作成:2015/3
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横須賀 YS-02
写真1 震災供養碑 全景
写真2 震災供養碑と地蔵尊
写真3 震災供養碑
写真4
震災供養と篆書で書かれた題字
写真5
朝鮮人か中国人と思われる氏名
撮影:2015/2
震災供養碑には大震災遭難者として、80名の氏名が刻まれていますが、その内、朝鮮人か中国人と思われる次の5名の氏名が含まれています(写真5参照)。
趙善一、梁淳亨、李成道、呉奉根、孫海石
この5名は、当時市役所で殃死者であって埋火葬として取り扱った人名550名(資料*1)の中にも記載されており、日本人と区別ない対応がとられていたようです。朝鮮人または中国人が日本人と区別なく同一の供養碑で供養の対象になっている珍しい例です。
石碑周辺の人々に碑の由来を尋ねると斜面の崩壊でなくなった人の供養碑だということのようですが、詳しくはわかりません。そこで、資料からどの程度のことが分かるか検討してみます。
資料*1から横須賀市逸見での斜面崩壊に関する事項を拾い上げると、
などがあり、逸見では少なくとも斜面の崩壊で10数名の死者が出たと思われますが、当供養碑の犠牲者数(80名)には遠く及びません。
逸見での崩壊による犠牲者は10数名であったこと、当供養塔の犠牲者氏名は港町公園の遭難者碑(47名)や延命地蔵堂の殉難者霊碑(45名)の氏名と重複しないことから、震災供養碑にある80名の犠牲者(横須賀市全体の犠牲者数の約12%)は死亡原因を問わない逸見地区での犠牲者ではなかろうかと推定されます。また、その犠牲者の多くは家屋の倒壊による圧死者であろうと思われます。
なお、資料1にある元市長鈴木福松氏の名前は当供養塔に刻まれており、恐らく、夫妻子息の順で氏名が並んでいるのではないかと思われます。
*1 資料 横須賀震災誌 附復興誌 p35 横須賀市刊行会編纂 昭和7年