ぱん! と小気味いい音を立てて障子を開け放った政宗は、そのまま足音荒く部屋を出て行った。あとに残された小十郎は、苦い溜息を大きく吐いた。
「小十郎兄、失敗したんじゃない?」
横から声が掛けられて、小十郎はそちらを振り返る。声の主は、政宗が投げ出した陳情書を拾い上げて、読んでいるところだった。
「成実」
「この陳情書、兄は読んだ?」
「いや。…大まかな内容は多少聞いてはいたが、実際の書状は読んでねえ」
「そうなんだ。結構ひどい書き方してるよ、これ。政宗に承知させたいんだったら、あらかじめ読んどいた方がよかったね」
眉間にしわを寄せて読み進む成実の表情の険しさに、小十郎もざわりと不安が湧き上がる。
そうだ。そもそも、数日前に小十郎を呼び出したあの一座に、政宗に好意的な人物はいなかった。なぜ、あのときもっと警戒しなかったのか。小十郎の脳裏を、後悔が駆け抜けた。
だが、いまはゆっくり悔いている状況ではない。小十郎は気を取り直すと、成実の方ににじり寄った。
「どんな風に書いてある?」
「まあ、簡単にまとめると……先代様の気まぐれに従って女を当主として認めたんだから、女としての務めを果たしてもらわなきゃ、先代に従った甲斐がない。合戦なんて余計なことしてないで、早く子供産め。刀持って馬を乗り回す女でもいいって言う男を掻き集めてやったから、わがまま言わないでこの中からさっさと選べ。…ってとこかな」
「そんな書き方…!」
「直接的にじゃないけど、平たくまとめれば、そういうことが書いてある。これ読んだ政宗にさっきみたいな言い方したら、そりゃ怒るよ。この書状、まだ子供がいない政宗のこと、責めるばっかりだもん」
「……爺共…!!」
呼び出された座敷にいた老人たちを思い浮かべ、小十郎は低く唸る。今はここにいない彼らを、小十郎は射殺すような鋭さで睨みつけた。
「まあ、爺さんたちの価値観からすりゃ、心配で仕方ないんだろうけどね。なにしろ政宗ときたら、本気になりゃ天下一の美人だってのに、髪はざんばらだし、刀振り回すし、馬乗り回すし、奥州筆頭なんて呼ばれちゃうほど強いし。…お世辞にも姫には見えねえもんなぁ」
飄々とした成実の隠さない言い様に、小十郎は珍しく本気で声を荒げる。
「政宗様のどこが姫らしくねえってんだ!! 顔立ちはお美しいし、風流にも長けておいでだし、威風堂々として気高いし、無邪気でお可愛いらしいところもあるじゃねえか! 非の打ちどころがねえだろう!!」
すると、成実は呆れたような溜息を深々と吐いた。
「………小十郎兄。政宗のことそう言うの、自分だけだって気付いてる?」
「なんだと!? 成実、てめえも政宗様を馬鹿にしてるのか?」
「違うって! 俺は政宗のこと主君だと思ってるし、かっこいいと思ってるよ。でもそれは武将としての政宗を評価してるんであって、姫として見てるかって訊かれると、正直、姫だとは思ってねえ。女だってのはわかってるけど、女として見るのは無理だ」
「てめえ…!!」
「だーかーらー、俺でさえそうなんだから、政宗のこと女として見た上で個人的な資質を評価してるのなんて、小十郎兄だけなの! 普通は女か武将かどっちかだけ評価するの! 城表の爺さんたちが推挙してる婿候補だって、政宗のこと、伊達家の女としか思ってねえに決まってる」
「どういうことだ?」
「奴らの腹ん中じゃ、『伊達政宗を妻にする』んじゃねえ。自分が『伊達家の婿になる』んだ。要は、伊達家に入れるなら、結婚相手は政宗じゃなくてもいいってことさ」
「……!!」
冷静に分析し、指摘する成実の言葉を聞いて、小十郎は絶句した。まさか、そんなことは。そう思いたいが、客観的に考えるには、自分の意識が政宗に偏りすぎていることは、自覚している。この件に関しては、きっと成実が正しい。
そんな縁談を、そうせざるを得ない状況だったとはいえ、自分は政宗に勧めたのか。それでは確かに、政宗も怒るはずだ。
なにも言えなくなった小十郎を見て、成実はひとつ息を吐いた。なんだか、らしくないと思う。小十郎は、確かに、政宗のことになると、目の色が変わる。だが、こんなに狭視野的だっただろうか?
「………小十郎兄さぁ」
「なんだ?」
「なにをそんなに、焦ってるわけ?」
「なんだと?」
思いもよらないことを指摘されて、小十郎は真意を量るように成実を見る。成実は小十郎の反応を見て、ほかの言葉を探した。
「焦ってるんじゃないなら、そうだな……怖がってる、でもいい。なにに対してかわからないけど」
「俺はなにも恐れちゃいねえ」
「もしかして、政宗が結婚すること、承服できないとか?」
「それは、俺が承服するかどうかの問題じゃねえだろう」
「でも、小十郎兄は嫌なんだよね、政宗が結婚しちゃうの?」
「だから、俺がどうこう言うことじゃねえ」
ぎろりと成実を睨むと、成実は肩をすくめてそれ以上言うのをやめた。
水掛け論に突入しかけた会話が終わったことは、ほっとする。だが、小十郎の脳裏には、成実の言葉が焼き付いていた。
焦っている。そうかもしれない。だが、なぜ焦るのか。
そう考えかけて、小十郎は慌てて思考を止めた。それ以上は考えてはいけない。考えてはいけない理由も、考えてはいけない。なぜなら、それは……。
ちらりと意識をかすめた考えを、小十郎はため息を吐いて殺した。
小十郎が政宗の第一の家臣でありたいのならば、その先は禁忌だ。
殺してしまえるうちに殺してしまわなくてはならない。
小十郎はもう一度大きくため息を吐いた。