ティールーム(2001,5月-10月 )
各部屋では 十分におはなしできなかった犬の こと、植物や野鳥などの自然、その他のトピッ クスのお部屋です。 また豊能町についてのご案内を通して、皆様に 「豊能町への小旅行」や「短期/長期滞在」の 気分を味わっていただけたらと思っています。
No.209(2001.11.29)また、マザー・グース!から”消えた赤ちゃんを救え” 一昨日のNHKドラマ"コウノトリなぜ紅い?消えた赤ちゃんを救え(AND BABY WILL FALL)"(マイケル・Z・リューイン作)は、そのタイトルからマザー・グースの歌 "HUSH-A-BYE, BABY,ON THE TREE TOP"が連想された。 Hush-a-bye, baby, on the tree top, ねんねんころりよ きのこずえ When the wind blows the cradle will rock; かぜがふいたら ゆりかごゆれる When the bough breaks the cradle will fall, えだがおれたら ゆりかごおちる Down will come baby, cradle and all. あかちゃん、ゆりかご、なにもかも というポピュラーなもの。(谷川俊太郎訳) 枝が折れると・・・赤ちゃんは落ちる。そのままの引用ではないが、この歌から連想 させたタイトルがであることは明らかである。 ネイティヴ・アメリカンが木の枝に揺りかごをつるして風にゆさぶらせているのを 見て作詩したと言われているが、「風が吹くと」何かが起きることを告げている。 英国の作家Goldsmithは、「あんまり高く昇りすぎると結局は落ちる」という、思い 上がった人たちや野心的な人たちへの戒め的な意味を汲み取っているそうだ。 ドラマでは、「現代社会の風」が木である母親たちに向いて吹き、その結果赤ちゃん たちが”木から落ちる”・・・のであった。 No.208(2001.11.19)ワトスンくんはアフガン戦争帰り おなじみ『シャーロック・ホームズの冒険』に登場するワトスン君、などと呼んで いいのかどうか、はアフガン戦争帰りだということを皆さんはご存知だったでしょ うか? (以下『シャーロック・ホームズの推理博物館』より引用) インドの利権を守り、北方からロシアがインドに進出するのを食い止めるためには、 アフガニスタンの独立を守ることが英国にとって絶対に必要だった。そこでかねてか らサー・ウィリアム・ベンティンク(1774-1839)はインド人のための信託統治を唱え て平和政策をすすめていたが、彼が亡くなり、1840年になるとインド北西辺境にある アフガニスタンの山岳民族を英領インドに組みこんでしまおうという政策に変わった。 ところが、1839-41年にはカブールから撤退した英軍全員が潰滅(かいめつ)するとい う大敗北を喫したのである。これにこりて英国はそののちアフガニスタンと戦争をし ないことに決めた。1878年にロシア・トルコ戦争がおきたとき、英国はトルコを支援 してロシアに強硬な態度をとった。それで、ロシアは英国をけん制しようと考え、ア フガニスタンのエミールをそそのかして反英行動をとらせたのである。1879年、第二 次アフガン戦争が始まり、英国はインドから軍隊を送り込んだが、パルチザンに悩ま されて苦戦を強いられた。 しかし、アフガニスタンの権力者どうしの内部抗争を利用して、英国はどうやらアフ ガニスタンの保護権を得、1859年にインドとパミールの国境をきめ、アフガニスタン の北東部にワッハン回廊を設けてインドとロシアが直接に国境を接するのを避けるこ とができたのである。結局、1907年に結ばれた英露協商では、アフガニスタンを英国 の勢力範囲とすることをロシアに承諾させた。 《緋色の習作》(3)の冒頭にワトスンがインド軍に配属されたことが書かれている。 彼は、1880年7月27日にはアフガン戦争に従軍してマイワンドの戦いで肩に重傷を負 う。ペシャワルの病院でどうやら回復したころに腸チフスにかかって衰弱したため、 ロンドンに戻されたワトスンは、ホームズに紹介されたのであった。 アフガニスタンでの思い出は《花嫁失踪事件》(6)や、《ライゲイトの大地主》(8)、 《ボスコム谷の惨劇》(22)でも語られている。 (また、ヴィクトリア朝の植民政策のもうひとつのほこ先、英国の投機の対象であっ たアフリカ大陸について、また流刑地オーストラリアについての記述、中国侵略につ いての記述などを含め、植民地の搾取の上になりたっている崩れやすい華やかさが、 しかも当時の人々がこの事実にあまり気づいておらず、心の痛みも覚えていないよう すが、ホームズの物語にはっきりと浮き彫りにされている。)・・・とあります。 No.207(2001.10.24)犬が人(飼い主)を噛む:ベーシックその5 数日前、ワンワン・ムーミンに散歩をさせている時に話しかけてきた老婦人は、 「やさしそうなワンちゃんですね。私なんか家のマルチーズに噛まれてこうなんです よ。」と、両手首を見せてくれました。 なんと、まだ赤みが残る生傷がいくつもあり、痛々しく、びっくりしました。 そういえば、ウォルトが基礎訓練を受けているところのインストラクターから興味 深い話を聞きました。 「犬に噛まれる」といいますが、飼い主が噛まれるケースは小型犬の場合が多い そうです。一般に人は、「うんと小さい犬なら人間の言いなりになるだろう。」と 予想をし、小型犬を購入するようです。 ところが実際は、犬の本質の基本的なことを理解していないため、自然に育てた つもりなのになぜか噛む犬にしてしまった、となるそうです。 まだまだ世間では、犬の基礎知識が広まってないのですね。 シェパードのような精悍な大型犬も、かわいらしい小型の愛玩犬も、その本能、本質 は同じであると、インストラクターは教えてくれます。大型犬はしつけをちゃんと しないと大変なことになるが小型犬は簡単だろう、と、軽く見てしまうのです。 大型犬であれ小型犬であれ、人が犬のリーダーになっていなければなりません。 それから、ビアディーのような長毛犬もまるでぬいぐるみのようなイメージを持た れてしまうので、しつけなくても優しくて噛む犬にはなり得ない、などと誤解され がちなのだそうです。みなさん、ご注意!犬のしつけベーシックを広めましょう。 No.207(2001.10.01)ホームページの今日 ホームページは最近ますます増えてきている。私がスタートした1996年から もう5年が過ぎた。ページそのものはより洗練されてきている。 次のようなページもあることに気づく現在である。 @ 素材集の高人気ページをとりやめた例。 更新をまったくやめました、とあり、理由は短期間に10万以上のアクセスが 得られ、自分の作品に自信をもったから続行することは敢えてしない、という。 あっぱれだ! A 一年間更新を休む例。 自分のチャージのために時間をとりたい、との理由である。いい理由だ。 感心してしまう。私もそのように考えることがあるのだけれど・・・。 B カウンターをはずした例。 更新努力してもカウンターの数字が伸びない、他人のは伸びているのはどうして? との疑問から、見てくれる人に見てもらえればそれでいいと考えを変えたらしい。 確かに、いまだに更新をクリックするとカウンターの数字が上がって行くタイプが 存在していたりして、その数値が信頼できない場合だってありますよね。 カウンターの数字はどれだけの意味があるのだろうか? No.206(2001.09.26)犬に噛まれる:ベーシックその4 犬が人を噛むことがあります。どうしてでしょう? 人が犬というものをよく理解していないからではないでしょうか? ある訓練士さんによりますと、「犬の幸せは、飼い主がいいリーダーであること だ。」そうです。いいリーダーとは? No.145(1998.05.16) 犬を飼う:犬のベーシック、その1 でお話したように、 犬は本能的に、指導力ある立派なリーダーに従いたいのです。 人間がリーダー(主人、上位)、犬が従者(下位)であるという関係なしには 社会生活に支障をきたしてしまい事故を起こしてしまいます。 上下関係が逆になってしまうと暴君犬と化し、人間の言うことは聞かなくなり、 もちろん触れさせてもくれず、牙をむいてきます。(TVで見ました。) おもちゃを取り上げた人を噛んだり、他所の人や犬を噛んだりしますが、それは 「自分こそが主人だ。おもちゃは当然主人のものなのに勝手にとりあげるなんて気に いらん。」とか、「他所の人や犬が気に入らんのだ!」の意味なのです。 人間がいいリーダーになるには? そのための犬のしつけ方を具体的にメモしてみました。 命令をする時には、低く太い声(女性もなるべく)で毅然とします。 「おいで」「いらっしゃい」「待って」「止まって」などよりも命令形の「来い」 「待て!」「止まれ!」などの方がいいそうです。 とにかく、偉そうに振るうこと。そうすると犬は「相手は自分より上位だ」と感じる ようです。 すべて主導権を握ること。 お散歩に行きたい!」、「ご飯にして!」「このおもちゃで遊ぼうよ!」、 「相手をして!」など、犬が要求しても「ハイハイ」と応じないことです。 この点は、人間の幼児の扱いとは異なりますね。 一旦「NO!」と言って無視します。 「ねぇ、ねぇ」とせがんでも、「NO!」でやり過ごします。ここで「ハイハイ」と 応じてしまうとどんどん要求が増えていき、エスカレートします。その上犬がボスの 立場を獲得し、人間がその従者に位置してしまいます。 しばらくして、犬がそれらを忘れたころに、人間の方から名前を呼んで、 「お散歩に行こう」とか、「ご飯よ」とか「ほら、これで遊ぼう」とか「おいで」 とか切りだします。 主導権が人間なので、人間が上位となります。 すべて人間が切り出して、犬ががよろこんで従う、というパターンにします。 名前を呼ぶことで、名前をよばれたら何かいいことがある!と教えることにもなり 犬を印象づけることができます。 そうそう、ご飯(食事)は幼犬の時は数回ですが、成犬になって一回の夕食になった 場合には人間の食事を終わってから(人間を優先)にするといいそうです。 これも人間が上位だということを確認させるためです。 可愛がってあげるときも、犬に応じるのではなく、人間がそうしたいときに呼んで お腹をなでたりしてあげるといいですよ。 犬たちは、なるべく上位につきたいと日々努力(?)しています、というより本能で そうなっているのですが。 ですから、いろんな場面でそれを試みてきます。 何をするときにも、人間が主導権を持った主人(上位)、犬は従者(下位) となるように常に気をつけることです。 いけないことをしたら、必ず「ノー」とか「いけない」と言って叱ります。が、 場面によっては、「こらぁ!」など、カミナリ親父になりましょう。 叱る時にはなるべく低い声、すごみのある声で犬をビビらせるくらいに! アイコンタクトが大事、と言われますが、上下関係が確立すると(もちろん人間が 上)、犬は常にこちらを伺うようになります。これは、犬が常にリーダーの命令や 号令を待機している状態で、「次はどんな指示がくるのかな?どんな誘いが?」と 緊張している、とても望ましい状態です。 犬がこちらの命令に従うことができるのも、上下関係の確立があってこそです。 命令(例えば、「座れ!」)をきかない場合にはそのままにしてはいけません。 なんとしても(背中を押したりして)命令に従わせます。 そうしないと、「従わなくてもいいのだ。」ということを学んでしまい、上下関係が 逆になってしまうからです。面倒でも徹底させます。 上下関係を徹底するには、ベッドやソファには上がらせないようにします。 また、おんぶや”高い高い”などもよくないそうです。 車の乗り降りもまずは人間から。ドアの出入りも人間が先にします。 最近は家の中で飼われている場合が多いようですが、以前は庭で飼う家庭がほとんど でした。家の外で飼っている場合には、家の中に入れてさえもらえないことで、人間 たちよりはるかに下位に位置していたのですね。 No.205(2001.08.23)イヌはなぜワンワンと吠えるか 『日本の名随筆』からいくつかを抜粋した『犬が好き 猫が好き』に、「イヌはなぜ ワンワンと吠えるか」のタイトルで戸川幸夫が書いていて面白い。 イヌやオオカミの仲間は尾を振るという習性があるのに、ワンワンという吠え声はオオ カミや野生犬の仲間には決してない。 飼われていたイヌでも野生化してしばらくするとワンワンといった吠え声を失ってしま い、反対にオオカミや(もとからの)野生犬でも、飼犬たちの中に入れて一緒にさせて いるとワンワンと吠えるようになるそうだ。 この事実はかなり古くから知られているらしく、エリザベス女王時代(1558-1603)の アロア著『アメリカへの航海』、1817年のF・キュヴィ氏の報告、1890年のA・D・ バーレット氏の報告、イヌ科動物研究家平岩米吉氏の報告、オーストラリアのディン ゴ、ニュージーランドの野犬、極地の野犬の報告例などが挙げられている。 平岩氏は、 ワンワン以外の声、つまりものを訴えるクンクンやヒューンヒューンという鼻声、上機 嫌のアーアーやアーウーン、怒ったときのウーッ、痛い時のキャンキャン、仲間を呼ぶ 遠吠えはイヌもオオカミも野生犬もすべて共通しているので、ワンワンというイヌ独特 の吠え声は人間に飼われるようになって、イヌが習得した特性だ、と言っている。 では、どうして飼育によって変化が起こったのか? オオカミや野生は獲物追跡中は声をたてないが、イヌは走りながら吠える。 平岩氏がワンワンと吠えているイヌを高速度撮影したところ、”静止して吠える場合 でも、軽く足踏みしていて、その吠え声は正しく左右前肢の足ぶみに一致している”こ とが観察された。 戸川氏は、人間との共同生活で狩の手伝いをするとき、人間のために追跡中の獲物の 所在を人に知らせるためにこの習性を体得したのではないか・・・と、推測している。 ”ワンワン”吠えるのは、人間と暮らしている証拠なんですね。 No.204(2001.05.19)情報化社会って?・・・みんなが選択する 情報化社会だ、と言われているが、 これは、入手可能な莫大な量の情報から自分に必要な、自分の好みにあった情報を選択 する社会だと思う。 現在、私たちに提供されている情報はたいへんな量である。例えばインターネット上で 得られる情報は、「なんでもあり・・・」と言われているほど多種多用が提供されてい て、利用される頻度も高い。 個人ホームページにも、もちろんいろんな情報が提供されている。 写真や絵、小説や詩や俳句や短歌、手芸作品などが掲載されているが、従来から出版さ れている書物や雑誌と異なるのは、審査員によって選ばれた作品だけが発表されている のではないことである。 短歌の道浦母都子さんは、「(ホームページに掲載すべき短歌は、)誰が選ぶの?選者 「(審査員)はいないの?」と、疑問を持たれたようである。 ”ホームページの作者が自由に掲載”して、”ホームページの訪問者が自由に選ぶ”の である。 作品のレベルは、一流の芸術家、トップレベルのプロからまったくの初心者のものまで がそろっていて、訪問者の選択を待っているのである。どのレベルのものも、それを見 たい訪問者が存在しているのだから・・・。 いろいろ用意されている中から”お気に入り”のホームページを”選ぶ”時代である。 他の品物(たとえば出版物)も、この社会では既に同じ状況にあると思う。