関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京都町田市 T-M1
写真1
春日神社 参道と鳥居(鳥居は2組あり、奥側が石の鳥居)
写真2 昭和6年4月に再建された鳥居
写真3
社殿 記念碑(倒壊鳥居)は石段の脇左側にある
写真4
記念碑(倒壊鳥居)全景 笠木、額束、長短の柱よりなる
写真5 記念碑の碑文
撮影:2015/8
< 神社案内板より >
祭神、由緒など
祭神:天兒屋根命(あまのこやねのみこと)・比賣神(ひめかみ)
由緒:旧鶴川村のほぼ中央に位置し参道の欅の古木が歴史を物語っております 江戸幕府五代将軍綱吉の宝永四年(1707)九月蔵福寺法印頼盛が奈良の春日大社の御分神をいただき創建しております。
(中略)
現社殿は昭和九年(1934)十月十三日に竣工されました
(後略)
< 関東大震災と春日神社と題した説明板より >
関東大震災と春日神社
大正12年(1923年)9月1日春日神社の例大祭には、氏子や鶴川尋常小学校の生徒等たくさんの人々が参拝していました。新しく藤田留吉氏より石の鳥居が寄進され、そのお披露目の日でもありました。
午前11時58分、相模湾を震源としたマグニチュード8弱の烈震が発生して新しい石の鳥居が倒潰しました。その後、境内のあちこちに転がっていたものを当時の総代や氏子が整理して記念碑として、一部を土留めなどに利用してきました。
昭和6年には、藤田留吉氏によって同じ大きさの鳥居が再建され現在に至りますが、震災時に倒壊した鳥居は80年以上を経て風化し記念碑としての存在も分かりにくくなってきたため、この度整備することとなりました。
大震災と鳥居の崩壊と言う大惨事にもかかわらず参拝者の方に1人の死傷者も無かったのは奇跡と言えます。
この記念碑の整備にあたり、春日神社が長い歴史の中で幾多の困難を乗り越えて今に続くことに畏敬の念を持って体感できたことに深く感謝し、ここに記します。
春日神社 宮 司 池田文彦
総代長 井上 爽
総代一同
平成25年11月吉日
記念碑の碑文
(写真5参照)
石柱(縦柱)下端は台座が付いた状態で、記念碑として用いられています。この石柱の上端にはもともと刻字されていた文字「日建之」が残されており、「大正十二年九月一日建之」*とあった石柱の九月一と日建之の間で破断しているようです。
関東大震災の当日は春日神社の例祭で、まさに寄進された新しい鳥居が倒壊するという事件が発生しました。
*「大正十二年九月一日建之」 実際にこのように刻まれていたかは未確認。破断した石柱の中には「年九」の文字が見える。
春日神社の所在地は当時、東京府南多摩郡鶴川村でした。鶴川村の被害は、人口5,012人のうち死者2名、844世帯の内全壊46世帯でした。
被害については、下記の資料を参照しました。
(諸井孝文 武村雅之 関東地震(1923年9月1日)による被害要因別死者数の推定 日本地震工学会論文集 第4巻、第4号、2004の付表 関東地震の死者数データベースより)