新十津川のホーム
新十津川の駅舎


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学園都市線の線路の終端部
新十津川の駅名標と駅舎
  札沼線の終着駅、新十津川。やって来る列車は1日に3本でJRの無人の終着駅で利用者がいちばん少ないこの地こそ無人駅訪問家である私のJR完乗に最も相応しい場所であると前々から考えていた。

 前々日、前日と「ちほく高原鉄道」のいくつかの駅を訪問した後、夜行特急「まりも」で札幌入りをした。札幌に着いてすぐにトイレの洗面所でヒゲを剃って歯を磨き、ヘアワックスで簡単に髪を整える。完乗の前日に宿を取っておけば良かったかもしれないが札幌で宿が取れる保障がなかったし、「ちほく高原鉄道」の道中で陸別にある「オーロラハウス」に宿泊をしたため、これ以上宿にお金をかけたくなかった。

 早朝でも札幌の駅に人はいたが、午前7時に近づくにつれて次第にスーツ姿の人が目立ってくる。私が乗る列車の発車時刻は7時4分だが7時10分前にホームに出てみると札沼線の列車を待つ人がいた。札沼線は札幌地区では通勤・通学の重要な足となっているのでディーゼルの普通列車で5〜6両編成というのも珍しくない。列車が入線してくるときに車内を観察してみるとこの時の札沼線の列車はセミクロスシートの車両とオールロングシートの車両の混成でクロスシートの車両へとおもむろに足が向かっていく。朝の札沼線の下り列車はスーツの人よりも高校生や大学生の姿が目立つ。駅名でも「あいの里教育大」や「北海道医療大学」があり、「学園都市線」の愛称もうなずる。7時4分発の列車は石狩当別止まりで新十津川行きの列車は3分の接続で乗換えとなる。列車番号は5423D、車両はキハ40 401。これが私のJR完乗に利用する列車となる。乗った時は座席が埋まり立っている人が十数名いたが、北海道医療大学や石狩月形でほとんどの人が下車。浦臼を過ぎた時に乗客は私の他にテツが2人だったが下徳富で地元の人が乗ってきて、最終的には運転士を含む計5名で新十津川を目指すことになった。中徳富を出ると私が唯一残した未乗区間に突入し9月13日午前9時29分、終点新十津川に到着し私はついに念願のJR完乗を果たした。

 11分後に私が乗ったキハ40 401は折り返して札幌へ行くが新十津川の周辺を少し堪能したかったし、列車が来ていないときの駅の写真を撮っておきたかったのでJR完乗の世話になったキハ40 401を見送った。残念ながら駅ノートがなかったため、それならば滝川の駅までちょっと歩いてみようと思った。

 1日3本しか列車が来ない新十津川だが駅前には病院があるし、歩いて1〜2分で町役場やコンビニや生協そして郵便局もあり役場の近くから滝川方面へのバスが出ている。それに築数年といった綺麗な一軒家が数多くありベッドタウンの赴きも感じられ決して寂しい所ではない。新十津川から滝川の駅までは徒歩で約1時間、距離にして3〜4キロといった感じなので車なら気軽に滝川へ行ける。札幌から滝川までの所要時間は特急で1時間、普通列車でも1時間半。旭川から滝川までは特急で30分、普通列車で1時間なので地元の人が列車を使うなら一旦滝川に出た方が便利なのかも知れない。

 新十津川から滝川まで歩いたが、途中でポツリポツリと雨に降られたため、バスで戻ることにした。バス代は200円と安く、時間はさほどかからなかった。再び駅に戻り、次の列車が到着するまでじっくりと完乗の余韻に浸っていた。午後12時38分に列車が到着して中高年風の夫婦が記念撮影を行い、朝に下徳富から乗ってきた人が所用を済ませたのか、再びやって来た。折り返し12時56分の発車までじっと完乗の地をこの目に焼き付けようとじっくりと眺め、列車が発車し始めると後ろのほうへ行きホームが見えなくなるまで見つめていた。

 ついにJR完乗の旅が終わってしまった。果たしてこれで旅は終わりなのだろうか、いやこれは新しい旅の始まりなのだ。そう言い聞かせて座席に戻っていった。

                                                                            (2005.9.13)
Shin-totsukawa
新十津川