Abend Lied 8




 半助がその手の中にある小さな包みを開くと、そこには白っぽい粉が入っていた。
 ちょうど大人一人の致死量にあたる毒薬。
 万一、このたびのようにすべての武器を奪われたとしても、さすがにここまでは気づくまいというところに隠した最後の手段。
 人に使うか、自らあおるか、そこまではしかと思い定めていたわけではないが、本当に万一のために仕込んでおいたものを、まさかこんな形で使う時がこようとは。
 その薬を見つめ、半助はなぜかひどく冷静だった。何も惜しいものなどない。忍びとしては失格かもしれない。それでもよい。これで、世話になった人々に迷惑をかけずにすむのだ。
 生きよ、と言われた父の最期の言葉には添えなかったことになろう。が、もしあの世などというものがあったとしても、自分はおそらくは父、母と同じところへは行けないのだ。無用な殺生はせぬよう心がけたつもりだったが、それでもこの手は多くの者の命を奪った。それぞれの者にはそれぞれに、家で待つ家族や、友人や恋人がいただろう。その都度仕方のない状況ではあったのだが、それで自分の罪が許されるとは思っていない。
 あの世というものがあるならば、自分は父と母とは同じところへは行けぬ。だから、こんな生き方、死に方をしたとしても、父に叱られる心配もあるまい。
 そして半助は、その小さな包みを口に近づけた。
 それを傾け、まさに白い粉が半助の唇に触れようとしたその瞬間だった。
「およしなさい」
 いずこからともなく響いた声に、半助は驚きのあまり、毒薬のほとんどを床にこぼしてしまった。
「だ、だれだ!」
忍者になって以来、これほど驚いたことはない。自分のあわてぶりに内心舌打ちしながら、どこからだれが、と辺りを見回す。
 と、廊下の薄暗がりの中に、すっと姿を現した忍者が一人立っていた。
 半助は警戒することも忘れ、唖然としてその忍者を見つめた。
 うぬぼれるわけではないが、自分が全く気配に気づかなかったとは、相当の使い手であろう。実際、ごく自然に穏やかに立っているように見えて、ほんの少しの隙もない。それでいて殺気だったところもない。
 敵ではない、と瞬時に判断したものの、かといって自分に味方などあるはずもない。この城の者か、あるいは何かの任務で忍んでいる者か。
「あんな男の奸計にかかって若い命を自ら絶つなど。そなた、少し潔すぎるのではないかな?」
 もう中年、といってよい年齢と見受けられるその忍者は、半助をたしなめるように言って、牢の鍵をはずしにかかった。
 半助はいささか憮然とした。
「だからってどうしようがあるというのですか。この状況で。ほっといてください」
忍者はお構いなしにさっさと鍵をはずして中に入ってきた。
「そういうわけにもいかんのですよ。こちらにも都合がありましてな」
 あくまでも穏やかなその物言いに、半助はどんどん警戒心が薄れていく。この忍者が自分を助けてくれると思ったわけではないが、とりあえずこの中年忍者に興味を引かれたといってよい。
「だれですか、あなたは」
「や、これは失礼。わしは山田伝蔵と申す。忍術学園から派遣されてきた者です」
「忍術学園?」
 半助も、その噂は聞いたことがあった。そこでは流派にとらわれず、幅広く、そして最新の技能と知識を学べるため、忍者としてはエリートを養成するところだと聞いていた。が、自分には関係ないこと、と半助は思っていた。どうせ親に資力のある一流忍者の子弟ばかり集まるところと勝手に思っていた。
「いつから、いたのです?」
「そなたが捕らえられたころですかな。お助けできなくて申し訳なんだが」
忍者はそう言うと、ちらと半助の足に目をやった。
「べつに構いませんよ。どうせもうわたしに勝ち目はないのですから」
半助は本当に構わなかった。忍者であれば、赤の他人どころか場合によっては仲間も見捨てなければならないこともある。それよりも、こちらは全く気づいていなかったというのに、この忍者には今までの自分の無様なさまを見られていたかと思うと、そのことのほうが悔しかった。
「まあそう言いなさんな。ちょっとこちらの話もお聞きなさいな」
 山田伝蔵と名乗ったその男は、すっかり勝手にくつろいで、半助の前に腰をおろした。
「忍術学園など、わたしには関係ありませんよ」
「それが、関係ができてしまったんですよ」
「何を勝手な!」
「まあまあ。どうしても死にたいというのなら、話を聞いてからでも遅くはないでしょう。薬の弁償はしますから」
 半助は、さっきの自分の失態を思い出してかっと顔を赤くした。
 それに構わず、伝蔵は、「こちらの都合」を語り出した。








いや〜、はははは。ついに登場でございます。「あのころ」のこの二人とは別人です(笑)。




戻る  次へ