早春に水の中で繁殖するサンショウウオ科の種の場合、私たち専門家は「雌雄の成体に出会えるのは、一般に繁殖期だけである」という共通認識を持っている。この時期、繁殖水域には多数の卵嚢が産出され、雌雄の成体も観察し放題である。ところが1年の生活環の中で2週間、長くても2ケ月程度の繁殖期が終了すると、雌雄の成体は陸に上がって水域から離れた場所に移動・分散し、小動物が掘った地下穴などに隠れてしまう。夜行性ということもあって、彼らが餌を求めて出歩くのは、辺りが暗くなってからである。そのため個体の発見が難しく、サンショウウオ科の種の非繁殖期の陸上の生態は、ほとんど解明されていないのが現状である。
これに対し、ダルハディン湿地では、非繁殖期の夏の時期に陸上の倒木をひっくり返して探りさえすれば、キタサンショウウオの個体が容易に発見できる。共同研究者のズラさん(モンゴル教育大学)にとっては、これが当たり前の状況なのである。彼女が言うには「水の中にいるサンショウウオ(の成体)も、卵嚢も見たことがない」とのことで、ここモンゴルでは、日本を初めとする他の地域とは全く逆の状況が生じているわけである。これは要するに、キタサンショウウオの繁殖期と雪融けの時期が重なって、ダルハディン湿地に向かう道路が雪融け水でグチャグチャの通行不能状態になり、繁殖期の調査が困難をきわめているからに他ならない。
このような状況で、ズラさんのところの博士課程の大学院生であるムーギーは「キタサンショウウオの繁殖行動の研究をやりたい」と言っている。ダルハディン湿地に生息するキタサンショウウオの繁殖期も、湿地全体に点在するであろう繁殖水域に産出される卵嚢対数も不明なのに、いきなり繁殖行動の研究をおこなおうとするのは、私たち専門家からすれば、無謀というものである。まず最初の年は、ダルハディン湿地でキタサンショウウオの繁殖期の当たりを付けて、それが終了した直後を目処に現地に出向き、それぞれの繁殖水域で産出卵嚢対数の調査をおこなうことが必要不可欠である。ダルハディン湿地に生息するキタサンショウウオの基本的な生活史の把握に努めた上で、彼らの繁殖行動の研究をおこなう時期や、場所といったものを決定しなければならない。こういったことを話し合う場が、現在の私たちには必要であった。
2006年1月6日(金曜日)、モンゴル・ウランバートルで開催されたダルハディン湿地シンポジウム終了後のパーティー会場で、この件に関してズラさんから提案があった。「明日の午後3時から、昼食を兼ねて調査の話し合いをする」とのことで、私とズラさんにムーギーとテルビシさん(モンゴル国立大学)を加えた4名のメンバーであった。
7日(土曜日)は、他の人たちの昼食の誘いを断わり、○○さん(金沢学院大学)のアパートで、ズラさんが迎えに来るのをひとり待っていた。しかし、午後3時を過ぎてもズラさんは来ないし、腹も減って来た。そうこうするうちに、午後4時34分になり、昼食に出かけた人たちが帰って来た。通訳のウンドラさんに「ズラさんの携帯に電話してみて」と頼んだが、電波の届かないところにいるようで、何度やっても連絡が取れなかった。午後6時を回っても来ないので、いいかげん待ちくたびれて、中川雅博さん(近畿大学)、藤則雄さん(金沢大学名誉教授)、それと私の3人で、国立デパートへ土産物を買いに行くことになった。
午後7時33分、アパートに戻ると、○○さんが出先から戻っていた。午後9時19分に「もう一度、ズラさんに電話して」とウンドラさんに頼んだところ、傍らにいた○○さんが「ズラとは連絡が取れない」と言い出した。「ズラは携帯電話を持っていない」とのことで、よくよく聞いてみると、この日は○○さんが所用でズラさんと一緒に出掛けていて、そこに携帯電話を忘れて来てしまったのだそうである。○○さんと出掛ける用事がありながら、何故このような出来もしない約束をしたのか、いつものことながらズラさんの行動は理解不能である。
8日(日曜日)もズラさんからの連絡はなく、携帯電話のない彼女に、こちらから連絡する手段は無かった。「(○○さんのアパートで、この日の夕方から開催される)お別れパーティーには、ズラさんも来る」という話だったので、そのときを待って、彼女と話をする以外に方法が無かった。体調不良の中、午後4時20分から開催されたパーティー会場に顔を出してみると、ズラさんは来ていたが、肝心のムーギーやテルビシさんの姿は見えなかった。ズラさんに善処するよう頼んでみたが、彼女が事の重大さを理解していないことは明らかで、ムーギーやテルビシさんをパーティー会場に呼び出すことも無かった。今回のモンゴル滞在で私たちが調査の話し合いを持てる場は、こうして見事に流れてしまった(1)。
私の気苦労を、少しは察して欲しい。ダルハディン湿地に生息するキタサンショウウオの繁殖期が分からないからこそ、色んな情報を突き合わせた調査時期の検討が必要不可欠なことは自明の理である。それをしないで、2005年7月のシャーマル調査のように、いきなり「来て下さい」と言われても、こっちは困ってしまう。
[脚注]
(1) 今後の調査の話し合いに必要なムーギーやテルビシさんをパーティー会場に呼び出そうともせず、どうでもいいタイワンを呼び出してシミンアルヒを持って来させるのは、研究者としては本末転倒というものである。