宮島会のナイター運動会
速星小学校5年 森わかな
私の住んでいる地区、笹倉の宮島会では、毎年いろいろな行事が行われています。その中でも私がとても好きなのがナイター運動会です。子供から大人まで楽しんだり、体を動かしたりできるとてもよい行事だと思っています。
運動会の中でも一番たのしみなのは、走る競ぎです。私は走るのが好きなので、リレーや100m走は、とてもはりきってやっています。走るのは速くないけど「一位をとるぞ!」と思って走っています。私はつなひきも大好きです。なぜかというとみんなで力を合わせて引っぱるのがすごくいいと思うからです。
大人達の競ぎを見ていても面白いです。風せんわりやビンの水入れなどがあります。競ぎをしたら、せんざいやおかしがもらえて、とてもやる気が出ます。
どんどん運動会も進んできたら、おなかがすきます。お母さんたちがやきそばやフランクフルトを作ってくれます。それを食べると後半も「がんばるぞ!」という気になります。
お楽しみちゅうせんかいでは景品のちゅうせんがあり、名前を書いた紙を読み上げられます。自分の名前が呼ばれるのをドキドキしながら待ちます。ビールや健康ドリンク等、いろいろな景品があります。でも私は一年生の時から一回も自分の名前で景品をもらったことがなくて、毎年のようにあたっている人を見ると、「いいなー」と思います。最後は子供たちの花火大会が行われます。みんなとても楽しそうに花火をやります。この花火大会で楽しい運動会は終わりです。「早く来年が来ないかな」と思います。
笹倉には、ほかにも山菜取り、温泉行きなど、いろいろ楽しい行事があります。これからも、ずっと宮島会の行事を続けていってほしいです。
思い出
速星小学校5年 吉波直哉
僕の心に残った思い出は、ナイター運動会の事です。特に六つの事が心に残っています。
一つ目は50m走の事です。ぼくは、一番になれたらいいなと思っていました。やってみると思っていたよりも速く走れて一番になれました。うれしかったです。
二つ目は、二人三きゃくの事です。二人三きゃくは、中たきさんとやりました。それでうまくできるようになるため練習をしました。でも本番では、練習みたいになりませんでした。やっとゴールしたときには、一番最後でした。最後だったけどゴールできてうれしかったです。
三つ目は、満水レースの事です。満水レースとは、順番にペットボトルへ水を運びに行ってペットボトルを満たんにさせるゲームです。ぼくはゆっくり歩きながら水を入れに行きました。夜なので暗かったけれど注意しながら水を入れました。全部入れ終わるときんちょうがとけました。きんちょうしたけれど、しっかり入れたので楽しかったです。
四つ目は、食べ物の事です。焼きそばやフランクフルトがたいへんおいしくて、また食べてみたいと思いました。五つ目は、ちゅうせん会の事です。ぼくは去年バスタオルがあたりました。今年もわくわくしていました。ちゅうせんの発表が始まりましたがなかなか名前が呼ばれません。がっかりしかけた時、名前が呼ばれました。リポビタンDが当たっていました。ぼくはすごくうれしかったです。
六つ目は、花火の事です。ぼくは手持ち花火をいっぱいやりました。ロケット花火を見ました。最後にせんこう花火をやりました。すごく楽しかったです。
来年も参加したいと思いました。
地域の絆を大切に
笹倉三区民生委員 山崎忠弘
宮島会のレクリエーション行事で思い出に残っているのは、全山若葉に萌えた牛岳での山菜摘み、宮崎海岸で「タラ汁」を食べ地元の旬の味に満足したこと、そして今年の春、新緑あふれる広大な高原に立つ赤倉ニューホテル行き、折しも点在する白樺の木が霧に包まれ高原ならではの景観を満喫できた事が特に印象に残っている。
また、恒例の夏の運動会、リレーでコーナーをうまく曲がれず、相手に負けまいと年を忘れて力走した事も忘れ得ぬ思い出である。最近催されるお花見も、満開の桜の木下で花を愛でる風情に私自身大変気に入っている。
会員相互の触れあいと親睦図るこれらの行事は、同じ地域に住む者の絆を育てる場としてとても有意義な事だと思う。
最近は大規模な自然災害が各地で多発しているが、災害が起きたとき、まず頼りになるのは隣近所の人々による助け合いだそうである。この事からも、地域を同じくする者がいろいろな行事を通して、日頃からお互いの共通理解を図り、信頼し合える人間関係を醸成していく事が必要だと思うのである。
宮島会50周年を機に「地域住民の心をつなげ力を一つにまとめる宮島会をめざして」の目標を掲げて、中村会長さんを始め役員の方々が宮島会の活性化のためご努力している姿に心から敬意を表すと共に、宮島会の一層の充実発展を会員の一人として切に願うものである。
宮島会行事に参加して
1班 山岸龍子
毎年、春、秋のレクレーションや、スポーツ大会など、色々な行事に家族共々楽しくさんかさせて頂ありがとうございます。
私にとって一番印象に残る行事は、子供達から、おじいちゃん、おばあちゃんまで、皆で競技に参加できるナイター運動会です。
親子で頑張る競技や、アベック早飲み、笹倉三区を二つに分けての大綱引きなど、勝っても負けても、笑顔一杯の運動会で、特に、子供達にとっては、学校で味わえない、お菓子のたくさんもらえるとっても楽しい運動会です。
つい年を忘れて気持ちだけが前に進み、足が追いつかずに、ころがってしまった事もありました。ころんでも立ち上がり、ころがりながらもバトンをつなぐ、根性のリレーは見ごたえもあり、一生懸命さが笑いを誘い、そして感動させられます。
今年宮島会は、50周年を迎えるそうですが、私たち家族も笹倉に来て18年が経ちました。色々な行事に参加させていただく事で、地区の方や近所の方々とも仲良くさせて頂き、富山県人に負けない位、富山弁に馴染んでいます。
これからも、楽しい行事をずっと続けていってほしいと思います。今年の夏のナイター運動会も、楽しみにしています。
早くから準備にかかる役員の方々、児童会のお母さん達、本当にご苦労様です。
これからも、子供達や、地域の方々と一緒に楽しい思い出創りができますように、宮島会の行事に参加したいと思っています。
我ら家族がこの地に住み生きるまで
9班 前田義昭
昭和15年3月、父の勤め先、京都において生を受けた私が、何故笹倉の地で暮らしているのか、宮島会50周年を機会に振り返ってみた。
昭和16年に始まった先の大戦も、弟が生まれた昭和18年頃いよいよ激しくなり、母、弟と共に呉羽の叔父の家に疎開。商売を営んでいた叔父の家には、子供が6人おり、そこに私達が加わり8人の子供で足の置き場もない状態での生活だった。
昭和20年7月20日比ルソン島において父戦死との報。私の幼年時代が終わる。
昭和21年呉羽小学校入学。この頃の生活は特に食には厳しく、芋ツルやもち草の摘み取り等が私達子供のお手伝いであった。そうした中、母の仕事の都合で、昭和22年速星に転居。高山線の汽笛、音楽、舞台等聞いたり見たりして少年時代をすごした。
速星に来て17年経った昭和39年、私は会社勤めをしていたが、笹倉三区で新居を建てることとなった。僅か20坪程の平屋であったが、立山連峰の姿が望まれ、近くからは蛙の声も聞こえ、静かで心和む新居であった。
昭和40年、結婚。家族が2人から3人へ。そして一男一女に恵まれ、その子供たちの成長と共に、周りにも家が建ち並んできた。
昭和54年、母逝く。その折には町内や宮島会の皆様にたいへんお世話になったが、その事がつい最近の事のように思われる。
平成元年、住宅を全改築。その後、宮島会の役員も企画委員を皮切りに企画委員長、副会長とやらせて頂いたが、笹倉に来ての41年間、あまりお役に立てなかったような気がする。
宮島会50周年を迎え、終の棲家となったこの地が暮らし易い地域となるよう、皆さんと共に考えていきたいと思っている。
宮島会婦人部の思い出
11班 大塚園枝
宮島会のあゆみが半世紀にもなるなんてすごい事ですね。私が宮島会に入会したのは昭和50年。まだ40代という若さでした。私の家の周りには田んぼが広がり、水田をわたる風や、夕闇に飛び交う蛍の光に心が和みました。しかし、それから30年に満たない年月の経過は、何と私たちの周りを変化させた事でしょう。
そんな思いと共に、この間、私がお手伝させていただいた宮島会婦人部の活動の思い出を紹介させていただきます。
山田会長さんから婦人部の活動を受け継ぎ、多くの方の参加を願い、いろいろ計画を立てました。
<ヘルスバトンで張り切った敬老会>
敬老会でヘルスバトン体操を発表する事になり、会場では参加した皆さん全員にバトンをプレゼントしました。「人生いろいろ」の曲に合わせて、肩たたきなどの体操をやりました。舞台と会場が一体となり楽しくやれた事は、今思い出しても嬉しくなります。
<ひな祭り茶会での交流>
茶道教室(煎茶)を計画したところ、大勢参加して下さいました。お茶の入れ方、いただき方、お茶碗と茶托との取り合わせなど教えてもらいました。3月にはひな祭り茶会ということで、手持ちのひなを持ちよりました。手づくりのものや娘さんが幼かった頃実家から頂いたもの、旅の土産に買ったものなど。お茶を頂きながら、ひなの思い出が話し合われました。
<春のレクレーション>
牛岳の山菜採りに参加しました。子供達も一緒に、自然の中で心ゆくまで過ごしました。
<新年会>
最も参加の多かったのは新年会でした。普段話す事のない人たちとも接する事ができ、出会いの場が広がりました。
こうした婦人部の活動をつうじてのふれあいは、今思い出してもほのぼのとした気持ちにさせてくれます。
現代は趣味も好みも多様化していますが、地域の皆さんとのふれあいの大切さは誰もが感じているところです。テレビ番組「ご近所の底力」を見ていると地域の人達が知恵を出し合い協力し合っていく事の大切さを感じます。高齢化、核家族化の中、声をかけ合って暮らしていく事がますます大切になっています。宮島会の更なる発展を願わずにいられません。