たった一言

 政宗が条件付きで婿取りを承諾してから数日後。

 愛姫は茶室で茶の席を設けていた。正客の座についているのは、小十郎。愛姫は炉の面倒を見終えると、小十郎に向き直った。

「今日は、お忙しいところを呼び立てて、申し訳ありませぬ」

「いえ。奥方様のお招き、ありがたく存じまする」

 生真面目に頭を下げる小十郎に、愛姫はふふっと微笑むと、もっと楽にするよう、促す。

「今日は、相談したいことがありますの」

「相談、ですか? この小十郎に?」

 正直なところ、小十郎は奥御殿のことはさっぱりわからなかった。奥御殿の主である愛姫が、そんな自分になにを相談するというのか、まるで想像がつかない。だが、愛姫はにこにことうなずいた。小十郎は困惑混じりに承知する。

「この小十郎でお役に立つことがあるならば、なんなりと」

「ありがとう存じます」

 愛姫は微笑むと、沸いた湯を茶碗に汲んだ。

「先日、殿より大任を仰せつかりまして」

「存じております」

「そうでしたわね。ですので、わたくしは、殿のために、最良の婿君を選ばなくてはなりませぬ」

「奥方様がお選びになった方なら、政宗様も安心してお迎えになりましょう」

「ええ。それは、確信がありますわ。…それで」

 会話しながらも、愛姫の手はよどみなく茶を点てる。小十郎はそのなめらかな手つきに感服しつつ、愛姫の次の言葉を待った。

「どのような御方なら、殿を愛してくださるかと思いまして」

 しゃくしゃくと茶筅の立てる音が止むと、愛姫は茶碗を小十郎に差し出しながら言った。

「愛して?」

「ええ。子を授かるだけなら、どなたがお相手でもよろしいでしょうけれど、お寛ぎになるには、愛してくださる方とでなくては」

 鸚鵡返しに問いかけた小十郎は、はっと気付いて一礼し、茶碗を手に取る。くっと喫すると「結構なお点前にございます」と礼をした。

 愛姫は「お粗末様にございます」と一礼すると、姿勢を正して、会話を続ける。

「だって、殿はいつも気を張り詰めておいでですもの。わたくしとお過ごしくださるときでさえ、楽しんではくださいますし、それなりに気を緩めてもおいでですけれど、どうしても深いところでは、わたくしを守るために気を使ってくださっている。ですから、此度、強いて婿君をお迎え遊ばされるのなら、婿君は殿が御心を許して寛ぐことができる御方がよいと、わたくしは思うのです」

「奥方様…」

「そこで、殿の一番側近く仕えている、片倉殿のご意見を伺いたいのです。殿が姫らしくないのは、ご自身もよく自覚しておいで。そんな殿を女子として愛してくださる方がいらっしゃるとしたら、どのような方とお考えかしら?」

「政宗様を、女子として……」

 小十郎は考える風に黙り込む。

 一瞬、それなら自分がと、のど元まで出かかった。でも、その一言だけは、言ってはいけない。小十郎がこの先もずっと政宗の第一の腹心でありたいと願うのならば。

 愛姫に気づかれないよう、密かに、けれど大きく深呼吸した小十郎は、できるだけ自分に該当しないように気を使い、条件を挙げてみる。

「まずは、政宗様を、奥州筆頭や伊達家当主としてではなく、政宗様個人として見られる人物であること」

「はい」

「政宗様の御気性を、女子らしくないと責めない者」

「はい」

「政宗様が合戦に出陣なさることを厭わない者」

「はい」

「自分は飽くまで入り婿であり、伊達家当主は政宗様ご自身であるとわきまえられる者」

「はい」

「そのような者であれば、きっと政宗様のお人柄を理解し、愛し、また、政宗様にも愛されることでしょう」

 愛姫は穏やかな微笑を浮かべて、小十郎にうなずいた。

「…そうね。きっとそうですわ」

「そのような者にお心当たりが?」

「ええ」

「それはいったい?」

「わたくしです」

 思いがけない答えに、小十郎はがくりとうなだれる。愛姫は楽しそうにくすくすと笑った。

「冗談ですわ。片倉殿の挙げた条件にわたくしは文句なく当てはまっていると思いますけれど、殿の婿君にふさわしい方は、いま一人当てはまる方」

「奥方様……?」

「あなたです、片倉殿」

「ごほっ!!」

 思いがけない愛姫の言葉に、小十郎は唾液をあり得ぬ方向に嚥下して咳き込む。ここまであっさりと愛姫に看過されるとは、予想していなかった。

「ごほっ、げほっ」

「あら。そんなに喜んでくださるなら、わたくしも推挙申し上げる甲斐があるというものですわ」

「ち…違います!」

 咳で苦しい息の合間に小十郎が叫ぶと、愛姫はふと真顔になる。

「違うのですか」

「はい。主君に恋慕するなど、家臣としてあるまじきことです。なにとぞ、お見逃しを」

 答えながら、小十郎は畳についた拳をぎりりと握りしめる。なんとかして愛姫の追及から逃れようと頑なになる小十郎は、自分が政宗に恋していることを否定しなかったことに気づいていない。

 けれど、愛姫はしっかりと気づいた。小十郎が政宗に恋していることだけでなく、建前上否定することもできないほどにその想いが強いということにも。そして、想いを遂げる気はないということと、それでもその想いを手放す気がないのだということも。

「わたくし、あなたを殿の婿君にと言ったばかりですわ。あるまじきこととは、思いませんけれど」

 小十郎の本心が愛姫の望んだとおりだったことが嬉しくて、愛姫の口調は再び柔らかくなる。だが、小十郎はむしろ身を固くして、さらに姿勢を低くした。

「お許しください。武士でもない家の出で、政宗様の婿になるなど、この小十郎にはできません」

「必要なのは、家格ではありませぬ。殿が片倉殿を無二の腹心と信頼しているのは、周知のこと。片倉殿が殿を愛しているならば、夫婦となったとて、なんの軋轢もありますまい?」

「だとしても、家臣が婿になるなどと、政宗様の威信に傷をつけるようなことは」

「そうですか……」

 愛姫はひとつため息を吐くと、残念そうに続ける。

「それでは、わたくし……片倉殿に、殿の婿になりなさい、と、命令しなくてはなりませんかしら?」

「奥方様!?」

「わたくしは殿を愛さない殿方を殿の婿にするほど不忠義者ではありません」

 愕然とした表情を隠すことさえできない小十郎に、愛姫はあえて傲然と言い放つ。

「わたくしは、殿のいちばんの親友を自負しております。そして、ある意味では戦友ですわ。ですから、殿の幸せにつながらないことは、一切する気が起きませんの」

 豹変してにっこりとほほ笑む愛姫は美しく、また、政宗を正室として守らねばという気高さをにじませていた。

「本当は命令によってではなく、片倉殿の意思で承諾していただきとうございますわ。それは望んではいけないかしら? 片倉殿にたった一言、承知と言っていただけるなら、わたくしは、殿も片倉殿も幸せになれると、確信しておりますのよ」

 命じる必要を生じさせないでほしいと願う愛姫の求めるたった一言を、けれど小十郎は、このとき口にすることができなかった。やっとのことで「時間をください」とだけつぶやいて、小十郎は茶室を後にした。


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