第八章 少年の瞳に映るモノ




これは剣の稽古ではない。

当然の事だが、二週間前の夜、ジャンと戦った時の様にもいかない。

あの剣で斬られれば、僕は確実に死ぬ。

でもそれはシャルロットの死でもある。


負けられない、死ねない、死なせない!!!


・・・確かに迂闊だった。

こういう事があるかもしれないから町にも見張りがついていたはず。

やっぱり、僕は一つの事を考えると周りが見えなくなる。

でもここは譲れない、この子は、シャルロットはオライオンの未来を創るのだから・・・。



こんな時だというのに、心は不思議と落ち着いていた。

この一月、最初は不満だったプリンセスガードの仕事だったが、ジャンに諭された。

自分の中にある焦りに踊らされる事が無ければ、これほど視野が広がるとは思わなかった。

時々シャルロットのわがままには困る事があるけど、それはただ両親に甘える事が出来ないからなのだと分かった。


シャルは僕に似ている。

僕には父親がいない。


僕がまだ小さい頃、戦争で命を落とした。

だから母と子一人の二人暮しで今まで生活してきた。

寂しい思いはあった。

でも僕にはキースという親友が出来たから、それほど苦痛に感じた事は無い。

でもシャルは違う。

必要な物は何でも手に入る。生活に困る事も無ければ、食事だって、オモチャだって不自由な事なんて無い。

ただ一つ、孤独と言う寂しさを除けば・・・。

シャルは気付いていたのかな?

自分と同じ『気持ち』を僕が持っていた事を。



少し考え過ぎかとも思ったが、そう思えるのは僕にとっては幸せな事だ。


だから!!


この男が何者なのかは分からない。

気配を消す力、身のこなし、剣の腕、そしてこの・・・殺気。

どこかの国の暗殺者だというのは間違いない。

でも負けられない。

男から繰り出される鋭い剣を受けながら、これまでの一月を振り返る。

それは油断にもなりかねたのだが、心の安定というモノは、本人の持つ実力を完全に引き出してくれる。

本来なら、何かを守りながら戦う事は注意力が散漫になり隙を生む。

苦しい戦いになるのは当然な筈だ。

だが、シュナイダーはその型にはまらなかった。

もともと、シュナイダーの剣技は守備を前提に構成されている。

相手にワザと何度も打ち込ませ、時間を掛けてその太刀筋を見切る。

完全に読みきる事が出来たなら、反撃の一撃で勝負を決める。

そういう戦いを得意としていたシュナイダーにとって、攻めら続けられる事はむしろ好都合だった。

ただ、キースのようにシュナイダーを超えるスタミナを持つ相手にとっては不利になるが・・・。

更にシュナイダーにとって幸運だったのはジャンと戦った事だ。

あの時シュナイダーは、体を動かすどころか立っているだけで精一杯だった。

それだけ凄まじい殺気を発するジャンと比べれば、今戦っている男の殺気などは生ぬるいものだ。

イリアス、そしてフォルと比べると、この男の動きと太刀筋は何とか読める範囲にある。

決して油断とか、慢心とか、そういうものではなく、シュナイダーはこの相手との真剣『勝負』をしっかりと見つめていた。


一方襲いかかって来た男、暗殺者には焦りが生じていた。

一見すると高だか10歳程度の子供と、弱々しい見た目の少年。

城下街からつけてはいたが、隙だらけでいつでも暗殺は可能だと思っていた。

こんな楽な仕事は無いと、暗殺の依頼の成功を確信していた。

それが見事に打ち砕かれた。


目の前のこの相手。

会話を聞いていて『シュナイダー』と言う名前は分かった。

このシュナイダーの実力を甘く見すぎていた。

自分の太刀筋を全て見切り、何も問題の無いように受けている。

男は自分の剣技に自信があった。

力・・・腕力はそれ程ではないにしろ、そのスピードにはかなりの自信を持っている。

一瞬で相手を殺し、何事も無かったかのように立ち去る。

その剣の腕を見込まれて、これまで暗殺者としてやってこれたのだ


男は困惑した。


上下左右から剣を繰り出し、様々なコンビネーションで剣を振る。

全身を使い、フェイントをかけ、幾度と無く攻撃を繰り返す。

その全てを防がれた。


額ににじむ汗。


こんな事は今まであり得なかった。

焦りが膨らむ。

シュナイダーとか言う男は自分からは攻撃してこない。

この男を無視してシャルロットとか言うオライオンの姫を殺す事は、まず不可能だろう。


隙が無い


かと言ってこのまま逃げ出したところで失敗の報酬は『死』だ。

心臓の鼓動が高くなると共に、更なる焦りが体を包む。

二人の心境には徐々に大きく大きく差が出ていった。



『焦りは余計な力を使い、己を見失う』



シュナイダーは騎士長ネルソンから教わった言葉を思い出した。

自分のやるべき事、守るべき人、そして倒さねばならない相手。

単純だった。

今の自分に迷いは無い。

あとは・・・。


男の焦りはピークに達していた。

その焦りは太刀筋を単調にさせ、激しくスタミナを奪っていく。

剣を交えてからまだわずかしか経っていないはずなのに、激しく息が切れる。


そして決着の時が近付いた。


ムキになって攻撃するあまり、男は足を滑らせ、体制を崩した。

その隙をシュナイダーは見逃さない。

がら空きになったわき腹目掛けて剣を振る。

(勝った。)

シュナイダー自身、確実に自らの勝利パターンでこの戦いに勝利を得た。

そう確信した。



しかし。



「ぎゃあぁぁぁっっっ!!」


シュナイダーの剣は確実に男の右わき腹に命中した。

そう、普段の剣の稽古ならこれで終わりだろう。

だがこれは剣の稽古ではない。

普段使っている剣ではなく真剣だ。

勝ち負けを決する『だけ』の勝負ではない。

負ける事はすなわち・・・死を意味している。

そして、勝つことは制する事・・・だけで終わらない時もある。

それは相手を『殺す』・・・と言う事。


絶叫と共にわき腹から大量の血が流れ出し、男は口からも血を吐いた。

わき腹を切り裂いた剣は男の血で赤く染まり、シュナイダーはその返り血を浴びた。

「・・・!?」

一瞬にしてシュナイダーの顔が凍りつき、剣を持つ手が振るえ出した。

視界を下げ、剣を持つ自分の手を見る。



赤い・・・血だ。

本物の。



一瞬にして血の気が引いてくるのが分かった。

頭の中が混乱し、次第に冷静さを失ってくる。

再び男に視線を戻す。

苦しむ姿は徐々に激しさを増し、流れている血の量ももはや尋常ではない。



「僕は・・・。」



その後の言葉が出てこない。

現実を直視できない。

だが、目の前の男は自分の剣で傷付き、地面に倒れている。



「!!」



男は立ち上がった。

斬られたわき腹を押さえながら、もう一度剣を構えた。

その顔に血の気は無い。大量の出血で青ざめているのがよく分かる。

しかしその瞳には、斬られる前よりも凄まじい殺気がこもっていた。

視線の先にはシュナイダーしかいない。

もう、男の中にはシャルロットは映ってはいなかった。

自分を死に追い詰めた男・・・シュナイダーしか。


肝心のシャルロットは、地面に座り込みガタガタと震えながらこちらを見ている。

いや、この光景を見ていると言うよりは半分意識を失っているのかも知れない。

その瞳に意思は感じられなかった。

シュナイダーはシャルロットに意識を向ける事は出来なかった。



この現実。



自分の剣が起こした、この事実を受け止めるのに必死だった。

このまま何もしなくても、目の前の男は確実に・・・。


・・・・・・。


・・・・・・。


その先を考えられない。

それでも・・・逃げられない。



「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!」



男は残る力を振り絞り、シュナイダーに向けて剣を振るった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




決着はついた。

男の最後の攻撃をかわし、シュナイダーは左肩から袈裟切りに男を斬る。

その一撃を受け、男は絶命した。

力なく崩れ落ち、うつ伏せになってその場に倒れた。

シュナイダーの『勝利』は確定した。

だが、喜びの表情は見られない。

全身が振るえ、呆然と立ち尽くすだけだ。

何気なく自分の顔を触る。

赤い液体が指を染める。



血。



自分のすぐ側で倒れている男のものだ。

よく見れば、フォルから借りた服は埃まみれになり、所々返り血で赤く染まっている。

ふと気が付いた。

何で自分が戦っていたのかを。


シャル!?


振り返ってみると、シャルロットは倒れていた。

驚き、慌てて近づいて呼吸を確かめる。

死んでいる訳ではない。

あの男の攻撃は受けていないはずだから当然ではあるが・・・気を失っているだけのようだ。

シュナイダーは改めて倒れている男を見る。





死・・・んでいる。





なぜ?





僕が・・・。





僕が。





僕が殺した!!





「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっーーーー!!!!!」





事実を受け止めたとき、少年は絶叫した。