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平成9年(1997年)12月23日 | |
飯田選手、世界チャンピオンになる |
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飯田覚士選手が世界チャンピオンになった瞬間は、私にとっても忘れられない出来事です。彼はすでに「元気が出るテレビ」などに出演していて有名人でしたが、ボクシングの実力については賛否両論がありました。だからこそ、何としても世界チャンピオンになって、世間に彼の本当の力を知ってもらいたいという強い思いがありました。この試合は、彼にとって3度目の世界挑戦。もし負ければ、もう世界戦のチャンスはないだろうと誰もが思っていた、まさに「引退」が頭をよぎる命がけの挑戦でした。私にとっても、メディカルトレーナーとしての評価が問われる、人生の大きな節目だったと思います。 |
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世界チャンピオンになったとき | STAFFのライセンスカード |
歓喜の瞬間と涙 |
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試合が終わり、ジャッジがリング上で「ニュー世界チャンピオン!イ・イ・ダー サー トー シー!」とコールした瞬間、緑ジムのスタッフも、私たちのスタッフも、誰もが涙を流しました。私もリングの上で飯田選手と抱き合い、涙が止まりませんでした。 普段、人前で泣くことのない私ですが、あの瞬間ばかりは心の底から涙があふれ、「これ以上泣けることはもうない」と思えるほど、感情がこみ上げてきました。 |
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試合後の控え室でのひととき |
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控え室で、彼の顔に触れながら「痛そうだね〜」と声をかけたとき、彼は本当に痛かったと思いますあが、その痛みを忘れるほど、最高に幸せな時間だったのではないでしょうか。その後、私が車に乗り込み、ラジオをつけた瞬間、臨時ニュースで「飯田覚士、世界チャンピオンに!」と報じられていました。その時、自分がチャンピオンになったような気分になったのを、今でも鮮明に覚えています。もちろん、頑張ったのは飯田選手なのですが。飯田選手にとっても、もちろん最高の瞬間だったと思いますが、私にとってもこの出来事が人生の大きな転機となりました。 この試合をきっかけに、世間から少しずつ認められるようになり、現在のさまざまな仕事につながっていったように感じます。 彼の治療の様子がテレビのドキュメンタリー番組で紹介されたことも、大きな影響があったと思います。もしこの時、彼がチャンピオンになれていなかったら、今の私はまったく違う環境にいたかもしれません。 |
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1998年4月25日 中日スポーツ 5ページ (初防衛戦前) |
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