Abend Lied 7




 和田水軍は半助の父時国が治めていた領地の近海を根城にしていた海賊だった。
 瀬戸内を横行する他の有象無象の海賊の中では大きな船を何隻も抱えているほうで、かなり荒っぽいこともしていたようだが、その頭である鬼宿丸は信義に篤い男でもあった。土井の領内には地形に恵まれた良い港があった。そこに出入りする船には手を出さないという約束を、時国と結んでいた。そこ入出港する船に限って、依頼されれば上乗りもした。
  当然、礼金が港の使用料などから払われていたに違いない。だが、領主である時国は、商人や回船問屋、まして領民から無理な取り立てはしなかった。そのことがさらに、人を集め、港をにぎわせていた。
 そして、そんな男気のある時国と鬼宿丸の間には、単なる利害関係を超えた友情が存在していた。
 鬼宿丸は半助をとても可愛がってくれた。泳ぎも、海賊の戦法や武器も、さらには船の構造さえも、まだ幼かった半助に、ことあるごとに教えてくれた。鬼宿丸は、やがて父の跡を継ぐであろう半助も水軍と上手に付き合えるようにとの思いからだったのだが、そのことが後に図らずも忍者となった半助にとって、大いに役立つこととなった。
 半助も、鬼宿丸はじめ、水軍の男たちが好きだった。自分を一人前の男として扱ってもらえるような気がしたからだ。もちろん、子供に対する配慮がないというわけではないのだが、下手に子供扱いせず、対等の男同士として接し、半助の自尊心を傷つけないように扱ってくれたような気がしていた。逆に、領主の子だからと特別扱いせず、泳ぎを教えるために遠慮なく海に投げ込まれたこともあった。それがかえって半助には快かったのだ。


    時国の急を聞いて和田水軍が駆けつけたときには、すでに半助は行方知れずになっていた。だが、時国と奥方と思われる焼死体は見つかったものの、嫡子半助の遺体はついに発見されなかったという話が、領民の間には広まっていた。
 鬼宿丸が、その噂を一縷の望みとして半助を密かに探し続けていたことを、半助は知らなかった。生きていくのに必死だったころには、水軍に逃げ込めば、という思いが頭をよぎったこともあった。だが、そうしてはいけないということも分かっていた。
 一つには、自分自身が怖かったからだ。半助は自分の出生をひた隠しに隠していた。「土井の残党狩り」という噂が聞こえてきたこともあったから、以前の知己と接触を図ろうとすることで、身に危険が及ぶことを恐れた。
 そしてもう一つ、鬼宿丸と父とが、互いに尊敬しあい、独立対等の関係であったことが、幼い半助にも伝わっていたからだ。父は軍事的に和田水軍を利用しようとしたことはなかった。幸い、その必要が生じたこともなかった。が、もしそのような事態になれば、鬼宿丸は協力を惜しまなかったに違いない。
 それは互いの男気に互いがほれこんでいたからであって、和田水軍は時国の配下にあったわけではない。半助はそれを承知していた。つまり、自分は時国ではない。ただ父の息子というだけで、水軍が半助を助けなければならない義理はないと理解していた。水軍がもし自らの利益のために定明と手を結ぶことがあったとしても、それもまた水軍の自由なのだ。そうなった場合、半助の存在は水軍にとって頭痛の種となるかもしれない。
 何の役にも立たない自分が、単純に「優しかったおじさん」を頼って行けるものではない。


 半助が、鬼宿丸に会いに行ったのは、忍者として一人立ちしてからだった。忍びとして和田水軍の役に立つことができる。その自信がついてから訪ねていったのだ。
 そのときの鬼宿丸の感激のしようといったら。昔の事情を知らない若い衆など、豪快で強面の頭が半助を抱きしめ、涙を流して喜んでいるのを見てあっけにとられていた。
 和田水軍は、かつて土井の領地にあった港を放棄していた。他の海賊が来ても放っておいたし、出入りする商船を襲いもした。あれほどにぎわい、富みを落としていた港が、今はすっかりさびれているという。
 半助は、自分や父に遠慮しなくてもいいと言ったが、鬼宿丸は、ただ定明が友人の仇だということではなく、他の行いを見ても領主としてふさわしくないと判断したからだと、笑って言った。
 そして、お前が時国殿の跡を継いでいたら、わしはお前のために何でもしてやったのになと、そう言った。


 走馬灯のように、というのはこういうことを言うのだろう。暗い地下牢の中で、半助の脳裏には今、子供のころからの水軍との思い出が次々と浮かんでは消えていた。
 明るい太陽と様々に変化する波の色。そんなものよりもなお明るい、日焼けした男たちの顔。
 彼らを縛りたくはない。彼らの重荷になりたくはない。
 半助は体の痛みに堪えて起き上がった。
 協力するなら座敷牢ぐらいに、と喜平次は言った。
 それも一つの手だろう。少しでもチャンスのある道を選び、じっと機を伺う。最後の最後まで諦めずに。それが忍びというものだろう。
 だが、ここまで念入りにことを巡らして半助を捕らえたのだ。そうやすやすと脱出できるわけはない。しかもこの足で。チャンスをうかがっている間に、水軍に脅迫状が届いてしまうだろうし、ことによったら六丸の要求を呑んでしまうかもしれない。それは半助には耐えられないことだった。
 ならばどうするか。
 半助は、くすくすとおかしそうに小さな笑い声をたてた。
 喜平次は忍者の行動と思考パターンというものを知り尽くし、先手を打ってきている。だが、それこそが奴にとっては穴だ。
 ばか者め。わたしを時国の息子として捕らえたのだろうが。そうだ。わたしは猛火の中で見事自害して果てたあの父の息子なのだ。なのに、忍者としての行動しか予測していないきさまには、盲点があり矛盾があるのだ。  半助は、そっと元結に手を伸ばし、それをほどいた。
 そこに半助は、最後の手段を隠してあったのだ。自害するための毒薬を。    








鬼宿丸というのは九鬼水軍の有していた船の名前です。和田水軍というのは大和田の泊からとりました。私は名前を考えるのが苦手なので、あまり深い意味は込めてつけてません。その辺の本を開いたり、近くの地名とかから付けています。




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