砂糖菓子のお姫様

 それまで小十郎のことをどう思っていたのかと問われたら、答えはたった一つだった。

「右目」

 それは、己の体の一部。あって当然の存在。誰より自然に隣にいる人物。背中を預けられる唯一。

 そして、恋しても報われないとわかっていてもなお恋する気持ちを止められない相手。

 それまでは、小十郎が男性であると知っていても、理解してはいなかったのだと思う。

 愛姫に子を生すにはどうするのかを教えられた瞬間から、政宗は小十郎を直視できなくなってしまった。

「No! Wait! Do not approach me!」

 今日もそう叫びながら、政宗は脱兎のごとく小十郎の前から走り去る。

 すでに城内では見慣れた光景。定例評定での発表はまだされていないとは言っても、小十郎が政宗の婿に選ばれたことは城の誰もが知っているから、「微笑ましい」としか、思うものはいない。

 だが、当の小十郎は、困惑を通り越していた。この数日と言うもの、政宗と会話することはおろか、まともに顔を見ることさえできていない。

 せっかく、想いが通じ合ったのに。聞ける声が、甘く自分を呼ぶ「小十郎」ではなく、必死に叫ぶ「近寄るな」だなんて。

 政宗に逃げ去られて、愕然と立ち尽くす小十郎に、成実が容赦なく追い打ちをかける。

小十郎兄こじゅろにい。専用の執務室用意するから、そっち使ってって、政宗から伝言」

「成実」

「いいじゃん。どうせそのうち、嫌でも毎晩一緒にすごすことになるんだから」

「そういう問題じゃねえ」

「俺にとっては大して変わらないよ。じゃ、あっちの部屋ね」

 成実の仕打ちへの抗議もあっさりとかわされて、小十郎は政宗の執務室と背中合わせの部屋に案内された。

 平静を装って行動したが、内心では困惑と落胆が渦巻いている。自分はいったい何をしてこうなったのか。思い返しても、政宗に避けられる原因に心当たりはない。

 なぜこんな事態になってしまったのかと考えながら筆を手にした小十郎は、硯を盛大にひっくり返した。




 結局、この日はまともに書類仕事もできず、小十郎は自己嫌悪に陥っていた。

 政宗の反応ひとつでここまで己を失うとは。

 小十郎を見ると反射的に逃げてしまう政宗のことはさておき、小十郎は自身の不甲斐なさに深々とため息を吐く。

 確かに、想いを認めたのも、心を通わせあったのもつい最近のことで、状況に慣れていないことは否定しない。だが、政宗に恋焦がれていたのは、いまに始まったことではない。いまさら、まるで思春期の少年のように相手の一挙手一投足に心を乱すなど、自分がするとは思っていなかった。

 夕餉も終わったいまなら、政宗も自室にいるだろう。早めに話をして、誤解があるなら解いてしまうのがいい。

 そう思い、小十郎は政宗の私室に足を向けた。

「……まあ。それでは、今日も片倉殿からお逃げになりましたの?」

「仕方ねえだろ。顔見れねえんだから」

 廊下に膝をつき、声をかけようとすると、中から愛姫と政宗の会話が聞こえてきた。珍しく、愛姫が政宗の部屋を訪れているらしい。

 出直そうか。一瞬そう思ったが、話題が自分のことだったので、つい立ち上がりそびれる。

「片倉殿、さぞお気を落とされておいででしょうね」

「成実の話じゃ、今日、硯ひっくり返したらしいぜ」

「あらまあ。………すこしいじめすぎましたかしら」

「What?」

「いえ、こちらの話ですわ。…ふふっ。早く、仲直りなされませ」

 愛姫の言葉に続いて、衣擦れの音がする。退出するのだと察した小十郎は、脇に寄った。

 すらりと障子戸が開き、愛姫が出てくる。そこに小十郎がいることに気づくと、にこりと微笑んだ。

「こんばんは、片倉殿」

「奥方様も、ご機嫌麗しく」

「小十郎!?」

 2人の会話を聞きつけて、素っ頓狂な声で叫んだのは政宗だ。ばたばたと音がするところから察するに、逃げようとしているのだろうか。小十郎は愛姫に一礼すると、部屋の中に入り、隣の部屋に隠れようとしている政宗を捕まえた。

「政宗様!」

「No! Free me!」

「政宗様がこの小十郎と話をしてくださるなら、放します」

 政宗は抱き取るように自分を捕まえた小十郎の腕から逃れようともがくが、小十郎の腕はびくともしない。小十郎が男で、自分は女なのだと改めて突きつけられて、政宗は軽い恐慌状態になる。そこへ、愛姫が割って入った。

「殿」

 呼びかけながら、政宗に触れる。愛姫の姿を見て、政宗は動きを止める。救いを求めるような眼差しに、一つうなずいて安心させると、愛姫は小十郎を見上げた。

「片倉殿。ご承知のように、殿はずっと姫ではない生き方をしてこられました。片倉殿が婿に決まったとて、いきなり女子らしくするなど、無理なことですわ。どうぞ、もう少しだけ、お手柔らかに」

 微笑みで諭され、小十郎ははっとして政宗を捕まえていた腕を離す。小十郎の腕から解放された政宗は、自分を守るかのように、ふらりと定位置に座った。その政宗にも、愛姫は忠告する。

「殿も。お気持ちはわかりますけれど、片倉殿とお話しされなくては、どうにもなりませんわ。ね?」

 促されるままに、政宗はこくりとうなずく。思考が一度飽和してしまったことで、小十郎を見て逃げ出すことさえ、意識から消えてしまったようだった。

「それでは、わたくしはこれにて。……あ、そうそう。片倉殿、今後わたくしのことは愛とお呼びくださいな。片倉殿とて殿の婿君。わたくしと同じ立場ならば、わたくしを敬う必要はありませぬ」

「……承知しました」

 言われたからと言って、急に呼び方を変えることも容易くないが、小十郎はとにかくうなずく。

 愛姫が退出し、障子戸が閉められる。小十郎は政宗と向かい合う位置に腰を下ろした。

「政宗様」

 呼びかけると、政宗の肩がびくりと動き、またかぁぁと頬が赤く染まっていく。

「小十郎が、なにかいたしましたか? もう、小十郎のことはお嫌いになりましたか?」

「そんなこと、あるはずがねえ!!」

 反射的に政宗は叫ぶ。だが、思いも寄らない質問をされて、政宗は衝撃を受けた目を小十郎に向けた。

「もしかして……小十郎は、俺を見限ったか? 俺が、お前の顔をまともに見れなくなって……」

 小十郎に嫌われたのかという不安で、政宗の隻眼が揺れる。小十郎はすぐにでも抱きしめて愛しみたい衝動を覚えたが、ぐっとこらえた。いまはまず、政宗の屈託の理由を知りたい。

「いいえ。この小十郎の命ある限り、政宗様はただ一人の愛しい女です。小十郎が案じるのは、政宗様に辛い思いをさせていはしないかと、それだけです」

「別に、辛いことなんか……」

「では、なぜこの数日、小十郎に近寄るなと申されますか? お傍に寄ることも許されぬのでは、流石に堪えまする」

「………」

 やっぱり訊かれたか。答は心情的に口にしにくい。政宗はつい目を泳がせる。

「政宗様?」

 小十郎に優しく促されて、政宗は仕方なく重たい口を開いた。

「愛が……子を授かるには、ただ婿を迎えるだけじゃ駄目なんだと………婿になった男に抱きしめられて夜を過ごさなきゃならねえんだとか言うから………お前に夜通し抱きしめられるとか、考えたら、顔が見れなくなった」

「…!!」

 いまや耳まで赤くなっている政宗の突っ込みどころがいくつもある発言に、だが小十郎はその意味するところを察して息を飲んだ。

 政宗はもう、自分が小十郎に愛しまれる立場になったのだと、理解している。政宗が小十郎を愛するだけではなく、小十郎に愛されるのだと。

 小十郎との恋のための変化に、小十郎は政宗が愛しくてたまらなくなる。感情のままに腕の中に収めて、口づけて、撫でて、愛せたら。そう思う反面で、このくらいで困ってしまう政宗にまだ無理は強いたくないという気持ちもある。

 数瞬の葛藤ののち、「いまは、まずここから始めよう」深呼吸とともにそう決めて、小十郎は政宗の手を握る。

「政宗様。そんなのは、すこしずつ慣れていけばいいんです。政宗様が小十郎の顔を見ても平気になったら、そのときにまた次の段階に進みましょう」

「小十郎……」

「この小十郎は、これまで、何年も片恋を抱えてきたんです。想いを許されたいま、またさらに待つことになったとしたって、物の数にもなりません。それよりも、政宗様に無理を強いないことの方が、大事です」

「………」

「小十郎は、政宗様がよいと思われるまで、いくらでも待ちます。だから、どうか…小十郎と顔を合わせても、逃げないでくださいませんか。さすがにそれだけは、耐えられそうにありません」

「……I see. 努力する。……辛い思いさせて、悪かった」

 まだ小十郎を正面から見ることができない政宗は、せめての思いで、小十郎の手を握り返す。小十郎がふっと笑むのが、雰囲気でわかった。

 政宗の体から、さらりと力が抜けていく。ああ、大丈夫だ。いますぐには難しくても、きっと平気になる。そんな予感がして、政宗も微笑んだ。


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