1 日本のソリスト
 
   ここでは、大正時代以来独唱者として、録音したものや、生演奏を聴いた少年の歌声について、時代と共に述べます。ここで採り上げるソリストは、あえてクラシック系(boy soplano)、ポップス系(boy singer)等と分類をしません。なぜなら、その両方を歌っているケースもあるからです。かつては、日本の子どもの歌には、童謡・唱歌という共通項がありましたが、今では、ほとんど分離しています。このように音楽のジャンルによる細分化が困難なため、ジャンル別にはしていません。新たな情報が入れば、加筆していきます。なお、文献等でその歌声について述べてあるものを読んでも、実際にその歌声(録音を含む)を聴いていない(聴くことができない)人物は、「ボーイ・ソプラノの歴史」に記載しています。

     1 藤山 一郎 (1911~1993)

  声楽家・歌手・指揮者として音楽の分野で初めて国民栄誉賞を受賞した藤山 一郎(本名 増永 丈夫 明治44(1911)年~平成5(1993)年は、東京府東京市日本橋区蛎殻町にモスリン問屋・近江屋の三男(5人兄弟の末っ子)として生まれました。藤山は幼少期から音楽家としての資質を育むのに適した環境の下で育ち、幼少期からピアノを習ったり、親戚の作曲家・山田源一郎(藤山の姉・恒子の夫は山田の甥)が創立した日本女子音楽学校(後の日本音楽学校)に足繁く通い、賛美歌を歌ったりしていました。大正7年春、慶應義塾幼稚舎に入学。この時期の藤山は楽譜を読みこなせるようになっており、学内外で童謡の公演に出演しました。その後、幼稚舎の音楽教師・江沢清太郎の紹介で童謡歌手となり、小学3年生のとき(大正10年 1921年)に『春の野』(江沢清太郎作曲)など5曲(『春の野』『山の祭』『はんどん』『何して遊ぼ』『はね橋』)をレコードに吹き込んだこともあります。この歌の録音は現在も残っており、「藤山一郎全集」にも収められています。ここでは、後年の明るく伸びやかな歌声の片鱗は見られますが、まだ特色のある歌声というほどにはなっていません。ただし江沢は「童謡歌手は大成しない」という考えの持ち主で、その勧めにより変声期の一時期は歌をやめ、楽典・楽譜を読みピアノ・ヴァイオリンを修練することに専念したそうです。進学した東京音楽学校で培った正統な声楽技術・歌唱法・音楽理論とハイ・バリトンの音声を武器にテナーの国民的歌手・流行歌手として活躍。とりわけ、1930年代から1940年代にかけて『酒は涙か溜息か』・『丘を越えて』・『東京ラプソディ』・『青い山脈』・『長崎の鐘』などを歌い多くがヒットしました。理論・楽典に忠実に歌い、その格調の高い歌声は「楷書の歌」と評されました。一方、本名ではクラシックの声楽家でもありました。藤山一郎が活躍した時代は、歌曲と歌謡曲の境目がはっきりしない時代とも言えましょう。その歌は、平成になってから、池井優の評伝「藤山一朗とその時代」と、テノールの五郎部俊朗による、「藤山一朗とその時代~歌は美しかった~」というCDで再評価されています。

      2 村山 忠義 (1917 ~ 1945)

  村山忠義は、「村山音楽三姉弟」末っ子っとして、小学1年生の時に、ワシ印の旧吹き込み時代から歌声を録音しています。私が聴いたのは、『子供の大工』と『時計屋の時計』ですが、1928年 10歳頃の歌声と考えられます。まっすぐに声を張る歌い方は、当時の童謡歌唱に求められるものがそのようなものであったと考えられます。また、ピアノ伴奏は姉のダン道子=ジェームス・ダン夫人=村山道子です。その他『すかんぽの咲く頃』等も録音しています。第2次世界大戦では中国に出征しましたが、当時を知る人が述べたエピソードでは、「日本の子どもの歌」を中国の子ども達に教えていたそうですが、終戦の年に戦死しています。

   3 金子 一雄 (1918~2012)

 日本のボーイ・ソプラノの草分けといえば、何よりも金子一雄(大正7(1918)年~平成24(2012)年)の名を挙げるべきでしょう。
 山田耕筰が「この子は天才だ、僕が伴奏しよう。」と言って、「赤とんぼ」を録音したのは、昭和6年金子少年小学5年生のときです。これが、日本最初の「赤とんぼ」の録音であり、その後変声中も音域に合わせて録音し、昭和10年の変声後の「蘭の花」まで山田耕筰の作品を録音しています。よほど、気に入られた幸運な少年だったのでしょう。その後東京音楽学校に入学し、卒業後は兵役につき、戦後は埼玉県で高校の音楽教師をしました。という解説を先に読むと期待が膨らみますが、歌としてはよく歌えているものの、発声はかなり胸声で喉をしめたように聞こえます。当時はきっと完全な頭声発声などなかったのでしょう。同時期のウィーン少年合唱団の録音の復刻CDを聴くと、今とほぼ同じ発声であるのと比べると、日本のボーイ・ソプラノのレベルも70年の間にずいぶん向上したと思えます。それでも、日本の音楽史上金子一雄の録音は貴重なものです。中1の録音の「春が来た」「紫雲英田」ぐらいがボーイ・ソプラノとしての頂点ではないかと考えます。

      4 石井 亀次郎 (1918~1991)

 東京出身で、少年時代の昭和の初頭に、長谷山雛菊音楽会に所属して、昭和3(1928)年、ニッポノホンより童謡歌手としてデビューしました。翌年、松竹映画「母の歌」主題歌「母の歌」(歌:佐藤千夜子)B面「母を慕う歌」を平井英子と共に吹き込んでいます。童謡歌手時代には、「春が来た」、「雀のお使い」、「ギックリカッコ」、「一茶さん」、「お祭り」などがあります。「赤い汽車」は、まっすぐな歌声で、「どんぐり」は、小節を効かせたところが面白い仕上がりになっています。
 
 童謡歌手引退後は、東洋音楽学校に入学して学びますが中退して、その後、テノールの奥田良三に師事し、ポリドールから再デビューします。石井肇及び、石井亀次郎名義で軍歌などを多く吹き込んでいます。主にポリドールレコードで活躍し、代表曲には、「健歩の歌」「少年航空兵」「愛国行進曲」「三国同盟の歌」「戦友の遺骨を抱いて」「嗚呼特別攻撃隊」などがあります。軍歌故に力強く声を張って歌っていますが、声質はハイ・バリトンです。また、戦後は、第1回日本レコード大賞童謡賞「やさしい和尚さん」(石井亀次郎とキングホウズキ会) を受賞しています。

  5 小笠原 英夫(19  ~   )

 「月の沙漠」や「お山の杉の子」などの作曲家で知られている佐々木すぐるの門下生であった小笠原英夫は、佐々木すぐるが創立した「青い鳥音楽園」の児童合唱団に所属していました。その代表作は、昭和6(1931)年4月にレコードが発売された「昭和の子供」でしょうが、この歌は、もともとは、昭和2(1927)1月に、JOAK「子供の時間」に初めて放送されたものです。歌詞には、「富士の山」「日本晴」「鷹」といった日本の美を現す言葉がちりばめられていますが、同時に「よい子」志向の歌ということもできます。それは、当時の世相や、求められていた子ども像(少国民)の反映と言うことができるでしょう。その外、カラスの鳴き声で始まる「夕日」は、ひたすらまっすぐな歌声です。「押しくらまんじゅう」は、力強い声をぴーんと張り上げる、ボーイ・ソプラノの特性が生かされた歌声です。また、「おいつちにの兵隊さん」「肉弾三勇士/日の丸の旗」の歌のレコードも吹き込んでいます。この時期の童謡歌手は戦時歌謡も歌っていることがあります。

       6 斎藤 達雄(1926~2000)

 斎藤達雄は、子どもの頃から童謡歌手として活躍して、多くの曲を世に送り出しています。「兵隊さんの汽車」(戦後は、軍事を描いた多くの童謡が改作されたように「きしゃぽっぽ」に改作)は1937年録音ですから11歳の時の歌唱でしょうか。明るい声質の軽快なリズムに乗った出征兵士を送る歌になっています。「兵隊さん御苦労さん」「をじさんありがとう」も、同様に兵隊さんを讃え、慰労する歌ですが、健気さを感じる歌になっています。「カチカチ山音頭」は、民謡で、まさに盆踊りの雰囲気です。その後、中山悌一の門下生として研鑚を積み、東京音楽学校卒業後、藤原歌劇団の幹部として活躍し、同歌劇団のアメリカ巡業等にも参加しています。声質はバリトンで、『リゴレット』を得意としましたが、立川澄人、友竹正則とともに「ブッファ三羽烏」と呼ばれたこともあり、脇役での演技力もあったそうです。また、ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』日本初演でベックメッサーを演じ、来日していたフンパーディンクを驚嘆させた話は有名です。日本歌曲も得意としましたが、ガーシュインの歌劇『ポーギーとベス』の放送初演も行っています。東京学芸大講師を勤め、常葉女子短大音楽部(現常葉学園短期大学)の創設にかかわり、晩年は学長を務めました。なお、息子はピアニストの斎藤雅広です。

      7 佐々木 行綱(1926?~2017)

  作曲家佐々木すぐる(1892~1966)の三男として生を受けた佐々木行綱は、ボーイ・ソプラノの童謡歌手として活躍しました。「四っつの兄ちゃん」「犬と小僧さん」「兵隊あそび」等の歌唱を残しています。歌い方は、多くの童謡歌手に見られる胸声ですが、「四っつの兄ちゃん」は、4歳という年齢設定に合わせた幼さが残る歌い方が印象的です。「犬と小僧さん」も、やや幼い歌い方ですが、酒屋の丁稚小僧さんと犬のかかわりを真剣かつユーモラスに描いています。この時代の犬の多くがペットというよりも、番犬で怖かったことが伺えます。
 柴田睦陸夫妻門下生であったことから、二期会に所属し、戦後の代表的なバス歌手として、全国的に活躍しました。1953年には、ショスタコーヴィッチのオラトリオ『森の歌』1959年には、オネゲルの劇的オラトリオ『火刑台上のジャンヌ・ダルク』の日本初演や、『魔笛』『夕鶴』等に出演しています。また山形大学でも長年にわたり後進の指導に努めました。音楽評論家としても著名で、「レコード芸術編 名曲名盤300~ベストCDはこれだ」共著(音楽之友社1988、1994、95年)「クラシックCDエッセンシャル・ガイド150」共著(学習研究社 2002年 )を著しています。また、日本声楽発声学会の役員として、この分野に貢献しました。

      8 昭和初年の童謡歌手たち

 昭和初年に活躍した童謡歌手には、前述した斎藤達雄や佐々木行綱のように、戦後も声楽界で活躍した人もいますが、小坂勝也、山崎一郎、望月誠、矢田稔などのように、童謡歌手として名が残っている人もいます。調べてみた現時点では、生年やその後については不明ですが、多くの録音を残しています。昭和初年の戦場が中国大陸であったころの戦時童謡と普通の童謡は、同時進行で録音されていたと考えられます。この当時、唱歌の教科書に掲載されていた唱歌や童謡や戦時歌謡がどのようなものであったかを考えると、映画『少年時代』で描かれた戦争末期で学童疎開をしなければならなかった頃とは、また違った歌が歌われているのではないかと思います。
 小坂勝也は「小馬」「日本子供の歌」「お馬のけいこ」「蛙ピョンピョン」「日の丸行進曲」「広瀬中佐」等を、山崎一郎は「花咲爺さん」「僕は軍人」を、望月誠は「強い兵隊」「足なみ揃えて」「軍艦旗」「軍馬の歌」「たのしいお正月」、矢田稔は「三国旗掲げて」「兵隊さんのドタ靴」「興亜の鐘」をそれぞれレコーディングしています。特に、戦時童謡においては、声を張って力強く歌っているのが共通した特色です。
 ところが、戦時中から戦後にかけて活躍した加賀美一郎になると、その歌は戦時中と戦後では大きく変化しています。戦時中の「お山の杉の子」「お國のために」と戦後の「赤ちゃんのお耳」「大きな輪」「ゆふべの夢」では、年齢的に成長したというだけでなく、全く違う歌い方で歌っています。とりわけ、「ゆふべの夢」は、童謡というよりも歌曲と言った方がよいでしょう。

      9 三橋 美智也(1930~1996)

 三橋美智也(本名 北沢 美智也)は、北海道上磯郡上磯町峨朗(現・北斗市)生まれ、函館市育ちの演歌歌手ですが、4歳の誕生日前日に落盤事故で、父親を失いました。民謡歌手であった母親サツは、三橋の将来を思って民謡を指導し、5歳の頃から舞台を踏みます。また、小学校の入学と同時に叔父から追分を習い、9歳の時に全道民謡コンクールで優勝。そのことに応えるかのように、三橋は、北海道の民謡コンテストに優勝、10歳でコロンビアレコードで。「江差追分」を吹き込みます。添えがけは母親のサツさんです。このレコードは現在も残っており、その歌声を聴くことができますが、特に伸びやかな高音の節回しに将来の片鱗を感じます。
 三橋は、その後、民謡で鍛えた伸びやかな高音と絶妙のこぶし回しを持ち味にして、昭和30年代の日本の歌謡界黄金期をリードし、数多くのミリオンセラーを連発し、昭和歌謡界を代表する男性歌手の一人です。「リンゴ村から」「哀愁列車」「夕焼けとんび」「古城」「達者でナ」「星屑の町」といった大ヒット曲と共に、各地の民謡をレコーディングし、また、ミリオンセラーになっています。また、「日本各地に残る民謡こそ日本人の歌の故郷」という想いから、自ら家元になって「民謡三橋流」を創設。門下に千昌夫・細川たかし・石川さゆりらがいます。

      10 加賀美 一郎 (1933~  )

  加賀美一郎(昭和8(1933)年~)の名を知ったのは、その活躍していた時代に少年時代を送った人の本に載っていたのですが、当時歌好きの少年にとってはあこがれの的だったようです。美輪明宏も自伝で加賀美一郎にあこがれたと述べています。記録によりますと、7歳位から歌ってるようです。紅白歌合戦の前身である紅白音楽試合に終戦直後の昭和20(1945)年12月31日出演して、「ペチカ」を歌っています。ちなみに、この頃は、クラシック系の声楽家も出演していて、バスの下八川圭祐は、「ヴォルガの舟歌」を、テナーの 藤原義江は、「出船の港」を歌っていました。翌年、加賀美一郎は古川緑波 主演の映画「僕の父さん」(東宝)にも出演しています。
 さて、 私がその歌声に接した代表曲は、第2次大戦中に録音された「お山の杉の子」と、戦後に録音された「赤ちゃんのお耳」の2曲です。真っ直ぐな美声で、特に前者は非常に真剣に歌っており、この時代の緊張感が伝わってきます。また、そのあとにニッチクから「海國男兒」「戦闘旗が揚ってる」と、「海の子」(共演、岡本美智子)の2枚のレコードを吹き込み、昭和20年3月に発売予定でしたたが、戦況が厳しくなり、発売されずに終わったとのことです。一方、後者は、童謡をやさしく歌っているという以上のものを感じることができませんでした。ところで、CDに復刻こそされていませんが、東京九段の「昭和館」(戦中・戦後のくらしをテーマにした博物館)5階にある映像・音響室では、加賀美一郎の歌を約10曲も聴くことができます。全曲独唱も多く「村のうた歌い」「ゆうべの夢」「ウレシイ日曜日」「赤づきん」「茨の実」等を聴くことができます。高音の美しさやよく伸びる声に特色があり、当時評価が高かっただけでなく、現代にも通じることがわかります。
 戦後もしばらくは活躍してましたが、東洋音楽学校(現東京音楽大学)声楽科に進学しました。昭和30年には、映画「月がとっても青いから」出演しています。その後は実業家になられたようです。
  なお、後述する岡田孝の声もよく似た系統の声です。 

   11 大貫 房司(  ~    )

 コロムビア専属童謡歌手であった大貫房司は、「桃太郎」「さるかに合戦」(金子宏子と共演)「朝ぎり」等を録音しています。歌声の特色としては、声質そのものがやさしく、高音の伸びが美しいことが挙げられます。日本昔話を主題にした童謡は、1960年代ぐらいまでは、小学校低学年の教科書にも掲載されていましたが、いつか消えてゆきました。「朝ぎり」は、山の朝霧によっていろいろなものが濡れる様子を描いた叙景詩で、大貫房司は2番を独唱しています。

     12 土屋 忠一(1936~   )

 鎌倉生まれの土屋忠一は、戦後になって活躍した童謡歌手で、昭和23(1948)年より、川田孝子などと一緒にレコードを吹き込んだものがほとんどですが、この当時の童謡は重唱ではなく1番ごとに歌っているので、共演している少女歌手と歌声を識別することは難しくありません。独唱しているものとしては、「赤い三輪車」があります。なお、「風の子」「お猿の電車」「とんびにきいた」「少年の歌」「きんぎょのダンス」「ギーバッタン」「ドレミファ先生」「大空の歌」「よしきたいい子だ」「サクランボ道中」「とんとこおどり」「少年の歌」等の曲をレコーディングしています。「風の子」や「少年の歌」にそのよさが一番よく発揮されていると思います。「少年の歌」は、特に加賀美一郎の戦時中の歌(戦後の歌ではない)とどこかつながっているように感じます。正統派の透明度の高いまっすぐな歌を歌っていて好感を持てます。

      13 小牟禮 利郎(1939~   )

 小牟禮利郎は、ひばり児童合唱団に後に声楽家となる安田祥子とほぼ同時期に所属していましたが、昭和27(1952)年コロムビア専属童謡歌手としてすばらしい歌声を聴かせてくれます。独唱としては、「牛若丸」「海はふるさと」「笛吹きおじいさん」「鍛冶屋の小父さん」「みどりの島山」があります。また、共演としては、安田祥子と共に「山の聲」、山後旬子と共に、「富士をたたえる歌 」、伴久美子と共に「ねずみとねこの子」をレコーディングしています。小牟禮利郎がコロムビア専属になって最初のレコーディングは、中田喜直の「海はふるさと」でであり、最後のレコーディングは、「金の斧」(安西愛子、根岸芳子と共演)で、中学1年生の時です。ということは、レコーディングは1~2年間の間に行われたことになります。「鍛冶屋の小父さん」は、明るい声質で金床を金槌で打つ独特のリズムに乗って歌っています。「みどりの島山」は、伸びやかな歌声で、この歌に求められているものを満たしています。

      14 内田 勝也(193 ~   ) 植本 一夫(193 ~  )

  内田勝也と植本一夫は、ビクターから出たレコード「母がゐる海」を一番ずつ交互に歌っています。この曲は映画『蜂の巣の子供たち』(1948)の主題歌の一つで、戦後間もない頃の清水宏監督の映画作品ですが、孤児を描いた作品で、母親を慕う子どものせっせつとした歌と、その歌唱力の高さに驚きます。なお、昭和20~30年代はいわゆる「母物」の映画が多く作られた時代でもあります。また、内田勝也はビクターの「あの音なあに」で坂田真理子と歌っています。これも戦後間もない頃のレコードで「きれいになった焼け跡の」という詩が含まれています。そのことから、おそらく二人とも1930年代半ばごろの生まれではないかと思いますが、詳細は不明です。

     15 土屋 道典(1941~    )

   ひばり児童合唱団所属の土屋道典は、昭和27(1952)年、小牟禮利郎と同時期にコロムビア専属童謡歌手となりました。土屋道典、小牟禮利郎の二人が歌う「おいでよピーターパン」は、慶応大の学生であった頃の冨田勲を迎えたときの作曲で、オーケストレーションも見事です。時代を先取りした新しい感覚の曲で、同時期に作られた童謡と一線を画しています。当時冨田勲はひばり児童合唱団でピアノ伴奏を担当していました。ここでは、土屋道典(1番、4番)小牟禮利郎(3番)がソロをとっていますが、いずれも似通った歌声ですばらしい発声です。また、後年由紀さおりとして活躍する(安田章子)等と共に、ひばりオペレッタ「みにくいあひるの子」などにも出演しています。また、子供おぺれった「ヘンゼルとグレーテル」(第2回公演)於 読売ホール。皇太子立太子礼子供大会(於 上野動物園内)にも出演し、「皇太子さま」を歌っています。「昭和の子供」「日本の子供の歌」(安田祥子と共演)「ポコちゃんの車掌さん」「こいのぼり」(安田祥子と共演)「汽車ポッポ」をレコーディングしています。
  令和になってすぐ、SPレコードの収集家の方より、土屋道典のレコードを聴かせていただく機会を得ました。昭和20~30年代前半の童謡歌唱は、「かわいらしく」が基調であったと思いますし、土屋道典の歌唱もその系譜の中にありますが、15曲を継続して聴いていると、少年歌手の成長のようなものも聴くことができます。土屋道典がレコーディングしたのは、11歳からの2年間でしょうが、レコード番号と発売月(昭和28年6月発売から29年12月発売)は記録されていても、録音年月日が記入されていないのが、記録的に惜しまれます。 なお、歌唱は、後になるにつれて、確実に声が艶やかで伸びやかになっています。文部省唱歌の「こいのぼり」冨田勲の「おいでよピーターパン」とは、曲の傾向は違いますが、それぞれの特色を生かした代表的な歌唱と言えるでしょう。また、音楽童話劇「みにくいあひるの子」では、童謡とは違って、伸びやかで弾んだような劇的な歌唱を聴かせてくれます。
   なお、土屋道典は、土屋忠一の弟ではないかという説が長年にわたってありましたが、 同時期に在団したひばり児童合唱団の卒団生の話によると、土屋道典は神奈川県山北出身の三人兄弟の長男で、次男の弟とひばり児童合唱団に入っていたそうですから、土屋姓は同じであっても兄弟ではありません。

       16 大場 博之(194  ~    )

  童謡歌手として、「ももたろう」「可愛い魚屋さん」(羽崎共子と共演)「おもちゃもマーチ」(滝口裕子と共演)「クレヨンのおうち」「走れ赤いそり」等をレコーディングしています。「ももたろう」は、物語歌の特色を生かして可愛さと元気さを表現しています。「可愛い魚屋さん」は、羽崎共子と1番ずつ歌っていますが、共演した羽崎共子は、後年声楽の道に進みますが、昭和18(1943)年生まれであることから、同世代であり、1950年台前半に活躍したと考えられます。レコードに添付された歌詞カードに掲載されている写真を見ると、この当時としてはたいへんおしゃれな髪形をしています。なお、「かわいい魚屋さん」は、1947年~1960年にコロムビアでは「小西悦代・井上喜美子」、「羽崎共子・大場博之」、「羽崎共子・小宮山幸子・根岸芳子」と3回吹き込まれ、その期間のコロムビアでのレコード売上は延べ50万枚近くに達しています。 歌詞の内容とリズミカルな旋律のため、近年でもスーパーマーケットの魚売り場や魚屋の訪問販売自動車で流されていることがあります。

       17 石井 孝侑(194 ~   ) 押尾 高晴(194 ~  ) 足立征彦(194 ~  )

 石井孝侑、押尾高晴、足立征彦は、マーキュリーから発売された「物臭太郎」という日本昔話の童謡を3人で1番ずつ歌っています。それぞれ可愛く元気よく歌い上げていますが、この歌では、あまり一人ずつの個性は感じられません。同じ三人組の「くつやの小人」は、もともとフランスのJ.レヴェルが作曲したシャンソンの「小さな靴屋さん」をアレンジしたくつを叩く軽快な前奏に続き、甲高いボーイ・ソプラノでくつやのおじいさんと小人の対話が楽しそうに交されます。。なお、押尾高晴は、「動物村のおすもう」という童謡や「きよしこの夜」をレコーディングしているという記録があります。また、足立征彦は、武下亜登子と共に「浮かれ蛸八」「みんなのサンタさん」という童謡をレコーディングしているという記録がありますが、「浮かれ蛸八」では、明るくかわいい声でユーモラスに歌っています。このレコードは、昭和30(1955)年ごろの発売ということですから、3人は1940年代の生まれと考えられます。

       18 河野 ヨシユキ (1943~  )

   河野ヨシユキ(昭和18(1943)年~)は、横浜生まれで、紅白歌合戦に2回連続出場した少年歌手です。この記録は半世紀以上破られていない大記録でしたが、平成19(2007)年の紅白歌合戦で9歳の大橋のぞみによって更新され、平成21(2009)年には、8歳の加藤清史郎によって破られましたが、純然たるボーイ・ソプラノとしての記録としては今でも燦然と輝くものです。
 当時の日本は、童謡の黄金期でしたが、河野ヨシユキが紅白で歌った「キツツキの赤いトランク」や「街のヨーデル唄い」は、これまでの童謡というジャンルにくくられる歌よりもむしろヨーデルをアレンジした歌謡曲ではないかと思います。紅白歌合戦で歌った歌は、昭和29(1954)年が「キツツキの赤いトランク」、翌年が「街のヨーデル唄い」という記録が残っていますが、どちらもヨーデルを採り入れた歌で、歌声は、当時流行のわざと可愛らしさを強調したいわゆる「童謡声」ではなく、基調になる歌声はアルトに近い落ち着いた歌声で洋楽の要素をもった歌謡調の歌唱とファルセットを駆使したヨーデル歌唱を組み合わせた歌で、聞かせてくれる歌に仕上がっています。一方、この歌唱法は、声帯に負担をかけるのではないかとも感じます。当時は、ラジオ放送ですから、初出場したとき歌唱曲「キツツキの赤いトランク」の曲間では白組司会をしていた高橋圭三アナウンサーが「立派な男性です。念のため。」と解説したそうです。また、ラジオの録音を復刻したものが、21世紀になって放送されたそうですが、中でも「街のヨーデル唄い」を聴いた人の話によると、貧しい録音ながら、すばらしいボーイ・ソプラノだったそうです。なお、この2回は、川田孝子が紅組に出場しています。昭和30(1955)年5月8日公開の当時としては珍しい日活としては初めてのカラー映画『緑はるかに』の主題歌 「緑はるかに」 は、オーディションで選ばれた「浅丘ルリ子」がデビューした作品で、平成26(2014)年にDVD化されましたが、この映画で:河野ヨシユキは、安田祥子と共に主題歌を歌っています。映画ではこの歌はユニゾンで歌われ、むしろ二人の持ち味や男女差をあまり感じない歌唱でしたが、独唱した「緑はるかに」は、安田祥子の歌声とは違って、童謡とはまた違った独自の歌唱を聴くことができます。一方、それから2~3年後の昭和32(1957)年、13歳の時に歌った「赤銅鈴之助」のソロを歌ったCDを入手しましたが、これは変声期に入ってからの録音で、若々しい美声ですが、この時点ではまだ特徴的な歌声にはなっていません。その後、ツイストが大流行した昭和37(1962)年に「ツイスト天国」を、また、「君こそすべて」「スージーベビー」をレコード化しています。これらは、ボーイ・ソプラノの歌とは言えず、当時のアメリカの流行歌の影響を受けた変声後の青年の歌声として評価すべきでしょう。
 現在ではジャズシンガーとして活躍されています。なお、平成24(2012)年6月24日放映の「NHK歌謡コンサート」(NHK総合。於:NHKホール)に出演し、『赤胴鈴之助の歌』を歌唱しましたが、55年の時を越えての歌唱に、「恥ずかしいなぁ」と語っていたそうです。

      19 宮下 匡司(194 ~   )

   宮下匡司は、昭和30年代にラジオ番組の主題歌で活躍したソリストです。明智小五郎と少年探偵団が活躍するラジオ放送「少年探偵団」は昭和31(1956)年4月から32年12月放送されましたが、主題歌を歌っています。この番組は、その後、テレビ化されて、子どもたちに大人気となりました。ソロの部分でピーンと声を張ったこれら正義の味方の歌は、当時の子どもの心をつかんだ歌と考えられます。また、河野ヨシユキと組んで、「赤胴鈴之助の歌」 昭和33(1958年)をレコードに吹き込んでいますが、河野ヨシユキについては、変声期に入ってからの歌と考えられますが、宮下匡司はボーイ・ソプラノの声を張って歌っています。

     20 三宅 広一 (1944~  )

 昭和30年代前半天才少年歌手としてその歌声をレコード化した少年歌手に三宅広一がいます。昭和19(1944)年香川県仁尾町生まれの三宅広一は、昭和31年 文化放送「夢のステージ」で全国優勝後、船村徹 第一期門下生となり、翌年日本コロムビアレコードより「鐘つき小僧」でデビューしました。昭和33年に二作目『逢いに来ましたお父さん』を発表したほか14曲を発表。その後も船村徹に師事し、昭和62年 船村徹音楽事務所 岡山支社設立。現在も作曲家・歌手をしながら、香田晋などの後進を育成しています。少年時代の歌声は、ネットでも『逢いに来ましたお父さん』を聴くことができますが、典型的な演歌の歌唱で、戦争で父を亡くした少年が父の祀られている靖国神社を訪ねる歌です。島倉千代子の「東京だよおっ母さん」と似たものをそこに感じることができます。

     21 小畑 やすし (1945~2010)

 小畑やすし(昭和20(1945)年~平成22(2010)年)は、昭和30年前後、映画「サザエさん」「たん子たん吉珍道中」「少年探偵団」などの作品で可愛いというより美しい子役スターとして人気を博しました。出演した映画作品は30本を超えるそうです。また、少年雑誌の表紙を飾ったこともあります。昭和30(1955)年に公開された 映画「赤いカンナの花咲けば」では、共演した松島トモコと共に主題歌も録音しています。9歳頃の録音と考えられますが、これは、一言でいえば、コテコテの甘ったるい童謡歌唱です。しかし、このような歌唱法は、当時の童謡歌手に求められたものであり、指導者の指示通りに忠実に歌ったという感じがします。ところが、12歳頃に録音した「山彦船頭さん」では、演歌的な歌い回しもしており、歌声も子供らしさだけでないものを感じます。
 なお、小畑やすしは、中学進学後芸能界を引退。社会人としては、商社マンとして活躍されていましたが、退職後は、世田谷区の男声合唱団「メンネルコールけやき」に所属して歌っていました

      22 北野 修治(1945~   )

 北野修治は、童謡歌手の系列に入るでしょう。「カモメの船長さん」「ふしぎなポケット」「少年猿飛佐助」などの歌を聴くと、典型的な可愛い声の少年歌手と言えます。また、ステージマナーも茶目っ気たっぷりであったと言います。歌声喫茶のリーダーを経て、現在も音楽関係の仕事をしているそうです。

   23  岡田  孝 (1948~    )

 岡田孝(昭和23(1948)年~)は、童謡歌手から声楽家になった貴重な存在です。兵庫県西宮市の出身で、父親の転勤の都合で小学校時代を東京で過ごします。上京したのは歌のレッスンのためでもあったという音楽少年は、9歳から日本コロムビアと専属契約を結び数多くのレコーディングを行っています。低音から高音までムラのない綺麗なボーイ・ソプラノで、丁寧な日本語の発音は見事です。
 ボーイ・ソプラノ時代の岡田孝の歌を聴くことのできるCDは、復刻「懐かしの童謡歌手達3」で、「鈴を振るような」というたとえのような歌声です。やや線は細いけれども、可愛い清純な歌声で好感がもてます。「角兵衛獅子」などとくに哀愁を感じるよいできばえですが、「木登り小僧」や「お山の大将」はややきれいすぎて、もっとやんちゃなところがあってもいいかなとも思えます。録音時から推定して小学校6年生、12歳ぐらいでしょうか。年齢より幼く聞こえます。これは、当時(昭和30年代)の童謡歌唱が何よりも可愛らしさを求めていたこととも関係がありそうです。また、当時の子どもは、今よりも晩熟ですから、(変声の平均年齢は13~14歳頃と推定されます)そのようなことも関係しているかもしれません。いずれにせよ、この時点では、まだヨーロッパ的な響きではありません。
 やがて変声後は再び関西へ帰り、最初はテノールとして出発し、オペラにも出演しましたが、(プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」のパルピニョール役 この舞台を私は見ています)やがてカウンター・テノールに転向し、アルフレッド・デラーの指導を受けました。その後、日本だけでなくドイツ各地でも演奏活動を行い、LPを昭和53(1978)年に、CDを平成5(1994)年に出しており、いずれも高い評価を受けています。最近は、カウンター・テノールの分野も人材が増え、米良美一・藤木大地等が脚光を浴びていますが、岡田孝もお忘れなくと言いたいです。また、岡田孝は、いくつかの大学で教鞭をとるとともに、著したバロック時代の声楽に関する数多くの論文は、この分野における貴重な文献として評価されています。

   24 ラジオ・テレビの主題歌を歌う少年たち

 昭和30年代の子ども向きラジオ・テレビの主題歌は、少年合唱や、独唱の宝庫でした。「少年探偵団」「アラーの使者」から実写版とアニメの「鉄腕アトム」までのいくつもの番組とその主題歌を即座に思い出すことができます。そして、それらを歌っていた上高田少年合唱団という名前も浮かんできます。これらの歌は、まさに主題曲であり、元気よさと凛々しさがそのすべてでした。最近、これらの歌が「おじさん世代の子守歌」「懐かしのテレビ・ラジオ主題歌」などのCDに復刻されて発売されたので、改めて聴く機会を得ましたが、少年時代に聞いた声が、まだ耳の底に残っていました。最近「東京今昔探偵」という本が発行されて、そこに、上高田少年合唱団のことが詳しく載っています。
 この合唱団の母体は、中野区立上高田小学校の合唱部ですが、誕生した昭和23年当時は女子がほとんどであったそうです。2年後の昭和25年になって少年合唱団にして各種コンクールに出場したところ、次々と入賞し、昭和28、29年には「全日本学生音楽コンクール」合唱の部と「NHK全国唱歌ラジオコンクール」で全国一に輝きました。また、この合唱団から選抜された児童は、コロムビア少年合唱隊としてレコーディングしています。
 上高田少年合唱団は指導者の奥田政夫先生が練馬区立開進第四小学校(3年間)、さらにその後昭和50年まで板橋区立中根橋小学校に異動後もこの名前で活躍しましたが、その間多くの録音を残しています。ですから、1960年代の上高田少年合唱団の団員は上高田小学校の児童ではないのです。また、この合唱団の出身者には「水戸黄門」のうっかり八兵衛役でおなじみの高橋元太郎もいます。(高橋元太郎は上高田小学校出身)従って、上高田少年合唱団が、解散したのは、奥田先生が退職した昭和50年です。

   25 岩瀬 寛

 上高田合唱団のソリストとして名前がよく出てくるのは、岩瀬寛で、「赤胴鈴之助」や「まぼろし探偵」の主題歌を歌っています。やや硬質の声をピーンと張って歌うその歌いぶりは、元気で、凛々しい正義の少年を象徴するようなものですが、そこからは聖歌的な美や抒情性を感じることはありません。しかし、その歌唱は童謡的な歌い方とは一線を画するものです。これも、日本的なボーイ・ソプラノの典型といえましょう。

     26  高野 政次

 山城真吾が主演した「白馬童子」の主題歌でソロをとった高野政次は、西六郷少年合唱団出身ですが、これは日本の少年だからこそ歌えるというまっすぐな歌です。しかし、そこにはそこはかとない抒情味があって、ただ一本調子の歌でない歌唱力を感じます。なお、高野政次は、成人してからクラブ歌手として活躍していた時期もあったそうです。

     27 藤沼一美(千美)(かずみ)  (1950~  )

 藤沼一美を一躍有名にしたのはテレビドラマ「少年ジェット」の主題歌を歌ったことでしょう。昭和25(1950)年 東京生まれで、昭和34年 童謡歌手としてビクターからデビューし、「雨乞いわらしんべ」「川」で文部大臣賞受賞しました。鈴を振ったような声というのがふさわしいその可憐な歌声は、当時の童謡歌唱の特徴でもありますが、一度耳にすると忘れられない強い印象を持ちます。変声後の昭和40年歌手として再デビューし、さらには作曲も行い、現在は、独自の発声法によるボイストレーニングの指導者として活躍しています。

      28 庄司 淳(195?~     )

 庄司淳は、小学校3年生くらいから童謡歌手として「こいのぼり」や「こおろぎ」等のレコーディングをしています。その歌は、正統派の抒情的なボーイ・ソプラノで、これらの童謡を丁寧に歌っています。また、「大人とこども」という外国曲のカバーでは、パジャマ着て子供役でペギー葉山とも共演しています。このEPのB面は、有名な「ドレミの歌」です。変声後青年期は、NHKテレビの歌番組「ステージ101」にレギュラー出演、また「歌のお兄さん」として活躍し、現在は、シャンソン・カンツォーネ歌手としてシャンソンの祭典「パリ祭」に毎年出演などステージでも活動をする傍ら、数々のカルチャースクールの人気講師としても活躍しています。     

      29 永田 英二 (1955~  )

 永田英二がジャニーズの弟分としてフォーリーブスの最初のメンバーだったことを知る人は少なくなってしまいましたが、ジャニーズ系の歌手の中では唯一ソロ歌手でデビューしたのが、この永田英二です。本名は、長田栄二。昭和30(1955)年5月29日生まれで、劇団若草での子役を経て、父親がジャニーズ事務所でダンスの講師をしていた関係から1966年に入所ジャニーズ事務所に入所。「永田英二」の芸名を与えられ、昭和42(1967)年4月1日にフォーリーブスの結成に参加するも、当時まだ小学生で年齢が低すぎるという理由で、半年ほどでメンバーから外されてしまします。以前古レコード屋でデビュー盤の「あこがれ」と第2弾の「恋をあげよう」を手に入れましたが、この頃は元祖ジャニーズ系の容貌と変声期直前の少年らしい歌声でなかなか聞かせてくれます。なお、この当時(1970年頃)は、ジャニーズも、変声前の少年をソロ歌手としてデビューさせていたようです。永田英二のLPで演奏された曲(オリジナル曲とカヴァー曲)から推測すると、この時代は、それより約10数年前にヒットしたロカビリー音楽とのつながりがあった時代ということがわかります。その後も、何枚かのEPを録音したようですが、その中では、「昨夜の出来事」が最も持ち味を生かしています。しかし、「愛は何処へゆく」「美しい夢」など、歌詞がイマイチな上、変声期と重なってあまり魅力を感じない歌になっています。その後、名前を八田英二と変えて大人の歌手として再出発しましたが、残念ながらデビュー時の輝きは取り戻せなかったようです。しかし、その後は、音楽プロデューサー、作曲家に転身して多くの肩書をもち、大活躍しています。

       30 野口 五郎 (1956~     )

 1970年代アイドル歌手 新御三家の一人として人気を集め、その後もミュージカル歌手や俳優として活躍している野口 五郎(本名 佐藤 靖 昭和31(1956)年~ )は、美濃市出身で幼時より歌い始め、10歳の時には、フジテレビの人気番組「ちびっこのどじまん」で荒木一郎の『今夜は踊ろう』を歌い、優勝しました。また、中部日本放送の「どんぐり音楽会」に出演し、ザ・ワイルド・ワンズの『青空のある限り』を歌い1位になり、この録音は今でも残っています。明るい声質のボーイソプラノで歌いあげる歌唱は、アイドル時代にも歌そのもので勝負するというスタンスにつながっており、歌唱力に自信を持っていたことの証でもあります。それは、後年、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のマリウス役でも一時代を画したことにつながっています。少年時代の歌唱映像も残っています。

       31 黒沢 浩(ウイリアム・浩 1960~    )

 黒沢浩(くろさわ ひろし)の本名、William Hiroshi Koff、ウィリアム・浩・カフ(1960~ )は、主に1970年代に活躍した元子役・歌手で、5~6年の間にわたってレコードも録音・発売しています。アメリカ人の父と日本人の母の間に東京で生まれ、「ウィリアム 浩」名義で子供服や雑誌『週刊セブンティーン』でのモデルをしながら、昭和48(1973)年に歌手デビューしました。この当時は、実妹で元子役のキャロライン洋子の方がテレビ出演も多く、人気者でしたが、昭和50(1975)年に特撮ドラマ「少年探偵団 BD7」に、団長の小林芳雄役で出演したことから、人気が沸きました。また、この番組も、土曜日の夕方の放映としては異例の20%の視聴率を獲得しました。さて、黒沢は、当時日本の学齢で言えば中学3年生で、身長160㎝以上あって、他の団員より頭一つぐらい身長が高くてスタイルがよいのに、変声期前の甲高いボーイ・ソプラノで叫ぶというギャップがかえって魅力的でした。芝居としては初体験であったので、うまみには欠けても全力投球だったと言えましょう。歌に関しては、ウイリアム・ 浩名義で歌った「不思議な女の子」は、ハイトーンのやや甘ったるい声で歌っていますが、あまりインパクトは感じません。一方、番組終了後、そのときの芸名 黒沢浩名義で歌った「光る海」では、アイドル系の歌手として再登場し、その後変声期に入りますが、レコードを1年余りの間に5枚出しています。また、ヤングアイドルとして、「レッツゴー・ヤング」にも出演しています。芸能界引退後は、学業に専念し、卒業後は、日本テレビを経て、番組制作会社や広告代理店の役員などを務めて、日本で活躍しています。

      32 坂本 秀明(1961?~  )

 ボーイ・ソプラノのソロのLPレコード・CDを出した忘れることのできない少年に坂本秀明がいます。坂本秀明は、声楽家・坂本博士(バリトン)の長男で、サカモト児童合唱団の中でで童謡を歌っているうちに注目されるようになりました。NHK「みんなのうた」では「マヌエロ」などを歌っていますが、可愛い声といやみのない歌い方で好感が持てました。「懐かしのテレビ・ラジオ主題歌全曲集Ⅱ」のCDでは「ホームラン教室」の主題歌を歌っています。これも、とっても可愛い歌声で、歌そのものでは創唱者の小柳徹を超えています。昭和47(1972)年ごろ日本でも流行ったニール・リードの「ママに捧げる歌」の日本語版をレコード化まししたが、これはLPにも収録されています。この曲のレコーディングについては、父の坂本博士が、その著書「見はてぬ夢」で逸話を述べています。
・・・この曲は、なかなか難しい曲で、レコード会社では歌い手を捜すのに苦労していたが、息子に、と話があった時、私ははじめ反対だった。変声期前の大事な時、無理な声を出すのはよくないし、ヒット曲だっただけに、小さい頃から騒がれるようなことになると、ロクなことはないと思ったのだった。しかし、曲も詩も素晴らしかったことと、レコード会社の熱意にほだされて踏み切った。最初は、高音を出すための特訓からはじめた。発声の基礎はできていたので、腹筋を鍛えたり、両手を大きく広げて声を出させたりした。無事レコーディングが終わって、それがひとつのきっかけとなって、息子は自信が持てるようになってきたらしい。・・・
 LPは中学1年生当時(おそらくボーイ・ソプラノとして最高の時期)のものですが、童謡からジュニアソングまで16曲を集めています。ただ、16曲を続けて聞くと、同じ色調に聞こえてしまうときもあります。その中で特に心に残る歌は「ママに捧げる歌」「父さんとの約束」「白銀は招くよ」「マルセリーノの歌」などが伸びやかな声でよくできています。とりわけ「ママに捧げる歌」には祈り心がせっせつと感じられ代表曲と呼んでもよいでしょう。「父さんとの約束」も、歌詞に共感して歌っており心に迫る歌です。また、同じ頃、一家総出で、オレンジ色の服を着て、HI-CというオレンジジュースのCMにも出ていました。また、歌劇「カルメン」「フィガロの結婚」「ヘンゼルとグレーテル」やミュージカル「鹿吠えは谷にこだまする」などにも子役として活躍、少年時代から声楽家・舞台人としての基礎を築いていきました。
 変声後は、東京芸術大学声楽科に進学し、岡崎實俊、原田茂生氏に師事。さらに昭和59(1984) 年より7年間ウィーンに留学。ウィーン国立大学オペラ科、ウィーンコンセルヴァトリユウム声楽科卒業。1991年ディプロマ獲得。オペラ.オペレッタ、ドイツリートの研鏡を積み、平成3(1991)年、日本オペレッタ協会「白馬亭にて」で日本デビュー。平成7(1994)年「ジローオペラ新入賞」受賞。文部科学省主催の「シューベルトの青春」は全国で170回以上上演、シューベルト役を演じ好評を博すなど、わが国音楽界を代表するバリトン歌手・声楽家として国際的に活動中。また、サカモト・ミュージック・スクール副校長。 都立総合芸術高校講師。ロータリーフェローシップ合唱団、世田谷区民合唱団の指導、指揮者としても活躍。なお、その舞台に接した方から、歌声もさることながら、お茶目な役柄での演技力は、とても魅力的という評を聞いています。

       33 フィンガー5と玉元 晃(1961~  )

 「フィンガー5」については、その長兄玉元一夫の闘病をめぐる兄弟(妹)愛や、そのデビューから終末までの姿が平成10(1998)年「驚き・ももの木・20世紀」で取り上げられました。また、平成13(2001)年夏の参議院議員選挙(比例区)に玉元一夫が立候補したことなども話題を呼びました。このグループの人気のピークは昭和49~50(1974~75)年ごろ。沖縄出身のこの五人の兄弟(妹)グループは、まだ沖縄がアメリカの占領下のこの頃、父 松市が経営するAサインバーのジュークボックスからいつも洋楽が流れる環境の中で育ちました。そしてその音楽に刺激を受けた兄弟3人(一夫、光男、正男)で小学生バンド『オールブラザーズ』を結成し、沖縄で音楽活動していました。オールブラザーズが沖縄テレビ『歌謡ワンダフル・ショー』エレキコンテストに出場して優勝。そして、東京へ行きたいと父に頼む子ども達の熱意に、ついに父は東京行きを決心します。上京後、長男のもとで幼い四男の晃、長女の妙子を加え猛特訓。そして4年間、米軍キャンプめぐりをしてステージを経験していましたが、昭和45(1970)年、「ベイビーブラザーズ」という名でデビューし、3枚のシングルレコードを出しましたが、あまり売れず低迷して、帰郷も検討していました。
  ところが、レコーディングディレクターの岸義測が彼らの才能に目をつけ、当時アメリカで流行していた「ジャクソン5」にあやかって、「フィンガー5」と命名し、バンド形式だけでなくダンスを入れたほうがいいと半年かけてレッスンし、それで阿久悠たちを前に披露したところ気に入ってもらえました。ようやく決まったNHKの番組に出たら、電話がパンクするぐらい反響があり、NHKラジオの番組のリハーサルで布施明がかけていた大きなサングラスがカッコよく見えて、本番でかけたところ、プロデューサーが気に入って、晃のトレードマークになり、ボーイ・ソプラノの玉元晃をボーカルにして「個人授業」をリリースすることになりました。ところが、これが大ヒット。「恋のダイヤル6700」「学園天国」次々とミリオンセラーのヒットを生み出しました。当時は、小学生なのに深夜まで働くのも日常茶飯事。通っていた小学校の先生が理解があって、先生公認で授業中は寝ていたそうです。雑誌の取材なんかを入れると、1日に30本ぐらい仕事をこなす日もあったそうで、その多忙ぶりは、当時の国会で問題視され、児童福祉法が厳しくなったほどで、人気はあっても『紅白歌合戦』には出られなくなったそうです。玉元晃は、もともときょうだいの中でいちばん身体が弱かったこともあり、日ごろから点滴を打って活動していたし、何度も病院に運ばれたそうで、めちゃくちゃなスケジュールをこなしたそうです。しかも、人気があるということは声を酷使するということで、変声期にも重なり、グループの人気は凋落。この兄弟は親の賢明な進路指導もあって、一度は別の道に進み、現在は、晃として現在もテレビ・ラジオに出演するほか、ライブ活動などの音楽活動を続けています。
    「フィンガー5」のレコードは数多く発売され最近では45曲入りのCDも発売されています。玉元晃のソロLP『あきら ぼくの好きな歌』もあります。玉元晃の声は、ボーイ・ソプラノとしてはかなり強い声で、マイクを通しての声ということもありますが、ややきつく聞こえます。

      34 宮脇 康之(健)(1961~  )

 今でこそ、子ども番組はアニメが殆どで、子役の少年が主演するドラマは、少なくなってしまいましたたが、昭和40~50年代は少年が主演のドラマはけっこう数多くありました。NHKの「少年ドラマシリーズ」もその代表で、今新たな脚光を浴びてDVDが発売されています。さて、少年が主演したテレビドラマの代表は「ケンちゃんシリーズ」。昭和44~57(1969~1982)年まで続いた長寿番組で、初代は宮脇康之、2代目は岡浩也です。視聴率20%台の人気番組で、健全なホームドラマでした。最初は四方晴美主演の「チャコちゃん」に弟が生まれて、「チャコちゃん・ケンちゃん」になり、やがて「ケンちゃん」、「ケン兄ちゃん」になっていくのです。あたたかい家庭ですくすくと育つけんちゃんは、当時の理想の家庭像を現していました。また、ケンちゃんの父親役の牟田悌三は、理想の父親像としてPTAの講演依頼が多かったそうです。この番組はたいてい半年単位で「○○屋けんちゃん」と舞台となるお店が変わりましたが、そのたびに、主題歌を「けんちゃん」が歌っていました。
 昭和36(1961)年生まれの宮脇康之は、日本の子役史上最高と言ってもよい人気子役です。柔らかな横分けのヘアースタイルは、前で髪を切り揃える坊ちゃん刈り全盛のころ、「ケンちゃんロマネス」と呼ばれ、おしゃれなヘアースタイルでした。また、一年中半ズボンという少年服スタイルを日本中に定着させました。このように、宮脇康之はファッション分野でも児童文化に影響を与えた子役と言えます。ところが、自伝『ケンちゃんの101回信じてよかった』によると、
 ・・・ドラマの中では、宮脇康之でいることは許されなかった。ケンちゃんにならなければならず、必ず半ズボンを穿いていなければならなかった。6年生にもなったら、半ズボンがたまらなく嫌になり、やめさせてくれなければ役を下りるとプロデューサーに申し入れたら、聞き入れてくれたが、その代わりケンちゃん役からは下ろされ、たまに登場するだけの中学生のお兄さん役に回された。・・・
と、語っていますが、実際、『ケンにいちゃん』以降の作品では、主人公の「ケンちゃん」は、宮脇の演じる「ケンイチ」ではなく、岡浩也の演じる「ケンジ」であり、「ケンイチ」は「ケンにいちゃん」となり、脇役的な役回りになっています。ただし、これは、宮脇本人の言うような理由によるものではなく、「小学生をターゲットとした同番組の主人公としては宮脇が成長しすぎて、小学生の感情移入の対象としては無理な年齢になったための措置である」と、番組関係者は語っており、視聴者にとっても、ケンちゃん=半ズボン=ボーイ・ソプラノの可愛い少年というイメージがつながっていたと考えられます。
 歌のほうでは、舌っ足らずなかわいい声で必死に歌う姿は、歌唱力としてはそれなりでも、けなげに聞こえました。しかし、6年生の半ばで声変わりしてからは、主題歌を含めその歌声を聞くことはありませんでした。

        35 リトルギャング(松原秀樹 1961~ 曽我泰久 1963~)

 男性二人のデュエットと言えば、以前は狩人やKINKI KIDS、最近ではゆずやコブクロを思い出しますが、(ぴんから兄弟はデュエットとは言えないでしょう。)ボーイ・ソプラノの少年のデュエットと言えば、これまでリトルギャングがおそらく唯一でしょう。なお、二人のうち片方がボーイ・ソプラノには、最近のさくさしめじがあります。当時から、ジャニーズ系の少年グループは変声後の3~6人多ければ10人近くのグループが主でしたが、変声前の2人組は珍しいケースです。当時中2でやや落ち着きかけていた声の松原秀樹(ヒデキ昭和36(1961年・11・2生まれ 13歳 身長155cm)と、中1で甲高い声の曽我泰久(ヤッチン昭和38年(1963・1.7生まれ 12歳 身長138cm)の組み合わせでしたが、私が所持している「アイラブユー」と「幼な友だち」では、後者の方が持ち味がよく出ているように思います。
 なお、松原秀樹に対しては特別な思い出があります。彼が小学生の頃の昭和48年ごろから数年間読売テレビで「プリン&キャッシーのテレビ!テレビ!」という番組が大阪の千里セルシーで行われていました。オープニングから客との「まいど」、「おいど」の大阪弁が理解不能ならわからない下品なやり取りがあって、横山ノックの弟子の横山プリンという奇才タレントとキャッシーというハーフの女性タレントとアナウンサーの佐藤忠功が破天荒な司会をしている関西風のどぎつい番組でした。「プリン、ハゲー。キャッシー、ブス。佐藤忠功、スケベー。」で始まる視聴者参加番組の中には、「パクパクコンテスト」という突出して面白いコーナーがありました。大阪市から出場した松原秀樹は、当時流行していた山本リンダや西条秀樹のモノマネを毎週お母さんに作ってもらった自前の衣装で登場し相当な人気を博し、初代のグランドチャンピオンになりました。これは、運動的なリズム感が優れていたとも言えるでしょう。(同コーナーでは、草川祐馬、川崎麻世などが後のグランドチャンピオンに輝いています。)これがキッカケで彼はジャニーズ事務所にスカウトされ、いろいろとグループを変えながら、歌とお芝居をしていました。なお、本人は役者志望だったそうです。現在はプロのベ-シストとしてむしろ音楽を支える立場で活躍されているとのこと。ジャニーズ系の一部グループのステージソングがパクパクコンテストの延長線上にあるという噂を聴くこともありますが、松原秀樹は約40年前にそれを体現した少年であったと言えましょう。
 相棒であった東京都出身の曽我泰久は、昭和49(1974)年、音楽バラエティ番組『プラチナゴールデンショー』の中で、“君もジャニーズジュニアになろう”という募集を見た姉が応募。オーディションに合格し、小学5年生(11歳)の時にジャニーズ事務所に所属。いくつものグループを経て、ソロ活動を中心にミュージシャン、役者として舞台等で多くのミュージカル・演劇などに出演し、今も活動の幅を広げています。

      36 大  慶太(1962?~  )

  昭和48(1973)年、バラエティ番組「となりの真理ちゃん」でで天地真理と共演する子供たちの一般公募に合格しテレビ初出演。その際に芸能事務所にスカウトされて歌手デビューしました。大慶太は、交通事故で父を失いながらも素直に明るく育った当時5年生の少年でした。ボーイ・ソプラノの少年によくあるぽっちゃりした体型で、穏やかそうな雰囲気をもっていました。デビュー盤で、その生活を歌った「ママと僕の四季」は大ヒットでありませんでしたが、静かなヒットでした。歌声は明るいボーイ・ソプラノで歌い方は歌謡曲調。B面の「ふるさと」は文部省唱歌風の歌詞であるが、歌い方はやっぱり歌謡曲調。その年の第15回日本レコード大賞童謡賞を受賞しました。なお、この賞は、この年が最後となったことは、この頃、童謡が衰退してきたこととも関係するでしょう。また、「日本一のお母さん」という視聴者参加番組にもレギュラー出演し、そのエンディング・テーマも歌っていました。大慶太は、シングルレコードを合計4枚出していますが、その後のことは不明です。

   37 皆川 おさむ (1963~   )

 少年歌手のレコードの売上高からいったら、何と言っても皆川おさむの「黒ネコのタンゴ」が最高でしょう。曲想が似ていることもあって、最近大ヒット曲の「だんご3兄弟」と比較されることもあります。この人気にあやかって、皆川おさむは、少年時代の「黒ネコのタンゴ」と今の声の「だんご3兄弟」のミニディスクまで発売しました。皆川おさむは昭和38(1963)年1月22日生まれで、この歌を歌ったときは目黒区立原町小学校1年生。曲はイタリアの子どもの音楽コンテスト「ゼッキーノ・ドーロ」の人気曲です。この曲は日本でも爆発的なヒットとなり、テレビにもよく出演していました。さて、皆川おさむは伯母の皆川和子がひばり児童合唱団の指導者ということもあって幼いときから歌っていたようです。ひばり児童合唱団の創立45周年記念のCDでは、「きしゃほっぽ」を歌っています。高学年の頃、「歌はともだち」に出演したのも見たことがあります。その歌声は、一言で言うと童謡的です。可愛く元気のよい歌声という言葉が似合っています。
 皆川おさむは、今でも「あの人は今」のような番組に登場することもありますが、今では白いものが混じったひげのおじさんになっています。また、工業デザイナーとして、ネコの置物も作っているとか。近年の大ヒットを記念して作られたCDで聴く「だんご3兄弟」も、カラオケが得意な人の歌というレベルの歌唱です。少年時代に幸運によって栄光を担ってしまうと、後が苦しいのではないかということを考えさせられました。ひばり児童合唱団の創立者が伯母であることから、現在は自身が代表を務めています。 平成27(2015)年8月には、叔母の思い出を綴った著書「太陽がくれた歌声」を出版することで、当時の想い出を語っています。

       38 ナル

 「ナル」、この少年歌手の名前を知ったのは、昭和50年頃、テレビで羽仁進監督の「動物家族」というアフリカの動物たちの生態を描いたドキュメンタリー番組のオープニング曲「アフリカの空の下」を歌う甲高いボーイ・ソプラノ歌手としてでした。しかし、この少年についてはそれ以上のことは何一つ知りませんでした。
 ところが、古レコード屋を探索しているとき、ナルが歌う「朝までナタリー」「愛する人に捧げる詩」のEPを発見しました。
 ナル(本名 坂井 成)は、子役として劇団ひまわりに在団して、「ウルトラマンタロウ」などにも出演していましたが、歌が好きで子供歌謡番組に出演するうちに歌唱力を認められ、「朝までナタリー」で、レコードデビューすることになりました。レコーディング時10歳(小5)ということです。これがなかなか優れた歌唱力、というか、なかなかおませな歌唱力と言った方がいいかもしれません。A面の「朝までナタリー」は、きれいなピアノとストリングスの前奏に続いて静かな語りで始まるところまではいいのですが、そこから、急に曲想が変わり、・・・あなたはいつもスケスケで(Go!Go!)と言うふうに歌詞がやや陳腐で、最後はWou wou wou wouと、カーペンターズ風の終末。最初の部分がよかっただけに、惜しまれます。それと比べるとB面の「愛する人に捧げる詩」の方が、ナルの歌唱力を生かしているように思います。また、その歌には妖艶な魅力さえ感じます。その後入手した「雨傘作戦」「哀しみの丘」では、特にB面の「哀しみの丘」は、セリフ入りの激しい感情をぶつける歌で、山場のつくりかたもうまく、また、感情表現にも優れており、ナルの持ち味がよく出ていると思います。
 ナルの歌声は、もちろんクラシックの歌い方ではありませんが、ダニー・オズモンドのナンバーなんか似合っているように感じます。それにしても、声にあった歌を歌うことは大切だと思います。
 なお、現在は坂井成紀の芸名で、ミュージカル歌手・俳優・声優・ナレーターとして歌の世界で活躍しています。「レ・ミゼラブル」はじめ多くの舞台に登場しているようなので、ご注目ください。

      39  加瀬田 直人

 昭和46(1971)年に再録音された「ジロリンタンの歌」で、2番のソロを歌っているのが加瀬田直人です。もともと「ジロリンタンの歌」は、NHK連続放送劇の主題歌で、創唱者は安西愛子です。日本の少年らしいまっすぐな歌唱が特色です。癖のない歌唱のため、強いインパクトはありませんが、作られたものはないため非常に清潔な印象があります。他にも「カバトットのサンバ」「マグマ大使」などの主題歌や童謡の録音をしています。現在ピアニストとして群馬交響楽団関連団体で活躍しています。

      40 のどじまん出身の少年歌手

 今は少なくなってしまいましたが、かつてはテレビにのどじまん番組がたくさんありました。その中で、よいボーイ・ソプラノに出会えるチャンスが高かったのは、獅子てんや・瀬戸わんや司会で高木東六、笠置しず子、市川昭介、五十嵐喜芳らが審査員をした長寿番組の「家族そろって歌合戦」。特に審査員長の高木東六はボーイ・ソプラノが大好きだったようです。
 また、子どもののどじまん番組と言えば、何と言っても、1960年代後半の「ちびっこのどじまん」が代表的。大村昆の司会、教育評論家の阿部進(カバゴン)、作曲家の藤家虹二らが審査員で、歌(特に歌謡曲)の大好きな子ども達を魅了しました。野口五郎や山田隆夫もこの番組に出演しています。
 野口五郎の「青空のある限り」(ザ・ワイルドワンズの歌)は、その録音が残っていて、ボーイ・ソプラノで大きく歌い上げるその歌は、後年を予測させるなかなかの出来ばえです。
 山田隆夫は当時からお笑い系で、それを生かして、今でも「笑点」で座布団を運んでいますが、かつては「ずうとるび」という歌とお笑いの人気グループを結成していました。この番組では飛び入りで「エンピツが一本」を歌い認められました。この人の場合、歌よりキャラクターの面白さ故でありましょうが。
 のどじまん出身のボーイ・ソプラノと言えば河村晃治がいますが、後に詳述します。ところで、のどじまん番組には、いわゆる常連といわれる子どもが出ていました。その中で、特に印象に残っているのは福島かずお(漢字は記憶なし)と、辻伸也。福島かずおは、昭和50年頃登場していました。佐賀県出身で、「家族そろって歌合戦」には小6の頃、都はるみの「北の宿から」を最高のボーイ・ソプラノで歌い、審査委員長の高木東六の絶賛をうけました。演歌だけでなくクラシック系を歌ってもかなりうまそうに感じました。別番組では、「木綿のハンカチーフ」を女装して歌ったのも覚えています。中学生になって変声してからも、野口五郎の「風の駅」を熱唱し、たとえ声は変わっても歌心は健在であることを証明してくれました。
 辻伸也は、昭和60年頃登場していました。三重県三重郡の出身、ぬいぐるみを集めるのが趣味という可愛い系の少年でしたが、谷村新司の「昴」、小林旭の「熱き心に」などのドラマティックな曲を熱唱し、見た目と違う歌で、印象に残っています。
 みんな、今頃「カラオケの帝王」になっていることでしょう。なにしろ昔の記憶をたどってのことですので、不正確なことがあるかもしれません。

       41 内海 敏彦(1965~  )

  内海敏彦を「日本のソリスト」として採り上げるのには訳があります。このホームぺージでも、内海敏彦を「ボーイ・ソプラノと少年声優」の1.ボーイ・ソプラノの声優の一人として採り上げていますが、そこで採り上げたのは、洋画やアニメの吹き替えを中心とした活動です。内海敏彦を「声優」という狭い領域だけに閉じ込めてしまうことは一面的な観方です。なぜなら、その活動は、幼児期から約10年間ではあり、その魅力がボーイ・ソプラノの美声に依拠していた面は大きいのですが、CM、特撮を中心とした現代劇、時代劇、アニメや洋画の吹き替えなど多義にわたっており、しかも、スウェーデンの子ども向けドラマ『いたずらっ子エミール』(原作 リンドグレイン)では、吹き替えだけでなく、主題歌を歌っていることや、映画『ドリトル先生不思議な旅』の吹き替えでは、セリフだけでなく歌も歌っているからです。なお、この映画『ドリトル先生不思議な旅』の吹き替えでは、主人公のドリトル先生を日本におけるミュージカルの草分け的存在であった宝田明が日本語訳された歌も含めて吹き替え、アルバート・ブロッサム役には童謡・オペラ・ミュージカルなど幅広く活躍したバリトンの友竹正則等も起用されており、トミー・スタビンス役の内海敏彦も歌っています。もちろん、話し声から推測できるように明るい高音域に恵まれたボーイ・ソプラノであるだけでなく、表情豊かな歌が歌われています。最近は、ミュージカル子役も増えてきましたが、これだけ歌に芝居の要素を盛り込んだ子役も少ないのではないでしょうか。歌の理想が、「話すように歌い、歌うように話す」としたならば、内海敏彦は、まさに歌と語りの接点をふまえて歌っていると言えましょう。なお、声優としての代表作「あらいぐまラスカル」では、主題曲等を歌った大杉久美子の歌と声優たちのダイジェスト的なミニストーリーからなるLPレコードも出しています。

     42 鈴木 賢三郎(1965?~  )

  この名前を聞いても、ピンとこない方でも、昭和53(1978)年ごろ放映していた(その後再放送もあり)アニメ「星の王子様」のテーマソングを歌っていた少年といえば、ああ、あの歌と思い出す人もあることでしょう。日本のボーイ・ソプラノソロの名唱としてこの歌は、ボーイ・ソプラノ愛好者の間で今でも語り草になっています。この歌を王子の声をアテた松野達也が歌っていた思っていた人もいるようです。鈴木賢三郎(吹き込み当時中1 放映時は中2)はフレーベル少年合唱団員で、正確に言えば、声質はメゾ・ソプラノだったそうですが、きちんとした基礎を感じる歌を聴かせてくれます。ただ、残念ながら、この歌の録音後変声期に入ったそうです。だから、最高のボーイ・ソプラノを聞くことができます。
 サン・テクジュベリの言葉を述べるセリフの部分は、別人によるそうですが、やや生硬です。しかし、鈴木賢三郎が歌う歌に入ると、見違えるように清冽な歌声の中に凛としたものを感じます。曲想が変わる「だけど、あるんだよ。」の部分など実にうまみのある歌唱です。
 現在も、フレーベル少年合唱団のOB会、明治大学グリーや、「ヴォーカル・アンサンブル」というバロック曲のアンサンブル団体で活躍されているそうです。
 (以前、「セリフは生硬だが、歌に入ると本領発揮」などと間違ったことを書いていましたが、フレーベル少年合唱団OB会との懇親会で、鈴木賢三郎さんのお兄様 鈴木雄一朗さんより、録音に関するエピソードをお伺いしました。)

   43 久世 基弘(1966~   )

  竹宮恵子の漫画がブレイクした1978~1979年、そのイメージの世界を音楽で表現するという企画でLP「ガラスの迷路」が発売され、続いて、好みの歌を日本のボーイ・ソプラノ・ソロで歌わせるというLP「過ぎゆく時と友だち」が発売されました。この企画には、当然のことながら、ブレインの増山法恵が参画しています。
 久世基弘は、この二つの企画に中心的ソリストとしてその歌声を記録しました。合唱団の一員というだけでなく、ソリストを育てることにも力を入れていましたがビクター少年合唱隊に、この企画への協力が要請されました。隊員の久世基弘は、甲高いソプラノというより、気品のある落ち着いたビロードのようなメッツォ・ソプラノですが、それが活かされています。また、小学校6年生から変声期に入った中学2年生までの歌声の変化を記録できたという意味でも価値ある企画です。「ガラスの迷路」では、「ぼくのピアノ」「会話」でその歌声を「宇宙」(連想ゲーム)でその話し声を披露しています。「ぼくのピアノ」は、ピアノを友とする孤独な少年の想いがせっせつと歌われています。「会話」では、映画「寄宿舎(悲しみの天使」)」を連想させる上級生との密会の場面が。また「宇宙」では、竹宮恵子との会話によって素に近い姿を垣間見ることができます。
 「過ぎゆく時と友だち」では、中心的メンバーとして、「虹の彼方に」「バンビーノ(ガリオーネ)」「ピノキオへの手紙」「逃げた小鳥」のソロを歌っています。この時期は、変声期にかかっていますが、しっとりとした感情を抑えた歌を聴かせてくれます。

    44 川橋 啓史(1966?~   )

 昭和50年は、「みんなのうた」で「山口さんちのツトム君」がとりあげられ、ヒットした年でもあります。この作品は競作のような形で、当時の人気子役や少年歌手によって歌われました。記憶にあるだけでも、吉岡秀隆、岡浩也、川橋啓史、斉藤こずえがいます。その中で、本命盤はと言われたら、川橋啓史を挙げたいと思います。数年前、「みんなのうた」の特集番組をしていたとき、30代になった川橋啓史が、家族連れでゲスト出演していましたが、当時は小学3年生ということでした。技巧は感じませんが、素朴な歌い方がよい感じを出していました。また、この歌の続編のような「ユミちゃんの引っ越し」は、少年と少女によって歌われる歌ですが、音楽的にはこちらの方が情のこもった歌と言えます。これも、川橋啓史は、いやみのない素直な歌い方をしていました。

      45 宮本 浩次(ひろじ 1966~   )

 今では、「エレファント カシマシ」の名前でロックバンドのボーカルとしてすっかり有名になりましたが、本名 宮本浩次は、少年時代には東京放送児童合唱団に小学校3年生から5年生まで入団して声楽指導を受けていました。幼少時からベートーヴェンのクラシックや沢田研二などの流行歌や歌謡曲を好み、当時隆盛であったラジオのベストテン番組を熱心に聴いていたそうです。当時からソロを任されるほど歌が上手くボーイ・ソプラノのスター的存在でした。また、内に地したウィーン少年合唱団との交流もあったそうです。「はじめての僕デス」は、岡浩也、加藤茶などと競作になりましたが、小生意気な歌唱で「うまい」との定評がありました。岡浩也の歌唱と対比すると面白いです。変声してからも、声域は裏声も含めhihiAを越える曲もあり「覚醒(オマエに言った)」「生命賛歌」「部屋」などがあります。昭和56(1981)年に結成したロックバンド「エレファントカシマシ」は、宮本浩次の急性感音難聴を理由に約1年活動を休止していた時期もありますが、平成25(2013)年に復活公演を果たし、平成29(2017)年の第68回紅白歌合戦』では、ロックバンド・エレファント カシマシとしてデビュー30周年で初出場しました。さらに、令和2(2020)年には、昭和の女性歌手が歌った歌のカバーアルバム「ROMANCE」をリリースし、これが、新境地を拓いたと大評判です。 

       46 岡 浩也(1967~   )

 昭和42(1967)年生まれの岡浩也は、宮脇康之の弟という設定で、「ケンちゃんシリーズ」の2代目を引き継ぎましたが、むしろ最初はたよりない感じさえ受けました。中学生になっても半ズボンがよく似合う丸顔で目が大きい個性的な顔で、砂糖漬けのような可愛い声の少年でした。それでも、善意に満ち溢れ、育ちのよさを感じさせる岡浩也は、ケンちゃんシリーズの主題歌だけでなく「山口さんちのツトム君」や「ユミちゃんの引っ越し」をはじめとする童謡系の歌やクリスマスソングを多数録音しています。「はじめての僕デス」は、宮本浩次と競作になりましたが、聴き比べるとその特質がよくわかります。岡浩也の歌は通して聴くと、どの曲も同じ色彩で、ひたすら可愛く甘ったるい歌なのですが、この時代はいわゆる「マセガキ」ではなく、このような可愛い少年が高く評価されたとも言えるでしょう。「カレー屋ケンちゃん」では、やや音程が不安定になり変声期に入りかけているようにも聞こえますが、従来の可愛い歌唱を続けているところが魅力と言えるかもしれません。なお、このシリーズ最後の「なかよしケンちゃん」の途中では、話し声を聴くと声変わりをしていることがわかります。
 岡浩也がケンちゃんシリーズに出演していたのは7歳から15歳にかけてで、学年に置き換えると小学1年から中学3年にかけてですが、演じていたケンジ及びケンイチは、実年齢より2学年下に設定されており、初登場の「ケンにいちゃん」では幼稚園の年長で、最後の出演作の「なかよしケンちゃん」では中学1年生という設定でした。岡がケンちゃんシリーズに出演していた期間は、日本では半ズボンの全盛期と言える時代であり、ケンちゃんも劇中で小学校を卒業するまでは一年中半ズボンを穿いていました。「カレー屋ケンちゃん」の出演中に小学校を卒業し中学生になっていましたが、次作の「ケンちゃんチャコちゃん」までは劇中で小学生であったため、半ズボンで番組に出演しているだけでなく、中学2年生のとき、いろんな番組の出演者が集まるパーティのような番組に出演するときの服装も、半ズボンスーツでした。そのようなこともあって、岡浩也の半ズボン姿は、これまでの日本の子役の中で最も美しいという者もおり、「なかよしケンちゃん」で中学生となり、半ズボンを卒業するのを残念がる声が多かったそうです。「なかよしケンちゃん」撮影前の企画段階ではケンちゃんをもう一度小学6年生にしないかという話が出たそうです。ケンちゃんシリーズ修了以後は、子供のロックバンド「P.T.A.」のメインボーカル&ギターとしても活動していましたが、10代後半で芸能界を引退して、現在は、精神科医として活躍しています。

      47 アグニ ジュン(粟国 淳)(1967~  )

 イタリアの童謡コンクール「ゼッキーノ・ドーロ」に日本人の少年が出演して、しかも入賞したという記録を知っている人は少なくなってしまいました。しかし、第18回ゼッキーノ・ドーロで、日本では誰もが知っている「てるてる坊主」(フランコ・マレスカ作詞 中山晋平作曲)のイタリア語詞による「Teru Terubozu Terubozu/てるてる坊主」を歌唱、最終審査対象の14曲に残り「ゼッキーノ銀貨賞」を受賞した少年が、アグニ ジュン(粟国 淳)です。レコードに刻まれたその歌声はまだ幼く、息継ぎが聞こえてしまいますが、かわいい美しさと、しっかりした音程は特筆できます。この人が、日本オペラ界の奇才と称された沖縄県出身の演出家、故粟国安彦の長男で、父と同じ道を歩んだ後年のオペラの名演出家 粟国 淳であることを予測した人はどれだけいたでしょうか。

    48 古賀 潤(1967~   )

 古賀潤はLP「過ぎゆく時と友だち」の中でオペラ「ポギーとペス」のアリア「サマータイム」を歌っています。声はハスキーで細く、どの曲にも合うというわけではありませんが、この曲にはかえってその持ち味が生かされてよい雰囲気を出しています。ただ、少年が歌うために母性的なものは感じません。

      49 日向 理(ひなた おさむ)(1968~   )

 日向理は、LP「過ぎゆく時と友だち」の中で「マンマ」「シューベルトのセレナーデ」「君、恋し君」「グリーンスリーブス」を歌っています。ブレスが長くかなり声量のある歌いっぷりで、竹宮恵子は「日本人離れした豊かな声」と評しています。特に優れた歌唱を聴かせるのは「マンマ」で、その持ち味が生かされています。ここではドイツリートも歌っていますが、ブレスの長さが安定感のある歌につながっています。カンツォーネなどで持ち味を生かせそうです。
 中学時代から音楽関係の仕事に就きたいと考え、都立芸術高校に進み、学生音楽コンクールの東日本代表となり、シューベルトの「春の信仰」を歌いました。このときの声はバリトンです。また、高校3年の時に、3000人のオーディションから選ばれ、LP『美少年倶楽部』をリリースしました。さらに、東京芸術大学に進学し、声楽科を卒業。また、大学時代には劇団四季にスカウトされ、「オペラ座の怪人」や「ジョン万次郎の夢」などに出演しました。 退団後はミュージカル「私の足長おじさん」「赤毛のアン」、オペラ「カルメン」「ボエーム」などに出演。またグノー作曲「聖チェチーリアミサ」、モーツァルト作曲「レクイエム」などの宗教曲のソリストも務める。オペラからミュージカルまで幅広い音楽活動を行い、声楽家としてミュージカル、オペラ、クラッシックなどの世界で活躍しました。2001年秋、長年の夢であったうたのおにいさんのオーディションに合格。2002年4月から8年間BS「おかあさんといっしょ」に平仮名の芸名で出演しています。現在も歌のおにいさんとして、ファミリーコンサート等で全国各地を飛び回り活躍中。また、『おかあさんといっしょ』の人形劇【ポコ ポッテイト】 のメインキャラクターの1人【メーコブ】の声を担当。近年ではカンツォーネにも挑戦し、2013年第21回太陽カンツォーネコンコルソククラシク部門第2位を獲得しました。これは、少年時代の「マンマ」の延長線上にあります。さらに、姉で声楽家の日向由子とジョイントコンサートを行ったりしています。

    50 加藤 恵夫(1968~   )

 加藤恵夫はLP「過ぎゆく時と友だち」の中でミュージカル「オリバー!」の中のナンバー「なんでもやるさ」を河村卓也と共に歌っています。作為のないまっすぐな歌い方で好感がもてますが、強いインパクトを感じることはありません。

   51 前田 晃一(1968~   )

 昭和50年代、「おだいじに」「Gメン75」や「サンキュー先生」などテレビを中心に子役として活躍した前田晃一は、昭和55年映画「宇宙怪獣ガメラ」の中でエレクトーンの弾き語りで、主題歌「ガメラのマーチ」を歌っています。歌そのものは、歌謡調の平板なものですが、一言一言を表情豊かに山場をつくって歌っているところは、さすが少年俳優の歌と感じます。青年期にはTVドラマ「白虎隊」等にも出演。成人してからは俳優を続けながらも、宝生流の能や狂言の世界でも活躍されているようです。三味線も得意とのことです。

      52 河村 晃治(1968?~       )

 のどじまん出身のボーイ・ソプラノと言えば河村晃治が有名です。この名前を知っている人は今では少ないかもしれませんが、大阪出身で、1970年代半ば、「チビッコアベック歌合戦」でグランド・チャンピオンとなり、続く全日本歌謡選手権子供大会」でもグランド・チャンピオンといろいろなのどじまん番組に出て優勝を総なめにしていました。同時期に平尾昌晃歌謡教室大阪校入学して歌唱力を磨いています。得意だったのは布施明の「シクラメンのかほり」やルネ・シマールの「小さな生命」で、歌い方はいかにも歌謡曲的でした。レコードも、小学校3年生のときに入れた「僕ちんの夢」「ポチはお星様」があります。後者はその魅力がよく出ています。

     53 河村 卓也(1969~  )

 河村卓也は、ビクター少年合唱隊の中では長くソリストを務めており、既に 1977年にシングル『パンダの赤ちゃん』をソロレコーディング。ビクター少年合唱隊が5年間毎年出したLP『天使のハーモニー』シリーズでは3年連続「山口さんちのツトム君」「通りゃんせ」「ペチカ」などのソロを担当しています。LP「過ぎゆく時と友だち」の中でも、ミュージカル「オリバー! 」のナンバー「なんでもやるさ」、「マルセリーノの歌」、「グリーングリーン」の3曲を歌っています。特にあとの2曲は、バリトンの平野忠彦と掛け合いで歌っていますが、くせのない美声で流麗な歌い方が好ましく、軽々と歌っているという印象さえ受けます。3年間の歌の変遷を聴くと、可愛らしさからスタイリッシュな歌唱へと移ってきており、また、優等生的と言うこともできましょう。6年生の時には、委員長を務め、中華人民共和国演奏旅行の際、隊員代表として谷牧副総理の招聘を受け、その模様は人民日報(1980年8月1日)などでも報じられています。

       54 原田 潤(1969~  )

 主演ではありませんが、水谷豊主演の「熱中時代」では、原田潤の「僕の先生はフィーバー」がなかなかの出来ばえです。純粋なボーイ・ソプラノではありませんが、現代的な感覚のノリのよい歌というべきでしょう。伸びやかな歌いっぷりは平尾昌晃ミュージックスクールで学んでいたためでもあります。パンチのある声は、当時はフィンガーファイブの晃くんの再来とも言われてたらしいです。この流れは、三浦大地などに引き継がれているようです。芸能活動は、1978~1980年の3年間と短かったのですが、「みんなのうた」では、「ヒロミ」を歌い、映画「はだしのゲンPART3 ヒロシマのたたかい」などにも主演して「ぼくはハト」を歌っています。

   55 市場 衛(1969~  )

  昭和44(1969)年生まれで、結成初期の森の木児童合唱団に在籍しましたが、ソリストとしては、『名犬ジョリィ』エンディング曲「ふたりで半分こ」(堀江美都子との共唱)、『NHKみんなのうた』の「父さんのつくった歌」などを歌っており、今でもYoutubeで聴くことができます。その歌声は世界的指揮者である小澤征爾や日本を代表する指揮者であった山本直純にも愛されました。舞台での歌唱も多く、中でも特筆すべきはNHKホールでの、ニコライ・ギャウロフとのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」。子役(王子役)共演は特筆されます。森の木児童合唱団を卒団してからは、中学校、高等学校とバンド活動をしていましたが、カリフォルニア大留学を機に音楽から遠ざかっていました。近年、六本木男声合唱団に所属していた時期もあるそうです。

      56 吉岡 秀隆(1970~  )

 映画「男はつらいよ」や、ドラマ「北の国から」シリーズで、子役から青年役までをこなした吉岡秀隆は、昭和45(1970)年生まれ。埼玉県蕨市出身で、5歳の頃に“吉岡ひでたか”の芸名で劇団若草に所属後、間もなくしてテレビ時代劇『大江戸捜査網』で子役デビューを果たします。同時期に、NHKの歌番組『みんなのうた』で放送された『山口さんちのツトム君』のツトム君役として、歌を歌ったりするなど、多方面で活躍していました。とりわけ「山口さんちのツトム君」はEPだけでなく、南らんぼうの歌を集めたLPを録音しています。まだ、年齢的にも5~6歳ぐらいで幼くやや舌っ足らずな歌なのですが、南らんぼうの歌のイメージに合う歌を歌っています。また、EP「名物おばあちゃん」「パパが出張から帰ったら」では、歌の中にセリフが入った曲にも挑戦しています。少年期から青年期にかけては、国民的ドラマ『北の国から』に黒板純役、『男はつらいよシリーズ』に寅さんの甥の満男役で出演し、演技を磨いてきました。とりわけ演技に関してはとてもストイックで、子役時代か自分の演技に納得がいかないと悔し涙を流したりなど、負けず嫌いで努力家な面も持ち合わせています。また、「Dr.コトー」で僻地の医療に尽くす青年医師を好演しており、映画『ALWAIS 三丁目の夕日』シリーズでは売れない作家 茶川竜之介役等俳優としての活躍が顕著です。これまでに、優秀助演男優賞を4度、最優秀主演男優賞を2度受賞して、子役が成人後も俳優として成功した数少ない例ですが、映画「ラストソング」では同名の劇中歌を作詞作曲。47万枚以上を売り上げるヒットとなりました。それ以後も、数枚のCDをリリースしています。

     57  荒木 直也(1970~  )

 ビクター少年合唱隊最後のレコード(田淵幸一選手の選手としての最後の頃の応援歌の「ブッチィー音頭」)に登場する荒木直也は、「四季の歌」などの作詞・作曲で有名な荒木とよひさの長男です。「ブッチィ―音頭」の作詞は荒木直也の父である作詞・作曲家の荒木とよひさですので、その縁で荒木直也が歌ったと思われます。バックコーラスのレオ達というのは、レコードジャケットに載っているビクター少年合唱隊の5人の選抜組です。しかし、何といっても、荒木直也の代表作は、やはり3代目『あばれはっちゃく』でしょう。ところで、この親子が歌った「息子よ」というレコードがあります、これは東京電力のCM曲として使われました。「グリーン・グリーン」みたいな少年と父親のかけあいの歌は好ましいものです。荒木直也の歌声はなかなかきれいですが、いかにも男の子らしい明るい声質の歌声といえましょう。だから、ビクター少年合唱隊との共演もよかったのではないでしょうか。俳優を引退し、現在は音楽プロデューサーをしているようです。

       58 林 牧人(1972~  )

 主題歌を歌ったのは唯1曲だけですが、心のひだに触れる歌唱に感心したのは、昭和57(1982)年に公開された映画「誘拐報道」の主題歌「風が息をしている」を歌った林牧人です。林牧人は、3歳からひばり児童合唱団に所属して歌っており、オペレッタ「雪ん子」の主役を演じたという記録も残っていますが、「風が息をしている」一曲だけでも、日本のボーイ・ソプラノ史上に残る歌唱と言ってもよいでしょう。抒情性を感じさせる歌いぶりであり、日本のボーイ・ソプラノとしては、ヨーロッパに近いタイプと言えます。静かな語りから始まって、大きな山場をつくり、しかも気品のある歌のセンスは実に優れたものです。昭和58(1983)年、「太田螢一の人外大魔境」のレコーディングにも参加して「謎の大洞窟」を歌っています。なお、ひばり児童合唱団員としては、NHK「みんなのうた」、テレビ朝日「題名のない音楽会」をはじめ、多くのテレビ・ラジオ、レコーディング、ステージ等に参加しています。変声後は、カウンター・テノールとして歌い続け、サレジオ学院高校在学中の17歳のときには、CD「心の翼」を出しています。このCDに収められた6曲は、透明度が高く、どれをとっても素晴らしいできばえで、高校生の歌唱と思えないところがあります。現在はプロテスタント教会の牧師をしている林牧人の歌は、宗教的な雰囲気も付焼刃でないものを感じさせます。なお、「心の翼」はドイツの自動車「オペル」のコマーシャルのイメージソングとしても使われました。

   59 尾花 勉

 子どもののど自慢番組には、必ずと言っていいほど演歌系の少年が登場しますが、レコードを吹き込んだ少年となると極めて少ないと言えましょう。その中で、尾花勉は、昭和58(1983)年に、EP「男の一本道」(ヤサイ編)「つり師一代」を吹き込んでいます。レコードジャケットは、三波春夫ばりの着物姿で日の丸扇子を開いたポーズが決まっています。「男の一本道」(ヤサイ編)は、母の愛情のおかげで苦手な野菜を食べられるようになったという内容の演歌で、最後は、やはり三波春夫ばりに「お母様は神様です」のセリフで決めています。歌詞的には、親子の情を描いていますが、わざとらしさを感じます。また、「つり師一代」では、釣りに賭ける男の生きざまの世界を描いており、曲も演歌独特のうなりやセリフが効果的に使われています。

   60 大槻 武史

 「歌謡童謡」というジャンルがあれば、大槻武史の歌は、まさにそういう歌でレコーディング当時は、小学校低学年ぐらいと考えられます。内容的には日本昔話を下敷きにしながら現在から過去にワープする「むかしの国へ行きたいな」、電話の向こうは見えないことから起こるおかしな出来事を描いた「電話ってどうなってんの」の2曲は、歌声的には年齢的なこともあり、幼児を脱したというレベルですが、新鮮な歌詞に魅力があります。なお、大槻武史は、1976年から放送された人気バラエティ番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」にも出演していたようです。

    61 佐々木 伸之

 「いたずららっこ」「虫歯のこどもの誕生日」などの録音を残している佐々木伸之のプロフィールはわかりませんが、「虫歯のこどもの誕生日」がみんなの歌で放映されていた70年代に活躍していたと考えられます。まだ小学校低学年時の歌唱であると思いますが、美声を聴かせるタイプではないのですが音程がしっかりしており、曲の山場をうまく作っていることが心に残ります。

      62 中島 義実(1975~   )

  長寿番組「まんが日本昔ばなし」のエンディングテーマ「にんげんっていいな」を歌っていた中島 義実は、歌手としては、NHKみんなのうた「星うらないキラキラ」を歌っていますが、子役としてテレビや映画に出演しています。主な出演作にテレビでは、「仮面ライダーブラック」、「仮面ライダーRX」、「17才」、「半熟卵」。映画では「ビーバップ・ハイスクール」(85)、「ドン松吾郎の生活」(86)、「木村家の人々」(88)などがあります。また、声優としても変声後、映画「耳をすませば」(95)の野球少年、杉村君の声も担当しています。
 現在は、芸能界を引退して、電気工事会社を経営しながら、和太鼓チームを結成、地元のイベントなどで演奏を披露しているそうです。

      63  鈴木 義一郎

 ビクター少年合唱隊から、FM東京少年合唱団に移行する頃のトップソリストで、ブリテンの「ねじの回転」の日本初演でマイルズを演じた鈴木義一郎は、「ゆりかごの歌」「食べてみたいな」の歌唱をCDに残しています。やや硬質でマスクをかぶせたような感じのする声質ですが、憧れと気品のある歌を歌っています。食べ物の歌を聴いて、その歌唱に気品を感じたのは初めてですが、関係者の証言によると、この時世に希少な真摯な生きざまの少年だったということで、それが歌にも直接反映していたようです。「五百羅漢さん」のソロは、聴く人の涙を誘うものだったということです。

     64  貴島 康男(1977~   )

  昭和52年「うたのしま」と知られる奄美諸島名瀬出身の貴島康男は、幼少より並はずれた歌唱力をもち、12歳で名人と呼ばれた坪山豊に師事しました。その少年時代の歌唱に接した人は、次のような言葉を残しています。
「くりくり頭の中学生の坊やだった。その可愛らしさから、幼い唄声を想像していた。それ以上とも、それ以下とも思わなかった。しかし、彼が歌い始めると会場は「ほうっ」とため息が漏れた。群島内最大規模の島唄イベント・奄美民謡大賞での出来事。唄にもまして彼のその美声!この瞬間、奄美は島唄の至宝を手に入れたのだった。唄の登竜門、奄美民謡大賞という大会で、制服もダブダブの中学1年生がいきなり少年の部優秀賞だ!翌年は、最年少・新人賞を受賞した。3年生の時は、新人賞以上、大賞未満という事で「特別賞」となった。驚異的な少年であった。順風満帆の貴島康男の島唄人生・・・」(出典 株式会社 セントラル楽器 島唄コラム)
 13歳のときには「美ら(きよら)の歌声」というテープを録音しましたが、これは店頭に並びました。また、14歳で日本民謡大賞・中国九州地区大会少年部門で優勝など、注目を集めました。しかし、身体の成長にともなって、彼は声が出なくなってきましたた。島唄は裏声無しには歌えません。変声期の壁は、想像以上のものでした。その失意の時期、彼とその家族は鹿児島移転をしますが、奄美を出て、生きている気がしなかったと言います。人情も文化も今までと違いすぎたのです。異郷で手に職をつけて奄美に帰ってきた貴島は再び、坪山豊に師事して歌い始めます。そして、9年ぶりの復帰、平成13年KTS主催民謡大会では、3年連続青年の部優勝、名人位についています。少年時代の声は、晴れやかで伸びのあり、民謡に見られがちな濁りがなく、奄美の紺碧の空を思い出させます。  

   65 
村上 友一(1979~   )

 増山法恵は、音楽雑誌「ショパン」に連載していた“THE TREBLE”において、村上友一を「日本のトレブル」(トレブル:ボーイ・ソプラノのトップ・ソリスト)という名で世に紹介しました。また、その数年後自ら企画したCD「air」で、村上友一のボーイ・ソプラノを全国区のものにしました。その実力を高く評価した上でのことでありましょう。このCDは、レコード芸術1998年2月号にも紹介されました。日本のボーイ・ソプラノとしては異例なことです。私は、村上友一の人と音楽を、主として変声期前(8歳から11歳まで)の歌唱テープ、CD、ビデオ、本人と母の談話などをもとにして述べ、日本のボーイ・ソプラノ史上における位置づけをしようと試みます。(村上 友一の人と音楽やCD解説については詳述しますので、上記の青色の名前をクリックしてください。)

     66 福村 亮治

 福村亮治は、年代的には、おそらく昭和の終わり頃活躍したソリストでしょう。「せいくらべ」「こいのぼり」など、端午の節句(子どもの日)にちなんだ童謡を、青竹のようにまっすぐなボーイ・ソプラノで歌っています。この歌に求められるのがそういうものなので、いかにも日本のボーイ・ソプラノの典型といった歌い方です。また、「みんなの歌」の人気曲「くまのぬいぐるみ」では、精一杯の感情移入で歌っています。そこでは、かえってその不器用さが好ましく感じます。あまり巧みにこの歌を歌うとかえってその曲想が生きないこともあるからです。

    67 市瀬 俊宗

 ひばり児童合唱団に所属していたという以外に市瀬俊宗に関する情報はありません。残された録音の「ヒロミ」のオリジナルは原田潤ということですから、もっと奔放磊落なノリのよい歌だったことでしょう。市瀬俊宗の「ヒロミ」は、よく言えば元気な優等生の歌と言えましょう。基本的な歌の勉強をしているだけに感情に流されることなく丁寧に歌っていますが、それを魅力と感じるかどうかは意見の分かれるところでしょう。そういう意味でこの歌は、当時の子どもの歌としては性を意識したかなり革新的な歌だったと言えます。市瀬俊宗には、「元気」を求められる歌が似合っているように感じます。
 
     68  林 幸生

 「春よこい」「鳩」「どんぐりころころ」などの童謡を森の木児童合唱団と共に歌っている林幸生は、録音時はまだ小学校低学年と推察されます。森の木児童合唱団の団員であるのかもしれませんがそれは不明です。歌は典型的な童謡歌唱で元気で可愛いのですが、それ以上のものを感じることはできませんでした。高学年になってどんな歌を歌ってくれたのでしょうか。この少年の成長を継続して聴き取りたいという思いに駆られました。

      69 後藤 秀典

 「せいくらべ」「ひなまつり」などの童謡を若草児童合唱団と共に歌っています。若草児童合唱団は、「劇団若草」の児童合唱部でしょうか。柔らかくて上品な歌いぶりで、前述した福村亮治とはまた違った魅力があります。しかし、はっきり言って、これらの歌をある水準以上にうまく歌うことは難しいかもしれません。

       70  KOUJI (1980~    )

  中古CDショップで、『音楽がボクに生きていく勇気をくれた14才KOUJIデビュー』という謳い文句の「友よ」というCDを見つけたとき、CDジャケットの少年の表情からまだ変声前と直感して買ってみました。CDを開くとこの少年がシンガーソングライターであることもわかってきました。自分の心と向き合いながらも何かを求める歌詞がハスキーな声で歌われるとき、不思議な訴える力を感じずにはいられませんでした。昭和55(1980)年生まれというこの少年のCDをその後さらに2枚手に入れましたが、10才ごろから作詞作曲をはじめたことや、小学校6年生ごろから不登校であったことなどがわかってきました。この少年にとって、歌は心の慰めや叫びだったのでしょうか。それは、推測の域を出ませんが、この少年のそういった生活背景を理解することが、KOUJIの歌を味わう上で大切だと感じました。KOUJIは、変声後も、シンガーソングライターとして活躍しているようです。

      71 神林 紘一

 ひばり児童合唱団が創立45周年記念に作ったCD「なつかしの童謡・愛唱歌集」の中には、何人かのソリストが起用されていますが、「緑のそよ風」と「蛙の笛」で、張りのある美声を聞かせるのが、神林紘一です。「緑のそよ風」では、3番だけがソロになっていますが、とりわけ「ボールがポンポンストライク」というところのはじけるような感じは爽快で、持ち味を生かした歌が歌われています。また、「蛙の笛」では、日本の少年ならではの緊張感のある歌声が聞かれます。
 現在では、東京芸術大学大学院に学んで、声楽家(テナー)の道を歩んでおられるようで、今後その活躍が期待されます。

     72 水谷 任佑

 平成10(1998)年日本フォーレ協会が、ジャン・フルネを指揮者に迎えて日本で録音したフォーレの「レクイエム」のCDで、ボーイ・ソプラノソロとして「ピエ・イエズ」を歌っているのが、東京少年少女合唱隊の隊員の水谷任佑です。遅めのテンポで清澄でありながらどこか陰影のある歌唱は、なかなか魅力的です。また、映画「不夜城」のサウンドトラックにも参加しているようです。

       73 大塚 宗一郎(1985~   )

  昭和60(1985)年生まれの大塚宗一郎は、TOKYO FM 少年合唱団入団後、トップソリスト時代から、卒団後にかけて、CD録音や数多くのCMソング等でも活躍しています。代表作は、TVアニメの「∀ガンダム」の「羽化」と、健康百歌の「ずっと、ずっと・・・」ではないでしょうか。ソフトな声で美しく歌うだけでなく、歌の底流に人間的なやさしさや温かさを感じさせます。また、「羽化」では前半はややほの暗い声で歌い始めて次第に高まっていき、後半はトリルのような技法も使っていますが、決して技を聴かせるという感じがしません。

       74 白尾 佳也(1986~  )

 白尾佳也(かなり)を初めて見たのは、平成6(1994)年「タモリの音楽は世界だ」の中でTOKYO FM 少年合唱団メンバーと共に、ウェルナーの「野ばら」を歌ったときです。そのとき出演した十数人の団員の中では最年少と紹介されたので、きっと将来を嘱望されていると感じました。その後も、TOKYO FM 少年合唱団のトップソリストとして「魔笛」の三童子や、ビデオとCDの「くまのプーさん」のクリストファー・ロビンの吹き替えや、CD「おもしろ健康百歌」などで活躍しました。私が実際の舞台を見たのは平成10(1998)年TOKYO FM 少年合唱団のクリスマスコンサートで、「アマールと夜の訪問者」のバルタザール王を演じたときが最初で最後でしたが、このときには、すでに変声期に入っていました。しかし、多くの舞台で鍛えた役作りは見事なものでした。CDの「くまのプーさん」のクリストファー・ロビン役は変声期前のボーイ・ソプラノとして最高の時期に録音されたもので、気品のある歌声で魅了してくれます。ただし、クリストファー・ロビンはもっと年少であるため、原語盤ではもっと幼い歌声で歌われていたのですが。
  その後は、国立音楽大学音楽学部音楽文化デザイン学科音楽創作課程で、コンピュータ音楽や録音技術を学び、さらに、ベルリン芸術大学Sound Studies学科修士課程を修了して、音を見せるアーティストとして、形而上的な概念や現象の裏側に潜在する本質を抽象化したコンセプトを元に、音とオブジェクトによる視聴覚効果を伴う音響彫刻やサウンドアート作品を制作しています。 

       75 山崎育三郎(1986~  )

 最近、ミュージカル俳優・歌手として活躍している山崎育三郎は、昭和61(1986)年に東京で生まれました。山崎育三郎がこの道に進んだきっかけは、母親が宝塚やミュージカルが大好きで、山崎家では、母親の弾くピアノにあわせて四兄弟が歌を歌うというような家庭に育ったことが挙げられます。少年時代野球が好きな少年でしたが、引っ込み思案で常に母親の後ろを付いて回るような性格だったようです。そんな息子をいつも心配していた母は、当時8歳の育三郎を連れて、ミュージカル『アニー』を観劇。すると、育三郎は劇中歌『トゥモロー』を歌うではありませんか。これをきっかけに内向的な性格を変えられればという願いを込めて、近所の音楽教室に入れたことが歌の道に進むでした。才能はすぐに開花し、11歳の頃には、全国童謡コンクールにて審査員特別賞を受賞。その翌年には、小椋佳企画のアルゴミュージカル『フラワー』のオーディションを受け、3000人の中から主役を勝ち取りました。小学校6年生での初舞台以来、舞台やテレビなどで活躍を続けていた育三郎は、中学3年生のときに変声期を迎え苦しみましたが、それを克服し、基礎から声楽を学ぶために東邦音楽大学附属東邦高等学校の声楽科に進学。高校在学中には、1年間アメリカ留学も経験。英語を身につけると同時に、引っ込み思案だった性格も変わりました。高校を卒業すると、東京音楽大学声楽演奏家コースに進みましたが、仕事との両立が難しかったため2年生のときに中退しました。その後は、2007年にオリジナル演出版ミュージカル「レ・ミゼラブル」のマリウス役で本格デビュー。その甘く気品のある歌声、確かな演技力で、多くの観客を魅了し、現在はミュージカルを中心に数多くの舞台へ出演しています。また、中学生の時、「六番目の小夜子」にも俳優として出演していましたが、ミュージカル界の先輩・石丸幹二の紹介で本格的にテレビドラマにも進出して、その分野でも活躍しています。

       76 三浦 大知(大地)(1987~  )

 三浦大知を初めて知ったのは、たまたまテレビの「ポンキッキーズ」で歌っていたのを見たときです。「Folder フォルダー」という男女混成グループのメインヴォーカルを歌っていた三浦大知は、美しい高音が軽々と出るボーイ・ソプラノであるという第一印象でした。声そのものは可愛い声なのですが、歌い方は、背伸びしているところもあり、そのアンバランスさがまた独特の魅力をつくっています。系列的には、フィンガー5や原田潤の後継といえるでしょうか。
 プロフィールをみると、昭和62(1987)年8月24日沖縄県生まれで、6才から沖縄アクターズスクールに通い、ダンスと歌を習っています。それを基礎にして約3年間で8枚のシングルと2枚のアルバムをリリースしています。平成12(2000)年5月、変声期を迎えたことを理由に、Folderでの活動を休業宣言し(結果グループはFolder5に改編)、芸能活動を休止し充電期間に入りました。変声期の間はダンスに重点を置き、ボイストレーニングは制限していました。変声期で活動休止中の間にはニューヨークで1年間、ダンスレッスンを受けていました。 そして、ニューヨークでの1年間のダンスレッスン後には日本に戻りピアノやギターを独学で学びました。平成17(2005)3月シングル「Keep It Goin' On」でソロデビュー。その後は、抜群の歌唱力と世界でも最先端に位置する卓越したダンスを併せ持ち、その世界水準のパフォーマンスから数少ない“本物”と言われ「天才」「和製マイケルジャクソン」などと称されています。平成29(2017)年には、最新シングル「EXCITE」(エイベックス)でオリコン(1月30日付)シングルチャート1位を獲得し、この年の紅白歌合戦にも初出場しています。
また、平成31(2019)年2月24日に東京・国立劇場で行われる式典「天皇陛下御在位三十年記念式典」に参列し、記念演奏をすることが発表され、三浦はこの式典で、天皇陛下が初めての沖縄訪問を経た思いをお詠みになった御歌に皇后陛下が曲を添えられた「歌声の響」を披露しました。

      77  Spi (ウィリアム W. スピアマン 4世 William W. Spearman IV  1987~  )

 横須賀に生まれ、ボーイ・ソプラノとしてだけでなく、変声後の現在も希少なメール・ソプラノ(ソプラニスタ)として活躍していましたが、今では、俳優、歌手、モデルとして活躍しています。その名が広まったのは、平成13(2001)年、CD「JOYFUL JOYFUL」が発売されたためですが、繊細な美しさが魅力的です。また、いくつかの歌はただ、楽譜どおり正確に歌うのではなく、独自の節回しで歌っており、これが新鮮な感じを受けました。この少年は「自分の歌」とし、これらの歌を歌うことを覚えているのではないかと感じました。とりわけ「エーデルワイス」はこれまでに聴いたどれよりも清楚で、しかも、最後の盛り上げ方も全体と調和しており、この歌の本質をつかんでいると感じました。歌全体を大きくつかんで歌っていることは、他のいくつかの曲でも感じました。歌曲などにも、独自の叙情性が生きています。
 プロフィールを見ると、5歳の頃から、横須賀米海軍のシアターグループに所属し、「南太平洋」などのミュージカルに出演し子役を務めています。 横須賀芸術劇場合唱少年少女合唱隊に入団後は、「カルメン」「夕鶴」などに出演。また、東京ヴィヴァルディ合奏団のクリスマスコンサート等に 出演し、主にクラシック、宗教音楽を歌っています。
変声後も訓練の賜か高音域を維持・発展し、平成18(2006)年には、CD第2弾「美しい日本の歌」を出しました。「変声後もボーイ・ソプラノを維持」という言葉がふさわしい清らかな声質で歌われる唱歌・歌曲は、1曲ずつ情感豊かに歌われています。「浜辺の歌」「この道」「夏の思い出」のような抒情的な歌曲においてそのよさがよく現れていると思います。
 また、10代後半からはユニットを組んで東京都内のライブハウスやイベントスペースなどに出演しはじめ、ヴォーカル、ダンザーとしておおいに観客を沸かせました。また水夏希(元宝塚歌劇団雪組トップスター)とユニット「Guys☆From The Earth」を結成し、フジテレビジョンタイアップドラマ『スミレ刑事の花咲く事件簿』で主題歌を歌うなどの実績を残しています。その後、更に表現の幅を広げるためにニューヨークに渡り、舞台技術、ヒップホップ、クラシックバレーを学びました。『Take me out』(2016)の演出を担当した藤田俊太郎は、俳優 Spi について「台詞の分析、美しい体格、演技者として素晴らしいスタイルを持っています」と評しています。本人の公式ブログでは、目標として「トリプル・スレット・エンターテイナー」(演技、歌唱、ダンスのすべてに卓越した舞台人)を目指すと宣言しています。現在、ミュージカル、ストレートプレイなどの舞台、また歌手としての単独ライブと精力的に活動中です。令和3(2021)年のミュージカル『オリバー!』のビル・サイクス役のspiの演技からは、この役が憎まれ、嫌われる役であることに徹していることを感じました。また、繊細な演技も心に残ります。

       78 鈴木 雅也

 ボーイ・ソプラノの歌声に心を癒されることはしばしばありますが、ぞくぞくさせられることは希です。そんな少年がTOKYO FM 少年合唱団の鈴木雅也。クリスマスコンサートで「マリアは歩みぬ」のソロを聴いたとき、たった一節でも心を奪われる清冽な美声でした。「血に染み白鳥」の一節は絶唱でした。しかも、歌声を姿に表したような美少年・・・天は二物を与えたという感じです。この美声はエッジの美しさが決め手と言えましょう。また、「11匹のネコ」では、お芝居も見せてくれましたが、こちらは意外と印象が希薄です。

     79 村田 悠典

  TOKYO FM 少年合唱団は、「ボーイ・ソプラノの図鑑」のように、個性的なソリストを育てていますが、村田悠典は、清純な声質が持ち味の典型的なボーイ・ソプラノらしいソリストでした。「アマールと夜の訪問者」のタイトルロール、「にじ」のオブリガート、「さとうきび畑」のソロ、「ぞっとする話」のジョバンニなど、重要な役どころをこなし、声はやや細めですが哀愁さえ感じさせる歌を歌いました。また、かの香織がプロデュースしたCD「コキュウ」にも参画していますが、これが、声を素材として使っているため、村田悠典の声の持ち味を最高に活かしているかと言えば、必ずしもそうとは言えません。当たり役のアマール役では貧しさの中でも美しい心を失わない少年という感じがよく出ていました。こういう精神的な美しさを表現できるところが村田悠典の美質と言えるでしょう。

    80 村上 賢
 
 ボーイ・ソプラノの名手はかなり存在しますが、ボーイ・アルトの名手となると、数少ないというのが現状です。それは、華やかなソプラノに比べてアルトは声質が地味であることが影響しています。そのような中で、TOKYO FM少年合唱団の村上賢(さとし)のボーイ・アルトには、「華」がありました。身長も高く見栄えがする舞台姿だけでなく、ソロはもとよりデュエットでも、ビロードのような艶やかな声は魅力的で、コンサートにおいて重要な役どころを担ってきました。特に、オペラや音楽劇において、その演技力もなかなかのもので、「11ぴきのネコ」のニャン太郎は名演でした。また、ディズニーワールドオンアイスの「トイ・ストーリー」のシド役の吹き替えもしています。卒団後もTOKYO FM少年合唱団にかかわり、演出も手がけていました。

    81  高橋 理顕

 TOKYO FM 少年合唱団のクリスマスコンサートの最後を飾る「きよしこの夜」は、高橋理顕のオブリガードで幕を閉じるというイメージが、卒団後数年経つ今でも残っています。それほど強いインパクトのあるよく響く声が、高橋理顕の持ち味です。同学年の団員より頭一つ大きいと感じるほどの豊かな体格から発する豊麗な響きの歌声で、重要なソロパートを歌ってきました。特に印象が強いのは金子みすずの「ほしとたんぽぽ」からの「たいりょう」で、歌とオブリガードが絶妙の調和でした。また、卒団後も、歌劇「トスカ」の羊飼いの少年のソロを歌っています。

       82  八尾 英治

 TOKYO FM 少年合唱団所属のの正統派のきれいな声のボーイ・ソプラノで、クリスマスコンサートの冒頭を飾る「もろびとこぞりて」の歌唱は、聖なる世界へと誘ってくれました。パートとしては、メゾ・ソプラノを歌っていたようですが、きめの細やかな歌唱がもち味です。変わったところでは、ゲーム音楽の「ファイナルファンタジー10」で「祈りの歌/異界送り」を歌っており、CDでその歌唱を聴くことができます。

    83 Ya・Ya・yah

 ジャニーズ事務所所属の少年によるユニットは、次から次に誕生していますが、そのほとんどが変声期後の少年によって構成されています。そういう意味では、デビュー当時において小学生から中学生のメンバーによってされているYa・Ya・yahは、珍しいケースかもしれません。スタート時において5人だったメンバーも、入れ替わりがあるようですし、メンバー全員が変声期を迎えた今、以前と同じようにやれるのかという心配もあります。
 現時点において唯一CD化されているNHKテレビアニメーション「忍たま乱太郎」のテーマソングである「勇気100%」と「世界がひとつになるまで」は、はっきり言って素晴らしいできばえです。ニューミュージック独特のアクセントの「あく」はあるにせよ、これらの曲に求められる元気や盛り上がりをよく表現し、聴き込むうちにその「あく」さえ魅力に変えてしまっています。ソロをうまく使ったアレンジが活かされています。「勇気100%」のソロ部分は藪宏太と赤間直哉が、一節ずつ交替で歌っているようです。こういうソロのあり方も、Ya・Ya・yah独自のものです。

    84 延原 俊介
 
 平成11(1999)年広島少年合唱隊創立40周年記念演奏会では、フォーレの「レクイエム」が演奏されましたが、このときボーイ・ソプラノソロとして「ピエ・イエズ」を歌ったのが、当時4年生のの延原俊介です。このときの演奏はまだ線の細いところもありますが、清潔なリリシズムに満ちた演奏をしています。また、兄 英介のあとを継いで、日本テレマン協会が夙川カトリック教会で毎年演奏していた「メサイア」のソリストとしても2年間活躍しています。私は、平成12年にこの演奏に接していますが、ソロ3曲は歌うごとに次第に調子をあげて、繊細で曇りのない歌声を聞かせてくれました。また、この1年の間に声は一段と輝きを増しています。このうち「正しいことを述べる者の足は美しい」は、その年の8月にアメリカ・テネシー州で行われた「チャイルドフッドドリームズ世界平和コンサート」のCDにも収められています。平成13年の定期演奏会でも飛び抜けて輝かしい歌声を聴かせてくれました。

    85 熊木 翔(1989~  )

 熊木翔は、東京都出身で、平成10(1998)年から、芸能界にデビューしていましたが、平成12(2000)年、NHK教育『天才てれびくんワイド』にてれび戦士として3年間出演したことで、全国的に有名になりました。この当時の、『天才てれびくん』は、歌唱力のある戦士が多く、また、番組としても歌の要素の大きい構成にしていました。その中で熊木翔が歌った歌としては、「きれいな水」が代表的です。カントリー風の歌で、リズム感にも優れ、明るい声を駆使して歌いこんでいます。同時期、俳優としてもテレビドラマ「元禄繚乱」等に出演したり、映画「カントリーベアーズ」(2003年の主演・ベアリー・バリントン 役の吹き替えていましたが、平成17(2005)年に一度芸能界を引退しています。ところが、その後、平成21(2009)年に、シンガーソングライターとして活動を再開しています。ギターの弾き語りの歌声は、変声後も、高音に特色があります。

   86 山元 竜一(1989~  )

 山元竜一は、東京都出身で、NHK教育『天才てれびくんシリーズ』平成10(1998)年度~平成12(2005)年度までの6年間の長きにわたって、てれび戦士として出演したことで知られています。同年生まれ(学年は1学年下)の熊木翔とは、名コンビと言われました。代表曲の一つは、玉置浩二作詞・作曲の「ルーキー」で、当然のことながら、JーPOPS調の歌で、声そのものの魅力よりも、山元竜一は、曲の雰囲気をよくつかんだ歌を歌っています。『天才てれびくん』卒業後は目立った活動がなく芸能界を引退したようですが、現在は、不動産関係の仕事をされているようです。

       87 林 直次郎  (平川地一丁目)(1990~    )

  音楽デュオ「平川地一丁目」のメインヴォーカルの林直次郎は、平成2(1990)年生まれ。平成12(2000)年夏ごろから兄の龍之介が父の影響でギターを始め、家にあったフォーク歌手ののレコードをコピーしていましたが、同年暮れの地元イベントに出場するため直次郎を誘ったのが「平川地一丁目」結成のきっかけとなりました。その後、様々な地元のイベントで声が掛かり話題を集めるようになり、やがて、平成15(2003)年ソニーよりデビュー。平成20(2008)年の解散までの5年間に多くのCDやDVDを残しています。兄弟はシンガーソングライターでもありますが、その曲は、ジャンル的にはフォークソングに分類されるでしょう。デビュー当時(11歳 小6)ソプラノであった声は、新しいCD発売のたびに少しずつ変化し、変声後はむしろハイ・バリトンの力強い歌声になっています。また、映画「檸檬のころ」では、俳優としても出演しています。平川地一丁目解散後は、芸能界を引退し学生に戻りました。

        88 上野 琴久

 平成16(2004)年に誕生した新感覚のボーイ・ソプラノのCD「Chirping of the Last囀(さえず)り」によって、その名を海外にも知られるようになった上野琴久は、幼い頃からビートルズが好きで、特別な声楽の訓練をしていないという自由な音楽児だったそうです。このCDも、そのほとんどが副題の「声で遊ぶ」に見られるように、ボーイ・ソプラノという声を素材として、どのような表現が可能であるのかを追求した作品になっています。10歳で初めて歌のレッスンを受けて、ロイド・ウェッバーの「レクイエム」からの「ピエ・イエズ」などのボーイ・ソプラノの定番曲も歌っていますが、これもかなり高い水準の歌になっています。
 声質は、特に高音域が硬質で乾いた感じがして、それが父 上野哲生氏の作曲した曲とよくマッチしています。また、これらの曲の伴奏は、すべて古楽器によって演奏されています。このアルバムの慎ましやかな表現は、この伴奏によるところが大きいだけでなく、ボーイ・ソプラノと不思議な調和をしています。それは、音楽のジャンルを超えています。上野琴久は、この最初で最後のアルバムによって、日本のボーイ・ソプラノの新しいページを開きました。
 このCD評は、本ホームページの「LP・CD・書籍紹介」のコーナーに掲載しています。 CD/book

       89 稲垣  拓

 平成17年3月までボーイズ・エコー・宝塚のトップソリストとして活躍した稲垣拓の成長と活躍を私は、在籍した小学校2年生から6年生までの5年間にわたって見てきました。低学年の頃は、ピーンと張りのある声で元気よさが特徴でしたが、楽しい場面でも悲しい場面でも舞台上で自分がすべきことをつかみ、場に応じたステージマナーで、舞台を盛り上げました。また、ビッグマンモスの「星物語」の復活におけるソリストをつとめたことは特筆されます。高学年になってからは、元気よさだけでなく、強い意志を感じさせる歌を歌うようになってきました。また、郷土民謡の「千吉音頭」でも、張りのある美声を聴かせてくれました。そのような意味で、少年合唱が育てる少年の理想像を感じさせてくれました。なお、卒団後も、声が変わるまでは郷土のためにと、「千吉音頭」に出演していました。

    90 村上 諄

  日本のクラシック音楽界で活躍した実力派のボーイ・アルトの名手としては、 村上 諄(あつし)の名前を忘れることができません。また、TOKYO FM 少年合唱団と暁星小学校聖歌隊という日本を代表する2つの団体に在籍していたことも特筆できます。TOKYO FM 少年合唱団では、低学年時より頭角を現し、クリスマスコンサートでは、「サンタクロースがやってくる」のデュエットで、聴かせる演奏をしてくれました。4年生の定期演奏会では「大きな古時計」のソロをしっとりとした歌声と落ち着いた気品のある態度で歌いあげました。本格的な大活躍は、この後から始まり、オペラでも小澤征爾指揮の「ジャンニ・スキッキ」のゲラルディーノ(ゲラルドの息子)役や、「タンホイザー」、「題名のない音楽会」にも出演した輝かしい履歴をもっています。今では、変声してバリトンですが、暁星小学校聖歌隊のチャリティコンサートには、OBとして現在も出演しています。なお、前述した村上賢の弟(3兄弟の末弟)でもあります。最近では、TOKYO FM 少年合唱団の舞台監督を務め、OB会のリーダーとして活躍していました。

     91  大場 寛朗

 TOKYO FM 少年合唱団は、ソリストの育成においても、すぐれた成果をあげていますが、大場 寛朗(ひろあき)も、その一人です。オペラでも小澤征爾指揮の「ジャンニ・スキッキ」のゲラルディーノ(ゲラルドの息子)役を村上 諄とダブルキャストで演じましたが、この少年を一躍有名にしたのは、「題名のない音楽会」の「未来の大器」シリーズで、「カロ・ミオ・ベン」を歌ったことです。当時小学6年生で、変声期に入って声がだんだん下がってきていることを告白していましたが、しっとりとした歌声と落ち着いた態度でこの歌を歌っていました。きっと、その1年前がボーイ・ソプラノとしては最高の時期だったと考えられます。声楽家志望ということなので、将来を期待しましょう。

      92 
秋山 直輝(1994~    )

 平成15(2003)年東京ヴィヴァルディ合奏団のクリスマスコンサートのソリストとして彗星のように現れた秋山直輝(なおき)は、当時まだ小学3年生。その年の4月に横須賀芸術劇場少年少女合唱隊の入団オーディションに合格したばかりでした。日本のボーイ・ソプラノには珍しいヨーロッパ系の透明度の高い美しさが注目されたのでしょう。母の歌う賛美歌を子守歌のようにして聴いて育ったことが、歌心を育んだとも言えるでしょう。
 デビュー当時は、クリスタルな声質と祈り心が一致した演奏が持ち味で、宗教曲にその特質が活かされていましたが、次第に抒情的な表現ができるようになってきました。次第に、レパートリーも広がって、イタリア古典歌曲やトスティの歌曲や映画「オズの魔法使い」からの「虹を超えて」や日本歌曲などにも挑むようになってきました。また、小学6年生(平成18年7月)には、ア・カペラによるソロコンサート(リサイタル)を行いました。このコンサートは、ボーイ・ソプラノに別れを告げる前に、これまで応援してきた人を招待して行われました。なお、低音域の充実は、小学5年生の終わり頃から顕著になってきましたが、はっきりと変声の兆候が現れたのは、小学6年生の冬以降です。しかし、変声期も自然な受け止めで、落ち着いた態度が変わることはありませんでした。
 また、変声中・変声後も訓練の賜かソプラノ音域を維持し、平成25年3月横須賀芸術劇場少年少女合唱団を卒団するまでファルセットを駆使して歌い続けていました。また、ピアノ教室のミニコンサート等では兄 智紀(ともき)の伴奏よる息のあった二人三脚の歌を聴くことができました。
  (秋山直輝のコンサート評等については詳述しますので、上記の青色の名前をクリックしてください。)

       93 檜垣 友哉

 平成18(2006)年7月、平成19(2007)年8月と2年にわたって、エリザべート音楽大学同窓会主催のフォーレ「レクイエム」のソリストをつとめた檜垣友哉(ゆうや)は、現在広島少年合唱隊の研究科(中学生以上が所属)に所属していました。小学1年生から在籍していますが、小学4年生頃から頭角を現してきました。広島少年合唱隊の定期演奏会等では、「ピエ・イエズ」がsoli で歌われることが多いのですが、平成19年のエリザべート音楽大学同窓会主催のフォーレ「レクイエム」をDVDで視聴する機会を得ました。その「ピエ・イエズ」は、透明度の高い音色で柔らかい響きとあいまって、この曲に求められる美しい世界を創り上げています。また、長髪が可愛い檜垣友哉の魅力は、ダンスにも見られ、「カンタール」の振り付けなどでは、そこはかとない色気さえ感じさせます。変声後も、広島少年合唱隊で歌い続けていました。

       94 カイ・シマダ(1994~    )

 日本人初のウィーン少年合唱団員のカイ・シマダは、平成6(1994)年生まれ。平成16(2004)年、グロリア少年合唱団員だった10歳の時にウィーン少年合唱団のコンサートを聞いて感動し、両親にも内緒でプログラムに載っていた連絡先に問い合わせをしたところ、ウィーンでオーディションを受けるようにとの通知が来て、合格し入団することができました。
 平成19(2007)年の日本公演に凱旋帰国したことは、大きなニュースになりました。ブルックナー・コアに在籍して、パートはアルトを担当。しかし、日本公演では、ソロは与えられなかったようです。当然のことながら、辛かったことは、最初ドイツ語ができなかったことで、歌についても、歌詞の内容が分からず、丸暗記するしかありませんでした。日本公演でも、漢字での日本名を明かさず、インタビューでもドイツ語で答えるように指導されていたのは、団の方針でありましょう。
 プロ野球の大リーグでも、野茂選手が活躍したことがきっかけとなって多くの日本人選手が大リーグ入りしたように、カイ・シマダが果たした功績は大きいと言えましょう。

       95 小澤  賢哲(たかあき)

 TOKYO FM 少年合唱団は、数多くのソリストを育成してきましたが、小澤 賢哲は、「SONY」の創業者でもある故盛田昭夫氏の人生をテーマにした祈りのカンタータ「天涯。」のソリストを務めたことで特筆されます。2006年から2007年にかけてハワイやモナコ公演を含め全曲を4回、「第8番」の抜粋を1回歌っています。これは小学6年生から中学1年生にかけてです。その歌声は、くせのない明るい朗々としているだけでなく、やさしさや温かい慈しみを感じ、癒されます。その歌声はCD化されており、今でも聴くことができます。
  また、TOKYO FM 少年合唱団の20周年の記念誌を読むと、TOKYO FM 少年合唱団に入ってよかったこととして「①気が合う友が作れた。②前より確実に歌が10倍うまくなった。③そして何よりマナーが良くなった。」と述べています。卒団前の定期演奏会では、少年少女のための「くいしんぼうの世界旅行」の中で「オー・ソレ・ミオ」を独唱しましたが、明るくよく伸びる声で、歌い上げました。この歌に対しては、「いよっ!待ってました。」と言う声がかかりそうな雰囲気を創り出していました。

       96 貞松  響(1995~    )

 ウィーン少年合唱団員として活躍した貞松響は、平成7(1995)年生まれの関西(おそらく大阪)育ちということですから、2008年の「シューベルトコア」の一員としての来日時は12歳(日本の学齢では中1)です。オーストリアを中心とするヨーロッパ勢の中では、小柄に感じました。コンサートでは、部分的にではありますがソロのパートを与えられ、「ねむの木の子守唄」の一節を歌いました。このときは清楚で基本に忠実なボーイ・ソプラノというイメージしか感じませんでしたが、中国公演における「旅愁」で聴く歌声からは、さらに伸び伸びとした濃密な抒情性を感じることができました。来日の翌年は「シューベルトコア」のトップソリストとなり、韓国公演では華のある歌声を聴かせてくれています。 中学3年生で卒団後帰国し、音楽の伝統校 京都堀川音楽高校で声楽を学んでいました。平成25年度には、全日本学生音楽コンクール大阪大会に入賞しましたが、入賞コンサートで歌ったメンデルスゾーンの「歌の翼に」と「シルヴィアによせて」、ドイツ語の歌詞の発音がはっきりしており、声質は低めのテノールという感じで、テノールでありながらも低音が美しく響いていました。その後、東京芸術大学声楽科に進学し、平成29(2017)年12月5日には、テレビ東京の「マジか、その後の人生、栄光を掴んだ天才10人、今を大追跡スペシャル」にラーメン店でアルバイトをしていることや、卒業後はミュージカル劇団に入団が決まっているという現時点では、成功者と言えるのではないかという紹介がされていました。なお、そのバックに流れる「オー・ソレ・ミオ」の歌声は、高音が明るく輝いていました。そのミュージカル劇団は、劇団四季であり、研修期間を経て令和元(2019)年10月3日にリトル・マーメイド大阪公演でデビューしました。

        97 川綱 治加来(1995~    )

  ミュージカルの子役で、主として舞台で活躍してきた川綱治加来(かわつなちから)は、変声前に「ママに捧げる歌」をCD化しています。細めの声質でやや直球気味ながら、歌の中に演じる要素を盛り込んでいます。平成7(1995)年3月1日東京都生まれの川綱は、幼児期よりCM等にも出演してきましたが、ミュージカルとしては、2001年 帝劇「質屋の女房」(長屋の子供役 他)、2004年 東宝「エリザベート」(少年ルドルフ役) 2005年 東宝「モーツァルト!」(アマデ役)と着実に芸歴を積み重ねてきました。「ママに捧げる歌」は、毎年「母の日」前後に来日しているリチャード・クレーダーマンのCDにもカップリングされています。成人後も、俳優・声優として映画・アニメ等で活躍しています。

       98 中島 信太郎(シンタロウ)

 川崎市出身で、オーディションに合格し単身ウィーンに渡り、少年合唱団の一員として世界各国を公演していましたが、平成21(2009)年春から夏にかけて日本へもワールドツアー公演で帰国しました。そのときは、13歳で、このときからウィーン少年合唱団では、団員名をファーストネームのみの表示にしています。従って、「シンタロウ」と紹介されました。Aプログラムではトップソリストを務めたばかりでなく、ソロと曲目の解説までやって大活躍しました。しかし、その当時の歌声は、やや細めで正統派の高音から低音まで均一の響きをもつものでした。また、耳になじんだ優雅で甘いウィーン情緒をもった女声に近いウィーン少年合唱団の歌声と言うよりは、日本とヨーロッパが融合したような澄んだ細めの少年の声でした。しかし、帰国後さらに歌声は艷やかに変貌を遂げていきます。
 14歳という年齢制限の関係で平成22(2010)年の6月には合唱団を卒業しましたが、その年の秋には、ヘンデルのオペラ「アルチーナ」にオベルト役で出演し好評を博しました。3幕からなるこのオペラでは、各幕にオベルトのアリアがあります。また、その年のクリスマスコンサートでは、ロイド・ウエッバーの「レクイエム」の「ピエ・イエズ」のデュエットをゲニア・キューマイアーと共に歌っています。この頃が、おそらくボーイ・ソプラノ((アルト)としての最後の時期ではないでしょうか。かなり艷やかな歌声になっていました。変声期の直前は、少年に歌も容姿も最高の輝きを与えると感じたものです。しかし、2011年1月の日常生活を描いた映像で歌声はソプラノでありながら、インタビューに応える声は既に低くなっていました。その頃は、カウンターテノールの技術を身につけていたのかもしれません。
 ウィーン少年合唱団は、東日本大震災により日本公演を中止しましたが、その代わりに、平成23(2011)年4月14日にチャリティー公演を行い、「ふるさと」など日本の歌を披露しました。その公演の中で、OBとなり同団付属高校(上級ギムナジウム)生となった中島信太郎は「勇気と希望を与えられるように歌いたい。」とメッセージを述べたことが、日本でも大きく報道されました。1年間、ウィーンで音楽を学び続けたあと帰国し、日本の高等学校に通っていました。

     99 北村 匠海(たくみ)(1997~   )  

  NHK「みんなのうた」の「リスに恋した少年」で歌手デビューを果たした北村匠海(きたむら たくみ)は、その後俳優として映画「ブタがいた教室」「重力ピエロ」「TAJOMARU」「沈まぬ太陽」「シュアリー・サムデイ」等や「鈴木先生」などのテレビドラマで活躍していますが、新たなレコーディングは見られません。平成9(1997)年東京都出身の北村匠海は、2006年に芸能界入りし、「リスに恋した少年」が放映されたときには、10歳でした。歌い巧者とは言えませんが、声そのものの素朴な美しさは、この曲のイメージにぴったりしていると言えるでしょう。その後は俳優として活躍していましたが、若手俳優ユニット・EBiDAN内のDISHというグループでも音楽活動しています。

      100 浅賀 玲音(れお) (1998~   )

  平成10(1998)年11月4日千葉県生まれの浅賀玲音は、NHKEテレの人気番組「天才テレビくん」の中で、「風の自転車」を歌い一躍人気者になりました。この歌は、柔らかくてしなやかな高音を駆使して歌われています。しかし、その年の夏に行われたインタビューでは変声期も始まっているとかで、この少年の声が最高の時期に歌声を残すことができたことがせめてもの幸いというべきでしょう。変声後も、歌は磨かれ、平成24(2012)年東京ヴィヴァルディ合奏団のクリスマスコンサートのソリストとして迎えられました。J-POP系の少年ソリストとしては、初めてのケースになるでしょう。

        101  吉井 一肇(はじめ 1999~    ) 

   8歳で、オーストラリア出身のシンガーソングライターピーター・アレンの生涯を描いたミュージカル『ザ・ボーイ・フロム・オズ』で、リトルピーター役デビューした吉井 一肇は、翌年は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のガブローシュ役など、舞台を中心に活躍していたので、歌には定評があったと思われますが、平成23(2011)年に公開された映画『エクレール・お菓子放浪記』では、主題歌ともいえる「お菓子と娘」を歌っています。また、この映画では、中国の第20回金鶏百花映画祭で外国映画部門の最優秀男優賞を受賞しています。その後、テレビでも、浪花少年探偵団(2012年7月 - 9月、TBS) 芹沢勤 役、八重の桜 (2013年1月 - 12月、NHK) - 成田才次郎 役、家族ゲーム(2013年4月 - 6月、フジテレビ) - 真田宗多 役などにも出演していますが、舞台を中心に活躍しているようです。

       102 魚住 龍太郎

  北九州少年合唱隊は、合唱そのものよりもミュージカルに重点を置く少年合唱団という認識をしています。それが正しいかどうかは北九州少年合唱隊の定期演奏会をはじめとするコンサートを長年追い続けた人だけが出せる答えだと思います。きっと、これまで多くの素晴らしいソリストたちを世に送り出したことでしょう。魚住龍太郎は、よく伸びる輝かしい美声を輝かせる歌唱で、短期間にトップソリストとして踊り出ました。小学5年生までは特に目立つ歌唱をしたという印象はなかったのですが、小学6年生で演じた「ピーターパン」のウェンディ役の清純な歌唱は、中学1年生の「星の王子様」のタイトルロールとしてさらにパワーアップして芯のある輝かしい声で演じ抜きました。この役は、最初から最後まで殆ど出ずっぱりです。この演目の再上演が可能かどうかとさえと思わせるその歌唱は、ステージではむしろ抑制された知性に裏付けられていました。

     103 松本 遊(ゆう)

 全国童謡歌唱コンクールは、多くのボーイ・ソプラノを世に送ってきましたが、松本遊もその一人です。ただしこのコンクールの採点・評価は、審査員の好みやその時代が求めているものが何かがかなり影響しているように思われます。中学1年生の平成25(2013)年に開催された第28回全国童謡歌唱コンクール 北海道ブロック決勝大会(大人部門)に出場して、「待ちぼうけ」を歌いました。その歌は、歌詞をくっきりと浮き彫りにするような歌唱です。個人のYoutubeチャンネルを持っており、そこから、小学6年生のボーイ・ソプラノで歌われたカッチーニの「アヴェ・マリア」から変声期を経て最新の歌声までを聴くことができます。なお、変声後は、テノールとして歌い続けています。平成28年、全日本学生音楽コンクール北海道大会、声楽高校生の部で1年生でありながら奨励賞を受賞しており、将来が期待されます。

       104  加藤 清史郎(2001~   )

  加藤 清史郎(かとう せいしろう)は、平成13(2001)年8月4日生まれの日本を代表する子役タレントです。平成21年放映の大河ドラマ『天地人』で樋口与六(直江兼続の幼少期)役を演じ一躍人気者となった加藤清史郎は、その後もトヨタ自動車の「こども店長」役でCMに出演。神木隆之介によってブーム化した「子役ブーム」を再現しました。そうなると、このブームに便乗するのが芸能界の常。NHKみんなのうたで平成21年夏に流れた「かつおぶしだよ人生は」で歌手デビューしました。この歌、題名からしてもわかるように「浪花節だよ人生は」を下敷きとしていますが、ネコの視点で描かれたかつおぶし讃歌の詩に、演歌風の曲がつけられています。さて、歌う加藤清史郎は、正確な音程で演劇的な歌を歌っています。なお、この曲は同年12月時点でCD売上約2万枚、音楽配信と着ボイスの合計で13万ダウンロードに達しています。同CDのB面?の「ランドセルどっかん」は、「1年生になったら」のような曲想の童謡で、背伸び感はなく、自然に聞こえます。なお、加藤清史郎は平成21年末の紅白歌合戦のスタートの司会を飾り、「かつおぶしだよ人生は」も歌っています。これは、8歳ということで、河野ヨシユキの男子最年少出場記録であった11歳を塗り替えました。
 その後、ミュージカルの分野にも進出。 レ・ミゼラブル(2011年4月12日~6月12日 帝国劇場 2013年8月~11月博多座・中日劇場・梅田芸術劇場・帝国劇場) - ガブローシュ役(トリプルキャスト)エリザベート(2012年5~9月 帝国劇場、博多座、中日劇場、梅田芸術劇場) - 少年ルドルフ役(クアドラプルキャスト)にも挑んでおり、ドラマではハスキーな声ですが、ミュージカルでは透き通る声で次第に歌唱力を高めていき、中学生の時は、カラオケバトルで好成績を残しました。
  ところが、中学生で声変わりが始まり、子役時代と比べ、顔つきや体形も変わっていくので、役者としても中途半端な時期に入り、この期間に知識や経験を蓄えておこうと留学を考え、高校の3年間はイギリス留学しました。帰国してこれから目指しているのは、「なんでもできる役者」だそうで、映画・テレビドラマで活躍していますす。

      105 
栗原 一朗(2001~   )

 クラシック系のボーイ・ソプラノとして活躍の目覚ましい栗原 一朗は、平成13(2001)年東京生まれですが、音楽歴は長く、3才からフレーベル少年合唱団に所属し、小学校低学年から次第に頭角を現してきました。平成20(2008)年の定期演奏会では、グリーグ「子どもの歌」「ノルウェーのおくりもの」から『神様のおくりもの』で出だしのソロを与えられ、将来を嘱望されました。翌年の定期演奏会では、歌劇「カルメン」ハイライトで、カルメンとミカエラの1人2役をやっています。ただ声質からして、ミカエラが適役と言えるでしょう。活躍はさらに広がり、最近では毎年10回以上コンサートに出演しています。とりわけ、六本木男声合唱団倶楽部のコンサートのカンタータ「天涯。」で、ボーイ・ソプラノのソロで4回出演したことは特筆されます。この曲では、ボーイ・ソプラノが曲全体を率いることが求められます。また、平成24(2012)年7月、日本福音ルーテル小石川教会で、ソロコンサートを行っています。また、同年、笛、フルート奏者の森田和美氏のアルバム「千年の渚」に収録されている『ありがとう』にソロ出演し、この歌はCD化されています。平成25(2013)年東京ヴィヴァルディ合奏団のクリスマスコンサートのソリストとして迎えられました。久しぶりのクラシック系の少年ソリストで、このコンサートは、ボーイ・ソプラノの繊細さを味わうという意味で記念碑的なものとなりました。
 その他、平成23(2011)年、ディズニーチャンネルで放送された海外アニメ『スモールポテト』では、アフレコで主役の一人を演じ
CMソング
歌手としても、「泡のチカラ エクストラクリーン」「クロレッツ アイス」花王「セグレタ」日本通運「環境を考える」るなど多方面でも活躍しています。小学校卒業を前に、7曲からなるCD「永遠」~Engel Song~を録音・発売しました。 決して大きな声ではないのですが、その歌唱の特徴は、その清澄な響きと抒情性にあり、「祈り」と「感謝」が伝わってきて幸福と直結する歌を聴くことができます。また、品のよい哀愁を感じさせるところもあります。
 それから、5年の時を経て、令和元(2019)年には、高校の文化祭のカラオケバトルで、King Gnu の「白日」を歌うなど、ファルセットを生かしながらも新境地の歌に挑んでいます。
(栗原一朗のCDやコンサート評等については詳述しますので、上記の青色の名前をクリックしてください。)

     106 髙田 彪我(さくらしめじ)(2001~   )

 フォークソングのデュオ「さくらしめじ」は、スターダストプロモーションの音楽グループで、EBiDAN39&KiDSの選抜ユニットです。平成26年7月に「雅功&彪我」としてデビューし、ストリート・ライブなどによって少しずつ頭角を現してきましたが、同年11月、「さくらしめじ」と改名し、シングルCD「いくじなし / きのうのゆめ」を発売するところまで至りました。翌年6月には「きみでした/せきがえのかみさま」をリリースし、平成28年1月「はじまるきせつ/さんきゅう」と3枚のCDをリリースしています。デビュー時点で田中雅功(がく)と髙田彪我(ひょうが)は二人とも中学1年生でしたが、田中雅功は既に変声期に入っており、現時点では音域的にはテノールで、髙田彪我のボーイ・ソプラノとの変声前後のデュエットという組み合わせというところに特色があります。また、ギターを肩に掛けタンバリンを首に掛けた姿で演奏するスタイルも特色です。
 髙田彪我の声質は、甘いロングトーンが特色であり、やさしそうな表情の歌と相まって癒し系の歌ややや背伸び気味の歌にそれが生かされています。
 髙田彪我を有名にしたのは、ドラマ「5→9」で女装した女学生役で俳優デビューしたことです。このような役でデビューすると、その印象が強すぎて役が狭められます。その後も、「家族ノカタチ」で今度は男子中学生役で登場しています。変声後も「さくらしめじ」として歌い続けています。

      107 未来 和樹(2002~  )

 平成29(2017)年、日本人キャストで上演されたミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」において、主演のビリー役は約2時間半のステージに出ずっぱりであることもあり、また、歌よりもむしろ多様なダンスやアクロバティックな動きが求められる難役なため、先ず、日本にそのような役を演じることができる少年がいるのかどうかということが危惧されました。しかし、この役を演じたいために海外からの帰国を含む1346人から約1年半に及ぶオーディションの結果、当初4人(後に追加されて5人)のビリー役が交互出演することになりました。その中で最年長15歳で歌のうまさでは飛び抜けていると思えるのが未来和樹です。なお、この名前は、どのように考えても芸名と考えられます。
 4歳より日本国際童謡館 専属歌手のそがみまこに師事し、全国各地の童謡コンサートに出演。5歳よりアルゼンチンタンゴを始め、ジュニアタンゴダンサーとして数々のタンゴショーに出演。9歳より作詞・作曲を始め、イベント等にオリジナルソングの弾き語りにて出演。10歳より児童劇団でミュージカルの勉強を始める。というふうに芸歴を積み重ねたことが、2012年 RKK杯 第21回歌王グランプリジュニア大会 グランプリ受賞。2014年 九州音楽コンクール ピアノ部門 銀賞受賞。2013年 第2回 RKKお話アカデミー 銀賞受賞。2015年 マルハニチロ「1秒OPEN!おいしいおさかなソーセージ」のCMに出演することにつながりました。この頃の歌声は、まるで明るい澄み切った空のようです。その後、ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」のビリー役募集のちらしを手にしたことがきっかけとなり、ついに、ビリーという大役を獲得しました。
 ビリー役を獲得した頃は、ボーイ・ソプラノとしては最後の時期にあたりますが、15歳の半ば過ぎまでボーイ・ソプラノの声を維持できたことそのものが、現代日本においては奇跡に近いことです。それだけに消える直前のろうそくが最も美しい輝きを放つように透明度の高い柔らかな歌声で言葉一節一節の意味をかみしめるようにつないで情感豊かに歌い上げました。さらに、繊細な演技・ダンスで観客を魅了しましたが、公演直前から痛み始めた成長に伴う脚の痛みのため、一時的には回復していたものの、予定されていた千穐楽公演を含む大阪公演を降板することになりました。なお、そのブログ・ツィッターの文章は、聡明で知的に洗練された中にも敬虔さや情愛を感じるものです。「ビリー・エリオット」上演中はもとより、終演後の11月から12月にかけて自らの変声期を迎えたことを綴ったツィッターは、まるで一編の美しい詩のようですが、何よりも、『僕の東京物語』という題で連載しているこの間の体験をもとにしたブログに綴られた文は、人間的な豊かさを感じさせるもので、とりわけ、第四章から最終章にかけて、どんな苦悩の中でも光を求め、人間として大切なことを忘れない姿は、読む者の胸を締め付けられるような想いにさせます。変声後も、「B×b LIVE MIRAI」を皮切りに、「NEWライブ・レボリューション~スッポンポンで愛を!~」に出演するなど、新たな活躍を始めました。2019年5月には、「未来和樹 SINGS HEART LIVE 2019」開催し、7~9月には、ミュージカル「オリヴァ-・ツィスト」のタイトルロールを演じました。
 なお、録音状態は必ずしもよくありませんが、下のアドレスでそのボーイ・ソプラノであった頃の独唱の片鱗を聴くことができます。
http://nana-music.com/users/2306881/

      108 小野 颯介

 TOKYO FM 少年合唱団は、数多くのソリストを育成してきましたが、小野颯介は、平成26(2014)年のクリスマスコンサートでは、14年ぶりの「アマールと夜の訪問者」の再上演でアマール役を演じました。本科3年の小学4年生頃から声に輝きが増してきましたが、5年生の時には、六本木男声合唱団のカンタータ「天涯」で、ソリストを務めるなどの活躍をしてきました。明るく輝かしい声質で、歌詞が非常にはっきりと聞き取れます。クリスマスコンサートの最後を飾る「きよしこの夜」では、輝かしいオブリガードを聴かせてくれました。なお、CD「天使のハーモニー ~ボーイソプラノの魅力~」では、Soliの一員として「赤鼻のトナカイ」「マリアは歩みぬ」「きよしこの夜」「BELIEVE」を歌っています。また、卒団後もその声はさらに輝きを増し、平成27(2015)年7月東京二期会オペラ劇場 モーツァルト:歌劇「魔笛」の3童子(1)役では、全体をリードする歌を聴かせてくれました。また、OBとして舞台の照明などのスタッフとして活動しています。

      109 響一(吉原 響一)

  平成27(2015)年、Youtubeに、ボーイソプラノ 響一 として、ヘンデルのオペラ「 セルセ」より「オンブラマイフ」 とモーツァルトのオペラ「 フィガロの結婚」より「恋の悩みを知る君は」を歌う姿が公開されましたが、そのプロフィールはわかりませんでした。平成28(2016)年 東京ヴィヴァルディ合奏団のクリスマスコンサートのソリストとして迎えられることで、そのプロフィールの一端がわかるようになってきました。平成28年度において中学2年生の吉原響一は、小学校5年生の時に西宮市内のキッズコーラスサークル「ffキッズ」に入会。その後、声楽を始めます。伊丹市民オペラ「子供と魔法」「カルメン」子ども役で出演。小学6年生の時、第20回 神戸国際音楽コンクールでは、声楽部門で最優秀賞と兵庫県教育長賞を受賞し、 中学1年生の時には、大阪国際音楽コンクールで第3位を受賞している本格的なクラシック系のボーイ・ソプラノです。「オンブラマイフ」では、柔らかい発声と豊かな声量が際立っており、「恋の悩みを知る君は」ほのかな色気を感じる歌を憧れをもって歌っています。

       110 松井 月杜(つきと)(2003~   )

 平成15(2003)年7月1日生まれの松井月杜は、ミュージカルを中心に活躍する少年俳優。小学2年生頃から音楽劇「赤毛のアン」のチャーリー役、「ブラームスとシューマン、そしてクララ」のオイゲ二-役、本邦初演のオペラ「ハーメルンと笛吹き男」のウィリー役ミュージカルなどに出演し、頭角を現してきました。さて、松井月杜を一躍有名にしたのは、2013年に各地で公演された『レ・ミゼラブル』ガブローシュ役で、加藤 清史郎や鈴木 知憲とトリプルキャストで演じたことです。その他CMソングなども歌っています。
 平成26(2014)年7月にはテレビのカラオケバトルで、「アナと雪の女王」の「生まれて初めて」を歌い、その実力を示しました。明るい声質の歌い巧者で、ドラマを創っていきます。同年 9月10月には、ミュージカル『ファントム』に ファントム(エリック)少年時代で、平成27(2015)年には「エリザベート」の少年ルドルフ役で出演するなど、キャリアを重ねてきました。同年9月に日本公開された映画「ボーイ・ソプラノ」の公開直前に開かれたトークイベントでは、ミュージカル「ビリー・エリオット」のナンバー「エレクトリシティ」で、さらに磨きのかかった歌声を聴かせてくれました。 平成28(2016)年 11月12月「ミュージカル『黒執事』~NOAH'S ARK CIRCUS~」にドール役で出演予定でしたが、10月末に変声期を迎えたため、設楽銀河と交代することになりました。ボーイ・ソプラノとして最高の時期に変声期を迎えたことは惜しまれますが、新しい歌声でステージに甦ってくれることを期待しています。

      111 小川 歩夢(あゆむ)(2003~   )

 平成15(2003)年生まれの小川歩夢は、9歳より波田光保氏に師事して声楽を始め、半田市にあるFa Fleur児童合唱団に所属していました。平成26(2014)年度には第11回東海音楽フェスティバル 童謡部門で金賞、中日新聞社賞、翌年の平成27(2015)年度第11回東海音楽フェスティバル 童謡部門で再び金賞を獲得しました。さらに、小学6年生であった平成27(2015)年、常滑市に新たに誕生した常滑少年合唱団にも参加してクリスマスコンサートに出演しました。そこでは、ロイド・ウェッパーの「ピエ・イエズ」のデュエット等を歌っています。小学校卒業後の平成28(2016)年3月27日には、郷土半田市の赤レンガ建物で、午前午後2回のリサイタルを行いました。この時歌われた歌は、唱歌から日本歌曲、ミュージカルナンバーから「オンブラ・マイ・フ」「ハナミズキ」まで多彩です。声質は、まっすぐでありながらもしなやかで、低音から高音まで均一な音色でボリュームもあります。「オンブラ・マイ・フ」は、堂々たるつくりで輝かしい響きを聴かせますが、好みという「ハナミズキ」は、原曲を生かしながらも歌う崩すことなく、節度のある歌を歌っています。また、本来合唱曲である唱歌集の「日本の四季」を独唱で変化をもたせて歌い切るということにも挑みました。この歌声からは、多くの可能性を感じます。

       112 安藤 佑晟(ゆうせい)

 インターネットの発達は、Youtube等の形で、少年の歌声の成長を克明に記録するようになりました。栗原一朗もその一人ですが、もっと幼い時から小学4年生までの歌声の記録を残した少年に安藤佑晟がいます。木下音感学院の東京合同音楽祭で、その独唱を聴くことができます。1歳から歌を始めたそうですが、2歳9か月の時の「シックス・オクロック」から1年ごとに幼さから脱皮して、現時点では小学4年生の時のトスティの「理想(邦訳)」までを聴くことができます。特筆できるのは、小学2年生の「Believe」を境に飛躍的に歌唱力が高くなっていることです。やや細めの声ですが、明るい声質でくっきりとした美しい日本語の独唱を聴くことができます。なお、木下式とは、音楽教育家 木下達也が考案した音感教育法で、発声練習の過程で聴覚を磨き絶対音感を身につけさせる幼児期の音楽総合教育です。

       113 鈴木   福(2004~   )

 平成16(2004)年生まれの日本の子役 鈴木 福は、幼児期よりNHK教育の「いないいないばあっ!」で芸能界デビューし、平成22年には、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」などに出演しました。ところが、平成23年4月期のフジテレビ系ドラマチック・サンデー『マルモのおきて』に、双子の弟の笹倉友樹役で出演したことから、その主題歌「マル・マル・モリ・モリ!」でCDデビューすることになり、これが大ヒットしました。この年には、秋の運動会等でこの曲を踊った幼稚園や小学校が多く出ました。そして、同年12月31日に行われた第62回NHK紅白歌合戦に「マルモのおきて」で共演した芦田愛菜とともに白組最年少の7歳199日で出場するという記録をつくりました。翌年にはシングルCD「イヤイヤYO?!!」を出しています。そのほかにも、声優としても「ハッピー フィート2 踊るペンギンレスキュー隊」のエリック 役や「マクダルのカンフーようちえん」のマクダル役で活躍しています。明るくはっきりしたよく聞き取れる声で音程もしっかりしていますが、歌そのものよりも振り付けが見ものですので、あくまでも子役として評価すべきでしょう。その後、映画やドラマで大活躍しています。
 その後、平成28年には、「芸能人対抗!家族のキズナ歌合戦」で、おじや妹弟と共に、「君をのせて」を歌ったりしましたが、平成29(2017)年2月に東京・日生劇場で上演されるミュージカル「ビッグ・フィッシュ」のウィル・ブルームの子供時代に出演しました。さらに中学校に進学したこの年の10月8日にNHKホールで行われた全国学校音楽コンクール小学校の部の司会者に抜擢され、歌声を披露してくれました。ミュージカル「トゥモロー」のソロの一節をはじめ、即興的な歌を聴いても、かなり本格的な歌の勉強をしたことが伺える歌を聴かせてくれました。平成30(2018)年中学2年に進級してから、変声期は訪れましたが、テレビを中心に活躍しています。

      114 石橋  陽彩(ひいろ)(2004~   )

 4歳から歌とダンスを習い始めていましたが、TBSの歌のコンテスト番組「Sing! Sing! Sing!世紀の歌声!生バトル 日本一の歌王決定戦」(2015年)でジュニア部門グランプリを受賞するなど歌の天才少年として注目されています。また、テレビ東京のカラオケ・バトルにも小学5年生11歳頃ごろから登場し、その歌唱力の高さが全国的に知られるようになりました。さらに、平成29(2017)年には、日生劇場ミュージカル「フランケンシュタイン」のリトル・ビクター役に出演して、芸域を広めました。
  そして、平成30(2018)年3月に公開されたディズニー/ピクサーの最新映画「リメンバー・ミー」の主人公ミゲルの日本語吹替版声優に選ばれ、セリフと共に主題歌等数曲も披露することになりました。ボーイ・ソプラノ特有の張りのある歌声ですが、声に頼ることのない情感豊かな表現が魅力的です。「音楽はいつまでも」「音楽が僕の家族」「リメンバー・ミー」と曲想の違う歌を歌い分けて、どれも見事な出来栄えです。特に、主題歌の「リメンバー・ミー」の場面による歌い分けは見事なものです。アフレコでは『小学校5年生くらいの高い声で』と指示されていて、ちょうど声変わりの時期と重なっていたので、高い声を出すことが一番難しかったそうです。しかも、収録期間が長かったので、夏休みを挟んで録った時、以前よりもさらに声が低くなっており、ファルセットをたくさん出し、高音をキープすることで音域の幅を広げたいと思ってやってきてはいましたが、今回は全曲キーがすごく高かったので、高音を出すのが大変でしたと語っています。しかし、そのような裏話を聞かなければ、それを感じさせません。
  Youtubeのチャンネルももっており、8歳ぐらいからの歌声の成長を聴くこともできます。カラオケ・バトル等で歌われた歌は、明るくリズミカルな歌声ですが、国歌斉唱ではよく伸びる丁寧な歌い方で、いろいろな曲にふさわしい歌唱をすることができることを感じます。平成30年の夏から秋にかけては、テレビにもたびたび出演して新しい歌声で「リメンバー・ミー」を歌いました。変声期を非常にうまく乗り越えたと感じますが、声変わりが安定するまで歌手活動を一時、お休みすることを決意しましたが、漫画『海獣の子供』のアニメーション映画版の「海」役に、声優として登場しました。また、変声期を経て、令和2(2020)年7月から自身のYouTubeチャンネルで作詞・作曲も手がけた「ひまわり」という楽曲で活動を再開させました。

       115 港 康輝(2004~   )

  北海道出身の港康輝は、小学4年生から民謡を始めていましたが、中学2年生の時、テレビ東京系列の「THEカラオケバトル」の平成30年5月23日放送に出場し、長山洋子の「じょんがら女節」を熱唱して優勝したことから、にわかに脚光を浴びるようになりました。歌唱歴を調べてみると、平成29年8月には道内最大規模の民謡大会「北海道知事優勝旗争奪全道民謡決勝大会」に苫小牧地区予選優勝により初出場し、少年少女の部で3位に入賞。また、同年8月の浦河港まつりの人気イベント「第6回全道カラオケNO1決定戦」で一般の部に初出場ながら、坂本冬美の「また君に恋してる」で初出場史上歴代最高得点更新で優勝しています。また翌月は、「THEカラオケバトル」で石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」を歌いました。港康輝の歌声はソプラノの音域であり、歌唱力もありますが、中学2年生の9月に変声期を迎えました。しかし、民謡等で活躍中です。

       116 松野 孝昌

 大垣少年少女合唱団に、近年稀に見る美声のボーイ・ソプラノがいるという評判は、真実でした。松野孝昌は、日本では珍しいヨーロッパ系の知的で繊細な歌声が持ち味の、日本では秋山直輝・栗原一朗の歌声の系列につながる少年です。小学6年生の4月に歌われたフォスターの「夢路より」は、1番は英語で2番は日本語で歌われましたが、特に英語の歌は、繊細で透明度の高い歌声が活かされていました。また、合唱組曲「くるみ割り人形」でも、ソロ部分の担当をしました。しかも、このような声質でありながら、声量もかなりあります。素材を生かした選曲をすることによって生かされることでしょう。さらに、中学1年生の4月に歌われたシューベルトの「アヴェ・マリア」は、日本語訳のものでしたが、よく響くゆったりした歌唱で、このようなリリックな声質としてはたっぷりとした声量もあり、昨年よりもさらに磨きがかかったように感じました。中学2年の4月に行われた定期演奏会では変声期に入っていましたが、ロイド・ウェッパーの「ピエ・イエズ」を歌いました。

       117 宮下 大輝

 TOKYO FM 少年合唱団所属で、平成27(2015)年小学5年生のときは、クリスマスコンサートでは、歌劇「アマールと夜の訪問者」のタイトルロールを歌い、翌年3月の定期演奏会では、フォーレの「小ミサ曲」の「Benedictus」を歌いました。声質は、やわらかで穏やかで、清純な歌声です。その歌声は、「アマールと夜の訪問者」においては、夢見がちなアマールの性格をよく表していました。また、「Benedictus」では、心の安らぎを与えていました。

       118 栗橋 優輔

  TOKYO FM 少年合唱団は、名ソリストを世に送っていますが、輝かしい声と演技力で心に残る演奏をしたのが栗橋優輔です。卒団したときは本科3年ということですから、3年生の時に入団しその後急に頭角を現したと考えられます。平成27(2015)年小学5年生のときのクリスマスコンサートでは、歌劇「アマールと夜の訪問者」のカスパール王は、繊細な高音が美しく、しかも芸達者で自分に都合のよいところだけ耳が聞こえているのではないかと感じさせるほどでした。実は、この年の7月には、東京二期会オペラ劇場 モーツァルト:歌劇「魔笛」の3童子(1)役をダブルキャストで演じているという記録も残っています。輝かしい声のピークは、平成28(2016)年3月の定期演奏会の"おぺら・オペラ・OPERA"におけるアマールと母のデュエットだったのではないでしょうか。

      119  込山 直樹

  三田少年少女合唱団に在籍していた込山直樹の名が広く知られるようになったのは、平成28(2016)年7月に兵庫芸術文化センターで行われた、佐渡裕指揮のブリテン「夏の夜の夢」公演で四人の精霊の内の一人、蜘蛛の巣役で出演した小学6年生の時です。さらに翌年、中学1年生の7月、バーンスタイン作曲「ミサ」特設児童合唱団のオーディションで、「ミサ」において重要な役となるボーイ・ソプラノに選ばれた込山直樹は、透明度の高いボーイ・ソプラノと自然な演技で期待に応える活躍をしました。指揮をした井上道義は、
「大人がいろんなものを背負って自滅したあと、ボーイ・ソプラノが現れて美しい希望の歌を歌います。これは良いボーイ・ソプラノでないとダメなのです。ボーイ・ソプラノは寿命が短い。でも大阪で込山君と巡り合えた。神様はいるなと思ったよ、本当に。」
と、語っています。なお、バーンスタイン作曲「ミサ」は、「題名のない音楽会」でも採り上げられ、ハイライトですが、その歌声は、平成30(2018)年3月に全国放送されました。
 その後は、平成29(2017)年11月、幕張メッセにて開催された音楽イベント「ユーリ!!! on concert」や12月には「ミサ」で共演したカウンターテナーの藤木大地のリサイタル」にゲスト出演しています。また、平成30(2018)年3月には、大阪フィルハーモニー交響楽団との共演では、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」より「Voi che sapete」を歌うなど、活躍し続けています。10月発売の藤木大地のCD「愛のよろこびは」においては、 「天使のパン」で共演しています。

        120 中川 健太郎

  TOKYO FM 少年合唱団所属で、平成28(2016)年小学5年生のときの、クリスマスコンサートと翌年3月の定期演奏会で、「キャロルの典礼」の中で、「その幼な子」のソロに紀要されたのが、ボーイ・アルトの中川健太郎です。ビロードのようなたおやかで気品のある歌声で、しっとりと歌っていました。3か月の間にさらに磨きがかかり、声量もアップしたように感じました。また、「アメイジンググレイス」でも、そのようなことを感じました。また、小学5年生の秋には、新国立劇場 プッチーニ「ラ・ボエーム」の第2幕でで子ども役も演じています。

        121 安井 結木

   平成30(2018)年9月21日に公開された映画「コーヒーが冷めないうちに」における挿入曲「2000/12/24 」で、「ラララ」で歌われる1分余りの曲の歌唱そのものはよく伸びるソプラノヴォイスで、たいへん美しいですが、この歌を歌ったのは、フレーベル少年合唱団の安井結木です。安井結木を調べているうちに、フレーベル少年合唱団によって歌われたCD「にじ」の中で、バルトークの「ミクロコスモス」の65番「問答」を歌っていることがわかりました。元々は、ピアノの練習曲集であったものに、作曲者自身のご子息に歌わせるために、歌詞を付けたものですが、日本語とハンガリー語で交互に歌われた約1分ほどの素朴な歌です。レコーディングは平成28(2016)11月で当時小学5年生ということですから、録音としては、こちらの方が前になると考えられます。

       122 山田 晋太朗

 平成28(2016)年童謡こどもの歌コンクール(旧名 全国童謡歌唱コンクール)で金賞を受賞した山田晋太朗は、それまでにも劇団四季のミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の次男クルト役を演じています。受賞曲の「かなしみよ さよなら」は、明るい声質ながら、曲想を生かして非常に表情豊かに歌っています。歌役者としての資質を感じさせる歌です。この時点では、まだ、これからボーイ・ソプラノの頂点に向かって伸びていくものと考えられます。

       123 岡村 要(かなた)(2005~   )

 岡村要は、小学2年生から5年間「虹のくにミュージカル」に所属して歌、芝居、ダンスを学び、平成27(2015)年2月公演新作ミュージカル「ミスターパーマー!」の子分役で出演し、平成30(2018)年4月には、ブロードウェイミュージカル 『big』のビリー役、同年12月には、保護犬・保護猫の現状を描いたミュージカル『HAPPINESS 』のサン役で出演しています。明るい声質とはっきりとした滑舌が持ち味という評判です。さらに、同年11月に発売されたCD「めざせ!ミュージカル☆キッズ~歌ってみたい&オーディションに役立つソング集」では、「メモリー」を独唱しています。岡村要は、曲の流れによって声を使い分けながら大きな山場をつくり、劇的な表現をしています。たいへんうまみのある歌ですが、このうまみは一歩間違うと臭みにもつながるとも感じました。舞台においては、このような表現力が必要になってくるのでしょう。また、令和元(2019)年現在は、「ソプラノ♪7(セヴン)ボーイズ」の一員でもあります。そのデビューを飾る「青松寺花まつりコンサート」の「ふじの山」のソロでは、なかなかドラマティックな曲の山場づくりをして、富士山の雄大さを表現しようとしていました。続いて、4月27日より開催された第95回 日本選手権水泳競技大会 / JAPAN OPEN 2019では、そのオープニングで、国歌「君が代」を河合慈杏と共に斉唱しましたが、正統な歌い方で国歌とはこのように歌うんだという規範を示したように感じました。さらに、同年9月には、CD『Let’s Go! 令和(れいわ)キッズ こどもヒット・ソング』 で、「リメンバー・ミー」を独唱しています。高音はややファルセット気味ですが、全体的には清純さを前面に出した透明度の高い歌唱で、「メモリー」にみられたようなあくの強さを排した歌になっています。同年10月の横浜音祭り 街に広がる音プロジェクト2019 @里山ガーデンでは、「あめふりくまのこ」 を歌いましたが、変声期に入って高音が裏返ったりして出にくそうな所もありましたが、ファルセットの使い方がうまく、物語歌として、よくまとめていました。また、情感豊かな語り口は、司会をしたときにはっきりと感じることができます。1st はっぴょう会では、「四季の歌」を歌いましたが、一つ一つの詩の言葉に込められた意味を伝えようとする表現力豊かな歌唱でした。2ndはっぴょう会では、リモート出演で近況報告しました。まだ話し声は、高かったのですが、変声期や高校生活との両立等を考えて、中学校卒業のタイミングでソプラノ♪7ボーイズを卒業しました。
 
       124   山口 れん (2006~  )

 ミュージカルの少年歌手として確実な力を示してきた山口 れんは、平成29(2017)年ミュージカル「ビリー・エリオット~リトルダンサー~」のマイケル役で、全国的に知られるようになりましたが、それまでにも、フジテレビ「ほんとにあった怖い話2014」ほん怖クラブメンバーとして出演。平成28(2016)年NHK ABUアジア子どもドラマシリーズ「まねきねこ」で主演を務め、また舞台やCMでも芸歴を重ねてきました。何と言っても、きれいな声で気品のある正統派の歌が歌えることが持ち味と言えるでしょう。それは、「ビリー・エリオット~リトルダンサー~」のマイケル役を務めた時のインタビューでは、役づくりの工夫と共に、「習い事はたくさんしていますが、音楽、演技、ダンス、スポーツ、全体的に他の人よりすごく出来る!という特技はないので、一つずつもっと頑張っていきたいと思っています。出来ないことがあるととても悔しいので、毎日頑張りたいです。」と、小学5年生とは思えないほど、自分を厳しく見つめる目をもっており、それが芸を磨く根源になっていると思われます。その後は、ミュージカル「ジュニア」や、CD「めざせ!ミュージカル??キッズ」の「アイスクリームのうた」のソロで活躍してきました。この歌は、童謡ということもあって大げさな表現をせず、綺麗な歌声で、「ぼくは王子ではないけれど」と歌いながら、王子様のような気品のある歌を歌っています。平成31(2019)年2月14日、ボーイ・ソプラノユニット「ソプラノ♪7ボーイズ」の中心的メンバーとして新たな活動を始めました。同年10月の横浜音祭り 街に広がる音プロジェクト2019 では、変声期に入っていましたが、「翼をください」を丁寧に歌い上げました。1stっぴょうかいでは、卒業演奏の意味も込めて、ミュージカル「ライオンキング」の4人のヤング・シンバ役に対応するシンバの教育係のサイチョウ ザズー役を演じましたがは、脇役ながら「これは、うまい!」と、感心させる出来栄えでした。また、ミュージカル「モーツァルト」より「僕こそ音楽」の独唱は、 この曲に挑めるほど声が安定してきたのかという喜びを感じると同時に、表情の変化において丁寧で誠実な歌づくりが心に残りました。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、司会に加え、「民衆の歌」で、現在の歌声を聴かせてくれました。

      125 島田 裕仁(ゆうと  2006~   )

 平成27(2015)年12月22日に地上波でただ一度だけ放映されたゲームソフト「ドラゴンクエストビルダーズ」のCMであの歌を歌っているのは誰と評判になった島田 裕仁(ゆうと)は、平成18(2006)年11月28日生まれの当時8歳であることがわかりました。CMやミュージカル 『王様と私』の甘えん坊王子役『南太平洋』のジェローム役等、舞台を中心に活躍しています。平成29(2017)年には、念願だった『レ・ミゼラブル」のガブローシュ役で帝国劇場の舞台に立ちました。素直な発声で表情豊かな歌が歌われています。映画・テレビ・CMなどでも活躍していますが、その後は、令和元(2019)ムジカ・ピッコリーノ20分拡大特集番組「外伝」においては、ベートーベンの第9交響曲の合唱部分のテノールパートをソプラノで歌うなど、実力を発揮しました。なお、漢字で書けば昭和天皇と同じ名前ですが、「ゆうと」と読みます。

      126 大村 晴空(はるく 2006~    )

 大村晴空はお笑いコンビ、トータルテンボスの大村朋宏の息子です。大村晴空の歌が世に知られるようになったのは、Twitterの力によるところが大きいです。「千鳥のクセがスゴいネタGP」で父への愛やトータルテンボスの現在の認知などの嘆きを替え歌にして披露し、作詞能力と歌声が絶賛されています。しかし、「カラオケバトル」では、替え歌でない歌を披露しました。特技はギターでかなりの腕前で、将来の夢はBUMPOFCHICKENのようなバンドマンになることだそうです。このような才能は、母方の祖父で音楽事務所を経営する、ギタリストの北垣響絃から引き継がれているのかもしれません。歌の特質は、明るい声で感情をまっすぐに伝えるところです。中学校卒業直前に変声期に入りました。

      127 近藤 匠真(2006or2007~   )

  平成29(2017)年第32回童謡こどもの歌コンクールでは、「ふるさと」を歌って、子ども部門 銅賞を獲得して、その清純な声質と歌唱が注目された近藤匠真は、音楽系の中学校に進学後、令和2(2020)年YTJミュージカル「ALICE IN Wonderland」キング役 、ニュージカル『スクールオブロック』メイソン役が期待されていましたが、コロナ禍のため、公演が中止されましたが、第35回童謡こどもの歌コンクールでは、「早春賦」を歌って 大人部門 銅賞、また、第39回全日本ジュニアクラシック声楽では、トスティの「セレナータ」を歌って4位(第1位~第2位 該当者なし)を獲得しました。「ふるさと」と「早春賦」と「セレナータ」は、その録画が公開されていますが、聴き比べると、抒情性や曲の山場づくりに大きな成長を感じます。

      128 近藤 利樹(2007~   )

 「ナニワの光速ウクレレ少年」として、最近注目を浴びている近藤利樹は、7歳よりウクレレを始め、平成28(2016)年、9歳でソニーミュージックソニックアカデミーウクレレコンテスト優勝。第8回 ジ・ウクレレコンテスト関西予選では、入賞と頭角を現してきました。数々のイベントやメディアに出演しながら、ハワイを代表するウクレレブランド、「KAMAKA」のEndorsements Artistとして活動しています。その後も、「学園天国」のカバーで、歌にも非凡なものを感じさせました。現在は、NHK Eテレで放送されている、子どもから大人まで楽しめる音楽番組『ムジカピッコリーノ』にレギュラー出演していますが、平成30(2018)年6月、「みんなのうた」に、「デッカイばあちゃん」を歌うことで、全国的に知られるようになりました。歌声は、明るいトーンが魅力的でしたが、小学6年生の夏には変声期に入りましたので、ウクレレの新曲は聴けますが、ボーイ・ソプラノの新曲は聴けなくなりました。ウクレレの演奏に期待しましょう。 

 129 久保 陽貴(はるき 2007~   )

  久保陽貴は、広島県三次市出身で、歌を歌うことが大好きなのは、父 久保政明譲りです。10歳の時に、“テレビに呼んでもらえるような歌を歌うように”と父と話し合ったそうです。なお、父 久保政明は、NHKのど自慢の優勝者でもあり、2017広島フラワーフェスティバル演歌の部では「花の時・愛の時」を歌って、優勝するなど、地元では、引っ張りだこの歌手で、「歌う公務員」と、呼ばれています。このとき、久保陽貴は、ポピュラーの部で「あなたがここにいて抱きしめることができるなら」を歌って3位入賞しています。ところが、翌年、小学6年生の時に久保陽貴は、2018広島フラワーフェスティバルで演歌の部で「海鳴りの詩」を歌って優勝しました。なお、久保陽貴がカラオケバトルに出るようになってからは、久保陽貴へのオファーばかりで、お父さんの出番は減ったそうです。YouTubeチャンネル「久保っち」とツイッター「@mac0168」では、実際に歌ってる動画もアップされており、父 久保政明のYouTubeチャンネルから10歳ごろからの歌声の成長を継続的に聴くことができます。ボーイ・ソプラノの時期は、明るい声質ですが、その歌い上げるような歌と歌える歌のジャンルの広さがその特質です。例えば、「リメンバー・ミー」では、歌の山場づくりの妙を聴くことができます。令和2(2020)年1月5日に放映された『THEカラオケ★バトル』では、「瞳をとじて」を歌い、その華麗に歌い上げる歌声は魅力的でしたが、この歌唱が注目を受け、7月にNHKEテレ『沼にハマってきいてみた』にも出演しています。ここでは、特にマイケル・ジャクソンの歌をどのようにして身に着け、自分なりの表現にしていったかが描かれています。先ず、まねるところから出発し、次第に自分の歌にしていく過程が描かれており、まさに「守破離」の過程を実践していると感じました。また、同年11月1日の『THEカラオケ★バトル』では、Uruの「あなたがいることで」を歌いました。
  ここまでは、予選出場まででしたが、翌年の令和3(2021)年28日に放映された『THEカラオケ★バトル』は、予選で「115万キロのフィルム」を歌って決勝進出し、決勝では「歌うたいのバラッド」を歌いました。この時期は、少し変声期に入っていたようですが、この直前に、AIマシーンは、100点を出したことから、久保陽貴は、すべてを擲ったようにかえって声そのものよりも歌を聴かせるように歌っていました。変声期に入ってややハスキーな歌声と言葉の一つ一つを大切にする発声と語尾の処理の上手さが際立つ久保陽貴は、この時期、変声期をどう乗り越えるかという課題と向き合いながら歌っていました。謙虚な姿勢は、態度にも文章にも表れています。なお、審査員で音楽プロデューサーの松尾潔は、その歌声を「何回聴いても心が震える。こんな歌が歌えることを“才能”と呼ぶのではないか。」と絶賛しました。同年5月9日の『THEカラオケ★バトル』では、予選で 「花になれ」を歌って決勝進出し、「愛のカタチ」を歌いました。変声期を意識してか、音域的に無理しない選曲でしたが、抒情性において優れた演奏をしていました。もともと、ボリュームのある美声を響かせるというタイプの歌ではないだけに、歌を通して何を描こうとするかが聴きどころです。6月21日『THEカラオケ★バトル』では、予選で「I LOVE YOU」を決勝では『HOME』を変声期と向き合いながら、そのときどきにあった選曲をして、声よりも歌そのものを聴かせる姿勢は、変声期にマイナスイメージしか持たない人の意識を変え、多くのファンを生みました。7月11日に放映された『THEカラオケ★バトル』では、「名もなき詩」を歌って決勝出場し、「会いたくて 会いたくて」を歌いましたが、どのようなジャンルの曲もそれらしい雰囲気を醸し出す歌唱ができ、これが変声期最中の少年の歌かと思わせるような歌でした。夢は、18才まではテレビ東京のカラオケバトルに出場させてもらい好きな曲を歌うこととしています。10月3日に放映された『THEカラオケ★バトル』では、変声期の中、決勝まで進み、『花束のかわりにメロディーを』『東京』『YELL』の3曲の歌を聴くことができました。結果は準優勝でしたが、味わい深さという意味では、『東京』が一番情感豊かな歌で、心に残りました。変声期の歌声ですから、歌声に「深み」が出てきたとまでは言えませんが、以前よりさらに歌声に立体感が出てきたように感じました。12月12日に放映された『THEカラオケ★バトル』では、スキマスイッチの「奏」を歌いましたが、声は安定してきていました。
  令和4(2022)年1月16日の『THE カラオケ★バトル』では、「ジュリアに傷心」を歌いました。この歌では、変声期も終わりに近づき、歌声に艶とそこはかとない色気が出てきました。また、この番組に出演するたびに、新たなファンを獲得しているようで、『じゃろ組』というネットのファンクラブもできているようです。高校生となった6月19日に放映された『THEカラオケ★バトル』の予選では、桑田佳祐「SMILE~晴れ渡る空のように~」を歌いましたが、変声期を約80%(本人談)超えていたこともあり、安定した声で最後に来る山場にもっていく物語歌を歌いました。決勝では、コブクロの「流星」を歌いましたが、夜空の景色が浮かんでくるような叙景詩でありながら、抒情的な歌唱でした。
   久保陽貴が、『THE カラオケ★バトル』で歌った歌の一覧は、次のようです。

放 映 日

創 唱 者

曲  名

令和2(2020)年1月5

平井 堅

「瞳をとじて」

令和2(2020)111

Uru

「あなたがいることで」

令和3(2021)3月28日

Official髭男dism

115万キロのフィルム」

斉藤 和義

「歌うたいのバラッド」

令和3(2021)5月9日

指田 郁也

「花になれ」

海蔵 亮太

「愛のカタチ」

令和3(2021)年6月21

クリス・ハート

I  LOVE  YOU

アンジェラ・アキ

HOME

令和3(2021)711

Mr.Children

「名もなき詩」

西野 カナ

「会いたくて 会いたくて」

令和3(2021)711

清水 翔太

「花束のかわりにメロディーを」

JUJU

「東京」

いきものがかり

YELL

令和3(2021)1212

スキマスイッチ

「奏」

令和4(2022)116

チェッカーズ

「ジュリアに傷心」

令和4(2022) 年6月19日   桑田   佳祐 「SMILE~晴れ渡る空のように~」
   コブクロ 「流星」 

 130 深澤 幸也(こうや 2007~    )

 深澤幸也は、子役として、舞台では松竹『トリッパー遊園地』東宝『夫婦漫才』 ミュージカルでは、『ソーォス!』『タイムトラベラー』『鏡の法則』、テレビ番組では『グレーテルのかまど』などに出演して芸歴を積んできました。平成30(2018)年には、CD「めざせ! ミュージカル☆キッズ」では、男子12名でミュージカル「南部の唄」より 「ジッパ・ディー・ドゥ・ダー」を歌っていますが、その後ソプラノ♪7ボーイズに入りました。その1st はっぴょう会において、山田耕筰の歌曲「まちぼうけ」を一人芝居で歌い演じるという意外性のある独唱を歌い演じました。このような演奏では、どうしても一人芝居の部分に目が向きちですが、深澤幸也は「人間の愚かさ」を演じながらも、歌においては、たいへん気品のある演奏を聞かせてくれました。また、時系列で述べれば、同年に公開された「中学生と学ぶ憲法」「中学生が会社設立に挑戦!」などの時事問題の司会・進行のような役では、真摯な中学生の役になりきっています。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では竹内彰良、中村海琉と共に「かっぱのクィクォクァ」 のクィ役を演じ、志村けん演じるおばあちゃんを思わせるような三枚目の歌を歌いました。このような幅広い歌と芝居ができます。令和3(2021)年10月には、ドラマ・映画『おいしい給食 season2』では、生徒 工藤学役で出演し、同年12月26日のソプラノ♪7ボーイズが行ったインスタライブでは、吉浦陽とミュージカル『CATS』のデュエットを歌いました。令和4(2022)年5月公開の、映画『劇場版 おいしい給食 卒業』に出演しています。6月12日のソプラノ♪7ボーイズの第3回インスタライブ(卒業演奏)では、吉浦陽とこの日もミュージカル『ヘアスプレー』からのデュエット曲「You can't stop the beat」を歌いました。将来は、俳優志望であることを語りました。

       131 加藤 憲史郎(2007~   )

 名子役 加藤清史郎の弟ということもあって、加藤憲史郎は、幼いころからNHKの『みんなのうた』の『おいら歌舞伎のぬらりんひょん』『わくわく どきどき』やフジテレビの『わが家の歴史』、TBSの『華和家の四姉妹』などにも出演していましたが、その名を一躍有名となったのは、トヨタ自動車の「TOYOTOWNシリーズ」のCMです。兄の清史郎が務めた“こども店長”の2代目として登場しました。その後も俳優としての活躍と同時に、ミュージカル子役としても活躍してきました。『ミス・サイゴン』(2012年)のタム 役、『ピーター・パン』(2014年7月)のマイケル 役、『エリザベート』(2016年)のルドルフ役、『プリシラ』(2016年)のベンジー役、『メリーポピンズ』 (2018年)のマイケル・バンクス役、『モーツァルト! 』(2018年)のアマデ役とこの数年大活躍し、ついに2019年には、アンドルー・ロイド・ウェバー作曲のミュージカル『ラブ・ネバー・ダイ』のグスタフ役を大前優樹、熊谷俊輝とトリプルキャストで出演します。端正であるとともに劇的な表現力をもった歌声が魅力的です。

       132 熊谷 俊輝(2007~   )

  岡山県出身の熊谷俊輝は、わずか6歳で地元岡山県倉敷市の倉敷音楽祭で歌を披露し、抜群の歌唱力で注目を浴びました。同じ小1の頃は、全国童謡歌唱コンクールに出場し、中四国最優秀賞 受賞しました。まだ、この頃は童謡を中心に歌っていましたが、正統派の歌声・とりわけ高音の美しさは注目されていました。ミュージカルを学んでいた姉から発声法を徹底的に叩き込まれていたようです。ところが、その後、J-POPに進出し、小3の時は、キラチャレ2016 初出場で、篠原涼子 with t.komuroの「恋しさとせつなさと心強さと」を歌って、準グランプリ受賞し、関ジャニ∞Theモーツァルト出場したときは、 渡辺美里の「My Revolution」、小5の音楽チャンプではSuperflyの「愛をこめて花束を」を歌うことで、全国的に知られるようになりました。現在は、転校してエイベックス・マネジメント音楽事務所大阪校から東京校に移籍して、レッスンに励んでいるようで、その指導のもとで各地で活動しています。基礎のしっかりした歌を歌うので、J-POPに限らず、いろいろなジャンルの歌を歌うことが期待されます。Youtubeのチャンネルより、その幅広い歌唱を年齢と共に視聴することができます。また歌だけでなく、踊りや演技も学び、平成31(2019)年1~2月に上演されたミュージカル『ラブ・ネバー・ダイ』のグスタフ役として 出演しました。整った顔立ちは、この役にもぴったりです。また、令和元(2019)年8月に公開された、映画『ライオン・キング』の幼いシンバの役オーディションに合格し、大役を勝ち取りました。役が決まってからは、動物園に行き、一日中ライオンの親子を観察するなど、芸を磨いていました。また、同年11~12月にはミュージカル『ファントム』に少年エリック役で出演しました。この出来栄えが素晴らしかったので、翌年の石丸幹二のデビュー30周年記念CDでは、「美の真実」をデュエットしています。この曲は、かなり肺活量・声量がいる曲で、熊谷俊輝は、ただ可愛いだけでなく、透明度の高い声の奇麗さだけでなく妖しさを含み持つ歌を歌っており、その歌唱力には驚きさえ感じます。さらに、令和2(2020)年11月に公開された映画『家なき子 希望の歌声』では、主人公のレミ役を演じ、こちらは素直な表情のある高い声で、貧しい家庭でも育ちのよさを感じさせる声の演技をしました。この映画は、当初前年同時期に公開予定だったので、小学6年生の時の吹き替えかもしれません。なお、映画では吹き替えなしの歌が流れていましたが、この映画の公開直前に行われたトークショーでは、「レミの子守唄」が公開されています。高音が美しく、クラシックの曲でも通用するような歌を歌っていました。令和2(2020)年11~12月は、ミュージカル「NINE」にリトルグイド役で出演しました。令和3(2021)年は、14歳を迎えてもボーイ・ソプラノを維持・発展させ、MISIAの“K.I.T”を超絶的な高音で歌いあげています。令和(2022)年は、TVアニメ「遊☆戯☆ゴーラッシュ!!」の王道遊飛役で声優としても活躍しています。

      133 川口 調(2007~   )

 令和2(2020)年は、ミュージカル『ビリー・エリオット』のタイトルロールで、令和3(2021)年は、ミュージカル『オリバー!』の腕利きドジャー役でと大活躍した川口調は、子役としての芸歴も長く、幼少期は、CMに出演していましたが、次第に実力をつけ、NHK連続テレビ小説『純と愛』『まんぷく』や舞台『るろうに剣心』など数々の作品に出演して全国的にも知られるようになりました。とりわけ、『まんぷく』では、神部大介という小学校5年生でありながら精神年齢は40歳という癖の強いやんちゃな役を大阪弁を駆使して好演しました。また、新幹線のアナウンスという余技もあります。ビリー役に向かう意気込みを次のように語っています。
https://spice.eplus.jp/articles/262649
  また、ミュージカル『オリバー!』の公演プログラムに掲載された本人の話によると、歌が苦手で、歌を習っている姉に教えてもらったとのことですが、“What the world needs now is love”を聴くと、穏やかな曲想の中で愛の尊さを歌うこの曲にふさわしい雰囲気のある歌を歌っていますし、ドジャー役では、明瞭な歌声でありながら、声で歌うというよりも、歌芝居がうまいという感じです。8月の歌唱披露イベントの「なんでもやるよ」と比べて12月の実際に鑑賞した舞台では少し声が重くなっているようにも感じましたが、軽快できれいに歌うよりも、むしろ、やんちゃなドジャーらしい歌い方を工夫していたと考えられます。このことから、歌は、踊りや芝居に比べて相対的に苦手であると本人が感じているということではないかと思われます。「必ずここに帰れ」では、バトントワーリングで身に着けた柔軟で軽快な動きが、芸達者を感じさせ、ミュージカル歌手だけでなく、いろいろな可能性を感じさせます。
 この時期には、Netflixの「我らの罪を赦したまえ」の主人公ピーター役や「アダム&アダム」の幼いアダム役の吹き替えており、声優としても活躍しています。また、2歳から習っているバトントワーリングでは、数々の入賞経験もありますが、全国大会で3回(小4・小5・中1)の優勝経験もあります。『オリバー!』」終演の2日後には、バトントワーリングのJapan Cup中学1.2年の部で、7位を獲得し、令和4(2022)年3月25日の第35回世界バトントワーリング選手権大会 日本代表選考会フリースタイル個人/男子ユース部門(12歳~17歳)とソロトワールで第1位となり、日本代表に認定されました。また、27日のソロトワールでも第1位を獲得。このように、アスリートとしても大活躍しています。令和4(2022)年5月22日、久しぶりに聴いた声は変声期に入ったようです。

134  吉浦 陽(はる 2007~   )

 吉浦陽は、歌って踊れる子役として、テレビ・ラジオ、CM、舞台等で活躍してきましたが、朝日新聞社主催「第6回全日本小中学生ダンスコンクール(小学生部門)」東日本大会 金賞受賞するなど、どちらかと言えば、キッズダンサーとしての活躍が目につきます。歌としては、CDで「ドロップスのうた」を全曲通して歌っていますが、ここでは、有節の童謡を一番ごとに曲想の違う物語歌に仕上げています。ソプラノ♪7(セヴン)ボーイズとしても、ステージにたびたび出演していますが、同年12月には、ミュージカル「ズボン船長~Fifi & the Seven Seas~」にケン役で出演しました。 1stはっぴょうかいでは、映画「天空の城ラピュタ」より「君をのせて」を歌いましたが、メゾ・ソプラノの声質を生かして、静かな歌い出しから始まって、秘めた情熱を感じさせる歌になっていました。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、兄弟という設定で小林佑玖と「にじ」を二重唱しましたが、一つの短編ドラマを感じさせるようなステージでした。令和3(2021)年12月26日のソプラノ♪7ボーイズが行ったインスタライブでは、深澤幸也とミュージカル『CATS』のデュエットを歌いました。6月12日のソプラノ♪7ボーイズの第3回インスタライブ(卒業演奏)では、深澤幸也とこの日もミュージカル『ヘアスプレー』からのデュエット曲「You can't stop the beat」を歌いました。将来は、多方面で活躍できることをめざす夢を語りました。

        135  藤崎 伊織(2007~   )

   福岡県久留米出身の藤崎伊織は、令和2(2020)年12月6日のNHKのど自慢で、「イヨマンテの夜」を歌い、チャンピオンになって、一躍全国的に有名になりました。非公式録画のTwitterの再生回数は、翌年8月13日時点で約47万回再生されていました。小学3年生のときテレビで和田アキ子さんが「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌を歌っているのを見て感動し、昭和の歌謡曲の魅力に目覚め、様々なカラオケ大会で次々と優勝し、地域では、「令和の和田アキ子」と呼ばれるまでになったそうです。令和元(2019)年9月26日放送のテレビ朝日「音楽チャンプ2時間SP」では、「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌ってカラオケマシンで見事100点を叩き出し、全国から4000人が参加したスタジオ最終決戦にも進出し3位に輝きました。その後、令和2(2020)年1月5日のTHEカラオケ★バトル『U-18歌うま甲子園 全国新人王決定戦3時間SP』にも出演しました。声質としては、やや低めのアルトですが、力強さのある声です。また、YouTubeチャンネルを持っており、その歌の変化を聴くと、声域は少しずつ低くなりつつあることを感じます。令和3(2021)年8月1日には、福岡県出身の男女4人で、『福岡うまかもん市』を開催し、関東進出をしました。「陽のあたる場所」「名前のない空を見上げて」「夜明けのブレス」等、J-POPSを中心とした歌を歌いましたが、全体的に低い音域に移行しているものの、無理のない自然な発声で、山場の作り方のうまみを感じる歌を歌いました。そのような意味で、変声期を迎えても、自然に成人男子の声に移行していると感じました。また、力強い歌声とはかなり違って、話し声は乙女のようにたおやかで、そのギャップも魅力的です。同年12月23日には、『歌唱王』に出演しました。令和4(2022)年5月4日には、3年ぶりに行われたNHKのど自慢チャンピオン大会生放送に出場し、1年半前にも歌った「イヨマンテの夜」を歌いました。しかし、変声後の声がまだ安定していないため、まだ力強さに欠ける感がしました。その心意気は高く評価しますが、今の声に合った選曲と同時に、待つことの大切さを感じました。

   136 鈴木 葵椎(きすい 2007or2008~      )   

 平成30(2018)年8月「グッドドクター 5話」は、同年の第71回カンヌ国際映画祭において、最高賞であるパルム・ドールを獲得した映画「万引き家族」で主人公柴田治の息子役を演じた城桧吏がテレビ初登場ということで話題を集めました。ところが、その役が、天才ボーイソプラノ歌手ということで、どのような歌を歌うのかが注目されましたが、プッチーニの歌劇「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」が、あまりにも輝かしい歌声だったので、これは、誰かの吹き替えではないかと思っていたところ、この歌を歌っていた少年として、鈴木葵椎の名前が挙がってきました。鈴木葵椎は、6歳より演技、歌、ダンスのレッスンを始め、シノザキスタジオ公演『プリンセスライブVol.6』で初舞台。『めおと囃子(明治座)』、ミュージカル『ズボン船長』、『リトル レンジャー』、舞台「娼年」、映画『娼年』に出演していました。最近では、平成30(2018)年6~7月、フランシス・ホジソン・バーネットの小説「秘密の花園」が原作のミュージカル『シークレット・ガーデン』で、コリン役を演じていた実力派のミュージカル子役です。また、その歌声は、よく響く金属質の輝きをもっています。令和元(2019)年は、映画「影踏み」の挿入歌「Sun&Moon」を歌っています。中学校入学と前後して、変声期に入ったようです。

       137 東 航平(2007or2008~      ) 

 東航平は、令和元(2019)年のTOKYO FM 少年合唱団のクリスマスコンサートで、「アマールと夜の訪問者」のメルヒオール王役を演じました。3人の王の中では、どうしても、華やかな技巧が求められるカスパール王に目が向きがちですが、メルヒオール王役は、華やかさはないけれども堅実な歌唱が求められる役です。東航平は、ビロードのような艶ののあるアルトで、よく聴き取れる明瞭な歌声で非常に存在感のある演技をして、舞台全体を落ち着いたものにさせ、引き締めていました。これまで、何人ものメルヒオール王役を鑑賞してきましたが、心に残る一人です。

     138  日暮 誠志朗(ひぐらし・せいしろう 2007~    )

 生まれは広島で、令和元(2019)年に行われた第11回東京国際声楽コンクール本選ミュージカル部門で、パセック&ポール/お家へ(おうちへ)ーオン・ユア・ウェイ・ホームー「ジェームス・アンド・ザ・ジャイアント・ピーチ」ロブ・ロッキ/グッド・キッド「ザ・ライトニング・シーフ」を歌って第3位入賞しました。このときの映像は公開されていて、表現力豊かな歌唱を聴くことができます。同年6~7月に上演された、ブロードウェイミュージカル『ピピン』日本語版で、未亡人のキャサリンの息子テオ役で、河井 慈杏とダブルキャストで出演しています。ミュージカル『ビリー・エリオット』のオーディション時期はは神戸に住んで、アメリカンスクールに通っています。それが、英語のほうが日本語より得意ということにつながっているのかもしれません。お母さんが同じ兵庫県の宝塚歌劇の大ファンで、ほかのミュージカルも好きなので、一緒に観に行っていたことが、ミュージカル志向につながり、歌とダンスとお芝居を習っていて、舞台に立つのが大好きだそうです。『ビリー・エリオット』のマイケル役は、好きなことが好きだって心に決めてることと、人を喜ばせたい、笑わせたいって思ってるところが、自分に似てると思っていたようです。明るい声質で、演じることの楽しさを伝えることができる少年歌手です。この前年の令和3(2021)年10~12月ののミュージカル『オリバー!』では、フェイギンのギャング団のペッカムチームのチャーリーベイツ役を演じました。日暮誠志朗の出演するステージは観ていませんが、原作を読み、チャーリー・ベイツのその後まで研究して、それを役作りに生かしています。令和3(2021)年の春くらいから変声期に入りましたが、少しずつ新しい声で歌うことに挑戦しています。自分を客観的に観る眼をもって前進しています。

      139 河井 慈杏(2008~   )

  東京都出身ですが、4歳よりシンガポールに移って、当地の日本人学校で学んでいましたが、平成29〈2017)年に日本に帰った時にミュージカル『ビリー・エリオット』の舞台に接し、自分も演じたいと思うようになり、シンガポールで同じ学校で学んでいて、日本で初演されたときにビリーを演じた山城力に憧れてオーディションを受けました。令和2〈2020)年の再演では、マイケル役で出演しました。もともと好きだった音楽においては、帰国後は、『ビリー・エリオット』のオーディションを受ける2年前位から歌とバレエとダンスの勉強を始めて、また、オーディションを受ける1年前位から演技の勉強を始めました。また、通学している中学校では、ウインドバンドという、吹奏楽のバンドクラリネットも演奏しています。令和元(2019)年1月には、全国英語歌唱コンクール ~EVE vol.Ⅲ~ RepresentativeでEVE Creative Partners賞を獲得、4月には、アーティスティックスイミング「ジャパンオープン2019」のオープニングセレモニーにおいて、岡村要と共に国歌「君が代」を歌いました。 また、同年6~7月に上演された、ブロードウェイミュージカル『ピピン』日本語版で、未亡人のキャサリンの息子テオ役で、日暮誠志朗とダブルキャストで出演しています。同年7月には、新国立劇場中劇場で行われたフィオーレ・オペラ協会の歌劇『トスカ』の羊飼いの少年役をといろいろなジャンルの歌に挑んで、高い評価を受けました。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、「ふじの山」「小さな木の実」「ホワイトクリスマス」等いくつかのソロ曲を歌いました。令和3(2021)年7月16日に行われた舞踊作家協会公演『端午の節句に寄せて』では、中館翔一、平賀晴と共に、「鯉のぼり」と「背くらべ」を歌いましたが、「鯉のぼり」では、3番の大部分を独唱しました。歌を一つのドラマのように表現力豊かに歌い上げました。河井慈杏の歌の特質は、声が清澄で、耳に心地よく聞こえるだけでなく、表現力が豊かで、聴く人の心を揺さぶることです。令和3(2021)年のミュージカル『オリバー!』では、フェイギンのギャング団のディッパー役等を演じていましたが、サーカスの団員役では、軽やかな動きのダンスも見せてくれました。この公演終了後、ニューヨークに引っ越すことににより、ソプラノ♪7ボーイズを退団することになりました。その後、変声期を迎えましたが、今後の活躍を期待します。河井慈杏は、令和(2022)年3月末のカーネギーホール出演について戸惑いながらも前向きに進んだようです。インスタグラムには、その時の心の肉声ともいえる言葉が述べられていますので、そのままの言葉を掲載しましょう。なお、歌ったのは、ミュージカル『ウィキッド』より「ポピュラー」です。
「新しい声を見つけている途中ですが初心にもどり、WickedのPopularを選びました。自分が楽しんで歌っているから周りも楽しい雰囲気に自然になる、そんな歌が歌える人になりたいです。」
「受賞から2年弱の間に変声期を迎えて、もうコンサートには出なくてもいいかも、というネガティブな気持ちにもなりましたが、こちらで出会いお世話になったさまざまな皆さんからとっても大切でベーシックなことを気づかせてもらいました。歌うことを楽しむこと。新しい声を”変化を楽しみながら見つける”こと。このコンサートは、これまでのChapterの終わりで、新しいChapterの始まりの日になった気がします。」

       140 羽賀 凪冴(2008~   )

   埼玉県のミュージカルスクールに通い、平成30〈2018)年より『タイムトラベラー』のリトルジョン役『Old West』『Happiness』ヤマネ役等のステージに出演していました。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、「小さな木の実」等を歌いましたが、豊かな体躯から発するソフトな歌声は、魅力的です。また、いくつかのグループで歌い踊る曲においても、よい動きをしていました。令和3(2021)~4(2022)は、映画『劇場版 おいしい給食 卒業』シリーズに生徒 松山大吾で出演しています。

       141 堺 究武(2008or2009~      ) 

 堺究武は、令和元(2019)年のTOKYO FM 少年合唱団のクリスマスコンサートでアマール役と、「ママがサンタにキッスした」の前半部分を独唱をしました。明るく明瞭な声で、アマール役では喜びの表現において優れたものを示し、「ママがサンタにキッスした」は、北村協一先生が指揮をされていたころは、どちらかというと気の弱そうな感じのソロで始まっていたのですが、むしろしっかりした感じのよく伸びる美声を聞かせてくれました。

      142  中館 翔一(2008or2009~     )

 平成28(2016)年、7歳の時に、スーパー神話音楽劇『ドラマティック古事記~神々の愛の物語~』9月3日新国立劇場オペラパレスでの特別公演に出演する子役オーディションで、子供神として出演した後、翌年は中野区民合唱団が関東初演したジェンキンスの「レクイエム」に童声として出演するなど、クラシック系のコンサートで頭角を現してきた中館翔一は、CD「めざせ! ミュージカル☆キッズ」では、男子12名でミュージカル「南部の唄」より 「ジッパ・ディー・ドゥ・ダー」を歌っていますが、その後ソプラノ♪7ボーイズに入り、ソロとしては、「小鹿のバンビ」や「ふじの山」を安定した美声で聴かせてくれました。その1st はっぴょう会においては、「赤とんぼ」という選曲で、やさしくしっとりとした雰囲気で、この曲に添えられた叙情性がよく生かされていました。これまでネットと実演の両方で独唱を3曲を聴きましたが、どの歌を歌っても節度と気品のある歌に仕上げていると思います。「ミュージカル系」と「クラシック系」のメンバーが同居しているところが、ソプラノ♪7ボーイズの特色です。ところで、自己紹介で得意と言っているチェロの演奏は、twitterで聴くことができます。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、「小さな木の実」等を歌いました。この歌は、「第35回全国童謡・子どもの歌コンクール」の1次予選はこの歌で通過しましたが、気品のある歌い方をしています。令和3(2021)年7月16日に行われた舞踊作家協会公演『端午の節句に寄せて』では、河合慈杏、平賀晴と共に、「鯉のぼり」と「背くらべ」を歌いましたが、「鯉のぼり」では、2番の大部分を独唱しました。この歌では、緩急の差をつけて(特にゆたかに振う尾鰭にはという部分)を抒情的に美しく描き上げました。令和3(2021)年の夏から冬にかけては、日本クラシック音楽コンクールの地区本選で優秀賞を獲得しましたが、12月の全国大会では、惜しくも入賞を逃しました。令和3(2021)年12月26日のソプラノ♪7ボーイズが行ったインスタライブでは、アンドリュー・ロイド・ウェバーの『レクイエム』より「ピエ・イエズ」を歌いましたが、 この時期変声期に入ったようです。令和4(2022)年3月のインスタライブでは、矢野新太と共に「もののけ姫」を歌いました。変声期が進んできましたが、体を前傾させ、声が割れないようにしながら歌っていました。

 143 中村 海琉(かいる 2009~    )

 2~3歳からすずかけ児童合唱団団員として歌っていた中村海琉は、CD「めざせ! ミュージカル☆キッズ」では、男子12名でミュージカル「南部の唄」より 「ジッパ・ディー・ドゥ・ダー」を歌っていますが、その後ソプラノ♪7ボーイズに入り、その1st はっぴょう会においては、「大きな古時計」を独唱しました。ややハスキーな声質を生かして、おじいさんの人生に寄り添いながら、その喜びや悲しみを表現していました。当日販売されたファイルでは、そのデザインもしたそうですから、絵心ももっていることがうかがえます。なお、その直前の令和元(2019)年12月24日には、、ミュージカル「ビリー・エリオット」のタイトル・ロールとして、令和2(2020)年9月~11月に出演することが決定しました。(ビリー役は4名) 初演オーディションに参加後も研鑽を積み、得意のタップダンスを活かし、見事ビリー役を射止めたとのことです。ビリー役に挑む心意気は、次のインタビュー記事に掲載されています。
https://spice.eplus.jp/articles/262651
   さて、令和2(2020)年11月4日の歌声は、1月の、「大きな古時計」を歌ったときよりも明瞭で優しい声の歌唱でした。むしろ、このミュージカルにおいては、メインナンバーのの「エレクトリシティ」は次第に感情をほとばしらせ、踊りながら歌う歌なので、むしろ、それ以外の短い歌で、その抒情的な歌声が発揮されていました。また、芝居のうまさも特筆できるところで、母親を失った寂しさが伝わってくるような繊細な演技を見せてくれました。とりわけ、手や指の演技は美しくて見事でした。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、「かっぱのクィクォクァ」を歌いましたが、3匹の個性の違う河童の中で、中村海琉は、頭に赤いリボンを付けた中村海琉はたおやかな乙女のクォ役を演じ、また、違った一面を見せてくれました。また、ミュージカルのナンバーより2曲『アニー』より「トゥモロー」のソロも歌いました。令和3(2021)年のミュージカル『オリバー!』では、身長も一段と高くなり、すでに変声期に入っていましたが、フェイギンのギャング団の副リーダー格でもあるチャーリーベイツ役等を演じました。サーカスの団員役では、軽やかな動きのダンスも見せてくれました。令和4(2022)年3月のインスタライブでは、小林佑玖と『シンドバットの冒険』より「コンパス・オブ・ユア・ハート(Compass of Your Heart)」を二重唱しました。ソプラノとバリトンの二重唱という感じで、変声後かなり安定してきて、明瞭な歌声です。6月12日のソプラノ♪7ボーイズの第3回インスタライブ(卒業演奏)では、「コンパス・オブ・ユア・ハート(Compass of Your Heart)」を独唱で歌いました。歌が進むにつれて声も前に出るようになり、起伏のある勇壮な歌に仕上がっていました。

        144 大前 優樹(2009~  )

 平成31(2019)年1~2月ミュージカル「ラブ・ネバー・ダイ」グスタフ役で登場した大前優樹は、これまでバレエ教室やピアノコンクール等で地道に芸歴を重ねてきました。ヤマハ音楽教室第3回「ぼくのうた わたしのうた」金賞受賞作品「ひろがる世界」における、小学2年生の頃の歌声は、年齢的にまだ幼いところもありますが、この歌の世界を理解してそれをできるだけ大きく表現しようと努めていることが伝わってきます。時代劇の子役を経て、平成30(2018)年3~6月には、ミュージカル「メリーポピンズ」マイケル・バンクス役を演じています。また、NHKBS1「行くぜ!パラリンピック」テーマソング「夢見る場所へ」を通して、その歌声は全国に広がっています。同年4月には、ミュージカル「笑う男 The Eternal Love -永遠の愛-」リトル・グウィンプレン役、11~12月にはミュージカル「ファントム」少年エリック役で出演しました。令和2(2020)年11~12月は、ミュージカル「NINE」にリトルグイド役で出演しました。
この頃変声期を迎えたようです。

145 竹内 彰良(2009~   )

 竹内彰良は、歌って踊れる子役として、幼いころよりテレビ・ラジオ、CM、舞台等で活躍してきましたが、ソプラノ♪7ボーイズに入ることで、その歌声を聴くことができるようになりました。これまでのミュージカルにおける代表作としては、「メリー・ポピンズのマイケル・バンクス役が挙げられるでしょう。平成30(2018)年に発売されたCD「あめふりくまのこ」では、明るい声質ながら、ややマスクのかかったような歌声ですが、物語歌という意識をもって表情豊かに歌われています。令和元(2019)年10月の横浜音祭り 街に広がる音プロジェクト2019 の、「ドロップスのうた」では、弾んだ声としっとりした声をを使い分けて1年間の成長を感じさせる歌を歌っています。1stはっぴょうかいでは、ミュージカル「ピーター・パン」より「アイム・フライング」をステージを一杯に使って、明るくリズミカルな歌声で、爽快な興奮が伝わってくる歌芝居を演じていました。令和2(2020)年8月には、ミュージカル『スクールオブロック』の生徒役で出演予定でしたが、コロナ禍のため中止となりました。これは、練習の成果が発揮されないという不運だったかもしれませんが、ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、司会という大役が与えられました。ここでは、自分が目立ちたがることなく、一歩引いて演者を立てるというこの少年の別の側面を知ることができました。また、歌のほうでは、「かっぱのクィクォクァ」を歌いましたが、竹内彰良は明るく元気な声でクァ役の歌芝居を演じました。中学入学後変声期に入ったようですが、令和3(2021)年12月26日のソプラノ♪7ボーイズが行ったインスタライブでは、「上を向いて歩こう」を歌いました。この日の歌は、出しやすい音域で、声のコントロールもできており、声のボリュームもあり、高音も割れることなく、この歌の雰囲気に合った前に向かって進むような感じの歌に仕上がっていました。令和4(2022)年6月12日のソプラノ♪7ボーイズの第3回インスタライブ(卒業演奏)では、「月の庭」という曲をファルセットを駆使して歌いました。声のコントロールがよくできるようになってきたことを感じさせる曲に仕上がっていました。

      146 山本 樹(たつき 2009~  )

  山本樹の歌に初めて接したのは、平成30(2018)年に第2回目が帝国劇場で行われた『レ・ミゼラブルのどじまん・思い出じまん大会』のファイナリストで、「夢やぶれて」を歌ったのをYouTube映像を聴いた時です。そのときは、ミュージカル志向の少年かと思っていましたが、小学3年生より石黒みゆき会主の石黒会に所属して、民謡を始め、入会して1年足らずで日本民謡協会少年少女全国大会に出場。小学6年生にになるまでの3年間道内最大規模の民謡大会「北海道知事優勝旗争奪全道民謡決勝大会」にて優勝。どさんこ甚句全国大会優勝という成績を残しています。さらに、令和3(2021)年7月4日、日本民謡協会主催の民謡民舞少年少女全国大会・小学456年生の部で優勝しました。山本樹が全国的に有名になったのは、令和3(2021)年、4月11日に放映された『THEカラオケ★バトル』に出演してからですが、そのときは「北海道出身の民謡少年」として紹介されました。予選では、中孝介の「花」を歌いましたが、この歌は、さすがに民謡で鍛えられたという印象の強い歌でした。さらに、決勝に進出してからは、米津玄師の「Lemon」を歌いましたが、予選と比べてやや印象の薄い歌になりました。ところが、保護者の方が運営しているYouTubeチャンネルでは、実にいろいろなジャンルの歌を歌っており、特に、King Gnuの「白日」は、繊細でありながらも、技巧的にも優れた歌を歌っています。民謡を歌唱の起点として歌を始めたた場合、どうしても隣接領域の演歌系の歌に進んで行くことが多いのですが、山本樹の場合は、それだけでなく、いろいろな可能性を秘めていると感じさせます。同年5月9日の「THEカラオケ★バトル」では、柴咲コウの「月のしずく」を歌いました。6月20日の『THEカラオケ★バトル』で、山本樹は、清水翔太の「花束のかわりにメロディーを」を歌いました。この歌に求められる多様な声を使いわけることができました。小学6年生に進級と同じころ変声期に入りましたが、日本民謡協会主催の民謡民舞少年少女全国大会・小学456年生の部で優勝しました。令和4(2022)年3月13日の『THE カラオケ★バトル』では、久しぶりに出場して「島唄」を歌いましたが、民謡の素養を生かしながらも、むしろ、柔らかい歌い方をしていました。今後の成長を見守りたいと思います。

       147 阿部 カノン(2009~    )

 児童劇団では、芝居やダンスと共に、歌のうまい子役を育てています。テアトルアカデミー所属の阿部カノンもその一人で、これまで、ESP「ファビュラスレビューボーイズ」- ヨビリー役、ミュージカル忍たま乱太郎第9弾「忍術学園陥落!夢のまた夢!?」(2018年) - 福富しんべヱ役、Mothers and Sons (2019年) - バド役、忍術学園 学園祭 (2018年) - 福富しんべヱ役、ブロードウェイミュージカル「キンキーブーツ」(2019年) - ヤングローラ役と、ミュージカルを中心に活動してきましたが、令和2(2020)年になって、大人の声になってしまう前にボクの大好きな歌を記録していきたいという想いから、YouTubeチャンネルに歌を入れ始めました。第1弾は、前年から流行していた米津玄師の「パプリカ」ですが、とりわけ、366日の「HY」や「花は咲く」は、透明度が高い高音の美しさを聴かせてくれます。「花は咲く」は、これまで日本の少年合唱団だけでなく、来日した海外の少年合唱団によっても合唱という形で歌われてきました。この「花は咲く」の独唱は、東日本大震災から9年目の3月11日にアップされましたが、心の琴線に触れる至純な美しさの歌になっています。それは、東日本大震災で苦しんでいる方々に今の自分の歌声で表現できるすべてを伝えようとしたからです。その後も、ファンのリクエストに応えてJ-POPSの歌を歌っていますが、この少年歌手の本質はそのようなものではなく、日本の少年には希少な、ヨーロッパの聖歌隊の響きに近い透明度の高い高音が魅力的で、それはむしろ、クラシックの曲、あるいは、クラシカル・クロスオーバーで生きるのではないかと考えています。また、声優としても活躍しています。令和3(2021)年、4月11日に放映された「カラオケバトル」では、Official髭男dismの「Pretender」を歌いましたが、この歌は、必ずしも阿部カノンの歌声の持ち味を生かした選曲とは思いませんでした。ファンのリクエストに応えすぎて、自分の持ち味を見失わないでほしいと思いました。同年6月18日に動画配信で公開の映画『あの夏のルカ』では、主人公のルカ役を吹き替えています。令和3(2021)年12月11日には、イタリア文化会館(Flag of Italy)で開催の東京ヴィヴァルディ合奏団創立60周年記念コンサート『buon natale!(良いクリスマスを!) 』にゲスト出演し、クリスマスソングや賛美歌を5曲歌いました。初めてのクラシックコンサートでしたが、阿部カノンの声質を考えると、秋山直輝、栗原一朗の系譜にある歌声ですので、やっと本来の歌声が生かされる機会に恵まれたという感がします。その直後に歌われたアンドリュー・ロイド・ウエッバーの「ピエ・イエズ」の一人二重唱は、優れた録音・録画技術もあいまって画期的な作品になっています。その後、小学校卒業前後に変声期を迎えましたが、歌い続けています。

      148  小林佑玖(たすく  2009~    )

 小林佑玖は、CD「めざせ! ミュージカル☆キッズ」では、男子12名でミュージカル「南部の唄」より 「ジッパ・ディー・ドゥ・ダー」を歌っていますが、その後ソプラノ♪7ボーイズに入りました。しかし、令和元(2019)年春から秋の「レ・ミゼラブル」のガブローシュ役で、全国公演したため、ソプラノ♪7ボーイズとしてのデビューは、11月の味の素スタジオです。ソプラノパートで、ステージ上の動きのよさは目につきました。令和2(2020)年1月の「ソプラノ♪7ボーイズ1stはっぴょう会」の日は、「フランケンシュタイン」のリトルビクター役で出演したために、ビデオで自己紹介するという形での登場でした。その独唱を初めて聴いたのは、同年4月にtwitterで、「ビリーブ」を聴いたときです。この時は、ガブローシュ役の髪の毛の長さからして、令和元(2019)年9月頃の歌ではないでしょうか。「ビリーブ」は、「生きもの地球紀行」のエンディングテーマとして、20数年ぐらい前より日本の多くの少年合唱団によって歌われ、小学校5年生の音楽の教科書にも掲載されてきましたが、小林佑玖は、繊細な清純さを前面にして歌うよりも、この歌が持っている友情のドラマの要素を強調した歌に仕上げています。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、吉浦陽と「にじ」をデュエットしました。30㎝ぐらい身長差のあるこの二人の組み合わせに意外性がありましたが、兄弟という設定だったようで、「あっち向いてホイ!」で始まる一編の短編ドラマを見ているようで、二人の声の高さの違いを生かして二重唱で一つの歌を創り上げていました。観客はスタッフ以外はほとんどいなかったはずなのに、満席になった客を前にして歌っているという雰囲気が出ていました。これは、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のような大舞台を経験しているからこそできることでしょう。令和3(2021)年のミュージカル『オリバー!』では、オリバー役を演じましたが、目力のある演技で、外の世界に興味津々で、少しやんちゃなところもあるオリバーを演じました。CD『ミッフィー 夢見るシネマ&ミュージカル~メルヘン&ドリーム~』では、「信じてみなよ」のドジャー役を独唱していますが、小林佑玖の歌は、オリバー役とは違った声で、むしろドジャーだったらこんな風に歌うのではないかと感じさせる劇的な歌い方が似つかわしく感じます。小林佑玖は、「一人ミュージカル」が特技ということですから、オリバーとドジャーを歌い分けることもできるのではないかと思います。これから、ボーイ・ソプラノの頂点に向かって進んでいくことでしょう。令和4(2022)年5~6月は、舞台『奇跡の人』で、ストレートプレイにも出演しました。

     149 北本 莉斗(りと 2009~     )

  平成から令和に移るころから、各種のカラオケコンクールで注目されてきた北本莉斗は、『音楽チャンプ歌うま日本一決定戦スペシャル』に出て、最優秀歌唱賞を獲得し、同年12月の日本テレビの『第7回 全日本歌唱力選手権 歌唱王』に出演し、年長の出場者を相手にファイナリストに残って、令和2年9月(録画は前月)に放映されたテレビ東京の『THEカラオケ★バトル「リトルモンスター集結!U-12夏の歌うま頂上決戦」において優勝し、全国的に知られるようになりました。北本莉斗は埼玉県出身の小学生ですが、その選曲は、髙橋真梨子の「ごめんね・・・」や竹内まりやの「駅」といった年齢に似合わぬやや渋めの歌です。歌に感情を載せることに優れており、その哀愁に満ちた歌は、聴く者を切ない気持ちにさせます。そのうまみは、技巧的には、ビブラートの巧みさに起因しているところもあります。同年11月1日の『THEカラオケ★バトル』で歌った「瞬き」や「流星群」においても、情感豊かなうま味のある歌唱を聞かせてくれました。令和3(2021)年3月28日に放映された『THEカラオケ★バトル』では、「栄光の架橋」を歌い、これまでと違うジャンルにも挑みました。同時期、グリコ・カプリコCMにも出演しています。同年5月9日の「THEカラオケ★バトル」では、予選では「ツキミソウ」、決勝では、「Not the End」と難しい選曲をして2度目の優勝を飾りました。ファルセットの強さを身に着け、地声との差を少なくすると、さらに伸びる可能性を感じました。6月20日の「THEカラオケ★バトル」では、予選での「愛結び」を歌って決勝進出し、「好き」を歌いました。どの音域も美しい響きでうまみのある歌を聴かせてくれました。 7月11日に放映された『THEカラオケ★バトル』では「銀の龍の背に乗って」を歌いました。ドラマを感じさせる歌でしたが、北本莉斗の特徴である渋みのある歌唱でしたが、壮大さは感じられませんでした。 10月3日に放映された『THEカラオケ★バトル』では、『恋におちて』を歌いました。どの音域も声も美しく安定感のある歌でしたが、本来この歌が情念に満ちた恋の歌であるため、そこまでの深みに達していないようにも感じました。令和4(2022)年1月16日の『THE カラオケ★バトル』では、「涙のキッス」を歌って、「Sparkles四天王」の称号を得ました。元歌をまねるのではなく、自分の歌にした味のある歌唱でした。決勝では、「世界が終るまでは…」を歌いましたが、準優勝でした。令和4(2022)年3月13日の『THE カラオケ★バトル』では、予選で「悲しみは雪のように」を歌いましたが、山場を作りにくい曲だと感じました。どの歌でも、その曲のツボを押さえた安定感のある歌を歌うことができます。
  北本莉斗が、『THE カラオケ★バトル』で歌った歌の一覧は、次のようです。

放 映 日

創 唱 者

曲  名

令和2(2020)96

髙橋 真梨子

「ごめんね・・・」

竹内 まりや

「駅」

令和2(2020)111

backnumber

「瞬き」

鬼束 ちひろ

「流星群」

令和3(2021)328

 ゆず

「栄光の架橋」

令和3(2021)59

  Novelbright

「ツキミソウ」

安田  レイ

Not the End

令和3(2021)620

  Novelbright

「愛結び」

  西野  カナ

「好き」

令和3(2021)711

中島  みゆき

「銀の龍の背に乗って」

令和3(2021)103

  小林  明子

「恋におちて」

令和42022)年116

サザンオールスターズ

「涙のキッス」

WANDS

「世界が終るまでは…」

令和4(2022)年3月13日    浜田省吾 「悲しみは雪のように」 

      150 比嘉 一稀(いつき 2009~  )

 「のどじまん」という名を聞くと、毎週日曜日の昼に全国各地を回って行われる「NHKのどじまん」や市民祭りの「カラオケ大会」のようなものを想定しがちですが、中には相当レベルの高いものもあります。平成30(2018)年に第2回目が行われた『レ・ミゼラブルのどじまん・思い出じまん大会』にエントリーした人は2000人を超え、帝国劇場で行われたファイナリストの大会出場者は、本格的に歌を勉強している人たちが多く、歌唱レベルの高さが特筆されます。その中で、「夢やぶれて」を歌って、博多座賞を獲得した当時8歳の比嘉一稀のダイナミックで表情豊かな歌唱は注目を浴びました。翌年6月には、シングルCD「あなたに会いたい」「Time To Say Goodbye」を録音・発売しています。歌声そのものの美しさもありますが、表現力の巧みさを感じます。とりわけ、「Time To Say Goodbye」は、クラシカル・クロスオーバーとして多様なジャンルの歌を歌える可能性を感じさせる歌を歌っています。また、保護者によって運営されているYoutubeチャンネルでは、唱歌から歌謡曲・ミュージカルまで多様な歌を聴くことができます。選曲も「星に願いを」「見上げてごらん夜の星を」のような高音の美しさという歌声の特質を生かした曲が選ばれています。平成2年9月にテレビ放映された「THEカラオケ★バトル」には「夢やぶれて」を歌って出場しました。その直後に、変声期に入ったという情報が入りましたが、それを感じさせないボリュームのある歌声で、5か国6曲の歌を原語で歌っています。また、ステージマナーのよさも心に残ります。令和3(2021)年8月1日には、福岡県出身の男女4人で、『福岡うまかもん市』を開催し、関東進出をしました。この日は、映画『千と千尋の神隠し』より「いつも何度でも」「いのちの名前」、CD化した「Time To Say Goodbye」等を歌いました。変声期に入って1年近くたっているので、ある程度声も安定期に入っているのではないかと思いながらも、話し声と歌声の差から、あの高音が自然に維持できているのか、声楽的技巧によって、歌声を出しているのかまではわかりませんでした。「東京オリンピック2020」の閉会式で、「オリンピック讃歌」を歌った岡本知高の神々しい歌声と共通したものを感じさせました。その翌月には、「北九州ミュージックプロムナード2021」では、「花」と「Time to say goodbye」の2曲を歌いましたが、話し声と歌声のかなりの違いから、ファルセットを駆使した歌かなと感じていますが、「福岡うまかもん市」のときよりも、安定した歌声になってきています。何よりも、ステージマナーというか、周りの人々への気遣いが人柄の一端をよく表しています。

 151 宇都宮 聖(こうき 2010~    )

 テレビのカラオケのど自慢番組関ジャニ∞Theモーツァルトに出場した松山市出身の宇都宮聖は、お祖父さんがカラオケ喫茶で歌の指導もしているということもあって、小学3年生(8歳)の頃は、そのような年齢を感じさせない、むしろ情感あるれる色気のある歌心を感じさせるうまみのある歌を聴かせてくれました。週に1回高齢者施設を訪問し、高齢者の方に歌を届けているそうです。また、病院を回ったり、四国の音楽祭に出演したりして、歌声を披露し、ご自宅の近所にあるカラオケ喫茶では、週に2回歌っていて、握手会までしているとか。YouTubeで「希夢星聖」という名前でその幅広い歌唱を視聴することができます。
令和3(2021)年1月17日に放映された「THEカラオケ★バトル」 U18歌うま甲子園 新人王決定戦」で、絢香が創唱した「三日月」を歌い、決勝まで進みました。中島美嘉が創唱した「雪の華」等を聴くと、3年生のころと比べても、さらに繊細な歌が歌えるようになってきたと感じます。令和3年3月8日に放映された「THEカラオケ★バトル」では、AIの「Story」を歌い、さらに情感あふれる歌になってきています。同年5月9日の「THEカラオケ★バトル」では、MISIAの「逢いたくていま」を歌いました。6月20日の「THEカラオケ★バトル」では、中島美嘉の『ORION』を歌いました。幼くして亡くなった母への想いが歌の原点となっており、繊細な歌心とその高音の抒情性は魅力的ですが、この当時の歌声は低音域にさらなる充実が望まれました。
 令和3(2021)年10月には、クラウドファンティングにより、オリジナル曲「ママとぼく」をCD化しましたが、母を慕う思い入れの強い曲になっています。  テレビ番組に初登場した頃の宇都宮聖の歌のイメージといえば、繊細な高音の魅力だったのですが、それから約3年がたち、このCDを録音した小学6年生のときは、変声期に入りかけた時期で、落ち着きのあるボーイ・アルトになっています。このCDに収められた「ママと・・ぼく」「ぼくはドーナツ」は、どちらも、感情を抑えて失ったものの大きさを歌っています。そういう意味では、今のこの時期にしか出せない歌声で自分の歌の原点を歌った録音と言えましょう。
  中学生となった令和4(2022)年6月19日に放映された『THEカラオケ★バトル』では、中孝介の「花」を歌いましたが、変声期に入っていたこともあり、この歌に求められる大きな山場を作りにくいところも感じましたが、情愛の深い歌は、変わることなく心惹かれるところがあります。 

      152  大橋 冬惟(2010?~    )

  ミュージカル子役としては、令和元(2019)年夏は、東宝製作の帝国劇場ミュージカル「エリザベート」の少年ルドルフ役として大河原爽介・加藤憲史郎・陣慶昭 (交互出演)と共に出演し、大舞台の経験をしています。ソプラノ♪7ボーイズとしては、秋から出演し、1st はっぴょう会においては、「あめふりくまのこ」を、透明度の高い声で1番ごとに違う歌い方をして、雨が降ってできた小川を、魚を探してずっと眺め続けるこぐまのドラマとして描いていました。 ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、寺崎柚空、矢野新太と共に、 「チムチムチェリー」を歌いましたが、声は高めでも、決してキンキンした感じではなく、むしろ透明度の高い声で落ち着きを感じる旋律を美しく歌う演奏で好感をもてました。令和4(2022)年4月から、劇団四季の新作ミュージカル『バケモノの子』 に少年彦一郎彦役(トリプルキャスト)で出演します。

       153 矢野 新太(あらた 2010?~    )

 矢野新太は、すずかけ児童合唱団団員で、CD「めざせ! ミュージカル☆キッズ」では、男子12名でミュージカル「南部の唄」より 「ジッパ・ディー・ドゥ・ダー」を歌っていますが、その後ソプラノ♪7ボーイズに入り、ソプラノパートを歌っていました。1st はっぴょう会においては、「子犬のプルー」を歌いましたが、ひとりぼっちの「ボク」と小犬のプルーとの出会いと別れを、哀愁漂う雰囲気のある歌に仕上げていました。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、大橋冬惟、寺崎柚空と共に、 「チムチムチェリー」を歌いましたが、繊細で抒情性のある高い声で旋律を美しく歌う歌唱に磨きがかかってきました。令和4(2022)年3月のインスタライブでは、中館翔一と共に「もののけ姫」を歌いました。変声期の初期に入ったようでしたが、それを感じさせない歌声で、体を前傾させ、声が割れないようにしながら歌っていました。

     154 小泉 伊生(いさお 2009or2010)

 小泉伊生は、令和2(2020)年第35回全国童謡・こどもの歌コンクール子ども部門で、関東ブロック(東京都)代表で、「すてきな友達」を明るい声質で情感豊かに歌って金賞を受賞しました。歌詞をはっきりと歌って、聴き手に想いを伝えるという意味で、優れた歌唱でした。当番組のプロフィール紹介では、ミュージカル歌手志望の小学5年生ということで、バレエのピルエットの動きをしていました。なお、ピアノ伴奏は中学3年生のの兄(壮生)です。翌年、5月13日に、劇団四季のミュージカル『ライオンキング』ののヤングシンバ役でデビューしました。

      155 寺崎 柚空(ゆず 2009~    )

   舞台俳優を目指して、平成29(2017)年には映画『細雪』の秀雄役。、平成30(2018)には、ミュージカル『1789』のルイ・ジョセフ役。『マリー・アントワネット』のルイ・シャルル役。平成31(2019)『本朝白雪姫譚話』の7人の妖精 与四郎役、令和2(2020)は、『エリザベート』少年ルドルフ役とキャリアを重ねてきました。ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、大橋冬惟、矢野新太と共に、 「チムチムチェリー」を歌いましたが、明るい声質で、声にボリュームもありますが、聴き手にやさしく聴こえる歌を歌いました。令和3(2021)年のミュージカル『オリバー!』では、救貧院の子どもエドワード役を演じました。

156  五味 輝心(だいや 2010~      )

   愛知県在住の五味輝心は、2歳から歌手をめざして、歌の練習をしていたそうです。ジャニーズ入りをめざしているとのことなので、髪型等もそのような雰囲気を醸し出しています。「THEカラオケ★バトル」で歌ったいきものがかりの「帰りたくなったよ」の歌声は、甘い節回しを駆使したやさしさと力強さが同居しているのがその特徴です。また、そのような志向もあってか現在ダンスも学んでいます。平成28(2016)年にはFMシアター「かつて、私たちの街は希望の光にあふれていた…」、平成30(2018)年には、ラジオドラマ「しあわせなとしょかん」に出演経験があります。
   令和4(2022)年6月19日に放映された『THEカラオケ★バトル』の予選では、松田聖子の「私だけの天使~Angel~」は、松田聖子が娘 沙也加のためにつくった歌でもあり、むしろ、ボーイ・ソプラノというよりも母性を感じさせる歌を歌いました。決勝では、小柳ゆきの「あなたのキスを数えましょう 〜You were mine〜」を歌いましたが、失恋の歌でもあり、予選とはかなり違う歌い方でその失意を歌いました。

        157 平賀 晴(2010~   )

  平賀晴は、幼い時から歌が好きで、カワイうたのコンクール2017東京大会幼児の部 銀賞・カワイうたのコンクール2018東京大会小学1.2年の部 金賞に入賞しましたが、その後、CD「めざせ! ミュージカル☆キッズ」のオーディションを通してソプラノ♪7ボーイズに入りました。元気で活力のある歌が得意で、ほぼ毎回のように「うさぎのダンス」「にんげんっていいな」「オリバーのマーチ」をソリストとして歌っています。また、現在そのような歌でその持ち味を発揮していますが、楽しそうに歌い、その楽しい雰囲気が観客にも伝わりやすいところが魅力です。将来は、「小さな木の実」や「庭の千草」のような抒情的な歌も聴かせるようになってほしいと願っています。とはいえ、声質が栗原一朗のようなリリックなものではないため、そのような曲への挑戦が必ずしもよいとは言い切れないという側面もあります。平成2年9月にテレビ放映された「THEカラオケ★バトル」には「にんげんっていいな」を歌って出場しました。令和2(2020)年カワイうたのコンクール地区予選では、「トム・ピリビ」を歌を歌って入賞しました。また、ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、村上音央、涌澤昊生と共に「ちびっこカウボーイ」を歌いましたが、全体をリードする歌を歌っていました。また、「ママがサンタにキッスした」の冒頭のソロ部分を歌うなど、味わいのある歌を歌えるようになってきました。令和3(2021)年4月に行われたカワイうたのコンクール東京大会3.4年の部に出場し「だれかが口笛吹いた」と「トム・ピリビ」を歌い『金賞』を獲得しましたが、歌声に芯が入ったように輝かしい声になってきました。令和3(2021)年7月16日に行われた舞踊作家協会公演『端午の節句に寄せて』では、中館翔一、河合慈杏と共に、「鯉のぼり」と「背くらべ」を歌いましたが、「背くらべ」では、1番の前半部分を独唱をしました。3人の真ん中に立って、3人の中の「弟」感を出しながら、芯のある張りのある声で歌ったところが特筆されます。令和3(2021)年のミュージカル『オリバー!』は、ミュージカル初舞台でしたが、救貧院の子どもウィリアム/ブックボーイ役など3役を演じました。12月26日のカワイうたのコンクール地方予選に出場し、「おお、ブレネリ」を歌って4月の東京大会に出場します。令和4(2022)年2月19日、カワイ楽器主催こどものうたコンクール 2020年度東京選会金賞 2021年度山梨県代表 受賞記念として行われた「E.M.C.K まえだえいこ と 子供たちが歌う 童謡の世界」では、「おおブレネリ」「フニクリフニクラ」「オリバーのマーチ」を独唱しましたが、その持ち味を生かした歌になっており、一歩ずつ前進している姿を鑑賞することができます。なお、4月10日の東京大会では銀賞入賞しました。令和4(2022)年3月のインスタライブでは、宮澤伶輔、湧澤昊生と共に「北風小僧の寒太郎」を歌いました。持ち味の明るい輝かしい歌声でした。いずれにしても、将来性を感じる少年です。

       158 高畑 遼大(たかはた りょうた 2010~   )

 令和3(2021)年、ミュージカル『オリバー!』のタイトルロールで活躍した高畑遼大は、清純な声質で、聴く人の心を洗うような歌を歌うことができるだけでなく、歌に感情をこめて表現することができます。小学1年生の時に観劇した舞台がきっかけとなり、2年生より歌、演技、ダンスなどのレッスンをはじめ、 平成30(2018)年のショートミュージカル『マチルダ』のナイジェル役でデビューし、、ミュージカル「未来への贈り物」のルル・ジュン役、ブロードウェイミュージカル「キンキーブーツ」のヤングローラ役などを演じています。また、声優としても活躍しています。令和4(2022)年4月からは、ミュージカル「ジョセフ・アンド・アメージング・テクニカラー・ドリームコート」に子どもたちの役で出演しています。

      159 宮澤伶輔(りょうすけ  2010~  )

 ソプラノ♪7ボーイズの第2期に入団した宮澤伶輔は、それまでにもテレビ、舞台・ミュージカルで活躍していましたが、劇団四季のミュージカル『ライオンキング』のヤング・シンバ役等で長期出演しています。他の出演と重なったため、ソプラノ♪7ボーイズのステージとして初めて歌った令和4(2022)年3月のインスタライブでは、平賀晴、湧澤昊生と共に「北風小僧の寒太郎」を歌いました。しっかりした明瞭な歌声で、このような活力のある歌にその持ち味を生かしています。

      160 酒井 禅功(2010or2011~   )

 幼少期にミュージカル俳優になると決め、4歳より歌唱、演技、様々なジャンルのダンスレッスンを始め、8歳の時、ダンスと表現力を学ぶためにアメリカへ留学。日英バイリンガルで、特技はアクロバットと速読。ミュージカルにおいては、令和元(2019)の『アニー』ダンスキッズ役でデビューし、令和3(2021)年のミュージカル『オリバー!』では、ドジャー役を得ました。歌声は、きれいなソプラノであるため、ドジャーのもつ兄貴感はやや薄いのですが、持ち前の身体能力の高さを生かし、顔の表情を全部使い感情表現を豊かにして、活力のある演技を見せました。

      161 小暮航ノ介(2010or2011)

 ソプラノ♪7ボーイズの第3期に入団した小暮航ノ介は、ダンス・バレエ・タップなどのダンスの分野で頭角を現しました。ソプラノ♪7ボーイズとしては、令和3(2021)年12月のインスタライブで菊池咲乃助と「空がこんなに青いとは」を歌いました。二重唱のため、個人の歌声はわかりにくいですが、この時期では、高くて明るい声質です。

      162 村上 音央(ねお 2011~       )       

  令和元(2019)年、「ホラーちゃんねる」「貞子」などの映画、テレビ番組に出演していますが、ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、平賀晴、涌澤昊生と共に「ちびっこカウボーイ」を歌いました。明るく活力のある歌を歌っています。

      163 涌澤 昊生(わくざわ  こうき 2012~      ) 


 平成28(2016)年オペラ[セビリアの理髪師」のストリートチルドレン役以来、CM等に出演していましたが、ソプラノ♪7ボーイズ2ndはっぴょう会では、平賀晴、村上音央と共に「ちびっこカウボーイ」を歌いましたが、明るい声質で、元気あふれる歌を歌いました。ダンスが得意のようで、動きのよさも心に残ります。令和3(2021)年のミュージカル『オリバー!』では、救貧院の子どもチャールズ役を演じました。令和4(2022)年3月のインスタライブでは、平賀晴、宮澤伶輔と「北風小僧の寒太郎」を歌いました。今回は、ややマスクのかかったような声に聞こえました。

(続く)


         
                            
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