ビッグ・マンモス

 
 ビッグ・マンモスは、フジテレビが昭和41年より放映していた「ママと遊ぼうピンポンパン」という幼児番組の中で歌って踊れる少年合唱団として、昭和50年から57年の間にわたって活躍しました。このグループのメンバーは東京の児童劇団や音楽学院生、モデル団体の混成グループで、いわゆる可愛い系の小学生から中学生ぐらいの年齢の少年たちで構成されていました。この番組は、幼児対象のバラエティー・ショーといった感じで、ビッグ・マンモスは歌って踊るだけでなくコントなどもしました。ビッグ・マンモスは本来の視聴対象の幼児だけでなくむしろ中学生・高校生(女子が多い)まで幅広い人気を集めました。年に何度か野外でコンサートを行いましたが、全盛期には5000人もの観客が殺到するなどその人気は凄まじかったようです。
  私は数年前までこのグループについてほとんど知識を持ち合わせていなかったのですが、インターネットのHPに参加することによって熱心なファンはもとより、直接メンバーの方々と交流することができました。ビッグ・マンモスは、番組の中では既成の曲も歌っていますが、オリジナル曲をかなり出しており、その中には名曲といってよいものも少なくありません。
  ビッグ・マンモスは、アイドルグループという側面と同時にボーイ・ソプラノによる少年合唱団という側面もあります。ビッグ・マンモスの歌声を通じてボーイ・ソプラノの魅力にとりつかれた人もいます。また、その人気もテレビを媒介としていただけに全国的でした。そこで、本HPでは、その音楽的な部分に焦点を当てて述べていきたいと考えています。

  1 ビッグマンモスの歌の魅力

 少年合唱やボーイソプラノの魅力をいろいろな角度から考えてみました。宗教曲や従来の合唱曲・独唱曲などを聴くと、
(1)心の安らぎをもたらす静的な美しさ
(2)可愛らしさだけでない清純でストイックな美しさ
(3)少年らしいひたむきさ
(4)統制された美しさ
(5)自分が年を重ねる中で失った尊いもの
などを感じますが、さらに、生活のにおいのする歌からは、
(6)少年ならではの元気ではつらつとした輝き
(7)人と人とのかかわりの中に垣間見るやさしさ
までを感じます。
 最初少年合唱の魅力は可愛らしい美しさプラス気品と思っていましたが、それだけでないこともわかってきました。特に後者はビクター少年合唱隊やTOKYO−FM少年合唱団を通して知りました。
また、実際の舞台では演出や制服の美などの魅力などもあるでしょう。
 ところが、ビッグマンモスを知って、また違う少年合唱の魅力を知りました。それは、まず何よりもアイドルであるということや他の少年合唱団にはないダンスという要素もありますが、歌としても次のようなものがあります。
(8) 活力のある動的な美しさ
(9) メンバーの少年の魅力やスター性を引き出していること
(10)メンバーが児童劇団出身者が多いだけに歌に演劇性があること
また、(3)から(7)は、ビッグマンモスにも当てはまります。
 そういう意味で、ビッグマンモスは、少年合唱の新しい道を拓いたことになります。


   
2  ビッグマンモスの音楽の特質

 ビッグマンモスは番組の中で、オリジナル曲の外に童謡・唱歌、「みんなのうた」系の子どもの歌、民謡・演歌系の歌謡曲まで幅広く歌っています。オリジナル曲の多くは快活なロック調で(「いなずまロック」「火の玉ロック」「ゆくぞ!ビッグマンモス」「ぼくらは未来のベーブルース」「君にタッチダウン」等)元気な少年らしさを強調しています。しかし、ロマンティックな雰囲気に満ちた「星物語」や流麗な「おいでよぼくの町に」には格別の味わいがあり、そこには少年期特有の理想主義的な精神性を感じます。
 ビッグマンモスの歌は、斉唱、合唱、独唱の組み合わせでできていることが多いです。そして、独唱部分に光る美しい言葉と人気ソリストを配置するという構成によって曲の山場を作っています。

(例1) エメラルド色の勇気をあげよう・・・「いなずまロック」
(例2) 涙色したあの町ともうしばらくはバイバイさ。・・・「青空特急」
(例3) 僕を信じてほしい。君は心の友達・・・「星物語」

 従って、メンバーにとってソロパートを与えらることは誇らしかったに違いありません。メンバーは歌とダンスのオーディションを通過し、さらにアルトの声楽家で現在もひばり児童合唱団を指導されている子安順子先生のレッスンを受けており、確かな歌唱力をつけています。そのようなこともあって、ロック系の歌であってもオーソドックスな合唱によって支えられています。ビッグマンモスの歌唱は多くの少年合唱団が採用している清澄な頭声的発声ではありませんが、それよりも力強くて明るい歌声が特質です。これは、歌う曲に合った発声という意味で正しいと思います。
 なお、オリジナル作品は、番組全体の音楽を担当していた服部克久はもとより、すぎやまこういち・橋本淳・大野雄二・荒井由実・荒木とよひさ・馬飼野俊一・村井邦彦など当代第一流の作詞・作曲家によって作られていたことも特筆されます。 


   
3 プロ精神

 ビッグマンモスを特徴づけるキーワードの一つは「プロ精神」ではないでしょうか。
 日本の少年合唱団員の中には、将来プロの声楽家等の音楽家をめざしてがんばっている少年もいることでしょう。しかし、当然のことながら、多くは趣味やお稽古ごととして通団していると考えられます。また、少年合唱団も多かれ少なかれ青少年の健全育成といった社会教育活動として団を運営しています。それと比べると、ビッグマンモスは創立目的がテレビを媒介として歌って踊れる少年合唱団をつくろうということですから、ただがんばればそれでよいというようなものではなかったはずです。録画・録音から約20年経った今見てもビッグマンモスの映像や録音が大人の鑑賞に耐えうる歌と踊りであったことの裏には、優秀なスタッフによる指導と少年達の精魂込めた歌と踊りがあったと考えられます。また、録画の収録は時として深夜に及ぶこともあり、よいものになるまで繰り返し撮影は行われました。そのような撮影における苦労話は、メンバーの証言からも伺い知ることができます。
 ビッグマンモスの映像は、録音と踊りの振り付けが別々に行われ、それを合成していますが、そのような手法はテレビや舞台ではよく行われていることです。そこにおいても、プロ精神は遺憾なく発揮されています。
「気分が悪くなるぐらいまで踊れ。」
「口パクでは、喉の微妙な筋肉の動きが違うから、たとえ録画でも声を出して歌え。」
こういうセリフが、スタッフからではなく、先輩の少年の口から後輩に伝えられたそうです。プロ精神を植え付けるというよい意味での縦社会がそこには存在しました。また、それまでに児童劇団、音楽学院、モデル団体に所属してレッスンを受けていたことに加え、河童のカータン役の大竹宏はじめ、ネコのブチャ役の富山敬、イヌのワンタン役の富田耕生等の当代一流の声優の芸に打ち込む姿を間近で見たことも、少年達のプロ意識を一層高めたものと考えられます。

            
4 ビッグマンモスの現代的意義

 ビッグマンモスが存在したのは、昭和50年から57年までという短い期間でしたが、四半世紀経った今でもそのファンはインターネットを通して、その想い出を熱っぽく語っています。また、幼児教育関係の出版社「ひかりのくに」が昭和52年に出版した「Go!Go!ビッグマンモス」を復刊させようというキャンペーンも展開され、既に100人以上の人が投票しています。改めてビッグマンモスの人気を感じる次第ですが、ビッグマンモスが与えた影響やその現代的意義について考えてみましょう。
 
    
 @ おにゃン子クラブやジャニーズjrとの関連
 ビッグマンモスが解散した後、「ママと遊ぼうピンポンパン」を企画したフジテレビの横澤彪ディレクターを中心とするスタッフによって女子高校生をメンバーにした歌って踊れる少女グループ おにゃン子クラブがつくられ、「夕焼けニャンニャン」というバラエティショー番組で活躍しました。ビッグマンモスのメンバーに背番号が与えられたのと同様、おにゃン子クラブにも背番号が与えられ、適宜「卒業」という形でのメンバーの交替も行われたようです。つまり、ビッグマンモスを育成した手法がおにゃン子クラブにおいても引き継がれ、さらに発展したとも言えるでしょう。
 ビッグマンモスとジャニーズjrとの共通性を指摘する人もいます。確かに、歌って踊れる少年グループという点では共通していますし、ビッグマンモス解散後そのままジャニーズjrのファンに移行した人もいます。さて、歴史的にみると、ジャニーズjrの方が古いでしょうし、ビッグマンモスが活躍した時期にもジャニーズjrは存在して、アイドルを世に送り続けていたことでしょう。この二つを比べると、ジャニーズjrが一つの事務所(ジャニーズ事務所)に所属して、テレビやステージで活躍したのに比べて、ビッグマンモスは、いくつかの児童劇団や音楽事務所やモデルグループ所属の少年の混成部隊で、「ママと遊ぼうピンポンパン」の中で活躍したという違いはあります。
 また、ビッグマンモスのオリジナル曲は、ボーイ・ソプラノを活かすことをもとに作られていることが特色といえるでしょう。ジャニーズjrの曲はそうではありません。 さらに、ビッグマンモスの歌は、歌が伝えるメッセージがはっきりしていたこともその特色と言えるでしょう。
 さて、ビッグマンモスの歌には、いろんなジャンルがあるので、「元気」をキーワードとしながらも、これが唯一の特色というものはありません。従って、ビッグマンモスの歌が後の音楽に影響を与えたというよりも、ビッグマンモスの歌を聴いて育った少年少女の心に永久に消えない美しいものを残したことが最大の影響と言えましょう。

   
 A ノスタルジーを超えるもの
 ビッグマンモスを視聴して育った少年少女は現在30代を中心とした世代です。従って、どうしても想い出として語られることが多いと思います。しかし、「Go!Go!ビッグマンモス」復刊に協賛した人たちのコメントを読むと、ノスタルジーを超える何かを感じるこもあります。同じ年頃なのにあのように歌ったり踊ったりできるということが憧れを育んだことでしょう。しかも、メンバーの少年たちが、あまりにもかけ離れた存在ではなく隣のクラスにもいそうな少年たちであったことが、ビッグマンモスを身近な存在にしてくれたことでしょう。ビッグマンモスは番組の中でたとえいたずらのコントをすることはあっても、幼児たちにとってよきモデルのお兄さんとして行動していました。
 ビッグマンモスが活躍していた時代は、子どもが子どもらしく、子供番組が子供番組らしかった時代でした。また、ビッグマンモスが着ていた服装は、戦後の貧しさから脱し、きちんとした可愛い、あるいはかっこいい服装でした。きれいな色のシャツやベスト、半ズボンにハイソックス、シンプルなスニーカーは、ビッグマンモスのトレードマークでした。ストリートファッションに代表される昨今のだらしない俗悪な子供服とその着こなし見るにつけ、ビッグマンモスのファッション感覚の素晴らしさを感じます。
 しかし、時代は動いています。「鉄腕アトム」や「ひょっこりひょうたん島」がテレビに復活していることの背景には、正義を愛し、子どもが子どもらしく、子供番組が子供番組らしくあるべきだという根本思想が流れていると思います。ビッグマンモスをいろいろな角度から再評価する動きも出てきています。ボーイズ・エコー・宝塚による「星物語」の復活もその一つです。ノスタルジーの視点だけからビッグマンモスを語るのではなく、ビッグマンモスが投げかけたメッセージの現代的意義を語ろうではありませんか。

  
 ビッグマンモス マイベスト10プラスα


 ビッグマンモスがテレビで歌った歌は数え切れないほどあるでしょうが、ここでは、オリジナル曲を私の好みによって10曲を選び、独自の味付けによりコメントを加えてみます。さらに、オリジナル曲以外でも、そのよさがよく出ているものも数曲選んで述べていきます。なお、ビッグマンモスの歌はレコードだけではその魅力が伝わりにくいものもあります。映像を見ながら歌を聴いてこそ、その実像に迫れると思います。
 
  
 @ 「星物語」

「星」、何とロマンティックな幻想をかき立ててくれる言葉でしょう。
古(いにしえ)より人は星を題材にして数々の物語を創り出してきました。
そして、今、ここに一つの美しい物語が生まれました。
ここ描かれた熱い友情には、ほのかな慕情さえ感じてしまいます。
岩田浩一、前田裕介、2人のソリストの歌声は、
少年期最後の輝きで、星に届けとばかり響きます。
そして、聴く人を夢の世界へと誘(いざな)います。

 「星物語」は、凡人を詩人にする歌です。レコードジャケットのコーチャンのほほえみ見ているだけで、幸せな気持ちになれます。この歌は20年後に、2人のソリストをネットで巡り会わせた歌でもあるのです。七夕伝説とも似ているではありませんか。現実のどろどろした世界の中で生きていると、たまらなくこんな美しい世界にあこがれます。

 ビッグマンモス関係のホームページの投票でも、「星物語」がダントツの1位!ところが、意外にもこの歌を歌われていたご本人の前田祐介さんまでもが、
「この曲って当時そんなに人気のあった曲でしたっけ??そうでもなかったような・・・・」
と、発言をされていますので、この問題について考えてみました。
 テレビ放映時や、レコード発売当時は、「火の玉ロック」や「いなずまロック」のようなロック系の歌の方が、かっこいいダンスと相まって、人気があったかもしれませんが、歌だけを取り出して聴いてみると、その魅力が十分発揮できないのではないでしょうか。その点、「星物語」は、歌そのものに、十分聴かせる力があります。しかも、二人のソリストの美少年ぶりがファンの胸に焼き付いていたことも、この曲が、20年の年を経ても輝きを失わなかったと言えるのではないでしょうか。
 前田さんの話をもとに、レコードジャケットをもう一度みると、半ズボンのオレンジ色の部分が肌の色に近いから、角度や光の加減ではレオタードみたいに見えるかも。・・・・・
でも、この時代の少年服の基本はきりっとした半ズボン。今流行のステテコみたいなハーフパンツよりよっぽどかわいくまた、凛々しく見えます。

 さて、「星物語」に出てくる二人の関係は、男女なのか男同士なのかという謎があります。詩だけ読んでもはっきりした答えは書いてありません。だから、想像力の問題になってきます。おそらくビッグマンモスファンの少女達はこの歌を聴いて、あこがれのアイドルと二人だけで宇宙旅行できたらいいなというロマンティックな想像をしたことでしょう。しかし、私はこの二人の関係は宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のジョバンニとカムパネルラのような関係ではないかと思うのです。デ・アミーチスの「クオレ」の中にもこういう愛に近い友情が出てきます。宮沢賢治は、「クオレ」の影響を受けてこの作品を作っていますからね。最近では映画「少年時代」の武と進二、「独立少年合唱団」の道夫と康夫の関係もそれに近いと思います。思春期の入り口における友情は恋愛に近い部分もあります。だからこそ、この歌には、時と場所を超えた普遍性があるんです。しかも、歌っているお二人が現在よい生き方されているから、歌のセリフが真実の言葉に聞こえるんです。
 20世紀最後の晩秋、映画「独立少年合唱団」を見ました。その中で、最初は吃音の転入生の道夫を庇うため、後では変声期で声の出ない康夫を庇うためお互いが教科書を代読するシーンがあります。そのとき、心に甦ったのが「星物語」の美しい言葉でした。たとえ甘っちょろいといわれても、それは二人の友情の象徴。お互いが一番辛いとき、それを代わって行うという行為こそ、最高の友情の姿。それは、ある部分では控えめな恋愛に近い感情かもしれませんが・・・少年合唱の好きな人なら、次の歌や物語のいくつかをすぐに思い出すでしょう。

(その1)「何でもやるさ」(ミュージカル「オリバー!}より)
「・・・つらいことだって、我慢してみせる。
僕たちが二人力合わせてやれば、何でもできる。
くじけないで、君と僕は友だちさ。」

(その2)「君がいるから」(広島少年合唱隊創立四〇周年委嘱作品)
「うつむきながら歩いてきたが、僕はもう違う
 胸を張って前を見て、笑いながら行く
 僕が強くなれたのは、君がそばにいたから
 友だちだから、仲間だから、一人じゃないから」

(その3)「銀河鉄道の夜」(宮澤賢治)
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、
  どこまでもどこまでも一緒に行こう。
 僕はもうあのさそりのようにほんとうに
 みんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」 


 
  A  「いなずまロック」

   
少年のダンディズムの極
 ビッグマンモスのオリジナル曲の中で踊りという要素がなくても十分聴かせる曲としては、前述した「星物語」の外にも「おいでよ、僕の町に」や「やっぱり僕は僕なんだ」があります。あとの2曲はむしろ、踊りよりも寸劇をバックにしたほうがよい曲かもしれません。反対に踊りという要素が最も大きい曲を挙げるなら、迷わず「いなずまロック」を挙げましょう。この曲の衣装と振り付けこそ少年のダンディズムの極にあるとも言えましょう。実は、この歌の踊りには新旧2つのバージョンがあって、どちらも、激しい動きの秀作なのですが、衣装のデザインという点では、旧作のほうがこの曲のために作られているというだけでなく、ビッグマンモスの衣装の中でも特に優れているので、旧バージョンを中心に述べていきましょう。
なお、レコードの方は3番まであり、3番は西野正一(ショーチャン)が歌っていますが、映像は2番までしかありません。レコードは音は鮮明ですが、やや耳にきつく聞こえます。
 冒頭の激しい雷鳴に導かれるように、少年たちの弾けるような躍動は始まります。身体にぴったりとした白い服が波打ちます。少年たちの襟には青いスカーフが、胸には星の飾りが抜群のコーディネートで輝いています。シャツと半ズボンを分かつ青いベルトもアクセントになっています。透明度の高い白いハイソックスは少年たちの躍動する脚を長く見せてくれます。この服については、後年、これまでに多くの衣装を身に着けて演技した古川武生さん(IKAちゃん)も、
「こんなかっこいい服はこれまでに着たことがなかった。」
と、証言しています。
 私がこの曲の振り付けを、「少年のダンディズムの極」とまで絶賛するのも、歌詞と踊りが一致し、レコードジャケットにもなっているノンノンが人のアーチをくぐり出てくるというかっこいいクライマックスに向かって盛り上げていくドラマ性が優れているからです。

  
 「君」と「僕」との関係
 ダッシュ、ダッシュ、ゴー、ゴーという切れのよい掛け声に乗って、正義の味方は駆けつけてきました。「君の知らせ」とは助けを求めるメッセージでしょう。それは、「危険なまね誰か君にしたら・・・」という2番の歌詞からも推測できます。ところで、この「君」は男か女かはっきりしません。と言うよりも、あえてはっきりさせないようにしているのかもしれません。しかし、たとえ女の子であってもこの二人の関係はあくまでも「兄と妹」のきょうだいのような関係であって、好きであっても決して「恋人」までは踏み込んでいないのです。このような性別不詳の「君」がよく出てくるのもビッグマンモスの歌の特徴だと言えましょう。デビュー作の「あの子の心はボクのもの」は、完全に女の子をターゲットにしています。しかし、それ以後の作品の多くは男女どちらでもいけそうなものが多いというのも、ビッグマンモスの歌は、「ママと遊ぼうピンポンパン」という幼児番組を舞台に展開していたからではないでしょうか。

  
 「勇気」って何色?
 この歌で最も美しく輝く言葉は何かと聞かれたら、きっと誰もが「エメラルド色の勇気をあげよう。」と答えることでしょう。それほどに、このセリフは、ロマンティックな輝きを発してくれます。しかも、この部分は、「エメラルド色の(君だけに)勇気をあげよう。(本当さ)」とソロとコーラスをかけあわせるアレンジによって、一層浮かび上がってきます。兼安博文(カネゴン)・森井信好(ノンノン)という人気ソリストは、オペラアリアのようにこの歌詞を歌いあげます。彼らの声質は、甲高い繊細なソプラノではなく、ビロードのようなメッツォソプラノなのですが、それがかえって頼りがいのあるたくましさを感じさせてくれます。
 ところで、なぜ「勇気」はエメラルド色でなければならないのでしょうか。この歌からさかのぼること十数年、テレビドラマ「少年探偵団」の主題歌にも「勇気凛々瑠璃の色」というセリフが出てきました。瑠璃色とは、紫色を帯びた青色ですが、どちらも暖色でないところが興味深いです。作詞者の石原信一が、「少年探偵団」の影響を受けたかどうかをうかがい知ることができませんが、感性に共通したものを感じずにはいられません。
 もし、「エメラルド色」を次のような暖色系の色に置き換えてみると、イメージは恐ろしく変わってしまいます。
「紅色の勇気をあげよう。」
「血の色の勇気をあげよう。」
「ピンク色の勇気をあげよう。」
「薔薇色の勇気をあげよう。」
・・・それは、情熱的ではあっても蛮勇や逆に甘さという理性の乏しいものになってしまいます。
 「エメラルド色」・・・そうなのです。勇気は、一時的な激情ではなく、深い理性に裏付けられたものでなければならないのです。

      
B 「ヒーローになれ!

   
シングル化されなかった名曲
 ビッグマンモスの中で、歌の名手といえば、夭折した山崎圭一(ヤセヤマ)の名前を挙げる人が多いのではないでしょうか。初期の頃はE・プレスリーのカバー曲である「こぐまのテディ」を明るく元気に歌っていましたが、その晴れやかな声は次第に輝きを増し、歌心を深めていきました。また持ち歌のジャンルも広げていきました。後期には、三橋美智也の「達者でな」のような民謡系の演歌にまで挑んで小節のきいた達者な歌を披露しています。
 そのようにビッグマンモスの歌の重要なソロ部分を数多く担当した山崎圭一の代表曲を一つ挙げよと言われたら、「ヒーローになれ!」を挙げたいです。この曲は、残念ながらシングルレコード化されていません。私は、その本当の理由を知りませんが、もしかしたら、録音・録画したときが変声期の直前だったため、その後ステージ等であまり公開できないという理由でシングル化されなかったのではないでしょうか。変声前に録音した「グリーン、グリーン」の歌をバックにして踊る変声中の姿を見るとき、ボーイ・ソプラノのもつ悲しい宿命に想いをはせてしまうのは私だけでしょうか。
 さて、そのような穿った想像をすることによって、この歌は特別な意味を持つようになります。変声期の直前は、少年の声が消える前のろうそくのような一瞬の輝きを発するときです。「ヒーローになれ!」の輝きに満ちた絶唱を聴くとき、歌う喜びのようなものまで伝わり、この曲をもって、山崎圭一の代表曲としたいと思います。

   
その指先に輝く未来が
 前奏に合わせるように、山崎圭一のバネのあるジャンプでこの曲は始まります。これは、いわば「起承転結」の「転」から始まるスタートといってもよいでしょう。各種のスポーツウェアや活動的な私服に身を包んだメンバーたちの躍動感溢れるダンスに、汗をふきながらスポーツに打ち込む姿の映像が挿入され、主題に迫る演出をしていることが伺えます。この映像においても「主演」の山崎圭一は、リーダー的な大きな動きで全体を導いています。この映像の中で繰り返し出てくる彼方を指さす動きは、その指先に大きな夢や輝く未来ががあるのではないかと暗示しています。

   
少年による男の歌   
 いつの時代でも世の中が行き詰まってくると英雄待望論が生まれます。ビッグマンモスが活躍していた頃、日本は高度成長期で公害問題等の矛盾をはらみながらも、社会に行き詰まり感はなかったでしょうが、このころを境にして、男の生きざまを描いた歌はだんだん少なくなってきたように感じます。男が歌う男の歌としては、村田英雄や鶴田浩二の歌がすぐに思い浮かびますが、これらは、ビッグマンモス誕生以前の歌がほとんどです。そのようなことを考えると、この時期に男の歌を少年が歌っているという意味でも、この歌はビッグマンモスの歌の中でも特色ある歌と言うことができましょう。ビッグマンモスが、初期から後期まで繰り返しいろんなバージョンで繰り返し歌っている「まけるもんか」もそのような傾向の歌の一つと言えましょう。これらの歌は、たとえ今苦しくても、それに耐えて頑張ればきっと栄光の日は来るんだということをテレビの前の子ども達に示してくれます。
 風貌姿勢、目的意識と使命感、自己決定、夢とロマン・・・そのようなこの歌に込められたものが男の人生にとって大切であることに本当に気がつくのは、社会の中堅と言われる年齢になってからでしょう。「ヒーローになれ!」は、そういうことの大切さを説教臭くなく、また、背伸びしていると感じさせることなく聴く者に伝えてくれます。
 少年に大きな夢を与えたい!この歌の作者のメッセージは20年の時を経て初めて、その歌に接した少年たちに伝わっていくのかもしれません。

        
C 「おいでよ、僕の町に
 
   
聞いてくれるだけでいいんだ
  流麗な前奏に続いて始まるこの歌は、至純至高の友情を抒情的に歌っています。離れていても通い合う心が伝わってきます。こんな友達いたらいいのにと思いながらテレビを見ていた人も多いはず。こういう人間関係を少年時代に築くことのできた少年は、成人してからもきっと豊かな人間関係が築けることでしょう。

 「いわゆる元気系」の歌が多いビッグマンモスの歌としては、この曲は珍しい部類に入るかもしれませんが、歌が伝えるメッセージとしては屈指の名曲と呼びたい1曲です。「いわゆる元気系」と「 」を付けたのにはわけがあります。元気を与える歌というと、マーチやロック系の快活な歌を想像することが多いですが、悲しみに沈んでいるとき、悩み深いときに「元気を出せ!頑張れ!」と活を入れられてもかえってつらくなってしまうでしょう。「どうしたの。」と、聞いてくれるだけでほっとして、心が休まり元気を取り戻すことだってあるのです。「おいでよ、僕の町に」とはそんな意味で心の底から人に元気を与えてくれる歌なのです。また、この歌の底流には、信頼に裏付けられた友情が流れています。このような友情はどのようにして育まれていくのでしょうか。
 さて、一生のうちで一番友達を大切に思う時期はいつでしょう。幼年期、少年期、青年期と年を経るにつれて友情は姿を変えていきます。しかし、小学校高学年からの数年間、親よりも教師よりも誰よりも友達至上であるという一時期があります。歌っているビッグマンモスのメンバーの少年たちは今まさにその時期に突入したばかり。そのみずみずしい友情感がこの歌にはあふれています。

  
 たったひとりでもいいんだ
 「手紙じゃ涙はふけないよ。電話じゃ指も握れない。会って話がしたいんだ。」
 この友達は、きっと気の弱いデリケートな人なのでしょう。いや、悩みのためにすっかり気が弱くなっていると言った方が適切かもしれません。電車やバスに乗るという普通の行為にさえ勇気がいるぐらいこの友達は弱気になっています。こんな友達と接するには、包み込むようなやさしさが必要です。
 電話という便利な機械は、いつでも会話ができるようにしてくれましたが、それと引き換えに人の出会いを薄っぺらなものにしてしまったかもしれません。交通や通信が未発達であった頃、人は旅をしてまで意中の人に会おうとしました。幕末の勤皇の志士たちは、各地を旅しながら師を求め、各地に散らばっている同志との結びつきを強くしていきました。手紙や電話には、それぞれのよさがありますが、実際に会うことはそれ以上の何かをもたらしてくれるでしょう。
 あたたかいまなざしと微笑を交わすような出会いが、どれほど人の心をあたためてくれることでしょう。たったひとりでもいい、自分のことを本当にわかってくれる人がいれば生きていける・・・そんな出会いを人は求めているのでしょう。

   
上条恒彦が選んだこの1曲
 この歌には、いろんなバージョンがあります。少年たちだけで歌われるもの、お姉さんと少年たちで歌われるものがあって、それぞれがよい味を出しています。ところが、ただ一度だけですが、ゲストの上条恒彦と少年たちによって歌われるものがあります。これは、カネゴンたち8人のメンバーが卒業するときに歌われたものです。私は最近この録音(映像は見ていません)を聴く機会に恵まれました。男声と少年の声の掛け合いはとてもよく調和していましたが、上条恒彦が多くのビッグマンモスのナンバーからあえてこの1曲を選んだのは、これから、悩み多き青年期に入っていく卒団メンバーに贈る1曲として最もふさわしい歌と考えたからでしょう。歌が伝えるメッセージとして最高の選択だったと思います。
 録音としては、お姉さんのパートを上条恒彦が独唱し、最後は上条恒彦と少年たちの合唱という形をとります。おそらく卒団メンバーは、このとき全員が変声期に入っていましたから、変声以前の録音を使ったか、それとも当時変声前のメンバーの歌に合わせたのかもしれません。ここでは、精一杯歌う少年たちのひたむきさと、伸びやかにゆとりをもって歌うバスバリトンの対比が快く響き合いました。
 「友情」、それはビッグマンモスが求め続けた理念の一つと言えましょう。

     
D  「青空特急」

   
青空を舞台に繰り広げられる大運動会
 ビッグマンモスの曲でスケールが大きく壮麗な曲と言えば、「青空特急」を挙げることができましょう。この曲は、ビッグマンモス中後期の代表作ですが、題名からして縦横の空間的な拡がりとスピードを感じる歌です。ダンスは野外ではなくスタジオで撮影されていますが、バックに大きな雲を配置してスタジオを広く感じさせるよう設定されています。ラインダンスから始まり、隊形変換を次々と繰り返しながらダンスは展開していきます。ダンスは、隊形変換によって集まったり広がったりする運動会の集団演技の手法に近いものです。そういう意味では、まるで青空を舞台に繰り広げられる大運動会といった感じがするものです。

   
色彩感豊かな歌詞
 音楽もまた、全体としては歯切れよいリズムに乗って、ソロ部分に大きな盛り上がりが来るように作られています。どうしてもリズム重視の曲では歌詞が「従」の立場になりがちです。この曲でも、映像を見ながら曲を聴くと、きっとスケールの大きなダンスとや金管の間奏に乗ってドライアイスの雲をスローモーションで渡って行く少年たちの姿や
「涙色したあの町と、もうしばらくはバイバイさ。」
と熱唱するソリストの競演が強く印象に残り、色彩感豊かな歌詞が見落とされがちになるでしょう。 石原信一の詩は、「いなずまロック」にも見られるように、色彩感覚が傑出しています。「雨の林 虹のアーチ」「光の シャワー」「青空に 白い鳥」「青い風に 赤い夕陽」「銀のレール」といった言葉の数々によって彩られたこの歌詞の美しさを改めて味わってみたいものです。
 
   
ボーイ・ソプラノの競演
 この歌は、全体的には明るく活気に満ちた歌なのですが、決して底抜けに明るいだけの歌ではありません。「陽」の中に「陰」があります。前述したソロ部分からは、
「悲しみからしばらくサヨナラするために、ぼくは君と二人で特急に乗って青空に旅立つんだ。」
というきっぱりとした決意のようなものが感じられます。
 山崎圭一(ヤセヤマ)、大沢総一郎(オートン)、世利一弘(パセリ=映像はなし)は、この歌を歌ったとき揃って6年生。ボーイ・ソプラノとしても最高の時期と言えましょう。ちなみに、この歌のレコード化から約一年半後の卒業のとき、この3人とも既に美しいボーイ・ソプラノを失っています。この声のもつ儚さを感じますが、それだけにこの時期はピークへ向かって登りつめていく感がします。また、この3人の歌唱はかなり個性的です。明るくよく響く高音の山崎圭一、情熱的に歌い上げていく大沢総一郎、言葉の一つ一つを大切にして歌う世利一弘というように、その持ち味が違います。この3人はもっと幼いとき、それぞれ、「こぐまのテディ」「イヤイヤマン」「あの子の心はボクのもの」で、ソロバートを歌っていますが、聴き比べてみると、歌唱の成長のようなものまでを聴きとることができます。少年の成長を縦軸に、歌唱の多様性を横軸にビッグマンモスの歌を聴くというのも、ビッグマンモスの粋な楽しみ方かもしれません。

      
 E 「ドリームボーイ」

  
 レコードジャケットは語る
  「ドリームボーイ」のレコードジャケットには、当時のメンバー19人全員の集合写真が載っていますが、テレビに映っているのは7人だけ。録音時、いったいこの歌は何人によって歌われたのでしょう?というクイズを出したら、正解を答えられるのは、おそらく当時の関係者だけでしょう。これまでのレコードもそういうケースはあったでしょうが、特にこのレコードが発売された頃には、中学生メンバーのかなりが変声期にさしかかり、ダンスには参加していても、録音には参加していない可能性があるからです。とにかく、この曲が年少メンバー中心の曲であることは間違いありません。
 ところが、このレコードジャケットの写真を見ると、これまでのレコードジャケットとは違うものを発見することができます。例えば、西野正一(ショーチャン)、東原稔(トンバラ)の二人は丸刈りにしています。おそらく中学校の校則か、部活の関係でそうしたのしょう。ビッグマンモスのメンバーの多くは(古川武生=IKAちゃんと芹沢康久=プリンスハゲ以外)当時流行していたセミロングやマッシュルームカットのヘアースタイルで登場していました。その頃の私は、長髪は暑苦しくて日本の気候に合わないのではないかと否定的に思っていましたが、今見ると結構可愛いではないかと感想が変化してきました。
 また、19人全員が私服の半ズボン姿で写真に収まっています。この当時の小学生の少年は、寒冷地を除いては一年中短い半ズボンであることが多かったようです。冬でも半ズボンというのが元気な少年の印のような感さえありました。このスタイルは、ただ当時主流であったというだけでなく、脚が長く見え少年を可愛く、またかっこよくしてくれます。だから、ビッグマンモスの「制服」にも採用されたのでしょう。ただ、公的には小学生限定の服装であるので、中学生メンバーにとっては、最後の半ズボン姿での記念撮影だったかもしれません。「サヨナラ少年時代」を象徴するようなレコードジャケットではありませんか。

   
科学とおとぎの世界の同居
 子どもの夢は、時代とともに変化するものでしょう。「ドリームボーイ」の中に描かれた夢は、いかにもその時代を反映しています。この夢の中には、タイムマシン、UFO、イーエスピーなど、SF〈サイエンス フィクション)やテレポートのような最新情報通信技術の世界と魔法のマントのようなおとぎの世界が混在して登場します。しかも、タイムマシンで行く昔の世界には、忍者や一休さんや桃太郎とその家来たちがいたりします。実在の人物とおとぎ話の人物が自然に同居しているところが、たいへん面白いです。 また、イーエスピーで覗こうとする世界は、好きな子の心や試験問題といった子どもらしいものです。ただ、子どもといっても幼児では、理解し得ない言葉が多いでしょうし、逆にティーンエイジャーは、歌詞のある部分を幼稚と感じてしまうかもしれません。この歌は、どの年齢層の子どもをターゲットにして作られたのでしょうか。

  
 ソロ部分の魅力
 さて、このレコードは、「青空特急」と抱き合わせで発売されています。あえて、どちらがA面でどちらがB面かははっきりさせる必要がないほどこの2曲はそれぞれがよい持ち味を出しています。「ドリームボーイ」は、題名どおり夢の中では何でもできるというストーリーの詩で、歯切れよい合唱部分とゆったりしたソロ部分の対比が美しい曲です。特にソロ部分は、ビッグマンモスのオリジナル曲の中では長いものの一つでしょう。
 ビッグマンモスの歌は、ソロ部分が山場になっていることが多いのですが、いろんなメンバーに歌わせようとする配慮もあってか、一人一人のソロはあまり長くありません。短いソロ部分にすべてを傾注して歌った例としては、一人一セリフのような「ゆくぞ!!ビッグマンモス」の中でありったけの情熱を込めて「情熱」を歌った新敷浄(ヘンシン)の歌唱を真っ先に思い出します。
 しかし、これぐらい長いソロだと、歌い手のしっかりした歌唱力を楽しむことができます。音程がとりにくい部分もありますが、山崎公彦(チビヤマ)と高橋秀典(タコ)は、悠々とこの部分を歌っています。山崎公彦は、甘く張りのある美声で、その声はどこにいても他の少年と区別がつきます。また、高橋秀典の声は、ソフトでゆとりを感じる歌いっぷりです。ダンスも、大掛かりではないですが、よくまとまっていて独自の小宇宙を形成しています。

      
 F 「火の玉ロック」
   
    ロックで甦る正義の歌

 昭和30年代はいわば、「正義の味方の時代」でした。夕方、テレビのチャンネルを回せば、「まぼろし探偵」「月光仮面」「ハリマオ」「七色仮面」「少年ジェット」・・・等々、正義の味方が登場して悪を懲らしめる番組が目白押しでした。首に風呂敷を巻きつけ、颯爽と三輪車に乗って、電柱に向かって「ウー!ヤー!ター!」と叫ぶ「幼年ジェット」が全国各地に出没しました。これらのドラマの主題歌は上高田少年合唱団をはじめとする創生期の少年合唱団によって歌われ日本中の子どもの間に広まっていきました。
 極めつけはプロレスでした。巨体を生かすだけでなく、凶器まで使う卑怯な外人〈あまりよい言葉ではありませんが、当時は当然のように使われていました。)を空手チョップでなぎ倒す英雄・力道山に、子どもも大人も一緒になって拍手をおくったものです。これらは、たとえ単純な正義感であっても、繰り返し見たり、聞いたり、歌ったりすることによって、幼い精神に刷り込まれて正義感を育んでいったものと考えられます。その後、アニメの発達とともに、鉄腕アトムや鉄人28号のようなロボット的な正義の味方(鉄人28号は実写版では悪役だった)が出現し、実写版でも正義の味方はウルトラマンや仮面ライダー等に、悪役は怪獣へと移っていきました。一方、その過程で次第に正義そのものを正面から訴える子ども番組も減ってきました。
「火の玉ロック」が出たのはまさにその頃です。この歌の主題はただ一つ、人々が忘れかけていた「正義」そのものでした。悪いやつらに必殺拳、ドラゴン蹴り、マッハスペシャル〈どんな技かわかりませんが、マッハ文朱の影響を感じます。)を食らわすアクションとあいまって、この歌はヒットしていきました。この歌は、同じ作者によって後に出た「いなずまロック」と比較すると、歌詞に詩情が乏しいものの、単純明快なぶんだけストレートに幼い子どもには受け容れられたのではないでしょうか。ところで、この歌には、「火の玉」という言葉が出てきませんが、歌そのものが、火の玉精神に貫かれています。
 ところで、昭和30年代の正義の歌は、ぴょんこ節と呼ばれる軍歌・寮歌等とも同じリズムの4拍子系の歌が中心でしたが、「火の玉ロック」は、当時主流になりつつあったロックのリズムに乗った正義の歌だったというところも注目すべきです。

   
微妙な声質の変化
 さて、この歌には、新旧二つのバージョンがあって、初期は森井信好(ノンノン)、兼安博文(カネゴン)の両リーダーがソロをとっていました。このソロ部分を後の「いなずまロック」と聴き比べてみると、特にノンノンは、小6から中1の1年ほどの間に声質がソプラノからメッツオ・ソプラノに微妙に変化していることに気付きます。一方、カネゴンの歌声はもともとメッツオ・ソプラノ系の声で、あまり変化を感じません。
 また、後期のソリスト伊藤光(ピカ)小倉一夫〈モグ)たち中心のバージョンは、拳法というイメージは薄くなって、集団演技の舞踏というイメージが強くなっています。

   
拳法をダンスに
 その当時、ダンスがどのような発展を遂げていたのか知りませんが、髪を振り乱しマイクを蹴る大胆なアクションの西城秀樹や、新曲のたびに新奇性のある振り付けが話題を呼んだピンクレディが出現することで、歌謡曲の世界は大きく変貌してきました。山本リンダが「どうにもとまらない」で復活を遂げたのも大胆なアクションがあったからこそです。それまでの聴くだけの歌から、見て聴く歌へという一つの流れが生まれました。この流れは今へと続いています。感覚的な子どもたちが、このような動きを吸収するのは早いものです。「チビッコのど自慢」や「パクパクコンテスト」の世界では、たちまちこれらの歌手のものまねが主流を占めるようになっていきました。
 そのようなことからも、「火の玉ロック」の拳法のアクションを取り入れたダンスは、子どもたちの目にも斬新に映ったことでしょう。さらに、このころ制定された紅白を基調とする番号入りのTシャツと黄色い半ズボン、二本線の白いハイソックスというビッグマンモスの「制服」は、活動的でこのダンスとよくマッチしていたことも特筆できます。「あの子の心はボクのもの」で点火したビッグマンモス人気が、ダンスを本格化した「火の玉ロック」によってさらに高まったのは言うまでもありません。

         
 G 「ぼくとドラねこ」

   
憎しみを超えるもの
 「あーぁ、こんな悲しみあるもんか。」という嘆きで始まるこの歌は、ビッグマンモスの作品の中では珍しいバラード(物語歌)です。大事な金魚をドラねこに食べられたぼくは、落とし穴、サンマ、パチンコと知恵を絞って敵討ちを試みますが、ことごとく失敗してしまうというストーリーです。この歌詞の面白さは、ぼくとドラねこの知恵比べという形をとっていることです。憎いドラねこであるのに、その知恵としぶとさにしまいには驚いて舌を巻いてしまうというところが、この作品をただの恨み節以上のものにしています。作詞は、「ひょっこり ひょうたん島」の作者でもある山元護久。ドラマを感じる詩はお手のものです。

   
ハスキーヴォイスの魅力
 さて、この歌では、終末の辺りにある
 「出て来いドラねこ、でてこーい!」
というハスキーヴォイスのせりふもこの歌のアクセントとなっています。もし、このセリフの部分が、朗々とした美声だったらどうでしょう。それでは、緊迫感という点でイマイチでしょう。ハスキーな声だからこそ、声を嗄らしてドラねこと対決する僕の必死な姿が浮きぼりにされるのではないでしょうか。長谷川淳史、山元泰三というハスキーヴォイスの少年をこのセリフに配置したことで、この歌は忘れがたい歌となったのです。
 
   
先輩を凌駕した振り付け
 ビッグマンモスの作品は、メンバーが入れ替わっても歌い継がれていくところに特色があります。ところが、どうしても、オリジナル作品を見てしまうと、後の作品の振り付けが二番煎じになってしまうこともあります。それもそのはず、メンバーの小倉一夫さん(モグ)の話によると、
「どの作品も振り付け師が来て指導したわけでなく、先輩のビデオを見て配置や動きを研究したものもあります。」
とのことです。それでは、どうしてもオリジナルを超えることは至難のわざとなります。ところが、この作品については、そのモグちゃんを中心にした後期の方が、オリジナルを凌駕しています。オリジナルは、初期のメンバーと酒井ゆきえおねえさんによって歌われていますが、丘のようなところにみんな座って歌っているので、動きが乏しいのです。ところが、後期のメンバーの方は、少年だけによって歌われていますが、動きと表情が豊かです。この歌がバラードであるということをこの振り付けからも再認識させられます。

        
 H 「ぼくらは未来のベーブ・ルース」

   
どこかで耳にしたような
 ビッグマンモスの現役時代、その存在を知らずに過ごした私にとって、この曲を初めて聴いたとき、前奏や間奏をどこかで耳にしたようなような懐かしい想いにとらわれました。曲想が類似したものをどこかで聞いたのかもしれません。それは、物心ついた頃、ラジオから流れてきたロカビリーの曲とも似ています。それ以上想い出すことができませんが、とにかくノリのよい親しみやすい曲ではありませんか。
 この曲は、ビッグマンモスが歌う歌として視聴者から歌詞を公募して、優秀作品にプロの作曲家が作曲するという「ピンポンパン 歌をありがとう」という企画の中から誕生しました。おそらく、作品を応募したのは、10代の女性が多かったと推察されます。この企画は4回行われ、約30曲が世に出たそうですが、「ぼくらは未来のベーブ・ルース」は、その第1回の作品だけに曲を作った方も演奏する方も強い意気込みが感じられます。レコードジャケットに補作者の名前が書いてあるのも、視聴者参加作品らしくてほほえましく感じます。「ぼくらは未来のベーブ・ルース」は、この企画中最大のヒット曲となり、その後もメンバーが替わる度に繰り返し録音・録画されました。
 特にオリジナルメンバーによる録音・録画は、レコードと違って、ソロのあとに「ヘイ!」というかけ声を入れて、気合いの入ったイメージを高めています。また、中後期メンバーによるダンスと野球の動作をアレンジした振り付けにも味があります。さらに、後期メンバーによる球場での練習試合もこの歌の雰囲気をよく伝えています。

  
 野球の試合に発展
 ビッグマンモスの制服に背番号があったことは、メンバーを覚えやすくする以上のものがありました。特に、野球のユニフォームは少年を凛々しくしてくれます。ユニフォームの美学がここでも生きていました。この歌のヒットは、一人一人のメンバーの少年が野球が得意であるかどうかは別として(レコードの付録を見るとコーチャンのようにビッグマンモスに入って初めてやった不思議な子もいます。)、メンバーが紅白に分かれて野球の試合をすることにまで発展し、多くのファンを球場に集めました。そこには、頑張っている少年たちの姿と同時に、スタッフの企画力の優秀さを垣間見ることができます。

   
スポ根時代の終焉に
 昭和39年の東京オリンピックの成功を経て、日本が高度成長を続けた昭和40年代から50年代にかけて、子どもの世界でも「柔道一直線」「俺は男だ!」「アタックNo1」「巨人の星」「明日のジョー」「タイガーマスク」といった実写やアニメのいわゆる「スポ根(スポーツ根性の略)」ものが大流行しました。これらの番組のストーリーは、主人公が努力によって逆境を克服してスポーツのそれぞれの分野で成功するというものでした。そこには、努力・工夫・勤勉という価値観が底流にあり、子どものものの考え方にも多かれ少なかれ影響を与えたものと考えられます。また、これらの主人公の家庭はたいてい経済的に貧しく、貧しさからの脱出には人一倍の努力が必要であることも示唆していました。これは、その時代が求めていた人間像とも合致しています。「ぼくらは未来のベーブ・ルース」も、流れとしてはこの系列に属するものと考えられます。「明日の太陽に向かって突っ走れ。」という歌詞と、夕陽に向かって砂浜を駆ける「青春の巨匠」森田健作の姿を重ねて見ることもできましょう。しかし、この曲は、時代的には「スポ根」ものの全盛期からは少し遅れて登場しています。ビッグマンモスが解散した後に人気を博した「キン肉マン」には、つらいことかするりするりと脱出して、努力や勤勉を回避するという思想と行動が見られ、時代の変化を感じさせます。そういう意味でも、ビッグマンモスは日本に元気があった時代の少年の理想像を体現していたと言えるのではないでしょうか。

         
I 「やっぱりぼくはぼくなんだ」
 
   
母親を乗り越えた少年
 「ピンポンパン 歌をありがとう」から生まれた作品の中で名作と思われるものとしては、前述した「ぼくらは未来のベーブ・ルース」の外にも、「やっぱりぼくはぼくなんだ」と「グッドバイ」を挙げたいと思います。前者は、平易な歌詞の中に優れた人間観が見られ、後者は、ひたむきさと叙情性が程よくアレンジされているからです。
 「やっぱりぼくはぼくなんだ」の作詞者がどのような境遇で育ったかとか、この詩を自分の体験と重ねて書いているかどうかなどを伺い知ることはできません。しかし、この歌を聴いて共感するところが多いのは、この少年と同じようなつらい想いをもちながら育った人が少なくないからでありましょう。特に子どもにとって一番の理解者でなければならない親から、優れたきょうだいと比較されることで、どれだけ多くの子どもが、悲しい想いをしていることでしょう。しかし、この歌は決して恨み節にはなっていないのです。そのようなつらい境遇の中から、この少年は人間にとって何が大切なのかを自分なりにつかんでいます。
「僕、3から4に上がったよ。弟と比べないで。」
一人の人間としてどれだけ成長したかのほうが人との比較よりも大切であるというこの主張の中には深いものがあります。その時点で、この少年は人間観において、母親を乗り越えました。それが、この歌をたくましいものにしています。人間ひとりひとりがかけがえのない存在であり、そのような自分に気付いたとき、人は自分のよさを伸ばし、それをもって世に貢献しようと思うものです。そんな意味で、この歌は、ビッグマンモスの歌の中で最も哲学的な歌でもあるのです。

  
 無理してダンスの振り付けをしなくても
 ビッグマンモスのオリジナル曲は「歌って踊れる」ことを意識して作られています。ところが、踊りが生きる曲とあまり生きない曲があるのは事実でしょう。この「やっぱりぼくはぼくなんだ」は、踊りの振り付けもありますが、あまり生きているとは言えません。しいて言えば、この歌を深刻なものにしないというという効果ぐらいでしょうか。むしろ「おいでよぼくの町に」のような寸劇の方が、そのよさが生きる曲だと思います。

   
第一声で伝わる歌の本質
 歌は、山崎兄弟を中心に展開します。兄 山崎圭一の第一声
「弟の奴。何でも僕より優ってる。」
と投げ捨てるように歌うところは、もうそれだけで、この兄が背負っている苦悩が伝わってきます。今、改めてこの少年の歌唱力に感心します。一方、お姉さんが歌うお母さんの部分もまた、何をやってもよくできる一家の希望の星である弟と、何をやっても平凡な兄を比較する嫌らしさが、どぎつくない程度に伝わってきます。これがよいのです。あまりお母さんを悪者にしすぎるとこの兄の人間的なよさよりも、そちらに重点が置かれてしまうからです。この歌の本質は、苦悩の中で兄がつかんだ人間についての価値観なのです。
 この歌は、きっと多くの同じ境遇の子どもに勇気を与えてくれたことでしょう。

プラスα編

  
@ 「ニッキ・ニャッキ」

   
「黒ねこのタンゴ」のB面から
 昭和41年、1曲の童謡が爆発的にヒットしました。その歌は「黒ねこのタンゴ」。歌うは、当時小学校1年生でひばり児童合唱団員の皆川おさむで、テレビに引っ張りだこ、レコードも記録的な売り上げということで、一躍人気者となりました。ところが、そのレコードのB面に録音された「ニッキ・ニャッキ」は、歌詞も楽しいし、幼稚園児の置鮎礼子の年齢以上におませな歌いっぷりもよかったのですが、「黒ねこのタンゴ」の大ヒットの陰に隠れてあまり評判にはなりませんでした。さて、これら2曲はイタリアの童謡コンクール ゼッキーノ・ドーロの入賞曲ですが、当時の日本はカンツオーネブームだったこともあって、その余波で日本に紹介されたとも考えられます。なお、「黒ねこのタンゴ」も「ニッキ・ニャッキ」も山上路夫のいかにも日本的な訳詞(ほとんど作詞といってもよい)によって紹介されました。
 やがて、流行は去りこれらの曲が思い出の曲になりつつある頃、「ニッキ・ニャッキ」が、ビッグマンモスの歌として、新たな装いでリバイバルしました。そして、ビッグマンモスのオリジナル曲ではないのに、それ以上の人気曲になりました。

  
 ヒットの要因を探ると
 子どもにとって、いつの時代でも食べ物の好き嫌いは大きな問題です。このことで親から叱られることも少なくないでしょう。もし、嫌いな食べ物が、好きな食べ物に変身したらなあなんて夢のようなことを考える子どももいることでしょう。そのおまじないの言葉こそが、「ニッキ・ニャッキ」なのです。いかにもおまじないらしい響きのする言葉ではありませんか。この歌のヒットの要因を探ると「ママと遊ぼうピンポンパン」の視聴者の中心である年齢層の子ども達にこの詩の内容がアピールしたことと同時に、短いソロを数人で分担して歌いながら、次第に大きな合唱へと広がってゆくというビッグマンモスの典型的な歌のパターンとも一致していました。「ニッキ・ニャッキ」が、オリジナルの独唱よりもビッグマンモスの歌により合致していたというべきでしょうか。

   
歌と踊りのパターンは、全く同じ
 当時の歌声から山瀬まみを連想したという甘い鼻にかかった声のコーチャンを中心に、5人のソリストたちはボーイ・ソプラノの図鑑のような個性的な歌声を披露しています。甲高く清澄なヒラメ、言葉を丁寧に歌うパセリ、明るく張りのあるヤセヤマ、まだこの時期はむしろ可愛い声のオートンと、たった一節でも声の持ち味が出ています。この頃のコーチャンは、「星物語」と比べるとまだ“つぼみ”というむしろ幼い感じのする歌を歌っています。しかし、「食べなさいと言うのよ〜」という独特の節回しや、「シュークリームにチョコレート」ととろけるような動作とともに歌う姿は、視聴する人の心の琴線を刺激しました。
ダンスとしてはむしろ単純な方で、おまじないの言葉を歌う部分は自由度も高いのですが、最後きちんと締めくくるというところが、ダンスとしてのドラマ性を形作っています。
 なお、後期の歌巧者のチビヤマを中心にした後期のメンバーに夜って歌われた場合も、歌唱力という点ではオリジナルメンバーと比べても遜色ありません。また、歌と踊りのパターンは、全く同じというのも嬉しい一致です。


     
 A 「はるかな友に」

   
 磯部俶の代表曲
 昭和36年頃、「みんなのうた」に取り上げられ、ボニージャックスの歌で全国的に有名になったこの曲は、それよりおよそ10年前の昭和26年頃、当時早稲田大学グリークラブの常任指揮者をしていた磯部俶が、合宿先で即興的に作詞・作曲された作品です。従って原曲は男声合唱曲です。磯部俶は、その後フレーベル少年合唱団の創立より指導者として迎えられ、少年合唱界でも多大な貢献をされました。さて、3連からなるその詩は、短いながら深みのあるもので、まさに合唱の醍醐味が味わえます。明るく元気な傾向の歌が多いビッグマンモスが、このシックな合唱曲「はるかな友に」を歌った背景には、指導者の子安順子の影響を感じずにはいられません。

  
 ビッグマンモスとビクター少年合唱隊
 この曲がビッグマンモスによって歌われたのは、メンバーを見ると1979年の夏と推定されますが、それより3年前ビクター少年合唱隊の「天使のハーモニーシリーズ 3」でもこの曲はレコーディングされています。この二つを比較すると、ビッグマンモスとビクター少年合唱隊の魅力の違いというものがよりはっきりしてきます。
 キャンプ場の夜を舞台にビッグマンモスの歌は展開します。一日の活動を終えてキャンプの周りに集まったビッグマンモスのメンバーの中で、コフ(田村勲)が立ち上がって、甘い声のソロで「静かな夜更けにいつもいつも想い出すのはおまえのこと」と歌うと、そのあとを全員がそれぞれのポーズで合唱するという1番。2番では言葉をかみしめるように歌うパセリ(世利一弘)のソロに明るい声の合唱が続きます。このビッグマンモスらしい歌の展開が、先輩が後輩を慈しむような演出の映像と相まって独自の美しい世界を創っています。
 一方、ビクター少年合唱隊は、ハープやストリングスを多用した伴奏に乗って最初から最後まで合唱で通しています。こちらはひたすら爽やかな歌いぶりが魅力で、1番ごとに違った歌い方をしていることも伺えます。演奏する人数も十数人のビッグマンモスと70人ぐらいのビクター少年合唱隊では表現の仕方が違って当然で、いかにその魅力を引き出すかという点でこの比較は面白くなってきます。

   
ダンスがなくても
 「はるかな友に」は、おそらくビッグマンモスの歌の振り付けとして屈指の出来になるでしょう。厳しいダンスのレッスンの結果やっとできるようになった激しい動きの振り付けと比べ、自然な演出の中に人のぬくもりや慈しみが現れているこの振り付けは、華やかさこそなくても実に魅力的です。この間少年たちの間に交わされた会話を想像してみるのも楽しいかもしれません。 

       
 B  「きみたちは太陽さ」

   
「みんなの歌」とビッグマンモス
 NHKの「みんなの歌」は、開始してから10年ほどは、外国の曲に日本語の詩をつける曲がかなり多く見られました。「線路は続くよどこまでも」「白銀は招くよ」「気のいいあひる」「クラリネットをこわしちゃった」などはその中でも名曲として今でも歌い継がれていますが、ビッグマンモスは、これらの曲をよく歌っています。さて、その中には子ども向けに作られたため、もとの歌詞とは全く違っていいるものもあります。例えば、「白銀は招くよ」は、冬季オリンピックのアルペン3冠王トニー・ザイラーが俳優に転進して作られた映画の主題歌ですが、原曲は「私は世界一の幸運児、金じゃ買えないこの気分・・・恋が人生を美しくする」という恋の歌なのに、日本では色恋抜きの完全なスキーの歌になっています。
 さて、「想い出のソレンツァラ」や「恋心」を歌ったシャンソン歌手のエンリコ・マシアスの「きみたちは太陽さ」もまた、そのような形で「みんなの歌」で採り上げられると同時に、ビッグ・マンモスによっても歌われています。原曲の歌詞は知りませんが、阪田寛夫によって作詞された歌詞の内容は、子どものすばらしさを歌ったもので、子どもが歌うのにふさわしいものになっています。そういう意味でも「みんなの歌」とビッグマンモスのかかわりを調べていっても面白いでしょう。

   
お姉さんとビッグマンモスの組み合わせ
 この曲はお姉さんとビッグマンモスが歌った歌の中でも、「オレンジ村から春へ」とともに、それぞれの持ち味がよく生かされた曲として特筆できます。大野かおりお姉さんは、細くて高いキュートな声が特徴で、ビッグマンモスの明るい声とよく調和しています。「おいでよ、僕の町に」のようにビッグマンモスだけで歌ったほうがよい歌もありますが、この歌はお姉さんとの組み合わせによって生きる歌だと思います。

   
デブリンマンよ!今いずこ
 中後期のメンバーと大野かおりお姉さんによって歌われるこの歌は、腕を大きく振って踊るダイナミックなダンスと歌詞に合わせた演技に特色があります。7人のメンバーが対称形に並び、トレードマークの赤い半ズボンをはいたモグちゃんが座っているピカちゃんの周りをスキップして回るところからこの曲はスタートしますが、このスキップが何とも軽快で爽やかです。また、要の位置で踊るのは、かつて「デブリンマン」というニックネームだった前田陽介。それがこの歌を歌った6年生の頃には身長も伸びて手足が長くなり、赤いセーターに紺の半ズボンがよく似合うかっこいい少年になっているのが目に付きます。「デブリンマンよ!今いずこ」という感じさえします。また、お姉さんが歌っている部分は、メンバーは歌詞に合わせた演技をしますが、とりわけけんかのシーンでしょげて伏目をするモグちゃんの愛らしさは、すばらしい目の演技と言えましょう。お姉さんはバレーの回転をし、ビッグマンモスは後ろ向きに座って両手を伸ばすという終末は、ドラマティックで強く印象に残ります。

      
C まけるもんか

   明治の青春と比べてみると
 ビッグマンモスの初期から後期に至るまで歌い続けられたこの歌は、岡田富美子作詞 ウィルソン作曲と書いてありますから、外国の曲に日本的な作詞(「パンツのゴム締めて」が訳詞とは考えられない)をしたものでしょう。「ヒーローになれ」と並んで少年が歌う男の歌の代表ともいえるこの歌には、「勝つまでは負けるもんか!」と底流に「負けじ魂」が流れています。この言葉は今では古語のようになってしまいましたが、ビッグマンモスが活躍していた頃は、日本が輝かしい高度成長を続けていた頃なので、まだ少年たちの精神にその片鱗が残っていたのではないでしょうか。
 ところが、それと同時に、この歌は「僕が勝ったなら、大好きなあの子がチュッチュッほっぺにキスしてくれるだろう。」というかなり開放的な恋が歌われているところも特徴的です。この歌を村田英雄の「姿三四郎」と比べてみましょう。明治の柔道家を歌ったこの歌にも「人に勝つより自分に勝て」とか、「花と咲くより踏まれて生きる草の心が俺は好き」といったストイックな男の生きざまが描かれています。また、「好きになってはいけない恋に泣けば雨降る講道館」という秘めやかな形で恋も登場します。明治の青年の青春像の一典型が「姿三四郎」なら、昭和の少年の歌は昭和40年代後半以後、特にフィンガー5の登場で大きく様変わりしたと言えるでしょう。そういう意味では、「まけるもんか」は、「負けじ魂」を描きながらも明らかに昭和後期の少年の歌になっています。

   「役者やのう!」
 いったいこの歌には、いくつのバージョンがあるのでしょう。これまでに私が見ただけでも4つのバージョンがあります。@ 2列横隊で体操のように踊るもの、A 運動会騎馬戦のバックミュージックとして流れるもの、B いろんなスポーツ衣装を着て演劇的に演じられるもの、C 流麗なダンスとして描かれているもの。ビッグマンモスファンの方の言葉によると、さらにいろんなバージョンがあるそうです。
 ところで、私が知っているこの4つの中では、BとCが違った意味で優れていると思います。Bは、強さのランクをテーマに、オートン、パセリ、ヤセヤマ、コフ、ヨースケの年長組5人が柔道の猛者になり恐そうな目つきで、他を怖がらせるという演技が楽しめます。こういうことが可能だったのは、児童劇団に所属しているメンバーが多かったためでもあります。普通の児童合唱団では歌は歌えてもこういう演技はまず不可能でしょう。また、後期のメンバーによるCは、お揃いのTシャツとジーンズの半ズボンで踊る流麗なダンスが見ものです。手足の動きが実に美しく、練習を積み重ねて創り上げてきたことが伝わってきます。しかし、ここでも演劇的な要素はあります。最後の「キスしてくれるだろう。」のところで、玉川康司(タマちゃん)がほっべを押さえながら嬉しい驚きをする動きは、なかなかのものです。「役者やのう!」という声が掛かってきそうな名演技と言えるでしょう。
 この歌にも、ソリストが配置されています。伊藤光(ピカちゃん)のハスキーなー声と飯田吉信(ピッケル)の甲高い美声は対照的ですが、そういう配置の妙味もビッグマンモスを聞く楽しみの一つと言えましょう。

   D わんぱくマーチ

   映画音楽のマーチ
 フランス映画の「わんぱく戦争」が制作されたのは1961年で、日本で公開されたのは2年後の昭和38(1963)年です。むしろ地味な白黒映画でしたが、公開当時結構話題を呼びました。原題は「ボタン戦争」。フランスの農村を舞台に隣村の少年たちどうしが戦争ごっこをして、勝った方が負けた方の少年の服のボタンをとるというものですが、当時冷戦下における対立で原水爆の発射ボタンを押す「ボタン戦争」をひっかけた風刺に満ちた題名でした。子どもの戦争はボタンを取り合う程度のものですが、大人の戦争は、ボタン一つで世界を破滅させるというメッセージがそこには忍ばせてありました。しかし、この映画を見る限り、変な理屈をつけず、むしろ無邪気な子どもの世界を素直に楽しんだ方がよいのではないかと思います。映画の冒頭には、ジョゼ・ベルグマン作曲の「わんぱくマーチ」が合奏曲として流れます。これが、なかなかしゃれたマーチで、同時期に公開された「戦場に架ける橋」の「クワイ川マーチ」や「史上最大の作戦のマーチ」「大脱走のマーチ」の勇壮な曲想とは、かなり違った明るい雰囲気のもので、この曲がかかるだけで楽しい雰囲気にさせてくれます。このマーチは、はつらつとしていながらも、敵愾心を感じることはなく、むしろ同じフランスの「だれかが口笛吹いた」と似た洒落たセンスを感じさせます。
 NHK「みんなの歌」では、この映画のヒットを受け早速その翌年、阪田寛夫の作詞でこの曲を全国放送しました。それ以来、この曲は児童合唱の名曲として今でも歌い継がれています。

   大将はお姉さんだ
 ビッグマンモスは、「元気」をコンセプトととした歌を数多く歌ってきましたから、この曲などはその持ち味が一番よく現れる歌の一つでしょう。いくつかのバージョンがありますが、代表作は、初期のメンバーによるものを挙げたいです。山崎圭一(ヤセヤマ)が手を振って大きな靴の舞台袖から出ようとすると、お姉さんが、「我こそが大将だ。」とばかりヤセヤマを後ろに引っ張って、先頭に立つという演出が、この曲の本質をよく現しています。お姉さんに続くビッグマンモスのメンバーが行進しながら階段を降り、次々と隊形変換しながら踊っていくというパターンは、ビッグマンモスの定番ですが、曲想とダンスの一体化という点では、ビッグマンモスの曲の中でも優れものの一つと言えましょう。メンバー的には特にこの時期、ハンサムになってスタイルもよくなってきた東原稔(トンバラ)が、よい振り付けを見せてくれます。

                                                             (つづく)

                                     
戻る