Voice夕食後、一息ついて自室に戻ろうとした時だった。ちょうどその瞬間を狙い澄ましたように電話が鳴った。 「はい、不二です」 ドアに向かって歩いていた身体を、一歩分横に滑らせて受話器を取る。耳に触れたプラスティックからは、良く知った、低く落ち着いた声が聞こえてきた。 「青学テニス部の手塚と申します」 「あ、手塚」 「──不二か」 思わず洩れた言葉から、本人が電話を取ったことを知り、受話器の向こう、声のトーンがわずかに変わる。確認するように名を呼ばれ、肯定の返事を返してから、不二は小さく笑いを洩らした。 「どうした」 「うん。──ねぇ手塚、この家の人間はみんな『不二』なんだけど?」 くすくす笑いながら、不二は少々意地の悪い言い方をした。見えない仏頂面を思い浮かべながら、コードレスの受話器を持ったまま自室への移動を再開する。 「──周助か」 しばしの間を置いて、低い声が言い直した。 口を噤み、10センチ以上低い位置にある不二の顔の代わりに電話を睨んで、諦めたように軽く息をついて、その後。 「うん」 先刻よりはもう少ししっかりと返事をして、不二は満足げな笑みを浮かべた。ちょうど辿り着いた自室に入り、ベッドに浅く腰を下ろす。 「手塚、今どこ?」 「? 家だが」 「そう」 それではあまり長くは話していられない。 手塚の家の電話は、受話器がコードでつながっているタイプだ。決して壁によりかかったりはせず、きちんと背筋を伸ばして立っているだろうことは、張りのある声を抜きにしても容易に想像がつく。家人が後ろにいるかどうかまではわからなかったが、そうでなくても長電話を好む性質ではあり得ない相手に、不二は諦めて用件を促した。切り出された話は、予想を裏切らず、明日の朝練についてだった。 「──うん、わかった。じゃあ明日は6時半だね」 復唱して確認する。さて、これで電話の用件は済んでしまった。 「ああ。──じゃあ、また明日」 不二は小さくため息をついた。知らず、頬に微苦笑が浮かぶ。 「うん、おやすみ、また明日」 一呼吸おいて、通話を切る。耳から離した受話器の向こうで、相手が同じタイミングで受話器を下ろしたのが感じられた。 「あーあ」 落胆を口に出して、不二はベッドに倒れ込んだ。受話器を放り投げた右手を引き寄せ額に当て、ため息とも笑いともつかない息を洩らす。 君の声をもっと聞いていたい。 そんなことを言って手塚を困らせるのは簡単だ。だが、それでは手塚の本心がわからない。困るのはわかる。でも、なんで困るのかは、わからない。声だけではわからない。 表情の変化に乏しい手塚が相手でも、実際に顔を見て話すのと、声だけを頼りに話すのとでは大違いだ。声だけでもわかることももちろんあるけれど、わからないことも、やっぱりある。 押してみれば、どんな反応が返るかはだいたいわかっていた。では、引いてみたら? そう思って様子を見てみたのだが、期待したものは得られなかった。思った通りだ。 「手塚の声、好きなんだけどな……」 好きなのは声だけではないけれど。 今度はやっぱり押してみよう。そう、密かに心を決めた。 明朝の予定が変更になったことを、リビングにいる母親に伝えなくてはならない。内線を利用する横着を避け、不二は自ら階下に降りて伝えることにした。そうしないと、ベッドに沈み込んだまま、しばらく動けなくなりそうだ。 不二は受話器を握りなおし、大げさに反動をつけて起き上がった。 fin. |