Abend Lied 12




 暗い牢の中をわずかに照らすろうそくの火を、半助は見つめていた。その小さな火が、大きな炎となって広がるような錯覚を覚えた。
 その炎の中で父が、文字通り矢尽き刀折れ、傷ついた姿で立っていた。
 「父上! 父上! わたしもお供いたします!」
泣きわめく半助を、父の腹心の家来が一人、後ろから羽交い締めにしていた。
 「おまえは何が何でも生き抜きなさい。そして、約束をしなさい。決してわたしたちの仇をとろうなどと思わぬと」
「嫌です! こんなことをしたやつらを、わたしは一生許しません!」
「半助、もしおまえが仇を討ったならば、今度はあの者の息子がおまえを親の仇と狙うことになろう。そして、その次にはおまえの息子が……。そんな愚かなことを繰り返してはいけない。そしておまえは前だけを見て生きていきなさい。どうか、それだけを約束してこの父を安心させておくれ」
 涙と煤で汚れた顔で、半助は父を見つめた。この期に及んで、なんと穏やかな顔をしているのだろう。無念さも、恨みもない。
 半助はうなづいた。父はうれしそうに笑って、うなづき返してくれた。そして半助は焼け落ちる館から連れ出され……。

 そのときの約束を、半助は守ってきた。
 いや、形だけ守ってきたに過ぎない。その自覚はあった。仇など、討とうにもその力がなかっただけのことだ。
 それに、結局は忍者となった自分は人を殺めてしまった。相手も仕事とはいえ、その家族に恨まれ、半助を仇と思い定められても仕方がない。父が言ったのは、単に定明を殺すなということを言いたかったわけではない。それが今ならば分かる。分かるが、もう遅い。それならば……。
 半助の黒い瞳に、ろうそくの炎が映って揺れていた。


 その翌日の朝のことだった。
「殿、和田水軍が今日の午後にはこちらの港に入る予定です。いろいろな条件について、直接殿と話し合いたいと言っていましたから」
「ふむ。ではこちらの要求を書面にしておくか」
「それがよろしゅうございましょう」
 祐筆が呼ばれてきた。
 が、初老のその祐筆は、墨をすろうとして首をかしげた。
「はて。何やら墨が減っておるような。四日前にはも少しあったはずですが……」
「四日前? おぬし、はやぼけたのか。二日前にわしが書状を書かせたではないか。その時に使ったのであろうよ」
「二日前? 殿様、何をおっしゃられますやら。手前が呼ばれましたのは四日前が最後。二日前には一度もお呼びが掛かりませんでした」
「なんじゃと? ばかを申すな」
波多野は鼻にもひっかけない様子でそう言ったが、喜平次ははっとした。何かが引っかかったのだ。
「おい、それは本当か?」
「はい。嘘だとお思いならどなたにでもお聞きになられたらよろしゅうございます。だれか手前を呼びましたかどうか」
 波多野はまだ妙な顔をしていたが、喜平次は背中に鳥肌が立つのを感じた。
 祐筆は嘘を言っていない。嘘ならだれにでも聞けばよいなどとは言うまい。確かに波多野が小姓に祐筆を呼びにやらせたのを、喜平次は見ているのだから。
 ならば、あのときの祐筆はだれだったのだ。今目の前にいるこの男とどこも変わったところはなかったが。
 あのとき、自分が渡されて運んだ手紙はいったい……。
 狐につままれたような奇妙な沈黙を破ったのは、ばたばたという足音と注進の声だった。
「殿! 大変でござります! 井尻城を中心とした連合軍とおぼしき大軍が海岸沿いをこちらに侵攻してまいります!」
「な、な、なんじゃと!?」
 喜平次は、嫌な予感が当たったような気分だった。
 さらに追い打ちを掛けるように、遠くから不気味が地響きのような音が聞こえてきた。
「なんじゃ、あれは!」
それに答えるかのように、次の注進が飛び込んできた。
「殿! 水軍がわれらの港に大筒を撃ち込んできました! 街道に向けて撃っている船もあります!」
「なんじゃと!? そ、それでは……」
うかつに街道沿いに攻めてくる井尻軍を迎え撃ちに行こうとすれば、水軍に挟撃されることは必至。
「どうしたことじゃ!」
 波多野が喜平次をにらみつけた。
「水軍は我らに味方すると言ったのであろう!」
「は、はっ」
「ならばこれはなんじゃ! まるで申し合わせたように……」
そこまで言って、ようやく波多野も何かに気づいたらしい。
「土井半助を引き出してまいれ!」
「はっ」
 喜平次は青ざめて地下牢に向かった。 








実は11で動いていたものがもう一つあったという。
おそらく祐筆の顔は面長なんでしょうね(笑)。




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