沈黙の春


人は、本当に怒ったとき、沈黙するのかもしれない(1)。

2006年の春、モンゴル・ダルハディン湿地に生息するキタサンショウウオの分布状況を調べることを一番の目的に、彼らの繁殖期終了後(5月下旬〜6月上旬)、広大な湿地全体で卵嚢調査をおこなう計画を立てていた。この件で、モンゴル教育大学の共同研究者であるズラさんとは、3月中旬からメールのやり取りをして、調査時期の調整を進めていた。

春の調査をおこなうことは、ウランバートルで1月に開催されたシンポジウムのとき「N氏(2)」には既に伝えてあった。N氏が忘れていると困るので、注意を喚起するメールは何通も送ってあった。ところが、N氏は4月25日(火曜日)の電話で「春に調査をする、という話は聞いていない」と、いきなり言って来たのである。寝耳に水であった。ムーギーの博士論文のことも気掛かりだったので「春の調査が出来ないと困る」ということを、N氏には訴え続けた。しかし、N氏は「ムーギーの博士論文なんか、関係ないだろう!! これは、俺のプロジェクトだ!!」と、言い放ったのである(だいたい、キタサンショウウオのことをカタカナで「サラマンダ」などと申請書に書くような人物が、プロジェクトの基金をなぜ獲得することが出来たのか?[3])

その後の交渉の詳細は省くが、春に卵嚢調査をすることの意味をメールで幾度となく説明したのに対し、N氏は4月30日(日曜日)に「今年の卵嚢調査は中止にしたいと思います。以前から計画があり、調査費用の概算が出ているなら対応が出来ますが、......」と、約束をほごにした、まるで他人に責任を転嫁するようなメールを送りつけて来たのである。2006年の春にキタサンショウウオの卵嚢調査が出来なければ、それ以降の調査計画も、大幅な見直しが迫られることになる。なんとも、ひどい仕打ちである。が、まあ、それは仕様が無い。一縷(いちる)の望みは、2006年の夏(8月)に、ダルハディン湿地の第1調査地で3年目の調査が遂行できることであった。私にとっては、こっちのほうが、むしろ大事であった。

ところが、N氏は5月24日(水曜日)の電話で「予算が削られたので、連れて行く人を厳選したい。あなたは行かないで、モンゴルの人たちに任せてみたらどうか?」と、いきなり言って来たのである。モンゴルの人たちだけで、まともな調査が出来るはずもない。仮に百歩譲って、モンゴルの人たちに調査が可能だったとしても、3年目の調査ではデータの一部を私が継続して採る必然性があったし、データの信頼性という観点からすれば「私が現地に赴いて、使えるデータを確実に採る」という、学術論文を書く上での基本姿勢だけは譲れなかった(要するに「他人の採ったデータなんか、怖くて使えるか!!」ということ。結局、面白い発見は在っても、3年目の調査が出来なかったせいで、2年分の少ないデータを基に学術論文を書かざるを得ず、よりレベルの高い雑誌[e.g., Ecology, Evolution]に論文を載せることをあきらめるしか無かった[Hasumi et al., 2014: doi: 10.1007/s00300-013-1443-0])。また、当初から「少なくとも3年間は、ダルハディン湿地でキタサンショウウオの調査をおこなう」という約束で、プロジェクトチームへの参加要請(と言うより、ヘッドハンティング)を受けているわけであるから、これは明らかな「契約違反(契約不履行)」である。そのため、この日を境に7月中旬までの約2ケ月間にわたって、メールでの粘り強い交渉を続けて来た。「予算がないのなら、自費でも構わないから、とにかく参加させて欲しい」とも頼んだ。説得のメールは、20通ほど送ったと思う。

でも、N氏は、論理で説き伏せることの出来るような、生易しい相手ではなかった。とにかく、日本語が通じないのである。言葉や論点の摺り替えは日常茶飯事で、自分が一番正しいと錯覚しているから、相手が何も知らないと高をくくって、平気で嘘をつく。したたかで、独善的。自分は全知全能だと思っており、過ちは認めない。一旦、こうと思い込んだら、もう修正の利かない人であった。私が幾ら完璧な説明をしたと思っても、私が現地に赴いて調査することの意味を全く理解する気がなく、論点をずらして別の質問を繰り返して来るので、これ以上の実りのない説明は時間の無駄であった。私だけでなく、N氏に近い複数の人たちに尋ねてみても、N氏に対する見方は一様に皆、同じであった。「N氏と対立して、N氏から離れていった人が何人もいる」という話も聞いている。あるとき「N氏は、端(はな)から私を連れて行く気がないんだなあ」と気付き、それから何度か説得のメールを送った後、プロジェクトからの離脱を決意した(4)。

7月27日(木曜日)の午後4時頃、藤則雄さん(金沢大学名誉教授)から新潟大学理学部生物学科の事務室に電話があり、わざわざ事務の池田さんが部屋まで呼びに来てくれた。なんでも、今回のダルハディン湿地調査に藤さんを連れて行かないことは、つい1週間前にN氏から聞かされたばかりだそうで「あの人は、いつも、いい加減なんだから......」と怒り心頭に発していた。それで、私の事が急に心配になって、電話をかけて来てくれたようであった。有り難いことである。N氏は、私のときと同じように、藤さんを連れて行かない理由に、予算が減らされたことを挙げたそうである。藤さんが言うには「結局、N氏に楯突く人を排除したんですよ(今回、連れて行くのはイエスマンだけ)」だそうで、藤さんも、よく分かっていらっしゃる。

お金を持っていなくても、社会的地位が低くても、尊敬できる人、信頼できる人は、たくさんいる。でも、お金が無かったら(基金が獲得できなければ)、N氏のような独裁者・裸の王様には、まともな研究者は誰も就いて行かないだろう(N氏が最悪なのは、編集と称して、プロシーディング用に提出された論文原稿[MSワードファイル]の著者名を勝手に変更することである。これをやられたら、まともな研究者は、たまったもんじゃない。共同研究者の研究への貢献度を評価し、論文の共著者を決めるのは、あくまで責任著者の仕事である。編集者の特権ではない)。

[脚注]
(1) 2006年4月22日(土曜日)にホームページの更新をしてから、既に3ケ月以上が経過した。こんなにも長い間、更新をしなかったのは初めてである。その間、少なからざるホームページの愛読者から「ホームページを更新して下さい」というメールをいただいた。この場を借りて、感謝したい。今回の更新に当たっては、事実を正確に書くことは元より、なるべく感情を抑えるような書き方をしたつもりである。当然のことながら、私は、ここに書かなかった内部事情も数多く知っている。今のところ、そういった内部事情を明らかにするつもりはないし、今回の件については、ここに書いてある以上のことを書くつもりもない。しかし、相手の出方次第では、それがどうなるかの保証は出来ないかもしれない。
(2) 今回は、星新一ばりに「N氏」としてみた。何を隠そう、星新一は学生時代からの大ファンで、彼のSF短編小説は、ほとんど読破している。ちなみに、この「沈黙の春」で取り上げているN氏は架空の人物であって、特定の個人を指すものではないことをお断りしておく。
(3) 生物学の素養の無い、統計学が専門の数学の先生が、大学時代に所属していた生物クラブの乗りで、高度な専門性を必要とする生態系の総合調査をおこなっているのも変な話だが、それに基金を供出している財団も財団である。N氏本人は「幾ら上手く申請書を書いても、普通の大学の先生では、この基金は取れないんだ。俺は◯ ◯◯(名前を聞けば、誰でも知っている著明な政治家。この独り言をアップした時点では、政権党ではないが、大臣経験者。後に、この国の首相となる。「いら◯」としても有名で、お遍路好き。大事な政策を思い付きで発表するので、周りをはらはらさせている)が知り合いなんで、申請書なんか適当に書いても、電話一本でOKなんだ」と、皆の前で自慢していた。以前、私は「(N氏から)とんでもない申請書の推薦書を書かされた」と怒っていた藤さんから、問題の申請書のコピーを見せてもらったが、確かに「通るはずのない、いい加減な申請書」であった(お友達である政治家の「口利き」で通っているだけで、これを自慢されても傍ら痛いだけである)。
(4) このプロジェクトへの違和感というのは、実は、参加した当初から抱いていたことであった。でも、こっちは交ぜてもらっている身だからと思って、分をわきまえて、余計なことは言わないことにしていた。また、ここでは書けないような、N氏からの度重なる罵詈雑言(いわゆる、アカハラ: アカデミック・ハラスメント[パワハラの一種])にも、研究のためと思って、ずっと我慢して来た。しかし、もう我慢の限界である。このプロジェクトチームが成熟した、ちゃんとした組織だったら、N氏はアカハラ認定を受けて確実に失職しているところである。それくらい、ひどい仕打ちであった。
最後に、もう一度だけ言う。プロジェクト期間中の、私に対するN氏の仕打ちは、完全なアカハラである(私は、N氏の「契約不履行」と「アカハラ」をたしなめるために、この文章を書いている)。


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