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6.飯田選手敗れる
平成10年(1998年)7月26日

飯田選手、右肩脱臼で戦い抜いた壮絶な防衛戦
飯田選手の3度目の防衛戦、対戦相手はフリオ・ガンボア。試合は順調に進んでいましたが、4ラウンドで相手にクリンチされた際、右肩を脱臼してしまいました。それまで優勢だった試合展開が、一気に苦しいものへと変わります。
パンチを打つたびに肩が外れるようになり、以降は左手だけで戦うことを余儀なくされました。それでも飯田選手は最後まで諦めず、チャンスを探しながら12ラウンドを戦い抜きました。私もこの試合ではセコンドとしてリングに上がっていました。ラウンドの合間に何度も「大丈夫?」と声をかけましたが、その時の彼からは、誰にも止められないような強いオーラが感じられました。


スタッフのライセンスカード ラウンドの間のセコンドでの写真 試合中の写真
スタッフの
ライセンスカード
ラウンドの間の
セコンドでの写真
プロの写真家が
飯田選手をとり続けていた

試合の流れから「何かおかしい」と感じた人はいたと思います。しかし、肩を脱臼していたことに気づいた観客やテレビ視聴者はほとんどいなかったでしょう。
飯田選手が初めて世界戦に挑んだ時から、引退のきっかけとなったこの試合まで、どれも楽な戦いではありませんでした。まさに、命がけの一戦一戦だったのです。

試合直後の控え室にて 脱臼した肩を固定しているところ
試合直後の控え室にて 脱臼した肩を固定しているところ

試合直後、私は控え室で飯田選手の肩を固定しました。その時、ふと頭に浮かんだのは、「いつかこんな日が来ると…」という歌のフレーズ。悲しさや寂しさよりも、ただ呆然と時間が過ぎていく感覚でした。
この日を境に、私の中で何かが終わったような気がしました。魂が抜けてしまったような喪失感。もう二度とボクサーを見たくない――そう思った瞬間の無力感、脱力感、色々合わさった気持ちは、今でも鮮明に覚えています。

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