善光寺は山号定額山、皇極天皇を開基として皇極天皇3年(644年)に創建されました。
長野は善光寺の門前町として栄え、長野盆地は善光寺平とも呼ばれています。

善光寺

本尊は善光寺式阿弥陀三尊の元となった阿弥陀三尊像で、絶対の秘仏であり、その姿は寺の住職ですら目にすることはできないそうです。

善光寺

善光寺式阿弥陀三尊は、欽明天皇13年(552年)に百済の聖明王から献呈されたものとされ、紆余曲折を経て推古天皇の命により本田善光の手で初め飯田市に、その後皇極天皇元年に現在地に遷座したのち伽藍が造営され創建されたと伝えられます。「善光寺」の名はこの本田善光の名から付けられたと伝えられます。初めに遷座したとされる場所には元善光寺が現在も残っています。

善光寺

宝永4年(1707)に再建された現在の善光寺本堂は、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。壮大な伽藍は東日本最大で、棟の形が鐘を叩く撞木に似ていることから「撞木造り」と呼ばれます。裳階を廻らせた二重屋根は総檜皮葺きとしては日本一の規模を誇っています。

善光寺

天台宗と浄土宗の別格本山となっていますが、日本において仏教が諸宗派に分かれる以前からの寺院であることから、宗派の別なく宿願が可能な霊場と位置づけられているそうです。