Abend Lied 6




 久米定明……父母を殺した張本人であるその名を、半助は忘れようとしても記憶から消し去ることはできなかった。今目の前におり、自分を陥れてここに捕らえた喜平次が、その定明に仕えていたとはどういうことなのだ。 
 完全に冷静さを失った半助を、喜平次は面白そうに見下ろしていた。
「12年前だと! きさま、まさか!」
「ま、ちょっと事情を理解しておいてもらったほうがいいだろうから教えてやろう。俺はあの晩、定明様のご命令で土井の後裔を断つという任務を請け負っていたのさ。時国の弟にも息子がいたな。つまりおまえの従兄弟か。そっちは難なく探し出して殺ることができたんだがな。肝心の時国の一粒種が見つからん」
 半助は唇をぎりっと噛んだ。半助の父は子供の授かるのが遅かったため、従兄弟は半助よりも二つ年上だった。それでもまだ10歳の子供だったのに。その従兄弟をこいつが手にかけたというのか。
「そうこうしているうちに、いつのまにやらその時国の息子が、こともあろうに定明様に弓を射かけやがった。そのせいで定明様は目に重傷を負った。しかも俺が気づいてあわてて後を追ったが、炎の中に時国ともども消えちまいやがった」
 半助の脳裏には、あの時の情景がまざまざと蘇っていた。闇討ちにあって炎上する館。すでに致命傷を負っていた父が取り落とした弓を拾い、放った矢が、庭にいた闇討ちの張本人、定明の目に命中したのだ。半助がまだ8歳のときのことだった。あれはまぐれではないと、半助自身分かっていた。怒りと憎しみにまかせて弓矢を取ったが、狙いを定めたときは自分でも驚くほど冷静だったのだ。恐れも不安もなかった。
 火に照らされて暗い庭に浮かび上がった定明を射たときの感情を、半助は今も覚えている。自覚こそなかったものの、後に忍者としてその技能を発揮するだけの素質があったということなのだろう。
 その後、半助は近習に無理矢理引き離されて、父の最後の言葉を聞きながら地下の抜け道に押し込められてからくも逃れたのだった。
「焼け跡に、あんたの死体はなかった。俺の大失態というわけさ」
喜平次の口調が憎憎しげなものに変化した。
「初の大仕事だったのに、あんたは取り逃がすわ、主君はそのせいで大怪我するわ。さんざん嫌味を言われて嫌気がさして、やめちまったよ」
 身勝手な八つ当たりだ。だが今の半助は、それもどうでもよかった。家族を殺した男の配下だった者。実際にその手で幼い従兄弟の命を奪った者。半助は怒りのあまり、指が白くなるほど拳を握りしめた。その拳がわなわなと震えている。
「だが安心しな。今さらおまえの命を取ってもなんの得にもならん」
「そ、それならなぜ…こんなことを…」
 かろうじて残る理性で、半助は尋ねた。
「あそこの領地にはいい港があったなあ」
 喜平次はわざとらしく、半助をからかうように言った。
 半助は冷たい笑みを浮かべた。
「今さらそんなもの、わたしにだってどうしようもないぞ。港の権益を手に入れたいならお門違いだな」
喜平次は大げさに両手を振って見せた。
「とんでもない! あそこに手を出そうなんて思っちゃいないさ。現にこの六丸の領地は、目の前が海だ。小さきとはいえ港もある」
だからなんだというのか、半助にはまだ理解ができない。
「あの港が良かったのは、一つには商人どもが安心して使えたからだ。なぜだか分かるな?」
 ここへきて、やっと半助ははっと思い当たることがあった。
「水軍、か?」
「そうよ。時国は和田水軍という連中と仲が良かった。盟友と言ってよかったな。だから時国亡き後、和田水軍はあの港を守護することをやめた。おかげですっかり港は荒れ、定明もじり貧よ。俺があそこをやめた理由の一つはそれよ」
 半助は、あれ以来一度も故郷には帰っていない。だが、実のところ水軍とは何度か連絡を取っていた。ごくごく秘密裏に接触したつもりだったのだが……。
「忠実なる和田水軍は、時国殿の以外には仕えぬが、ご子息の言うことなら聞くんじゃないかな?」
喜平次が意地の悪いにやにや笑いを浮かべて半助の顔を見た。
「わ、わたしに、和田水軍に六丸と協力するよう命じろとでも?」
「おや、そうしてくださるのかな?」
 半助は喜平次をにらみ返した。
「水軍は誇り高き海の男だ。父とも同等の立場だった。命令されていたわけじゃない。ましてやわたしなぞの命令で動くわけがない」
「そうかもしらん。だが、その盟友のご子息が人質に取られているというのに、見捨てるような不人情でもあるまい、海の男というものは」
 半助は目の前が真っ暗になったような気がした。
 こんな男の計略にまんまと引っかかって、この状態では逃げることもできそうにない。このままでは、父の大事な友人であり、自分も親類のように親しくしてきた和田水軍にとんでもない迷惑がかかってしまう。
「くそ!」
 半助は足の痛みも忘れて、喜平次につかみかかろうとした。が、立ち上がることさえできないうちに、喜平次に頭を思いきり蹴り倒されてしまった。
「そういうわけだから、殺される心配はない。安心したろう。おまえが協力するなら座敷牢ぐらいに待遇を改善してもいいと波多野様はおっしゃっているから考えとくがいいさ」
 半助はなおも起き上がって殴り掛かろうとする構えを見せた。そんな半助に喜平次は執拗に何度も蹴りを入れると、高笑いを残して出て行った。
 半助は一人、冷たい土に爪を立てて悔しさに身を震わせていた。








半助の子供のころに話についてはまたいつか詳しく書けたらと思います。とりあえず流れが分かればというところでご了承ください。




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