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~開院して数ヶ月が経ち~


なぜホームページのトップの写真が飯田選手と私なのか?

それは、若田を語るときには絶対に欠かせない人物であるからです。彼が有名なればなるほど、若田の知名度が上がって行ったのは、揺るぎない事実であります。 最近来院する高校生に、「飯田覚士と言うボクシングの選手知ってる?」と聞いても「は~?」と言う返事が返って来る時代になってしまいましたが、この当時の彼の人気はすごかった。


飯田選手と私と山本先生 この当時も海水魚の水槽が・・・
(飯田選手と私と山本先生) (この当時も海水魚の水槽が・・・)


開院してまもなく、プロボクサーの飯田覚士選手が、当時のマネージャーであった岡沼さんの紹介で毎日のように来院するようになる。

開院して3ヶ月ほど経ち、少しずつ患者さんも増えて来た頃に、同級生であった山本正大先生(写真左)に、彼が独立して開院するまでの半年間ほどを手伝ってもらっていた。


野茂流トレでパワーアップ
(世界戦に挑戦する前の中日スポーツの新聞記事)
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