第1話:逃走、そして野望
ブラックサタンの基地。
「追えっ。何としても奴を捕まえろっ。」
一ツ目タイタンが、デッドライオンが、それぞれの配下の戦闘員に、激しい声で命じていた。いつもに比べて多数の黒ずくめの戦闘員が動いていた。
脱走にしては、あまりにものものしすぎた。
しかし、脱走者はただの脱走者ではなかった。
脱走者の名は伊吹戒といった。彼は、ブラックサタンの最高地位を得た、科学者で、奇械人の理論を確立した張本人であった。そして、その伊吹の身体ももはや人間の身体ではなく、電気人間、つまり、改造人間と化していた。大きな出目金のような、鉛色の両目、そして、黒を基調としたボディスーツの上に、不自然なまでに、ボコリと膨らんだ、灰色の胸部、太陽を模ったような鉛色のベルト。そして、頭部には、鈍く光る銀色のカブト虫のような角がついていた。
伊吹は彼を捕えようとする戦闘員を掌から放つ電流でことごとく、打ち倒し逃走し続けていた。
伊吹は更にスピードを早めて走る。少しでも早く走らなければならなかった。この戦闘員を相手に闘うのはた易いが、彼らに指示を与えている、一ツ目タイタンやデッドライオンを相手にするほど、この身体には慣れていなかったのだ。今は逃げるしかない、その一心で、電流を放ちつつ、伊吹は走り続けた。
正直、伊吹はこんなスピードを体験したこともなく、自分の異常なまでの身体能力に困惑しつつも、それが自分の研究の成果であることに半ば酔いしれ、それを手に入れた喜びが徐々に沸き上がってくるのを感じていた。
”俺はついに力を手に入れた。”
”馬鹿な大首領めが。”
「クク、クク・・・。」
大変な危機に瀕しているのに、喜びは大きくなり、伊吹は今にも大笑いしそうになった。
「ハハ、ハハ・・・。」
これからこの力をどう使うか想像しただけで、胸が躍る。
この力さえ手に入れれば、あとは何とでもなる。俺の理論で作り上げた身体なのだ。
使いこなす自信は十分だった。
ここで、逃げ切り、あとは、奴らに見つからない場所で、時を待てば・・・、伊吹の頭の中でこれからの野望とそれまでの手筈がグルグルと回っていた。
その時であった。
ついに、伊吹の前に、恐れていた、一ツ目タイタンとデッドライオンが立ちふさがる。デッドライオンは真っ赤な口を更に剥き出しにし、怒りを露にしていた。
伊吹は走るのを止めた。そして、一ツ目タイタンとデッドラオンに向き直る。
「デッドライオン様、タイタン様、私が浅はかでした。いかなる罰も受けましょう。そしてできることなら、もう一度、ブラックサタンのため、大首領の為にこの身を捧げさせて下さい。」
そう言うと、伊吹は潮らしく自ら両手を差し出した。
「良い心がけだな。本当はお前は命を絶つべき存在だが、大首領のご命令だ。」
デッドライオンがその両手首に手錠を掛けようとした。
その瞬間。
「馬鹿めがっ!」
伊吹は叫ぶと、一ツ目タイタンとデッドライオンにありったけの電流を流した。その電流は、自分の理論によれば、彼らを麻痺に追いやるくらいはできる。
案の定、一ツ目タイタンとデッドライオンは、身体中を痙攣させ、苦しみはじめた。あまりの不意打ちでもあり、その威力は抜群だった。
伊吹は手錠をデッドライオンに投げつけると、そのまま、彼らに背を向け、物凄い勢いで逃走を再開した。戦闘員は追おうと努力はしたものの、頭が動けなくなると、そのことで混乱に陥った挙げ句、あっさりと、伊吹を見逃してしまう羽目になった。
「何をしているっ、追えー!」
苦し紛れに、叫ぶ、一ツ目タイタンとデッドライオンの声が虚しく伊吹の背に響き、伊吹はそれがあまりに滑稽だと思い、笑った。
”馬鹿どもが。”
伊吹は走り続けた。
伊吹が目指した場所は、ブラックサタンに隠れて建てた、隠れ研究室であった。
どんなことがあっても、そこに辿り着くまでに倒れるわけにはいかなかった。
これからの野望の為、そして、奴等への、いや、この世界全てへの復讐の為にも。
「ハァ、ハァ・・・。」
人間を越えた肉体を手に入れたとは言え、実際、彼は慣れないこの身体で、戦い、そして100km以上もの道のりを全力で走り続けていた。限界が近いのも無理はない。しかし、その身体にムチを打ちながらも伊吹は研究室を目指した。
しかし、身体は限界にも関わらず、笑いは込み上げ続けていた。
「クックックッ・・・。」
「ハーハッハッハッ・・・。」
それから伊吹は三日三晩ひたすら走り続けた。
伊吹の身体は強化されているとはいえ、とうに限界を超えていた。しかし、自然と心は躍ったままであった。
だんだん笑いが爆発してきて、ついに奇声を発しながら、伊吹は走り続けた。
次第に、道は、森の茂みに入っていき、辺りは、暗く不気味なものになっていった。カラスがどこかに群がっているのか、異様なまでにガァガァと騒ぎ立てるような声が耳に入る。
森を更に奥に走ると、伊吹は、足と止めた。
それから、地面に手から放つ電流を叩き付けた。地面は音を立てて、その一部が凹んだ。息吹きはそこを更に手から電流を放ちながら、地面を掘っていく。そして、掘りながら自身も地面の中に潜っていく。
「ハァ、ハァ・・・。」
「ハァ・・・。」
「クク・・・。」
ついに、伊吹は地面を地下まで掘り下げた。
「ハハ・・・。ここ、だ・・・。ここだぁぁ・・・。」
「ハーッハッハッァァ・・・。」
伊吹はその場に足を広げて座り込むと喉を振り絞り、狂気の声にも聞こえる歓喜の雄叫びをあげた。
伊吹の目の前には、カプセルにも似た形の建物が建っていたのだ。
ここが、伊吹がいざというときの為に建てておいた、研究室と名をうった隠れ家である。そう、いつか、ブラックサタンを裏切り、その追手を避ける為、そして、復讐を達成するまでの拠点としての建物であった。
その建物は、かつて、学会に在籍した頃、そして、学会追放され、ブラックサタンに入っていた頃も、隠れて、着着と溜めた資金を元にして作ったものであった。
たった一つの野望の為だけに。
かつて、伊吹は10代にして、アメリカの某名門大学の博士過程をトップで卒業し、天才少年ともてはやされた。その後も、彼は2年ほど、アメリカの学会に在籍し、一つの研究に没頭した。しかし、その研究はあまりに非人道的なものであった。
奇械人・・・。それは、人間の肉体に機械的な要素を組み込み、更に、人間以外の動物の機能と合体させ、人間ならざる姿に変えることで、人間の強化を図ろうという研究だった。
伊吹は20歳前後の時、そのレポートを学会に提出するやいなや、瞬く間に避難を浴び、遂には、危険思想の持ち主とされ、学会を追放されたのであった。
伊吹はそのことを憎んだ。正義という下らぬ思想の名の元に自分の完璧なまでの理論を撥ね付けた学会と、世間を。
その後、伊吹は、そのレポートがどこから流出されたのかは、不明だが、それがブラックサタンの目に留まり、ブラックサタンからの誘いが伊吹の元にやってきた。伊吹は、この誘いを受けた。ブラックサタン、確かに不気味な集団だった。頭である、大首領は正体不明の上に、人間ならざる姿をした幹部。しかし、伊吹にとってはそれは、大した問題ではなかった。自分の理論が、そして、野望が実現しうる場所には違いない。伊吹は嬉々としてその誘いを受けた。そして、ブラックサタンに表ばかりの忠誠を誓った。
それから、2年程、伊吹は、ブラックサタンで様々な奇械人を生み出してきた。そして、伊吹の野望の為の研究も着実に進んでいた。
そして、遂に伊吹は、自分に与えられていた、いくらかの戦闘員の身体を独自に改造し、大首領に対してクーデターを起こしたのである。その改造とは、ブラックサタンには隠しておいた理論を用いたもので、今まで自分が作った中でも最強の奇械人集団であった。それを武器に伊吹は大首領に牙を剥いたのであった。
しかし、大首領の力は、伊吹の予測を遥かに越えたもので、伊吹は、大首領の姿を見ることもできないまま、見えない攻撃によって、次々と奇械人を破壊され、壊滅、そして、伊吹は捕えられ、処刑された。
しかし、身体を殺しても、大首領はその類稀な天才的な頭脳を殺すことを惜しんだ。そして、脳死を避ける為に、伊吹を電気人間に改造したのであった。
伊吹は、処刑後も、その意識を殺さえまいと、密かに耐えていた。そして、その情報が脳に入った時点で、死にゆく脳と必死に戦いながらも、彼はこの逃走計画を巡らせていたのだ。
そして、身体の改造手術が終り、いよいよ、ブラックサタンに忠誠を誓わせる為の脳改造の時、伊吹は、彼を取り囲む、執刀医と助手を務めていた戦闘員に電流による不意打ちを食らわせ、逃走を開始したのであった。
伊吹は、その天才的な頭脳故に、世間的には幸運な経路を経て、名門大学までいったのだが、物心ついた頃から、親兄弟はなく、アメリカのスラム街で生きる為には何でもしてきた。そして、その時には、既に人間的な感情など無かった。
伊吹にとって大切なのは、いかにして、生き抜くか、それのみであった。確かに、そんな状況下では、非人間的な感情のみに支配されるのは容易なことかもしれない。
しかし、伊吹のそれは、尋常ならざる領域にまで達していた。そして、それが、その奇械人という、あまりに非人間的、かつ、異常な研究に没頭させるようになったのである。しかし、伊吹は、この奇械人の理論を完成させることによって、世界すら手中に収める力を手にしようとしていたのだ。
伊吹はカプセル型の建物の、人目にはつきにくいところに設置されてある、パスワード入力制のキーに手をかけるやいなや、改造体から、人間の姿に戻っていた。その姿は、もともとハーフで茶色の瞳で鼻が高く端正な顔立ちをしているにも関わらず、目元は何重ものくまを作り、更に赤黒く腫れ上がり、二枚目が台無しであった。髪の毛は、まだ20代前半にも係らず、真っ白に染まり、ボサボサに絡まっていた。服は手術衣と思われる類の布きれをまとっているに等しいくらいのみずぼらしい姿であった。手術直後の傷がいくつか露になり、さらに痛々しさを増していた。まさに、壮絶な、修羅場を潜りぬけ、疲れ果て、死を目前にした人間の姿であったのだ。
実際、手術直後の戦闘、そして、三日三晩の疾走により、伊吹の身体は、これまで変身を維持するどころか、生きているのさえ、不思議な状態に陥っていたのだ。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・。」
「ゲェー・・・。」
「ゲホッ、ゲホッ。」
伊吹は何かの液体を嘔吐し、荒い息をつくという行動を繰り返しながら、痙攣する指で、パスワードを何とか入力した。
そして、何とか研究室の扉を解除することに成功する。
「ククッ、ククッ・・。」
不気味な笑いを浮べながら、伊吹は、足を引き摺る様にして研究室の中に入っていった。
そして、入るやいなや、転がり込むようにして床に倒れた。
「ゲェェェェェェ・・・。」
「ゴォォォォォ・・・。」
伊吹は、床をのたうちまわりながら、口から液体を吐き散らした。
改造手術直後の肉体は、内臓に変わるメカ装置が、故障を防ぐ為に自己防衛機能が働き、僅かに残った体液を、追い出す為に、その改造体は、酷い吐き気とともに、残った体液を吐き出すという行為に陥ることがある。
伊吹の今の状態は、まさにそれであった。
「グホォォォ・・・。」
「ゲホッゲホッ・・・。」
そして、伊吹はこれまで、その吐き気にすら耐えながら、戦い、逃走したのである。人間なら発狂、いや、逃走中に身体が死に絶えてもおかしくないのである。
しかし、伊吹は、死ぬどころか、狂気的な状態に一見見えるのだが、発狂もしていなかった。
それはあまりに驚くべき、強靭な執念のみが彼を支え続けているのである。
そして、その執念の全ては、自分を否定した世間への復讐と、そして、昔から抱き続けていた、邪悪な野望、それのみなのだ。
「全く、奴ら、不完全な改造、しやがってぇ・・・。」
「まぁ・・・、いい、さ・・・。これ、から、俺が、この身体に、手ぇ加えて、究極、の強さ、手に入れてやるぅぅ・・・。」
伊吹は苦し紛れに、呟いていた。
「クク、ハハ・・・。」
伊吹は苦しみながらも笑った。
身体は苦しい筈なのに、苦しくなかった。
それは、逃げ切った満足感、そして、それ以上に増して、やっと念願のスタート地点を一歩飛び出したからである。
「ハハハァ・・・。クックックッ・・・。」
「ゲヘェェ・・・。」
嘔吐を続けながらも彼は笑っていた。
”俺はこの時を待っていたんだ。”
”追い風がやってきたのだ。”
「アハハハハハァ・・・。」
しかし、伊吹は分かっていた。
今は、表に出るべき時ではないことを。
身体を休ませ、来るべき時の為に備えなければならない。
じっくりと、その改造体に秘められた力を、増強しなければない。
”まだまだ、やることは、たくさん、ある・・・。”
伊吹は、様々な思策と思いを脳裏に巡らせながら、ゆっくりと、深い眠りについていった。
(第2話後書き)
何とか第1話が終りました。ふぅ・・・。えっ、城茂、ストロンガーがいないじゃないかって。すいません。今回は、城茂出てきませんでした。はい、次はちゃんと出てきますので、許してやって下さい。城茂が主役なんで、きっちり書きます。勿論。それでは、第2話でお会いしましょう。