作成:2015/6
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 横浜 Y-19
写真1 港の見える丘公園
写真2
港の見える丘公園の崖側先端部
写真3
対策工が実施されている崖地 北西端周辺(フランス山裾)では崖地に接近して住宅が建てられている
写真4
崖下に設けられたスペース 駐車場として利用されている場合もある
写真5
新山下1丁目の霞橋より港の見える丘公園を望む
当時、震害が如何に酷烈であったかは、町(山手町)の東端なる俗称「見晴らし」の崩壊を見ても知れ得るのである。「見晴らし」は新山下町埋立地の頂上にあり、そこは約40尺(約12m)の断崖になっている。混凝土(コンクリート)で固めた部分が、約30間(約55m)許りが没落した上に、其の左右の崖が70間許りが大崩壌(壊)したので、縁にあった住宅3戸はもんどり打って崖下に転落した。
(旧字体を新字体に変更、漢数字をアラビア数字に変更など ( )内は追加)
又山手町内に於いて断崖崩潰し、惨状を呈したのは同町の東端「見晴し」と称する場所である。同所は新山下町埋立地の真上に当って、約40尺の高さがあって、東京湾を隔てて房総半島に対する眺望佳絶の個所で、其断面はコンクリートで固めてあったが、此の部分約30間は道路の小部分を残して約6尺(約1.8m)沈下し、馬車の交通を断ち、其の前後コンクリート以外の断崖は、約70間(約130m)に亘って大崩落を為し、崖上に在った外人住宅2軒邦人住宅1軒は、40尺の崖下に転落して粉砕した。
(旧字体を新字体に変更、漢数字をアラビア数字に変更など ( )内は追加
(若干の語句の違いがあるものの、「神奈川県下の大震火災と警察*3」と内容は同じ)
*1 横浜市震災誌 第二冊 横浜市役所 大正15年8月 p136
*2 大正震災志 内務省社会局 大正15年2月 p584
*3 西坂勝人 神奈川県下の大震火災と警察 大正15年8月 p25-26
写真6 港の見える丘公園より、横浜港と新山下町・本牧ふ頭・ベイブリッジなどを望む
撮影:2015/5