春の夜の贈り物



 部屋の隅、こそこそと囁き合う声がする。
「……それでね、あのね」
「────何を話しておいでですか?」
「っきゃあっっ! ──よ、頼久さん!? びっくりしたぁ……」
 あかねは飛び上がって悲鳴をあげた。詩紋はその悲鳴に驚き、抱きついて来たあかねを
支えきれずに後ろ手をつく。頼久はというと、それほどまでに驚かれた理由が分からず、
ただ無言で目を瞠った。
「驚かせるつもりはなかったのですが……。申し訳ございません」
「えっ、あ、頼久さんが悪いわけじゃないよ! 私こそごめんね、──一瞬、天真くんか
と思ったから……っ」
 あせあせと弁明をするあかねに、頼久が首を傾げる。
「天真……? 天真がどうかしたのですか?」
「あのね、もうすぐ天真先輩の誕生日なんだ」
 赤くなったあかねの代わりに、詩紋が答えた。誕生日、聞き慣れない言葉に頼久が眉を
寄せる。異世界より来た3人は、頼久たちとほぼ同じ言葉を話すものの、生活習慣などは
やはり違うらしく、このように戸惑わされることも多い。女官と親しく流行にも敏感な友
雅ならともかく、抜きん出て世俗に疎い頼久ならば、なおさらのことだった。
「あ、そうか。この時代は元旦にみんなそろって年が増えてたんだったよね。──あのね
頼久さん、誕生日っていうのは、その人がこの世に生まれてきた日のことだよ。ボクらの
いた世界では、お誕生日が来るとひとつ年が増えて、それでね、それをみんなでお祝いす
るんだ」
「そのような習慣があるのですね。こちらでは、新しい年が始まるときに私たちの年も新
しくなりますから、“誕生日”というものは分かりませんが、私は紅葉の色づく季節に生
まれたのだと、聞いたことがあります」
「へぇ、頼久さん、秋生まれなんだ」
 頷いて、頼久は根本に立ち戻った質問をした。
「──それで、神子殿。その天真の“誕生日”と、先ほどの内緒話とは、どのようなご関
係があるのでしょうか」
「えっ、とね、──天真くんの、お誕生会をしたいと思って」
「お誕生会? ああ、“誕生日”を祝う宴のことですか。しかし別にこそこそと隠れてし
なくても良いのでは」
 “皆で祝う”のならば、藤姫を通して八葉の皆にも使いを出し、女房たちに準備をさせ
れば良い。そう言うと、あかねはなぜか、また赤くなった。
「う、うん、そうなんだけど。でもきっと天真くん自分の誕生日なんて忘れてるから、ナ
イショで準備してびっくりさせたいんだ。──だからね、頼久さん、このことは、天真く
んには秘密にしててね」
 かわいく首を傾げてお願いされては頷くしかない。頼久はあかねとの接触で少しは分か
るようになってきた“乙女心”というものに微笑ましさを感じつつ、苦笑交じりに承諾を
した。途端に2人の表情がぱっと明るくなる。
「あっ、あのね、頼久さん。良かったら、頼久さんも天真くんに何かプレゼント──贈り
物を、考えておいてくれる?」
「贈り物、ですか……。ご期待に添えるかどうかは分かりませんが、努力いたしましょう」
 よろしくね、と声を揃えた二人に苦笑して、頼久は踵を返して部屋の外へと出ていった。


 と。廊下に出て横を向いたところで、頼久は思わず立ち止まった。目を瞠って口を開き
かけたところを、腕を掴まれて引き寄せられる。
「声だすな馬鹿。気づかれたらどーすんだ」
「──天真、お前いつからそこに」
 そこにいたのは、“ナイショ”の誕生日の主賓であるべき、森村天真その人だった。
「あいつの悲鳴が聞こえた気がしたから……」
 ばつが悪そうに眉を寄せて、色の薄い髪をがしがしと掻く。
 それではほとんど一部始終を聞いていたのかと驚くとともに、がっかりするであろう2
人を思い浮かべて、頼久は小さくため息をついた。
「あのよ、────1コ、頼みがあんだけど、いいか?」
 珍しく歯切れの悪い物言いだ。目で促すと、天真はちらりと頼久を見上げ、口を開いた。
「俺が知っちまったってコト、あいつらには内緒にしといてくんねーか?」
 頼久が目を見開くと、天真は唇を曲げて頭を掻き、ついで剥き出しの腕を掻いた。
「わかった。神子殿たちには、言わないでおこう」
 穏やかに了承の返事をすると、照れと緊張に強張っていた顔がふとゆるむ。
「──サンキュ」
 にっと笑った天真に、頼久もまた、笑みを返した。


「神子様? 詩紋殿? 何をしてらっしゃるんですか?」
「あっ藤姫! ちょうどいいトコに来た!」
 手招きをされ、藤姫はきょとんとして首を傾げた。額飾りについた小さな鈴がかすかに
音を立てる。歩み寄って座り、3人で顔をつきあわせて話をしていると、さっと衣擦れの
音がして、あかねと藤姫は同時に良い馨のする衣の中に抱き込まれていた。
「こんなところで、何か企みごとでもしているのかい?」
 低い、深みのある声が耳元で囁く。ひぁっ、と叫んであかねが首をすくめた。藤姫も、
小さな悲鳴を飲み込んで顔を赤くしている。
「友雅殿っ、神子様に失礼なことをなさらないでくださいと何度申し上げれば……っ」
「申し訳ありません藤姫。お止めしたのですが、振り切られてしまいまして……」
 部屋の中には入らず、入口のところから鷹通が声をかける。
「まあ、鷹通殿もいらしてたんですか?」
「はい。──何か、ご相談をされているようでしたが、何かあったのですか?」
 いたって真面目な顔で問われ、あかねが返事をためらう。救いを求めるように詩紋を見
ると、詩紋はくすっと笑って代わりに答えた。
「そんな心配するようなことじゃないから安心してください。鷹通さんも、もうちょっと
近くに来てもらえますか? あんまり大きな声じゃ言えない話なんです」
「ほう、それは楽しみだね」
「? ──では、失礼いたします」
 顔を寄せた友雅と鷹通に、詩紋はこそこそと、頼久や藤姫にしたのと同じ説明をする。
鷹通が感心したように目を見開き、友雅は優雅な仕草で手を口元に当てた。のぞく口端は
確かに笑みの曲線を描いている。
「“誕生日”か。当人とその人を大切に思う人達にとってはとても大切な日なのだね。そ
んな面白そうな習わしがあるとは、君たちの世界もなかなか風流だ。──しかし、神子殿
がそれほどまでに想う男が私以外にいるとは、少々妬けるね」
 艶のある眼差しに、あかねが顔を赤くする。友雅殿っ! 藤姫に睨まれ、友雅はおどけ
た調子で肩をすくめた。
「おおこわい。──ふふ、こんなかわいらしい姫君にやきもちを焼いてもらえるとは、私
は幸せ者だ」
「友雅殿っ!!」
「友雅さん、あんまり軽いことばっかり言ってると、そのうち藤姫に愛想尽かされちゃう
よ!」
「みっ、神子様っっ」
「それは大変だ。では今度から少しは自重するよう努めてみよう」
「ではその分お勤めのほうに精を出してください。少なくとも行き先くらいは告げて行っ
ていただかないと、私が京中を駆けずり回ることになります」
「おや、鷹通も言うようになったねぇ。──多勢に無勢では、ここはおとなしく引き下がっ
た方が良さそうだ。そろそろ私は失礼するよ」
 すっと立ち上がると、衣に焚きしめられた香が馨る。え、もう行っちゃうの? 驚いて
あかねが尋ねた。
「友雅さん、何か用があったんじゃないの?」
「いえ、用があったのは友雅殿ではなく私です。左大臣殿にお話があって伺ったのですが、
途中、友雅殿にお会いしまして……。こちらに伺うとお話ししたら、ついてきてしまった
んです」
「それはあんまりな言い様だな。──まぁ、私の用はもう済んだからね、先に帰らせても
らうよ」
「え? 友雅さん、用事あったの?」
「ふふっ。────私の姫君たちの、ご機嫌伺いだよ」
 艶めいた視線を二人に投げかけ、友雅は優雅な足どりで去っていった。女性陣は頬を赤
らめ、男性陣はため息をついて、友雅の消えた先を見つめる。しかし鷹通と詩紋のため息
は、理由が少々違ったようだ。困ったものだ、と言うような鷹通に対し、詩紋は、
「いつも思うけど……、友雅さんって、ああいう台詞がすらすら出てくるのってすごいよ
ね」
 と、感心モードである。
「詩紋くんっ、詩紋くんはあんなふうになっちゃダメだよっ!」
「え? ──ヤダなぁあかねちゃん、そんなことしないってば」
 詩紋の外見でそれをやられたらシャレにならない、と思う、あかねなのであった。
「では、私もそろそろ失礼いたします」
「あ、鷹通さん。永泉さんと泰明さんにも、伝えておいてもらえますか?」
「ええ、いいですよ」
「イノリくんは詩紋くんにお願いしたし。よし、これでとりあえず準備オッケイだね!」
「うん、そうだね! 天真先輩、喜んでくれるといいね」
 うん、と嬉しそうに笑うあかねに、鷹通と藤姫は顔を見合わせくすりと笑みを交わした。


                    *                  *                  *


 そして、天真の誕生日当日。
 いつものように頼久との朝稽古の後、汗を掻いた体を拭きながら天真は外出する旨を頼
久に伝えた。
「出かける? だが今日は……」
「ああ。──だから俺がいると落ちつかねぇだろ。俺も、その……気になっちまうしな」
 そうか。納得して、頼久は行き先を尋ねた。
「そうだな……、船岡山にでも行くかな。あそこからの景色、気に入ってんだ。ま、夕方
には帰るから心配すんな。──あいつらのこと、よろしく頼むぜ」
「ああ。お前も京の町に慣れてきたとは言え、油断するなよ」
「へっ、だーいじょうぶだって、心配すんな。じゃな」
 にやりと強気な笑みを閃かせ、天真が裏門をくぐって外に出ていく。と、その同じ門か
ら、今度はイノリが入ってきた。手に何か長い棒のようなものを抱えている。
「よう、頼久。──なぁ、今天真が出かけんの見たけど、いいのか? 今日ってあいつの
……」
「ああ、行き先は聞いてあるから心配はない」
「ふうん。──どんなカオして驚くか楽しみだな!」
 屈託のない笑みを広げるイノリに、頼久も表情を和らげ頷く。
「そだ、例のモン、持ってきたぜ」
 そう言って、イノリは腕に抱えてていた長い包みを手渡した。受け取って、断ってから
包みを解き、頼久が目を瞠る。
「どうだ、すげーだろ!? ──あいつにゃもったいないくらいだぜ」
 予想通りの反応に、イノリは得意気に笑って鼻を擦った。ため息をついて、頼久が口を
開く。
「ふ、そうだな。このまま私がもらい受けたいほどだ」
 顔を見合わせ笑みを交わし、元通りに布に包んだそれを片手に持って頼久が尋ねた。
「一度戻るのか?」
「いや、今日は休みにしてもらった。だからオレもなんか手伝うぜ」
「そうか、ではとりあえず神子殿のもとへ行こう」
 背を向けて歩き出した頼久に続いて、イノリも屋敷の中へと入っていった。


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