ホームページを開設したものの、早速話題に困っています。何かテーマを決めてバリバリ書
いていかないと到底長続きしないのではないかと思いますが、その一方であせらずノンビリ
いこうじゃないかという心の声も聞こえてきます。

2001.12.30(日)


地下鉄で些細なことが原因となって喧嘩をする人が最近増えてきているような気がします。
不景気で気がたっているのでしょうか。
景気が回復してくれないと世の中暗いですね。
これからは高齢者が多くなるようですし、就業可能な人口構成も大幅に変わらざるを得なく
なることでしょう。
大企業に就職して定年まで勤め上げるという人生がかつては普通だったのですが、これか
らはそうはいかなくなってくるのではないかと思います。
かといって雇用の状況がいいかというと、これが最悪というありさまではまずいです。

世の中がもっと明るくなるといいですね。

2002.1.29(火)


最近することが多くてあまり音楽に接することが出来ないのが残念です。
CDも結構買ってはいるのですが、まだ聴いていないものがかなりあります。
また、ゲームの類も買ったはいいものの、いざ始めると何時間もかかるものが多いですの
でまだ出来ていないものが多いです。
プロのゲームライターとか音楽評論家という訳ではありませんから、じっくり腰をすえて楽し
もうかと思っております。(アマチュアの特権ですね。)

2002.1.30(水)


この頃「あの人は何を考えているのか分からない。」ということを安易に言う人をよく見かけ
ます。結局のところ、感受性が鈍いからこのような発言が簡単に出てしまうのだと私は思い
ます。
案外人は他人をよく見ているようで、その実見ていないから誤解が発生したり、そんな人だ
とは思わなかったなどという泣き言が出たりします。これなど何を考えているのか分からない
と安易に言う人の精神構造と実は同列、同根であったりします。
そういう人は単に気分や好き嫌いで他人を判断していないか、自分の思いに一度問いかけ
てみると冷静になれます。正しい判断や他人への真の理解はまずそこから始まると私は思
っています。

2002.2.13(水)


インターネットが普及し、普通の人々がホームページを持てるという情報革命が言われて久
しいですが、この状況が更に進んでいった場合、人と人とのふれあいが現在以上に希薄に
なっていくのではないかという気がしています。
人の接近を極度にうっとうしいと思い、自分が気に入った人や物にしか接しようとしない。そ
のような人格に私は全く魅力を感じません。
新潟の少女拉致監禁事件や京都の小2男子殺害事件の犯人達の人格はまさにこの傾向が
極度に進行したもので、自我の最も望ましくない形での内向が最終的には彼等を崩壊に向か
わせてしまいました。
今の私の周囲を見ましても彼等ほど病的ではないにせよ、自分の嗜好しか心が向かわぬ人
が増えているような気がします。
内向が全て悪徳という訳ではなく、内観や内省といった内向の美徳も無論あるため、私は内
向の全てを否定する者ではありませんが、内向が自己愛の延長に過ぎなくなった時、それは
崩壊への一歩となることに警鐘を鳴らしたいです。

2002.2.19(火)


なかなか更新する時間がとれないのがもどかしい気がしますが、少しずつ充実させていきまし
ょう。
最近、学校の先生が学級崩壊の影響で心身が疲労困憊し、精神科に通うケースが増えてい
ると聞きます。
私は戦後の教育からして歯車が狂っているから今日のような様相を呈していると思っておりま
す。
男女平等(これ自体は尊重されるべきですが)の美名の下に男女の性差を無視した無謀な教
育、そして才能、能力に差などないという偽善的な建前の教育観による均質化した理想主義
の歪み。
個性を重んじるという意味の履き違えと実際は「出る杭を打つことなかれ主義」の横行。
これでは子供も先生もおかしくなるのは当然だと思うのは私だけでしょうか?

2002.3.13(水)


東京でひとり暮らしをしていると玄関の郵便受けになかなか怪しいチラシを放り込まれること
が多いです。
最も多いのがいわゆるピンクチラシの類で、首都圏で普通の家の郵便受けにこんなものを入
れる国は日本くらいなものではないでしょうか。子供がいる家庭はどうするんでしょう?
次に多いのがAV(もちろんオーディオヴィジュアルではなくアダルトヴィデオです。)の通信販
売の怪しいチラシです。
これもピンクチラシと似たようなものですね。
それからピザ宅配、近所のそば屋やすし屋の安売りのチラシ、まあこの辺はまだいいんです
が、最近多いのが気功とかアロマセラピーとかの癒しに関するチラシです。
これはストレスが多い東京にいるのが実感できますね。
私は怪しい宗教とかはダメですが、結構こういうのには拒否反応を示さなかったりします。

2002.3.26(火)


ヒーリングの仕事をしている私ですが、同業者の方々のご発言は勉強になります。それは真
に尊敬に値する方のご発言はもちろん、軽蔑するしかない人物の発言であったとしてもです。
どのように間違った意見であっても、反面教師として学ぶべきものがあるからです。

私はヒーラーやセラピストが「私がこの人を治してやりたい」と思うのは傲慢だと思っています。
治すのはあくまでもクライアント自身の自然治癒力とご本人の気づきの賜物です。

私は「この人を私が治してやりたい」「私がこの人を治してやる」という想念でクライアントに接
するセラピストやヒーラーにだけはなるまいと思いますし、そう思うようにと教えるヒーラーやセ
ラピストはいかに技術が優れていようと、権威者であろうと、どのような肩書がつこうと、ヒーラ
ーやセラピストとしては三流だということを確信します。これらの想念は所詮は自我我欲の延
長であり、癒しの真髄からの視点でいくと、あまりにも矮小で卑しい精神にしか過ぎないもの
です。私が三流だと言う理由がここにあります。

2002.6.7(金)


借金を依頼してくる人があります。私は借金というものは本当に親しい人、本当に大切に
思っている人に対しては依頼出来ないものだと思っております。皆様も借金を依頼してくる
人がもしあるとするならば、その人からは心のどこかで愚弄されていると思っておくべきで
しょう。もちろん、その依頼は断るべきです。

2002.6.8(土)


日頃はクラシックやジャズをよく聴く私なのですが、先日たまたま小田和正さんのCD「小田
和正/自己ベスト」を買いました。「風のように」を聴いたら涙が出てきました。でも、この曲
を聴いたら明日に向けてまだ僕は頑張っていけるとも思いました。

2002.6.11(火)


最近、今後の自分の道を考えさせられることが多い。前からうすうす感づいてはいたことだ
が、私は普通のサラリーマンで人生をまっとう出来る類の人間ではないということ(注:別に
私が特別に優れている人間だとか、逆に駄目人間だという意味ではない。)を最近、つくづく
思い知らされている。(平凡で平穏で波風立たない人生を歩むことはもう諦めている。)

自分が今後していきたいことはかなりまとまってきたし、形に出来る日も近づいて来ていると
思う。しかし、どこか寂しい感じがする。多分、戦後の教育(私はこれに感謝する一方で、と
てつもない嫌悪感も抱いている。)において日本人に徹底的に刷り込まれた「他と同じでは
ないと安心出来ない性分」からの脱却がまだ心のどこかで出来ていないのだろうと思う。しか
し、実は「他と違っていてはいけない理由などない。」し、私はそれ以前に他と同じではない。

繰り返しになるが、これは自分だけが特別なのだという意味ではなく、それ以前の当たり前の
ことだ。私はそれが当たり前なのだと思える社会をつくりたい。

もちろん、私の力だけでは微々たるもので大したことは出来ないかもしれないが、この世の中
につくりたいと思い活動する人が一人でもいるのと誰もそうは思わず何もしないのとでは意味
が全然違うとも思う。


2002.6.12(水)


一昨日、波動整体療法の本多和彦先生からE-Mailのご返事を頂戴した。更にその前日に私は
愚痴メールと近況報告を書き綴ったメールを先生に送ったり、愚痴電話をかけたりしたのだ。

その時私は「偏見や偽善、欺瞞行為やこき下ろしや策謀や見くびりや金儲け主義や胡散臭さ
に満ちたホリスティックヒーリングの業界地図を私は塗り替えたい。」と先生に電話した。


先生からのメールを読んで「挫けずにまた頑張ろう。ただし肩肘張らずにマイペースで。」とい
う気になった。【注1】

ところで、話変わってなんだが、最近アマチュア吹奏楽団のCDをよく聴いている。ヘタしたら
クラシックやジャズより聴いてるかも知れない。
お薦めなのがこの二枚のCD
         
「天野正道:交響組曲第2番『GR』より」指揮/浅田享、浜松交響吹奏楽団
  (CAFUA/CACG-0016)
「天野正道:交響組曲第7番『BR』より」指揮/牧野誠、富山ミナミ吹奏楽団
  (CAFUA/CACG-0025)

だまされたと思って聴いてみて欲しい。特に吹奏楽を他のジャンルよりも一段低いものと思っ
ている人にこそお薦めしたい。冗談抜きで天野正道氏の音楽は燃えている。幼い頃、特撮ヒ
ーロー番組を食い入るように観ていた人にはきっとわかっていただけると確信するし、むしゃ
くしゃしてる時なんかに聴くと最高だと思う。こういうのもある意味癒しの音楽だ。


【注1】
現在、私は「波動整体療法講習会には深入りはしないでいただきたい。」という見解でおります。
本件につきましては、「かめかめ日記」第41集の2010年3月4日(木)の日記から「かめかめ
日記」第43集
の2010年8月4日(水)の日記にかけて、波動整体療法及びその創始者に関す
る直近の私見を書いておりますので、ご一読いただけましたら幸いです。

2002.6.14
(金)


最近、非常に凝ったつくりや仕掛けがある美しいホームページをよく見かける。そういうホ
ームページを見ると本当に素晴らしいと思う。逆に、当ホームページは全然凝ったつくりに
はしていない。むしろ素人丸出しのつくりである。しかし、ネットサーフィンについて全く詳し
くないと思われる方であっても、全てのコーナーが閲覧可能なように配慮を徹底しようと思
う。そうしないと、見るのをあきらめられてしまうからである。当ホームページの場合、それ
では何の意味もないのである。決してカッコよくはないけど、シンプル・イズ・ベストを忘れな
いようにしたいと今日もこの独り言を書いている。

2002.6.15(土)


「かめかめ日記」でハチャメチャなことを書いている私だが、人間というものは汚いものに蓋
をし、綺麗事しか言わなくなったらもう精神の成長という意味ではその人はおしまいだろうと
思う。
自分の中の汚いもの、醜いもの、情けない部分やだらしない部分、今日までの自分に無理
をさせて自分を偽って生きてきた部分、こずるい部分、卑しい部分等から一切逃げることな
く一旦受け止めることなくして、真に聖なるものを知ることは有り得ない。
もし、真に聖なるものに出会うのにそんなものは全く必要がないという人がいるとしたら、そ
の人はもはや人間ではないか、あるいはその人のいう聖なるものは所詮ニセモノであるに
過ぎないかだろう。

2002.6.16(日)


鈴木宗男氏が逮捕された。だが鈴木氏の地元では「それでも鈴木氏を支援したい。」という
声が出ている。
政治家としてではなく、「一人の人間鈴木宗男」が真人間として生きる第二の清潔な人生を
地元の人間として応援するという意味なら私は大賛成なのだが、(その割に一般的日本人
はきちんと罪を償った後の一般の前科者には冷たく、これが服役者の社会復帰への絶望
感や刑務所出所後の再犯発生の大きな原因になっているという矛盾もあるのだが。)そう
ではなく、「また逮捕前と同じ行動をする政治家鈴木宗男」の復活を応援するというのであ
れば、それはとんでもない話であると思う。

2002.6.19(水)


私としては「もっと冷静になれ。」としか言えない。安選手は解雇既に決まっていたのに何を
言っとるんだ。このペルージャの会長はと思ってしまった。相手国にいくらお世話になったか
らといって手心なんか加えてしまったら、そのサッカーの試合は糞以外のナニモノでもない。
全力でゴールを決めてきたことにこそ敬意を払うべきではないか?まあむかつくかも知れん
けど。

「国に対する犯罪行為だ」ペルージャ会長、韓国の安を解雇

韓国 安貞桓  【ローマ19日=国際電話】決勝ゴールがアダで解雇?! 18日のW杯決勝T1回戦・韓国−イタリア戦で延長後半12分に、イタリアを破るゴールデンゴールを決めた韓国代表FW安貞桓(26)を所属チーム・ペルージャのルチアーノ・ガウチ会長が「イタリアのサッカーを壊すような者に給料を払うつもりはない」と激怒。クビを宣告した。

 W杯のヒーローを待っていたのは、クビの宣告だった。イタリアを倒した“戦犯”に対し、ガウチ会長は激怒。安に対し、解雇の意向を言明した。19日付の地元紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」が報じた。

 同紙で同会長は「彼がペルージャに足を踏み入れることは二度とない。彼の行動はイタリアのプライドを傷つけるものであり、2年前に彼を受け入れた国に対する犯罪行為だ。イタリアのサッカーを壊すような者に給料を支払うつもりはないし、安の顔は二度と見たくない」と非難した。

 安は99年にKリーグ最優秀選手に輝き、00年に日本代表MF中田英寿が在籍したペルージャへ移籍。韓国初のセリエAプレーヤーとなった。しかし、2シーズンで29試合5得点と目立った活躍はできず、昨季もベンチを温めることが多かった。ペルージャの広報は、W杯開幕前にチームとして事実上放出する意向を固めていたと説明した。

 コスミ監督は「会長の怒りはもっともだが、安は選手としてやらなければならないことをやっただけ」と擁護したが、後の祭り。会長の怒りを買ったヒーローは、チームの居場所を失った。


2002.6.20(木)


「他人の立場に立って」「思いやり」……大切なことですが、それが欠けている人に限
ってこれらの文句を安易に使いたがる傾向があるような気がします。私はこのような
方々のことは信用しておりません。
こういう方々は独善的ご都合主義で自分の価値観だけを他人に押し付けたり、安易
に他人のせいにしたりします。しかも他人の話に聞く耳を持たない傾向があることが
多く、このような台詞を言うこと自体、言う相手に対する見下しと傲慢な姿勢をその人
から感じます。

「他人の立場に立って」「思いやり」という姿勢が真に出来ている方はわざわざそれら
の台詞を他人に言わずともそれが当たり前に出来ています。
これって、「それが守れないからそれに対する法的規制が必要になる」というのにどこ
か似ていますね。


2002.6.23(日)


「世界に誰一人として自分を必要とする人がいないのではないか。」「自分の人生は無
価値なのではないか。」という気持ちに苦しんだ時は、自分の中の日頃は意識しない自
分や命の波動に優しくしてみて下さい。その日頃は意識しない自分や命の波動の存在
するありがたみがわかった時、自分にとって本当にかけがえのない人の姿もまた見え
てくるようになることが多いです。それが見えた人は幸いだと思います。
その人の人生が必要なものであることをその人にわからせるからです。
しかし、本当は不要な人生を送っている人など誰一人いないと私は思っています。


2002.6.25(火)


最近ようやく当ホームページにおいて、核心に迫る話のスタート地点に立てたと思いま
す。私のライフワークの物語はまだ始まったばかりです。どう終結出来るのか、また、
何年かかるのかわかりませんが、当ホームページにご縁があった全ての方にとって何
らかの形で実があるものに出来たら嬉しいです。

2002.6.26(水)


私には、権威も立派な肩書も知名度も潤沢な財産も優れた知力も強靭な体力も魅力
的な外観も並外れた才能も何もありませんが、多分、「何も持たない者の強み」や「捨
てることの出来る者の強み」があるんだと思います。


ところで、昨日オウム真理教(現:アレフ)の新見被告に東京地裁が死刑の判決を下
した。(なんか先程までと全然違う話題にしてしまって恐縮です。ここは「独り言のコー
ナー」ということでどうかご勘弁をお願いいたします。)弁護側は控訴のかまえだが、
私はいくら高裁へ控訴したとしても、そして将来最高裁へ上告したとしても新見被告
には死刑以外の判決など有り得ないと思っている。

二日前、私はこう書いた。

しかし、本当は不要な人生を送っている人など誰一人いないと私は思っています。

私の思想は「私がポアした彼等は因果応報で死ぬことになっていた。」などと言って
自らの殺しの罪を何の良心の呵責もなく正当化する新見被告の主張からは最も遠
い位置にある。


2002.6.27(木)


私は性格が悪いので、文章に皮肉の隠し味をいっぱい入れている。だが、その皮肉
の奥にあるものを見つけられた人に出会えた時、私は本当にその人に出会えてよか
ったと心から思う。

もう一ついえば、私の文章は突っ込みどころ満載である。私が一人突っ込みをあえて
入れていないところにこそ真の笑いが隠されている。是非それを見つけて突っ込んで
腹の底から笑って欲しいと思う。

なお、笑いが理解出来ない人は、概してカルトで道を誤り易い傾向にあると私は見て
いる。例えば、小林よしのり氏のマンガの笑いに全くついていけなかったオウム幹部
達のように。

2002.6.29(土)


最近の私の扱う話題がイエス・キリストだの、カルトだのという話題になっているので
誤解されてる方がいらっしゃるかも知れない。よって私の思うところをここで述べたい。

私は伝統宗教、新興宗教を問わず、特定の宗教を信仰する者ではない。よって、特
定の宗教および宗教団体を当ホームページ上で推薦することは一切行わない(とい
うか、そもそもそのような信仰がないので推薦しようにも推薦出来ないのであるが。)
ということを読者の皆様にお約束する。

また、当ホームページに併設の掲示板【注1】上でそのような特定の宗教や宗教団体
への勧誘や推薦目的の書き込みがあった場合は、管理人権限で削除をさせていただ
く。

ただし、歴史上の人物の思想を人文科学や社会科学や自然科学的な意味あいで扱
うことがどうしても必要な場合や、その人物の史実について述べる必要がある場合は
当ホームページの話題として扱っていくこととしたい。 例えば「かめかめ日記」2002
年6月29日の日記の【注2】等がその場合にあたる。


【注1】
現在、この掲示板は書き込みが出来ないように致しております。


2002.6.30(日)


私のここでの話や日記での話は、時に晦渋な表現になることがあるかも知れないし、聖
者の話が突如現れることもあるが、私が言わんとしていることは、常識的日本人が言い
たくても今までうまく言えなかったことを代弁していると感じている人が案外多いかも知れ
ない。そう思っていただけたら私も嬉しいと思う。
今までに出たのはこんなところだろうか?まだまだ出ると思う。


1.既存宗教(全てがそうではないであろうが)の内部にある非科学性と内部矛盾、汚れ
  た権威、そして血塗られた過去や偽善性への批判と、そこに属することへの拒否
2.アガペーの愛とエロースの愛、共に肯定し、しかも禁欲主義や快楽主義に陥らぬ中
  庸の姿勢
3.破壊的なイデオロギー、特にカルトに傾倒したり肯定・擁護したりすることへの拒否
4.人間に内在する理性と智慧と生命の潜在的な可能性への最大限の敬意と尊重


2002.7.1(月)


実に簡単に本来の病の意味以外で「ガン」という言葉を他人排除の意味あいで「○○
がガンだ。」と使う方がいます。私はこういう方には知性もデリカシーも精神性の高さも
感じません。
そもそも、ガンというものはその多くが(全てではないでしょうが)長年の何らかの不調
和から来ています。自らの不調和を警告の形で教えてくれているガンに対し、こいつが
諸悪の根源と責任の全てを押し付けて切り捨て、後は涼しい顔をしているのが一部の
対症療法による医学です。しかしこれでは根本的な治癒というわけではなく、臭いもの
に蓋をしただけで、自らの不調和な習慣は改まってはいないので、根本的な解決には
ならず、再発は時間の問題です。ホリスティックな視点に立たずしてガンのことは語れ
ません。
また、こういう視点に立つと、本来の病の意味以外で安易に「ガン」という言葉を好んで
使う人のレベルの低さにも気づいていただけることと思います。


2002.7.4(木)


私が最も信用していない人は「私は生まれてこのかた嘘をついたことがない。」という人
です。もの凄い嘘つきです。
自分のことを聖人君子だと思っている人や常に他人の目だけが行動の価値判断にな
っている思考をしている人、「自分には人に恨まれるような思い当たるふしが無い。」と
いう結論を簡単に出して来る人も同類です。
私は波動整体療法をこれらの方々に施術し、必要上その方々の波動情報を読む時、
悲しい思いがします。【注1】
例えば不定愁訴の原因が愛人さんをほったらかしていたり、継子をいじめていたりして
いるために恨みや悲しみの念を受けていると読めた時、クライアントにどう言おうかと思
ってしまいます。
しかし、これで悲しむ私はまだ波動整体療法師としては未熟です。真に自他一如が出
来ていない証拠だからです。同情や共感と自他一如は異なる境地です。

2002.7.6(土)



【注1】
私はクライアントからご要望がない限り、他人の想念波動エネルギー情報は読みませ
ん。


全く同じことを語っても、各人受け取り方や感想が違います。わざわざ想念波動エネル
ギー情報を読もうとせずとも、その違いでその人のレベルがよくわかります。私が波動
整体療法方面の深い話をその人にするか否かは会話の段階で決まることが多いです。
固定観念から頭が解放されていない頭の固い人、偏見を持ちやすい人、他人に対して
逆恨みしやすい人には語りません。


2002.7.8(月)


一昨日から昨日にかけて、珍しく私の心がかき乱される事件が起きた。(というか、こん
なことであっけなくかき乱されてしまった自分の心の弱さが恥ずかしいと今では思う。)
だが、そんな私の心を癒したのは昨日整体の施術を受けに来られたHさんと明光企画
のAさんだった。1人で何でも解決しようとして出来なかったことが驚くほど簡単に癒され
た。そして、自らの至らなさと出会いの尊さを知った。


2002.9.13(金)


努力が必ず報われると思う人は甘ったれである。しかし、だからといって最初から努力
を放棄したり、努力を否定したり、努力を馬鹿にしたりする人はもっと甘ったれである。


2003.11.4(火)


壊れた器に何を放り込んだところで、そこからは壊れた結果しか出ては来ない。

2012.1.14(土)



自らの直感、感覚から得る情報は極めて重要である。しかし、それだけを判断材料として
全てを裁き、猪突猛進するのは愚者の無謀な行為でしかない。直感、感覚を操る魔物が
存在することを我々は忘れてはならない。陰険な排斥の世界は魔に操られた感情論理の
持ち主により展開される。

2012.1.14(土)


私は「つもり」という言葉を頻繁に使用する人を信用していない。それは何故かというと、
この言葉はどのように使われたとしても言い訳か、あるいは自分の至らなさや無神経さ
を無自覚に表明している言葉にしかならないからである。

2012.2.16(木)


国のトップにせよ、地方自治体のトップにせよ、各種団体のトップにせよ、自分が行ったこと、
自分が命じたことによって生じた問題についての責任を負う腹をくくる器を持てない者はトッ
プに立つべきではない。

2012.2.18(土)


使えない部下をいかに使えるように出来るのかと言うのも上に立つ者の重要な器量のうちの
一つである。

2012.3.30(金)


実に不思議なことに、魔物や物の怪の類の憑依の影響を受けている人は自分を冷静かつ
客観的に見られなくなるせいなのか、他人に自分のほうが明らかに劣っていることについて
わざわざ注意をしたり怒ったりすることが多い。しかもそれについて、相手の人格否定的な
言い方をすることも多い。 いや、冷静かつ客観的なものの見方が出来ないからこそ、 その
ような行動が平気で取れるのであろうとも思う。
それが正鵠を射た意見であれば、まだ理解することも出来ようが、「他のことで言われるの
であればまだしも、あなたにそのことでは言われたくないよ。その点では明らかにあなたの
方がずっと出来が悪いではないですか。」 ということをその人がわざわざ言って来るようで
あれば、それは要注意である。その人は本当に自分のことが見えていないからである。

2012.4.5(木)


世間の評判というものは多数決に通じるものがあり、一応の判断材料にし得るものではあ
るが、あくまでも一判断材料であるに過ぎず、それのみをもって全てを断じてしまう行為は
判断を誤るリスクを負う行為である。
何故ならば、世間の評判を作り上げている母集団が正見、正思が出来る賢明なる者ばか
りで構成されているとは限らないからである。

2012.4.21(土)


「自らに絶対的に正しい正義があるから相手に何をやっても許されるのだ。」と正義派を気
取る行為は、実は最も正義から離れた行為に繋がる恐れがある悪魔に魅入られた行為で
ある。

2012.6.24(日)


ひと昔前に「権威よ死ね!」と言っていた人達が、今がっつり権威者になっているのを見て
がっかりしてしまう私。

2012.7.15(日)


魔を受け入れぬ者は謙遜の意味を知り、魔を受け入れる者は自画自賛を行う。

2012.7.22(日)


与える力があるにもかかわらず与えることが心情的に出来ない者は、与える意欲があって
も与えることが物理的に出来ない貧しい者より遥かに劣る。

2012.8.5(日)


組織における面従腹背は、情報を正しく伝えないという欠乏状態と、疑心暗鬼による信用の
破壊によって発生する。

2012.9.8(土)


力があるからといって、それが即本物であるという証拠には全くならないが、少なくとも力が無い
本物には存在価値が無いということだけは確実に言える。
力が無い者がいくら自らの正当性を主張したところで、それはただ黙殺されるのみである。

「力こそ正義」だとは必ずしも言えないが、力の無い本物はその正当性を守ることすら出来ない
という厳然たる事実に留意せねばならない。


2013.1.7(月)


「○○に負けない」という表現を採るものは既に○○に負けている。真に○○を凌駕するものに
はそのような表現は採ってはならない。

2013.1.17(木)


「まずは私に御利益を下さい。そうすればあなたを信じましょう。」という思考を有する人は、その
思考で居続けている限りはまず裏切るので信用してはならない。

2013.5.18(土)


負けてしまった時に、「形式で負けても実質で勝てばいい。」と負け惜しみを言う人が時にいた
りするが、そのような人は大抵形式だけではなく実質でも負けている。そして、率直に実質でも
負けていることを認めて精進する人と、 負け惜しみを言って後は何もしない人との間には長い
時を経るにつれて大差が出てしまうものだ。

2013.7.6(土)


プロの世界は使えるか使えないか、あるいはものになるかならないか、それが全てである。
使えないのなら、ものにならないのなら、それは全くの無能であるのと同じである。

2014.3.1(土)