新潟県中越大震災と特急の遅れ


2004年10月23日(土曜日)に新潟県中越地方を襲った直下型地震は、7・13水害のときと同様に、またしてもモンゴルへの渡航に影響を及ぼしていた。

12月17日(金曜日)、新潟大学生協のプレイガイドから、JRの乗車券(新潟〜関西空港の往復チケット)と自由席特急券(新潟〜富山〜大阪、大阪〜金沢〜新潟)を合わせて、27,240円で購入した(1)。そのときの説明では「新潟県中越大震災の影響で徐行運転区間があり、富山着に少なくとも7分間の遅れが出る」という話であった。乗車予定の特急では、富山での乗り換え時間は9分間である。このため、乗り換えの時間に間に合わない可能性があり、そのときは次の特急で大阪に向かう心構えをしていた。

2005年1月2日(日曜日)、内野駅から在来線で新潟駅に向かい、そこから特急「北越4号(新潟10:01〜富山13:01)」に乗車した。この特急は金沢まで運行しているのだが、特急「サンダーバード28号(富山13:10〜大阪16:33)」が富山始発なので、新潟から大阪へ向かう人は、ここで乗り換えることになる(2)。

その途中、地震の影響で到着が遅れていた上越新幹線からの乗り換えのための待ち合わせで、長岡駅では6分間の停車を余儀なくされた。更に、地震の影響で地盤の緩んだ区間で徐行運転による遅れが生じ、直江津駅では既に10分遅れのアナウンスがあった。これが滑川駅で13分遅れになり、結局、富山13:14の到着であった。

ここまでの遅延状況に照らし合わせれば、富山駅でも、サンダーバード28号は乗り換えのための待ち合わせをおこなうはずであった。ところが、この特急は、待ち合わせをせずに発車してしまったのである。大阪に向かう北越4号の乗客へは、富山駅に到着する30分くらい前に「この列車はサンダーバード28号と金沢で接続します。富山では乗り換えのための待ち合わせをおこないません」という、意味不明なアナウンスが流れただけであった。車掌に確かめたところ「大阪に行く人は、富山では降りないで、金沢まで行って下さい」という回答であった(最初から、そう言えよなあ......)

この13分遅れを引きずったまま、金沢13:52の到着となり、すぐにサンダーバード28号に乗り換えたのだが、これが乗車率200%もあろうかと思えるような混雑であった。帰省ラッシュと重なってしまったようで、立錐の余地もなく、ずっとデッキに立ちっぱなしであった。京都で多数の乗客が降りたのだが、それでも大阪まで座ることは出来なかった。唯一の救いは、金沢駅で乗り換えたとき、一緒にモンゴルに行く藤則雄さん(金沢学院大学)が私を見つけ、声をかけてくれたことである。藤さんのご高齢で立ちっぱなしは辛かっただろうが、お互いに話し相手が出来て有意義な時間を過ごせたのは「不幸中の幸い」といったところであろう。

しかし、それにしても、金沢駅で乗り換えのための待ち合わせをするくらいだったら、富山駅でも出来たはずである。始発の富山駅からサンダーバード28号に乗ることが出来ていれば、こんな苦労はしなくて済んだはずなのだが......。

大阪駅からは大阪環状線に乗り換えて天王寺駅で下車し、そこから阪和線に乗り換えて6つ目の杉本町駅で下車した。さすが、せっかちな大阪である。大阪〜杉本町の移動に必要な2回の待ち合わせ時間は、それぞれ1分にも満たなかったのだから......。午後5時21分、杉本町駅の改札を出たところで、その晩の宿をお願いした友人の辻広志さん(梅花女子大学)に電話し、迎えに来てもらった。杉本町駅周辺の店は、大阪市立大学の学生で持っているため、新年の2日では、どこも開いていなかった。そのため、彼と一緒に天王寺まで出て、飲食を共にすることになった。天王寺では、大阪では割りと有名であるらしい、お好み焼き屋の「風月」と餃子の「王将」をはしごした。その晩は、久しぶりに彼と色んな話をすることが出来た。

翌1月3日(月曜日)は、杉本町7:27発の電車で堺市駅に行き、そこから「関空快速(堺市7:37〜関西空港8:12)」に乗り換えた。

1月9日(日曜日)、モンゴルのウランバートルから韓国の仁川=インチョン(Incheon)空港経由で関西空港に戻って来た。16:19の着陸であった。預け入れ荷物のない佐野智行さん(姫路獨協大学)と一緒に、誰も並んでいない税関を早々と通過すると、17:10発の関空快速に乗って堺市駅で降り、再び杉本町駅へと向かった。その晩も、辻さんの下宿に泊めてもらうことになっていた。今回は、近くの炭火焼き「八剣伝」という居酒屋で、一杯ということになった。ここは2時間ほどで切り上げ、彼の部屋に戻って、お土産のモンゴル・ウオッカ「アルヒ(Arkhi)」で、また一杯である。

翌1月10日(月曜日)は、午前7時50分に起床すると、お土産に頼まれていたモンゴル岩塩の塊を、近くのコンビニ「ローソン」から、長野県北安曇郡白馬村にあるヒュッテ「星と嵐」のオーナーである、岸冨士夫さん宛てに郵送した。「岸さんの分の岩塩が重すぎて、とてもじゃないが、新潟まで持って帰れない」と思ったからである。それから、辻さんに別れを告げ、大阪駅へと向かった。

当初は特急「雷鳥17号(大阪11:12〜金沢13:59)」に乗る予定であったが、早めに大阪駅に着いてしまったので、特急「サンダーバード15号(大阪10:42〜金沢13:30)」に乗ることにした(これも8分遅れの10:50発車であった)。これは、変更して正解だった。雷鳥17号は13分遅れで金沢14:12の到着となり、特急「北越5号(金沢14:05〜新潟17:39)」は、乗り換えのための待ち合わせで10分遅れの発車であった。そのため、もし雷鳥17号に乗っていれば、またしても座れない可能性が高かったからである。

この北越5号も、大雪による前の列車の詰まりで停車を繰り返し、新潟駅に到着したのは、予定より38分遅れの18:17であった。しかも、到着ホームの変更という、おまけ付きである。それにしても今回は、JR側の不手際が多く、彼らの思惑に随分と振り回された感のある旅行であった。

[脚注]
(1) 新潟〜関西空港の旅費、及び宿泊費に関しては、調査隊長の○○さん(金沢学院大学)から自己負担を求められていた。そこで、大阪で一泊しないで、安上がりに行ける手段をひねり出したのだが、その何れもが使えないものであった。例えば「新潟〜白馬は自分の自動車を運転して行き、白馬村の岸冨士夫さんのところに自動車を置いて、そこから夜行バス(冬季限定のスキーバス)で大阪・梅田まで移動する」といった手段である。これだと新潟〜白馬のガソリン代は、たかが知れているし、白馬〜大阪のバス料金も往復8,000円で済むことになる。しかし、この夜行バスは、時間通りに到着しない可能性が高いことが分かった。また、新津〜新大阪の寝台特急も、時間通りに到着しない可能性が高いことが分かった。そのため、関西空港での国際線への搭乗時刻との兼ね合いから、どちらも利用しないほうが賢明なように思われた。更に、新潟〜大阪の夜行バスは、大阪着が国際線の搭乗時刻を過ぎていることも判明した。当日の朝、新潟空港始発の国内線JAL(M90)2240便(新潟8:30〜大阪・伊丹9:40)で行くのは、お金の問題もさることながら「国際線の搭乗時刻には完全に間に合わない」という事情もあった。
(2) 新潟〜大阪を直行で結ぶ特急がダイヤから消えて以来、不便になった。国鉄が解体してJRになり、採算の取れない路線が次々と廃止されて来たように、郵政民営化も、これと同様の問題をはらんでいるように思われる。


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