近藤英隆 コラム パンチを打つ飯田覚士選手



ボクシング界でよく使われている言葉の意味について考える


5 強いパンチを打つには?(その3)


疲れてくるとあごが自然に上がってしまうのは呼吸をしやすくするためではありません。あごを上げるような頭部を後屈した姿勢は、頭部の伸筋群を収縮させることで身体の伸びる筋肉の力を入れやすくします。この姿勢は腕の伸展力を増大させるので、ウェイトトレーニングでも無意識のうちに行われています。例えば、ベンチプレスで腕を伸ばしてバーを持ち上げる様なトレーニングでは、無意識にあごを上げてベンチに頭を押し付けるような姿勢をとっています。反対に、ダンベルカールなどの腕を曲げる様なトレーニングでは、あごを引いて肘を曲げたほうが力が入りやすくなるために自然にあごを引きます。また、マラソンランナーが疲れて苦しそうに走っているときにあごが上がるのも、脚を伸ばしやすくするために無意識に行っているのです。このような姿はマラソン中継のレース後半でよく見ます。

しかし、ボクシングではあごが上がってしまうと、あごを狙われてしまうために注意が必要です。一流のボクサーは、頭部を後屈しないで少し後方に移動することで、頸部の伸筋に力を入れて足を踏み込み、低い姿勢でパンチを打ちます。さらに、フックの場合は肘を力強く曲げたいため、あごを上げるより引いて打ったほうが力が入り、パワーが大きくなるのです。つまり、頸部の伸筋に力を入れれば腕の伸筋に力が入り、頸部の屈筋に力を入れると腕の屈筋に力が入りやすくなるというわけです。頭部の位置とパンチ力の関係については、あごを引けば腕は伸ばしやすくなり、反対にあごを上げれば腕は曲げやすくなります。そのうえ顔が向いた方向の腕や足が伸びやすくなり、反対側の腕や足は曲げやすくなります。例えば、ウェイトトレーニングでダンベルカールを右手で行う場合、顔は左に向けたほうが力が入りやすくなります。つまり、右手でフックを打つ時に顔は左に向けたほうがパワーがあるということです。ですから、顔が右を向いた状態ではパワーは低下してしまいます。さらに、ストレートでは腕を伸ばした方向に顔が向いていればパワーは最大限に発揮されるというわけです。

以上のことをまとめると、右手でストレートパンチを打つとき、顔は右を向いてパンチを打ったほうが力が入りやすいために自然に顔は右を向き、反対側の左手は肘が曲がりやすくなるので、一流のボクサーはしっかりと顔をガードしながら、左のほほを覆うように肘を曲げた状態で肘の屈筋に力を入れます。しかし、経験の浅いボクサーは早くパンチを打ちたいがために、伸ばした腕と反対側の腕の肘を曲げながら、顔をガードせずに肘を後方に引いてしまいます。その結果、あごが上がりガードしなければならない側のグローブは、顔面をガードせずについつい後ろに引いてしまうのです。

肩関節については肩を痛めないために、パンチのインパクトの瞬間に肩関節にもブレーキングが行われます。そのためにほとんどの格闘家がブレ―キングマッスルの広背筋のトレーニングをします。ボクシングはもとより、空手、少林寺などの格闘家にパンチを強くするためにどこの筋肉が重要か?と聞いて見るとほとんどの方から「広背筋」という答えが返ってきます。広背筋を鍛えることでパンチを打つ際に肩が脱臼しないために広背筋(広背筋が収縮すると例えば懸垂をするときに見られる腕を引きつける動作を行います)をトレーニングするという考え方が最も一般的な考え方になっています。広背筋をトレーニングしすぎると腕は前方に引っ張られるように猫背になり、肩甲骨は体の中心から外側に移動します。さらに、肩甲骨が前方にひかれるために肩関節の関節可動域が減少してけがもしやすくなります。

私はこれには疑問があります。確かに広背筋は肩のブレ―キングを行いますがパンチを打つ時に最も重要なブレ―キングの作用を行っている筋肉は肩関節の腱板(棘上筋・棘下筋・小円筋・肩甲下筋)だと考えているのです。肩関節は全身の関節の中でも、もっとも不安定な関節です。肩関節は脱臼する確率が最も高く、構造的には肩甲骨の受け皿のような関節窩に上腕骨の骨頭がのっているだけです。肩関節は骨と骨がはまるような形にはなっていません。したがって強いパンチを打つには、肩関節の深部にある筋肉(肩腱板)で上腕骨と肩甲骨をつないで、パンチを打った際に肩が脱臼しないようにしています。

今までほとんどの格闘技界は広背筋が肩を脱臼させないために最も大切な筋肉だと言ってきました。多くの格闘家がそれを疑わずに広背筋のトレーニングを行ってきました。広背筋は上腕骨を引きつけますが上腕骨を肩甲骨の関節窩に垂直に引きつける事が出来ません。パンチを天高く真上に突き上げるならば広背筋は垂直方向にダイレクトにブレ―キングマッスルとして働く事が出来ますが、ストレートやフック、アッパーにしても広背筋が肩甲骨のソケットとなる関節窩に対し真っ直ぐに引きつける事が出来ません。むしろソケットに対して少し下に引きつける方向に働きます。広背筋が強すぎると上腕骨の骨頭が肩甲骨の関節窩から下に脱臼するように働いてしまい、広背筋をトレーニングすることでかえって肩関節を不安定にさせてしまうため、かえってパンチ力が弱くなっていることに気が付かないままにトレーニングを続けている格闘家が非常に多いのです。





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