作成:2006/10
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 東京 T-37
写真1 海蔵寺を示す石柱
かって、品川にあった溜牢(牢屋)で亡くなった人々の遺骨を集めて、宝永五年(1708)に築かれた塚である。お参りすると頭痛が治るということから「頭痛塚」と呼ばれた。この塚に、天保の大飢饉(1833~40頃)の折になくなった二百十五人を祀る「二百十五人塚」も合葬され、更に、品川宿の娼妓の大位牌や、鈴ヶ森刑場で処刑された人の首の一部も埋葬されて、総称を「首塚」と名付けられた。
この首塚の他に、慶応元年(1865)に造立「津波溺死者供養塔」や、大正四年(1915)に造立の「京浜鉄道轢死者供養塔」、昭和七年(1932)に造立の「関東大震火災黄死者供養塔」などがある。いずれも無縁の横死者の霊を供養するもので、本寺は品川の「投込寺」であったことがよくわかる。
平成六年十月三十日
品川区教育委員会
写真2 海蔵寺の案内碑と参道
正面 背面
写真3 大正癸震火大災横死者霊供養
撮影:2006/9
台座の碑文によると、町役場が品川海岸に漂着した数十体の遺体を海蔵寺に合葬して毎年追弔してきたが、昭和七年十月にこの地が東京市に併合されたことを機会に品川区の各宗派の寺院によって犠牲者回向のために釈迦如来像が建立されたとういことがわかります。