Abend Lied 13
喧噪が広がりつつある城内を、喜平次は地下牢へと走った。 遠くに砲撃の音が聞こえる中、あちこちを人が走り回っている。ある者は、どこそこに集合がかかったと言い、ある者は持ち場を離れるなと怒鳴る。 出陣するとかしないとか、情報が錯綜している。 なぜだ。すべてうまくいっていたはずなのに。祐筆に化けていたのはだれだったのか。自分が運んだあの密書には実際には何が書いてあったのか。土井半助と何か関係があるのかないのか。 一体いつから。だれが。 何をどう考えても分からないことだらけだった。 地下牢のある建物まで来ると、二人いたはずの見張りが両方ともいないことに気がついた。一応ぐるりと回ってみたが、姿がない。この騒ぎで持ち場を離れたか。あるいは……。 確認している余裕もなく、戸に手をかける。 鍵はかかっている。取り越し苦労だったか。我知らず安堵の吐息を漏らしてしまう。 中へ入ると、地下牢への入り口もまた、しっかり閉まっていた。 階段を降りていくと、わずかな灯りを供していたろうそくはすでに消えていた。階段の上から差すわずかな光で、目を眇めて見る。 半助は、やはり壁にもたれてうずくまっているようだ。 が? 何か違和感を覚え、喜平次は落ち着きのない手つきがちゃがちゃと牢の鍵を開け、中に入っていった。 一歩、一歩と近づき、かがんでのぞきこむ。 「くそ! やられた!」 それは丸太に半助が着ていた着物をかけ、かつらのように細長い草や蔓を束ねたものを引っかけてあったのだ。 喜平次は背中に冷たいものが走るのを感じた。 一人で、あの足でこんなことができるわけがない。 仲間がいたのだ。そしてそれは間違いなくあの祐筆に化けた奴だ。 だが、一体いつから。 土井半助に仲間などいなかったはずなのに。 まさか、はめられたのは自分のほうなのか。六丸城を落とすために巧妙に仕組まれていた罠に、はまったのは自分のほうなのではないのか。 分からない。分からないがともかくここは、 (逃げよう) ばか正直に事態を波多野に報告に行く喜平次ではない。 この城も危なければ、こんなことになったことがばれたら自分の身も危うい。この混乱に乗じて姿をくらましてしまおう。 (くそ! なぜだ! なぜいつもあと一歩というところで! あいつのせいだ! いつもあいつの……!) 身勝手な責任転嫁を心中で吐きつつ、最も目立たずに脱出できるポイントへと走った。すでにこの城のことは熟知している。どこから逃げれば城兵に見とがめられず、逃走に便利かよく分かっていた。 計算通り易々と塀を越えると、喜平次はほっとして一度城を振り返った。今頃は波多野がさぞ怒っているだろう。それとも、連合軍と水軍の同時侵攻にあって、あわてふためいているだろうか。これからどうするのか。もはや喜平次にとってはどうでもよいことだった。 とにかくだれにも見とがめられないうちに早くここをずらかって……。そう思って向き直った瞬間、喜平次は驚愕に凍り付いたように固まった。 ほんの少し先に、半助が立っていた。 伝蔵が城内で調達した単衣に水干袴を身につけ、牢内では立ち上がることもできなかったはずなのに、今は両足ですっくと立ち、その手には弓をつがえていた。 海からの強い風に髪があおられているのに、その矢の先は喜平次にぴたりと狙いを定められ、微動だにしない。 その目には、怒りも憎しみもなかった。なんの感情も見せない目が硝子のような光を放って自分に向けられている。喜平次は恐怖し、逃げなければと思うのに、まるで金縛りにあったように体が動かない。 弓が、さらにきりりと引き絞られた。 「う、うあああぁぁ〜!!」 喜平次はわけの分からない悲鳴を上げると、ようやくに体を反転させてその場から逃げようとした。 その刹那、矢が半助の指を放れた。 それは浜風の勢いを得て、喜平次の首を射抜いた。 半助は、ほうっと息をついて、弓を下ろした。 その背後から伝蔵が現れ、喜平次に近づいてその死を確認した。 「お見事。風を計算に入れ、こやつが動くまで射るのを待っておったか」 だが半助は、伝蔵の心からの賛辞も耳に入らないかのように、ぱたりと弓を取り落とすと、その場に力無く座り込んでしまった。 |
拍子抜けした方、いろんな場面を期待した方、ごめんなさい。 ちなみに、半助の髪は結んでいないまま、というイメージですが、着物を調達したら髪縛る紐ぐらい持ってきそうですよね。なのであえて書くのはやめました。お好きな髪型で御想像ください。 |