関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-27
写真1 根津神社の楼門(国指定重文)
写真2
楼門の左側から神楽殿方向を望む
紀念碑は神楽殿手前のイチョウの樹下にある
写真3 紀念碑
写真4 紀念碑(背面)
撮影:2003/4
根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。宝永二年五代将軍綱吉は兄綱重の子綱豊(六代家宣)を養嗣子に定めると、氏神根津神社にその屋敷地を献納、世に天下普請と言われる大造営を行なった。
翌年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。
(根津神社ホームページhttp://www.nedujinja.or.jp/index.htmlより抜粋)
根津神社は関東大震災でも空襲でも被害を免れたため、1706年に完成した建築物群がそのまま残り、国の重要文化財に指定されています。
関東大震災では根津神社の南側に隣接する当時の東京帝国大学医学部で薬品を原因とする出火が数カ所であったもののいづれも消し止められました。図書館は飛び火によって全焼しましたが、大学敷地を越えて延焼することはありませんでした。
この附近では小石川後楽園の南側と上野公園の南端を結ぶ線が延焼地域の北限となり、根津神社の南1.5km程度で延焼が停止しました。
紀念樹碑(写真3参照)はイチョウの木の下にあることから、紀念樹とはイチョウであろうと思われます。関東大震災を紀念して、神社を火災から守るイチョウを火伏せの樹として植樹したものでしょう。
紀念樹碑(正面) (背面)
紀念=記念
行数と1行の文字数は実際の通り