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7.東海豪雨
平成12年(2000年)9月11日~12日

ここまで浸水 カウンター
メジャーを当てているところまで水で浸かった ぐちゃぐちゃになったカウンター

豪雨による甚大な被害
観測史上最大級の豪雨が東海地方を襲い、接骨院も大きな被害を受けました。写真にあるように、私の父親がメジャーで指し示している高さまで浸水し、院内のベッドは水に浮かび、ほとんどの医療機器が水没してしまいました。

臨時接骨院 臨時接骨院のベッド
臨時接骨院のスポットクーラー 臨時接骨院のベッド

臨時接骨院での再スタート
それでも諦めるわけにはいかず、店舗の上階に空いていた部屋を借りて、臨時の接骨院を開設。暑い時期だったため、扇風機とスポットクーラー1台だけで治療を続けました。約2週間後には新しい医療機器を導入し、元の店舗での治療を再開。この時はスタッフだけでなく、同じマンションの住人や地域の方々にも大変助けられました。地域の温かさを心から感じた出来事でした。マンションの1階の住人も浸水被害を受け、2階以上の方も車が水没してしまうなど、被害は広範囲に及びました。
片付けが終わり、少し落ち着いた頃、感謝の気持ちを込めて、支えてくれたマンションの住人や地域の方々を招いて、マンション裏でBBQを開催。とても盛り上がり、皆さんに喜んでもらえたことを今でもよく覚えています。
普段は隣同士でもあまり会話がない時代ですが、災害という非常時には、みんなが声を掛け合い、協力し合えることを実感しました。そして、何もなければまた日常に戻っていく――そんな人の営みの尊さを感じた出来事でした。


接骨院の忘年会直後の写真
この当時のスタッフと私の子供達
(接骨院の忘年会直後の写真:おそらく妻が撮影)

パートさん・アルバイトさんに支えられた接骨院
この当時の接骨院は、今のように先生や研修生が多くいる体制ではなく、女性のパートさんや学生アルバイトの方々に支えられていました。中でも、最も長く働いてくれた藤井さん(写真下段中央でしゃがんでいる女性)は、現在は看護師を目指して看護学校で勉強中。もうすぐ卒業予定です。主婦であり母でもあり、大学生と高校生の子どもを育てながら、自ら看護の道を志す姿に、私も多くのことを助けられました。今振り返ると、患者さんからの信頼は私以上だったかもしれません。現役の学生にも負けず、真剣に学び続けている姿が印象的です。

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