(上)役割番付・(下)歌舞伎座台帳
文化三年正月 大坂中芝居
財団法人阪急学園 池田文庫所蔵
早稲田大学教授 古井戸秀夫
(現・東京大学文学部教授)
「山村友五郎と池田文庫」
池田文庫は三代目中村歌右衛門の実子初代中村橋之助の持っていた歌舞伎の台本(加賀橋本)を数多く所蔵している。歌右衛門と友五郎は三歳違いで、子供の頃、ともに子供芝居で修行した仲だったこともあり、加賀橋本には山村の資料も多い。
加賀橋本の一つ文化三年(1806)初演の景事「覚てあふ羽翼衾」は友五郎の振付デビュー作でもある。前年の「花競廊姿絵」でも友五郎は振付を担当したものと思われる。しかし、満22歳の若さでもあり、また、そういった習慣がなかったこともあって、この時の番付には友五郎の名は出ていない。しかし、斬新な演出によってこの作品は成功、「覚てあふ羽翼衾」の番付から友五郎の名が明記されるようになったのである。人気若手花形の役者たちが、三段返し、五段返しの早替りで踊り抜く、グランレビュー形式の作品であった。
やはり、池田文庫に台本が残る「重井筒」は、歌右衛門が人形振りで羽織落としを演じたことで評判となった。歌右衛門と友五郎が修行していた頃の子供芝居は、義太夫の太夫が語り、子供役者が人形のかわりに舞台で演じる「チンコ芝居」が流行していた。この時の経験をもとに友五郎が人形振りの振付を創始したものであった。歌右衛門門下で、山村流の門弟でもあった三代目中村松江は、阿古屋の琴責を人形振りで演じた。これ以後、人形振りは女の情念を表すものとして確立し、後世に残っていった。
文化文政期の上方で、歌右衛門と人気を二分していた二代目嵐吉三郎の「先陣藤戸誉」も池田文庫に台本が残る新作歌舞伎であった。この作品は、義太夫狂言ではないが、チョボを使う。義太夫にあわせて「物語」の振りを付ける演出も、友五郎によって確立をみた。このことも忘れてはならない、友五郎の大きな功績の一つである。
池田文庫の台本を調べていくと、友五郎自身のことは勿論、彼の影響を受けた役者たちが切りひらいたさまざまな新しい演出も知ることができる。
このことからも、池田文庫に伝わる台本の数々が、江戸時代の歌舞伎を知る資料としていかに貴重であるかがわかるのである。
(館報 池田文庫第21号より転載)
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