作成:2010/11
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-26
写真1 明王山宝積寺の山門
写真2 山門前の石碑など
向かって最も左側の石碑が大震追悼碑
現在の根岸町は中区南西端附近に位置しますが、震災当時は広い面積を占め、現在は磯子区に属する堀割川の西側まで広がっていました。碑に刻まれている上堀割や分田は当時の根岸町の小字と思われます。
根岸町での死者は刑務所*を除けば十数人でしたが、勤め先で亡くなった人は数十名にのぼるとされています。(横浜市震災誌)
宝積寺の大震災追悼碑には58名の死者が刻まれており、被害の大きかった地区への通勤者が多く含まれているようです。
刑務所*:横浜刑務所では看守1名が圧死し、1名が焼死した。囚人は1134人中53名が圧死した。建物の倒壊・延焼により、囚人全員を解放したが、九月末までの帰還者は780名であった。(大正大震火災誌)
根岸町関係者の建立による石碑には他にも白滝不動尊の大震災記念碑があります。
写真3 大震災追悼碑
正面
背面