「なあ」
「はい」
声をかけると、すぐに返事が返ってきた。その穏やかで芯の強い声に、政宗はすこし気持ちが軽くなり、ごろりと寝返りを打って声の主に向き直る。
城の奥御殿、正室・愛姫の居室で、政宗は愛姫の膝枕で寝転がっていた。
正室と言っても、政宗は女だから、本当の意味での妻ではない。いろいろな事情があって愛姫を正室に迎え、いろいろなやり取りの中で信頼が築かれて、いまでは愛姫は政宗の貴重な同性の親友だった。小十郎に話せないことも愛姫には話せたし、小十郎への想いも愛姫には相談していた。
「愛は、俺が婿を取ったらどうする?」
「あら、殿、婿君をお迎えになられますの?」
「もしもの話だ。いますぐどうこうってわけじゃねえ」
そうだとしても、こんなに元気のない声でこんなたとえ話をするくらいには、現実味を帯びているということか。状況を聡く読み取った愛姫は、だが、それは表情には出さず、思案する。
「そうですわねえ…。殿がお寛ぎになれるお時間は多くはございませんし、婿君をお迎え遊ばされたとしても、そのお時間が増えるわけでもございませんでしょうから、その方とわたくしで、殿のお時間を取り合うことになりますかしら」
「Wait、愛。俺はその板挟みになるのか?」
「仕方ございませんわね。婿君が、愛の目に適う殿方でしたら、また話は違ってくるかもしれませんけれど」
ころころと鈴を転がすように笑う愛姫の様子を見て、政宗は「勘弁してくれ…」とため息を吐いた。
「殿のご機嫌が優れませんのは、そのお話の所為ですの?」
愛姫は政宗の気持ちがほぐれた頃合いを見て、そう問いかける。すると、問いかけられるなり、政宗は叫んで起き上がった。
「Goddam!! 小十郎の野郎!! よりにもよって、あいつが俺に婚儀の陳情持ってきやがった!!」
「あら、まあ……」
予想外の内容に、愛姫も呆気に取られる。
「それはそれは……」
さすがの愛姫も、とっさに言うべき言葉が出てこない。愛姫がなにも言えないでいると、政宗は溜まっていた鬱憤をまき散らすようにまくし立てる。
「城表の爺共がなんてほざこうと、痛くも痒くもねえ! 好き勝手吠えてりゃいい。けどよ! あいつだって、爺共に言われたら、逆らえねえんだろうけどよ! てめえにほかの男との縁談持ってこられた俺の立場はどうなるんだ馬鹿野郎! 立場とか言って、別に俺は小十郎の連れ合いでもなんでもねえけど! だからってなんでもねえんだって突きつけることねえだろうがこん畜生!!」
「…って、片倉殿におっしゃいましたの?」
「言えるわけねえじゃねえか。あいつは、俺があいつに惚れてるの、知らねえんだし」
拗ねたように愛姫に応える政宗の様子は、自分と同年代の女の子のものだ。愛姫は「やっぱり殿は可愛いなぁ」と改めて思った。
「それは、お辛うございましたね」
「ああ。半日部屋に閉じこもって、柄にもなく泣いちまうくらいにはな」
「わたくしのところにいらしてくださればよろしかったのに」
「愛の部屋に入っちまったら、小十郎が来れねえじゃねえか」
結局、追いかけてなんて来なかったけどよ。と続いたつぶやきで、政宗はそれでも、小十郎が政宗の婚儀に反対することを期待していたのだと、そしてその最後の望みも叶わなかったのだと、愛姫は悟った。
政宗が小十郎のことを大声を張り上げてまくし立てたのも、きっと空元気。そういう風にしなくては、泣かずに小十郎を話題にすることなどできないのだろう。愛姫は気付いたが、素知らぬふりをして会話を続ける。
「それで、婚儀の陳情はどうされましたの?」
「その場で突き返したぜ」
「片倉殿に?」
「Of course. 俺は結婚もしなけりゃ、子も産まねえ。2度と俺に結婚しろって言うなって、怒鳴りつけた」
「それはまた、盛大に啖呵を切りましたわねえ」
「ちっとばかり感情的になったのは認める」
政宗は居心地が悪そうにため息を吐く。先ほど大声を聞いたばかりだからか、普段の口調に戻ると、声に力がないことが際立った。
「それで、殿は本当に婿君をお迎えにはなりませんの?」
「Sure」
「一生、誰とも? 本心から?」
笑顔で問い詰める愛姫に、政宗はいたたまれなくなって、顔をそらした。愛姫の方を見ないまま、小さく答える。
「…………………本当は、小十郎なら」
聞きたかった言葉を聞き出した愛姫は、優しく微笑むと、政宗を抱きしめた。
「でしたら、殿。片倉殿に言ったお言葉を早く訂正された方がよろしいですわ。片倉殿が殿に『結婚しろ』って言ってはいけないのなら、片倉殿ご自身との結婚も、殿に言ってはいけないってことになってしまいましてよ」
「………そいつはだめだ、愛」
そっと愛姫の手を離させ、政宗は愛姫から体を離す。その声が心なしか苦しげなことに、愛姫は気付いた。
「殿?」
「どうあったって、小十郎が俺と結婚することはねえ。だから、俺は誰とも結婚しねえって言った言葉を翻すわけにはいかねえ」
「そんなこと……っ」
「小十郎は、主筋の女に手を出すことは、決してしねえ。まして、主君を妻にもしねえ。絶対だ」
目を伏せ、顔をそらしてしまった政宗の表情は、愛姫からは窺えない。ただ、苦しそうな声が淡々と話すのを聞くだけだった。
「………それでは、殿の御気持ちは、どうなさいますの? 片倉殿をこんなにも想われている御気持ちは、どうやって報われますの?」
愛姫が泣きたくなるのを我慢して訊ねると、政宗は深いため息とともに答えた。
「It is not rewarded. I just mourn for it.(報われることはねえ。弔うだけだ)」