「Hey, 小十郎。In other words, what are these?」
政宗の地を這うような低い声に、小十郎はさらりと答える。
「釣書です」
「Throw it away」
「そういうわけにもまいりません」
「Not joke!」
「城表よりの正式な陳情です。冗談などではありません」
「Shit!!」
吐き捨てるように叫ぶと、政宗は苛立ちも隠さずに舌打ちした。
着替えを済ませ、執務室に入った政宗を待ち構えていたのは、数件のちょっとした陳情と、大量の封書だった。
大量と言っても、盆の上にひとまとめになっているところをみると、同じ件についての書状のようだ。じっくり時間をかけて取り組む内容だと推測した政宗は、まず手間のかからなさそうな陳情を先に片付け始めた。
手間取るようなものがあれば、先に小十郎が予告していてもよさそうなのにな。
そう思ったのは、視界から消えない封書の山が、やたら格式張っているものばかりだったからだ。その上には「上」と黒々と宛名が書かれた書状が乗っている。本腰を据えて取り掛からなくてはならない案件の体裁だった。小十郎ならば、事前に一言予告すると思えるくらいには。
さくさくといくつかの案件の対応指示を出し、最後に村の境界線に関するちょっとした揉め事の陳情書を片付けた政宗は、ほかに案件がなくなったことを確かめて、件の盆を「寄越せ」と示す。
近習が差し出したそこから、一番上の陳情書を取り上げると、封を切って書状を広げた。 一読した政宗の眉間に、きりきりとしわが寄る。そして、ぎっと吊り上った眦で小十郎を見据え、冒頭の科白となった。
ばさっと陳情書を投げ捨て、政宗は脇息に肘を付いて頬杖にする。
「お前、よくもこんなもの、俺の前に出しやがったな」
陳情書は、政宗の叔父を代表者とした、政宗の婚儀の陳情だった。内容を一言でまとめるならば、「さっさと孕め」だ。
「城表の正式な陳情です。政宗様のお目にかけずに処理することはできません」
小十郎は表情一つ動かさず、淡々と応える。その小十郎の平静さが、余計に政宗の癇に障った。
よりにもよって小十郎に、女としてほかの男と契れとは、言われたくなかった。
自分のことを女扱いしない小十郎に、甘えていたと言われれば、否定はしない。けれど、政宗は小十郎に「女扱いするな」と言ったことはない。政宗を女扱いしないことで、甘やかし、それ以上に突き放してもいた小十郎に、この期に及んで、女としての務めなど強いられる筋合いはなかった。
「いまさら、俺に普通の女に戻れってのかよ! 冗談じゃねえ、伊達の名前が欲しいだけのクソ男とsexしてガキ孕むなんざ、死んでもしねえぞ!!」
激昂する政宗が感情のままに声を荒げる。だが、端座する小十郎が動じることはなかった。
「政宗様、お言葉が乱れておいでです。…小次郎様が亡くなられた今、伊達家には政宗様の他は保春院様しかいらっしゃらぬのです。お世継ぎを案じる者が出るのも、無理からぬこと。真剣にお考えになる時期なのでは」
「行き遅れの年増が贅沢抜かしてんじゃねえってことかよ」
「……政宗様が、お世継ぎをお持ちになっていてもおかしくないお年頃だということは、否定しませんが」
聞きたかったことと違うことを言った小十郎に、政宗は手近な封書を掴むと、思い切り投げつけた。
「ああ、そうかよ! お前も結局、俺を伊達家の姫駒としてしか見てなかったってわけだ!! 残念だったな、家格で釣らなきゃ男が寄り付きもしねえ醜女が当主でよ!!」
叫びながら、政宗は涙が滲むのを自覚していた。
こんな、哀れを誘うような有様など、誰にも見せたくはなかった。醜女であることは仕方がない。痘瘡を患い、命があっただけでも儲けものなのだ。とはいえ、婚儀の陳情のために掻き集めた候補を相手にと推挙されれば、流石に納得しかねる。憐みや義務で女としての生をあたえられるなら、そんな惨めなことはなかった。
この城に、政宗が女の身でありながら六爪を自在に振るい、他ならぬ自身の武勇で名を世に馳せ、実力で奥州を平定したことを、政宗個人の魅力として評価する者は、誰一人いないのだ。
絶望感に満たされた政宗の心が爆発するのも、無理はなかった。
「俺は誰にも嫁ぎはしねえし、誰も婿に迎えもしねえ! 城表の老い耄れ共が騒いだら、てめえらの息子の誰とも祝言は挙げねえと言っておけ! 独眼竜を御せる男がその辺に転がってると思うなら、料簡違いもいいとこだ!!」
「政宗様」
政宗の八つ当たりをたしなめる小十郎に、政宗は薄い笑みを浮かべた。
「とんだ貧乏籤だったな、小十郎。片目のねえ醜女の世話を10年もした挙句、世継ぎの傅役にもなれねえまま、跳ねっ返りの御守で終わるとはよ。…心配すんなよ、俺が死んでも、お前の生活の一切を保証する遺言は残してある。だから、お前の家のこと考えて俺の跡継ぎを心配する必要はねえ」
「!! そういうわけでは」
「言い訳なんざ聞きたくねえよ」
息を飲んで言い募る小十郎を、政宗は言い被せて遮る。
「俺は俺の物だ。誰の物にもならねえし、誰の子も産まねえ。世継ぎのことは、俺が死んだときに残った連中が、好きに考えりゃいい。だから俺に結婚しろとか二度と言うな」
言うだけ言うと、政宗は小十郎の返事も聞かずに執務室を出た。
足音も気に掛けず、大股に歩いて居室に戻ると、侍女を下がらせて一人きりになる。
本当は、小十郎の嫁にならなってもよかった。いや、なれるのなら、なりたかった。小十郎を愛して、小十郎に愛されて。小十郎の子を産んで、育てて。
けれど、小十郎が平然と政宗に縁談を提示したことで、小十郎が自分のことを主君以外の存在として見ていないことを思い知るには、充分だった。
現実に報われなくてもいい。でも、小十郎に恋する余地は、残してほしかったのに。
断ち切られた糸が、政宗の手から零れていくようだ。かくんと膝が崩れ、その場に座り込む。先ほどとは違う意味の涙が、政宗の隻眼から流れ落ちる。
なぜ自分は小十郎なんかに恋をしたのだろう。小十郎に恋したりしなければ、こんな想いをすることはなかった。
小十郎なんか嫌いだ。恨み混じりに心でつぶやく。
小十郎なんか好きじゃない。お前なんか嫌いだ。
お前なんか。お前なんか。お前なんか。お前なんか。お前なんか。お前なんか。お前なんか。お前なんか。お前なんか。お前なんか。
静かな部屋の中、ぽつりと座る政宗の心の奥底、涙がすべて洗い流した、最後に残るのは。
それでも、お前だけが好きだ。