辛くなんかない

 小十郎が呼び出されたのは、数日前の人気の薄い夕暮れ時だった。

 呼び出された部屋に待ち構えていたのは、先代当主・輝宗の代からの老臣たち。政宗の腹心である小十郎でも、おいそれとは逆らえない顔ぶれだった。

「片倉小十郎景綱、参りました」

 入り口近くで畏まった小十郎に、奥に座る老人がもっとこちらへと手招く。小十郎は、立ち上がると、一座の最下座に当たる位置へと座を移した。

「これで、揃うたかの」

 しゃがれた老人の声が、出席者を確認する。次々とうなずく彼らを確認して、一座のまとめらしい老人が口を開いた。

「片倉に、ちと訊きたいことがある」

「は」

 陽が傾き、部屋は薄暗くなる一方だというのに、灯明はない。そのために、顔をそろえている老人たちの正確な正体はわからなかった。

 この声ならば、伊達家の叔父君たちの誰かか?

 頭の隅で相手に見当をつけながら、小十郎は質問を待つ。

「今、殿に特定の相手はいらっしゃるのか?」

「……は?」

「じゃから、殿の相手じゃ、殿の閨の。特定の相手がいらっしゃらぬならば、誰ぞ、気に入りの者でもよい。いらっしゃらぬのか」

 思いがけない質問に面食らっていると、老人は苛立ったように畳み掛けた。これは、この展開は、小十郎の嫌う下種な話題になりそうだ。小十郎はひとつ深呼吸すると、落ち着いた口調で答える。

「政宗様は、色事に現を抜かされることもなく、政を行っておいでです。剣の鍛錬も怠りなく、いつ戦が起きようと、万全の態勢にて臨めますれば、方々にはご心配なく……」

「そうではない」

 小十郎の模範的と受け取れる解答をうっとうしげに遮り、老人はため息を吐く。

「まったく、腹心の其の方がそのようだから、殿もああなのじゃ。……よいか、片倉。其の方とて、殿のお歳は承知しておろう。この戦乱の世、あのお歳でお世継ぎがいらっしゃらぬということが、どういうことかくらい、わからぬわけはあるまい」

「お言葉ですが、この戦乱の世に、政宗様がお世継ぎを儲けられるはずがないことなど、ご承知のことと存じておりました」

 慇懃な態度を崩さず、小十郎は言い返す。戦乱のこの時世に、子を孕んで10か月も戦場に立てないなどということになれば、天下取りどころか自身の領地さえ危うい。

 小十郎がいまさら言うまでもなく、政宗が女性であることは、この場にいるほどの重鎮ならば誰でも知っていることで、自身も子や孫を持つ老人たちに、身籠ってしまえばどれほど表に立てなくなるか、わからないはずはなかった。ぐぅ…っと座の数名が呻く。

 そもそも政宗は世継ぎ問題に関心が薄く、後でどうにでもすればいい…というのが意向であり、小十郎もそう承知しておけと政宗に言われていた。だから小十郎も、臆することなく老人の切り出した話題を撥ねつける。

 だが、まとめの老人はそれくらいで怯むほど容易い相手ではなかった。

「なにを言うか。殿がご出陣なれぬ時こその成実であり、其の方であろうが。…お相手がおらぬならば、こちらで早急にご縁談を見繕おう」

「な…っ! それは、政宗様も承知しておいでですか!?」

 つまり、政宗の意思に関係なく、夫を宛がうということだ。気色ばむ小十郎を、老人は一喝で抑えつける。

「殿のご意志の問題ではない! 否と言えぬこと、ご承知いただけることは明白!!」

 ぎり、と眉を吊り上げる小十郎に、老人は押しかぶせるように言い聞かせる。

「小次郎様が身罷られた後、お世継ぎが伊達家にとってどれほど重要なことか、殿ほどのお方がおわかりにならぬはずがない。近隣より、伊達の家柄に見劣りせぬ、婿入りができる男を推挙し、殿にご紹介仕る。片倉はその中から夫を選ぶよう、殿を説得するのじゃ」

 結局は、小十郎に一番厄介な役目が回ってくる。小十郎はぎゅっと拳を握りしめた。

「よいな。急ぎ殿に身籠ってもらわねば、伊達の家も安泰とは言えぬ。心せよ」

「………………」

 険しい顔で膝の上で拳を作る小十郎に、雲行きの怪しさを感じたのか、老人が猫なで声を作る。

「例えばの話じゃが。世継ぎを得るために、正室の他に側室を構えることは、珍しいことではない。我らが殿は女性であらせられるゆえ、置き換えるならば、身籠られるまで夜伽する男を複数用意することも、決してあり得ぬ話ではない」

「そんなことを、政宗様に…!」

「無論、我らとて、そのような無体を殿に強いたくはない。じゃが、殿に子を産んでいただく以外、伊達家の世継ぎを得る方法はない。…わかるな、片倉? 穏便な手段を選べるうちに、殿に了承いただくのじゃ」

「政宗様が簡単に婿になる男を受け入れるとお思いになりますか」

「それも承知しておる。あのご気性では、よし祝言を上げたとしても、順調に床入りまで済むとは思えぬ。相手に選ぶは、殿のご気性にも怯まぬ、胆の太い男でなくてはなるまい」

「そこまでご承知なのであれば」

「いや、それでも、じゃ。片倉。殿にもしものことが起きた時、お世継ぎが言葉も発せぬ幼子では、いないことと同じ。奥州は殿が平定されたとはいえ、いまだ1枚岩ではない。殿が身罷られれば、また奥州は分裂しよう。それはなんとしてでも避けねばならぬ。こればかりは、ご当主の務めとして、ご承諾いただくより他はない」

 よいな、と念を押されて、小十郎は承知するしかなかった。了承の印に頭を下げると、「下がってよい」と言葉がかかる。

 部屋を辞した小十郎は、重く苦しい溜息を吐いた。

 ついに、この日が来てしまった……。

 政宗が女に戻る日が。

 小十郎が命がけで守り、大切に育ててきた政宗が、小十郎以外の誰かを側近く置き、すべてを許す日が。

 耐えられるのだろうか。一瞬よぎったその考えを、小十郎は首を振って意識の外へと押しやった。

 耐えられるか耐えられないかの問題ではない。来るべき時が来ただけ。

 そうだ。辛いことなどではない。

 そう思いながら、自分の仕事に戻ろうと踏み出した小十郎の歩みは重たく、憂いに満ちたものだった。


Page Top