関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 箱根町 HN-01
写真1 ホテル天成園
写真2 玉簾の滝
写真3 玉簾の滝
撮影:2007/4
現在の案内板 関東大震災関連の記述はありません
須雲川安山岩類の上に新期外輪山溶岩があり、この2つの層の間の礫層から流れ出た伏流水が滝となっています。この滝は関東大地震の際、崩壊した土砂で埋もれてしまいました。現在の玉簾の滝は掘り出されたものであり、ホテル天成園の中庭にあります。
明治時代の玉簾の滝
平野富雄 観測だより 地震の石碑⑳ 神奈川県温泉地学研究所「なまずの会」1986 より 原典は明治28年発行の箱根温泉誌(学齢館)
もとわずかに渓水ほとばしり落ちたる崖にすぎざりしに、明治二十二年子安峻氏の始めて開きしところなり。たくみに崖を削り水の分配を広くしたるより、高さ十九間、幅十四間の大なる滝となれり。滝の下には数千坪の平地があり。木石を植え亭?**を植え、人の休息に便にす。夏時は此に遊び滝にかかりて涼を取る者多し。滝の近くかつ高きに似ず、その水量はわずかなれば童幼婦女といへども之にかかりて更に危険のおそれなし。このところをまた滝の前の遊園といふ。のぞみによりて麦酒茶菓子等を供すれども、宿泊をばせしめずといふ。この園にはいる者は五銭の入場料を要す。
(注)亭?**:(ていしゃ)あずまやと見晴台と。
地震の石碑⑳*によると、当時(1986年頃)玉簾の前の案内板には関東大地震との係わりを含めた滝の履歴が次のように紹介されていました。
(前略) 明治の半ばからは、須雲川に吊橋をかけ池に船を浮かべ、飛烟閣といふ回廊付きの六角堂に数々の仏像を安置し、『滝の前遊園地」として一般に公開されました。その二流の滝が山崩れで埋まってしまったのは大正十二年の関東大震災からです。昭和になって玉だれの滝だけは掘りだされて、その名の通り清冽玉すだれの様にこの湯坂山の山腹から湧き流れて居ります。滝上の玉簾神社は九頭竜大神です。無病息災、商売繁盛の神様として知られて居ります。(後略)