったのを覚えてないのかね?」
ブチッ・・・。
シュナイダーの中で何かが切れた。
修羅のごとき形相と聞く者を圧倒する低い声でジャンに言った。
「隊長。話があるのでお部屋に伺わせてもらってよろしいでしょうか?」
「あっ、ああ。分かった、いいぜ。じゃあ少ししたら来てくれ。」
思わず後ずさるしまったジャンはそう答えるしかなかった。
それほどシュナイダーの声と顔に迫力があったのだ。
キースもそんな顔をするシュナイダーを初めて見て驚いていた。
数分後、シュナイダーはジャンの部屋に訪れていた。
ジャンは椅子に座りシュナイダーを待っていた。丁寧にシュナイダーの椅子まで用意してある。
「で? 話って何だシュナイダー。」
先程のおちゃらけた様子が少し残っているが、真面目な顔でジャンは話しかけてきた。
「自分の仕事についてです。」
「はぁ? お前の仕事はプリンセスガードだろ? 俺に話すよりイリアに聞いた方がいいんじゃないか?」
「違います! プリンセスガードの役目について聞くためにここに来たわけではありません。」
「じゃあ何だ? 俺に聞くことなんて無いだろが。」
シュナイダーは椅子から立ち上がると、意を決して言った。
「配属変えをお願いしに来ました。」
それを聞いた瞬間、ピクッと少しだけジャンの眉が動いたような気がした。
「なぜだ?」
聞き返したジャンにふざけた態度はもうない。鋭い視線をシュナイダーに向けて言った。
その視線に負けぬよう、シュナイダーも負けずに言い返す。
「二週間前の武闘会の後、騎士に任命されてから今日までずっとプリンセスガードの仕事をしてきました。
でも、プリンセスガードなんて名前だけで実際はシャルロット姫のお守りじゃないですか!
僕はシャルロット姫のお守りをするために騎士になったわけではありません。
もう我慢できません。お願いします、配属換えを・・・」
そこまで言いかけてシュナイダーは気が付いた。
ジャンの表情は明らかに怒りの表情だ。
その姿は先程のシュナイダーの比ではない。
「いいだろう、そんなに配属換えがお望みならお前の言うとおりにしてやる。
ただし、その腰にぶら下げてる物で俺に勝てたらだ。ついて来い、ここじゃ皆に迷惑がかかる。」
それだけ言うとジャンは部屋から出て行ってしまった。
少し腰の引けていたシュナイダーだったがその後に続く。
まさかこんなことになるとは思っていなかった。だが、これは絶好のチャンスだとシュナイダーは思い始めていた。
隊長クラスの人間の実力が理解できる。
それに勝つことが出来れば自分の力を証明出来る事になるからだ。
シュナイダーは自分の実力に自信があった。
普段へらへらしてまともな姿のジャンを見ている限り、負ける事など考えてはいなかった。
(必ず勝ってみせる。)
シュナイダーは絶対の自信でジャンとの対決に向かった。
だが――――――。
兵舎横のちょっとした広場に着くなり、ジャンは武器を構えた。
他の誰も扱うことの出来ない巨大な斧。
噂ではその一振りで5人の敵を一度に倒すとか、敵騎馬兵を馬ごと切り倒したり・・・。
凄まじい噂を持っている人物・・・ジャン。
しかし、シュナイダーはこれっぽっちも信じていなかった。
確かにジャンの体は大きいが、普通あの斧を持って機敏に動けるとはまず思えない。
幼い頃から鍛えてきた自分の剣技を知ればジャンとて驚愕するはず。
そういった考えもあって、シュナイダーは自信の勝利を確信していた。
少し距離をとってジャンに向き合う。
「行くぜ、構えろ。」
瞬間、何かが爆発した。
ジャンの言葉と共に、恐ろしいまでの気合。信じられない程の闘気があたりに広まった。
びりびりと肌を刺すような感覚。
シュナイダーはその闘気に押されている自分に気が付いた。
今まで剣の稽古をしてきたが、こんな感覚は体験したことがない。
指導してもらっていた剣の先生も、武闘会で戦った相手も、あのキースでさえもこんな気合を発していた事は無い。
だがこの勝負に勝たなければ、このままずっとシャルロット姫のお守り役だ。
シュナイダーはジャンの気合に押されぬよう両足を踏ん張り身構える。
それを見てジャンが再び口を開いた。
「お前を見ているとどれだけ未熟かが分かる。騎士として・・・兵士として戦場に出る事の意味って奴を何も知っていない。
お前の持ってるその甘ったれた考えを、今、ここで思い知らせてやる!!!!!」
もう一度二人を包む空気が爆発した。
だが、先程のジャンの気合から発せられる闘気とは比べ物にならないほど空気が重い。
その場にいる生き物全てが逃げ出すほどの闘気・・・いや、闘気などではない。
これは・・・。
「俺の前に立ったからには覚悟しろよ。『死』をな。」
殺気。
凄まじいほどの殺気がジャンの体を包んでいる。
周囲の木や雑草が揺れ、その中で生活していた生き物全てがその場を離れた。
もはやそこに立っている人物が、自分の知っているジャンだとは思えなかった。
人ではない、と体が脳に伝えてくる。
その殺気を全身に浴びて、シュナイダーは震えていた。
最初は剣を持っている手が。
次第に足が震えだし、体中がガタガタと震えだした。
知らなかった。
いや、シュナイダーは考えた事すらなかった。
自分の間近に迫る『死』の恐怖を。
今までの生活で体験してきた、その全てを凌駕する圧倒的な『死』の接近を。
ジャンの殺気は圧倒的だった。
体の震えが止まらない位ではない。もはや体を動かす事すら出来なかった。
普通に立っているのが奇跡としか思えない。
これほどの状況に追い込まれて、シュナイダーは自分の甘さを実感した。
それと共に、今の自分が置かれている現実を。
自分のすぐ目の前にある確実な『死』を。
動くことも出来ず、抗うことも出来ずに、シュナイダーはただその場に立っている事しか出来なかった。
その様子を気にすることも無く、ジャンがもう一度言った。
「・・・行くぜ、構えろ!!」
その言葉と同時、戦斧を構えたと思った瞬間にジャンがシュナイダーに向かって突進した。
シュナイダーの思っていた速度などとは比べ物にならない。
一呼吸の間も無く、一瞬にしてシュナイダーの間合いに入ってきた。
と同時にシュナイダーの頭部目掛けてその斧を振り下ろす。
(僕は・・・死・・・ぬ・・・?)
時が止まったかのように、その時、シュナイダーは死を覚悟した。
ズギャッッッッッッ!!!!!!
振り下ろされた斧は爆音と共にシュナイダーの目の前の地面をえぐった。
そのあまりにも強烈な勢いで生じた爆風によって、シュナイダーは吹き飛ばされた。
五メートルは吹っ飛ばされ、ゴロゴロと転がったシュナイダーはハッと正気を取り戻した。
辺りを包んでいたジャンの殺気が消えている。
何も無かったかのような静寂。
それでもまだ体を動かすことが出来ず、ただ体の震えが止まらないでいた。
「僕・・・生きてる・・・?」
それだけつぶやいた途端、目から涙が溢れてきてしまった。
そのシュナイダーの顔を覗き込むようにして、ジャンが話し掛けてきた。
「これで分かっただろ?」
その顔に殺気は感じられない。いつものジャンの顔に戻っていた。
「お前に実戦は早すぎる。いや、お前達かな? キースもまだ実戦には早いだろうな。
シュナイダー、焦る必要は無いんだ。お前達はまだ16だろ?
騎士に憧れるのはいいが、本当の騎士ってのはお前が考えてるほど綺麗な物じゃない。」
「本当の騎士・・・ですか?」
シュナイダーはその言葉の意味を理解できなかった。
本当の騎士。それは彼の母が心配していたことでもあるのだが・・・。
「まぁ、今は分からなくてもいいさ。そのうち理解できるようになる。
今は自分に与えられた仕事をこなすのが一番大事だってことだ。」
「でも・・・。」
シュナイダーは困惑の表情を浮かべた。
確かに自分の未熟さは理解できたと思えるが、それでもプリンセスガードの仕事には納得がいかなかった。
そんなシュナイダーを見て、ジャンは優しく答えた。
「まぁ、そう嫌がるなよ。確かにプリンセスガードって言っても普段は姫のお守りみたいなもんだ。
だけど、それじゃあ姫は何で毎日お前と遊んでるか考えた事があるか?
シャルロット姫は城から出られることが滅多に無いんだよ。つまり友達と呼べる人間はいないってことさ。
あの年だ。もっと外に出て遊びたいに決まってる。」
それを聞いてシュナイダーはハッとした。
ジャンの言っていることは正しい。確かにこの二週間、シャルロットの友達なんて見たことは無かった。
「まっ、それぐらい理解できるだろ? 平和な時ぐらいお姫様を甘えさせてやれよ。
今後、戦争が始まっちまえばしばらくは遊んでなんかいられないからな。」
「確かにそう・・・ですね。」
シュナイダーは素直に頷いた。
「だが、それはお前にも言えることだ。戦争が始まれば命を懸けても姫を守る事になるんだからな。」
無言でシュナイダーは頷いた。
そう、戦争が始まれば敵は完全にこちらを殺そうとする存在だ。
迫り来る魔の手からシャルロットを守らなければならない。
その瞬間を想像して、シュナイダーは身震いした。
「剣の稽古なら城内でも出来る。そんときゃあ俺も相手してやるからさ。
ほれ、さっさと立って水でも浴びて来い。泥だらけじゃ眠れないだろ?」
シュナイダーの手を取り立ち上がらせると、ジャンはその場から立ち去った。
・・・様に見えたのだが、振り向きざまに先程自分の斧で開けた穴につまずいてこけた。
「あははははははっ。」
それを見たシュナイダーは声を出して笑ってしまった。
それはプリンセスガードになって以来、久しぶりの笑いだった。