朝の身支度を済ませた小十郎が朝議のために広間に向かっていると、後ろから声をかけられた。
「小十郎兄、おはよう」
「成実か。早いな」
「政宗はどうしたの? 先に行ってるとか?」
足を止めて振り向いた小十郎に追いついた成実は、並んで一緒に歩きながら、いつも一緒にいる政宗の姿がないことに気付いて、首を傾げた。
「いや、政宗様はまだお部屋にいらっしゃる」
小十郎の答えを聞いた成実は、周囲を窺うようにすると、声をひそめた。
「政宗、どうかしたの?」
「? どういう意味だ?」
「いや、ほら。政宗、あれでけっこう真面目だからさ。決めた時間に起きてこないなんて、かなり具合悪いの?」
成実が言っている内容がとっさにわからなかった小十郎だったが、説明を聞いて理解が追いついた途端に、うろたえた。
「あ…ああ。すこし、お加減がよろしくねえ。大事を取って、今日は休養される」
平たく言ってしまえば、昨夜、経験のない政宗を相手に小十郎が手加減なしで事に及んだ結果、起き上がれなくなってしまっただけなのだが。
その政宗に、夜明け頃にまた無理を強いた身としては、各方面に申し訳なくて若干居た堪れない。
そんな小十郎をしばらく見ていた成実は、状況を察したらしい。
「政宗はなにも知らないんだから、兄が斟酌してやってよね。百戦錬磨なんだから、そのくらい、朝飯前でしょ?」
ずるっ!
成実のいろいろなものをえぐる発言に、動揺した小十郎が足を滑らせる。危うく転倒しかけて、なんとか踏みとどまった小十郎は、抗議の視線を成実に向けた。
「知らないと思った? 小十郎兄の行きつけの花宿、俺もよく行くんだよね。兄、お姐さんたちに大人気なんだよ。顔いいし、地位あるし、絶倫だしって」
「成実!!」
とうとう小十郎は声を荒げたが、成実はひょいと肩をすくめると、にやりと笑った。
「政宗、可愛かった?」
「てめえに教えるわけねえだろう!」
本気で吠える小十郎の剣幕を受け流した成実は、伸びてきた小十郎の腕をするりとかわす。
「ま、小十郎兄の分まで、俺が花宿の人気者になっとくからさ。心配しないで、政宗のこと大事にしてやってよね」
「てめえに言われるまでもねえ!!」
小十郎の反応に満足した成実は、ひらひらと手を振って先に歩き始める。
「政宗の病欠、俺も言い訳するの手伝ってあげるね」
「おい、こら! まだ話は終わってねえぞ!」
小十郎は怒鳴ったが、成実は足を止めることもなく去っていく。小十郎はため息をついて、飄々とした背中を見送った。
午前の政務が落ち着いた頃、小十郎は政宗の様子を見に、政宗の居室へと足を向けた。
起き上がれないことにうろたえる政宗はとても可愛らしかったが、そこまで無理をさせてしまったことには責任を感じている。初めてのことに困惑する政宗の許を長時間離れなくてはならなかったことが、小十郎には心苦しかった。
政宗の部屋の近くまで来ると、ほがらかな声が聞こえてくる。愛姫が遊びに来ているのだと気付いて、小十郎はすこし足を緩めた。愛姫がついていてくれたなら、政宗も心細くはなかっただろう。
政宗は庭に面した障子を開け放ち、愛姫と外を見ながらしゃべっていた。小十郎は膝をつくと、一礼して声をかける。
「政宗様、愛姫様」
「こんにちは、片倉殿」
「小十郎。政務はいいのか?」
ふたりは小十郎を振り返ると、愛姫はにこやかに、政宗は視線を泳がせながら応えた。
「ひと段落つきましたので、政宗様のご様子を見に参りました。もうだいぶ落ち着かれたようですが……」
「Yes, thanks. 心配いらねえ」
応えながら、政宗は小十郎を直視しない。照れているのだとすぐにわかって、小十郎は表情だけで笑みをこぼす。すると、愛姫も袂で口を押さえ、笑いをこらえているのが視界に入った。ふたりは顔を見合わせて、声を立てずに笑う。
「そうですか。昨晩はかなり無理を強いてしまいましたので、案じていたのですが……」
「Ha, そこまでヤワじゃねえよ」
「それを伺って安心しました」
うっすらと頬を染めて強がる政宗に小十郎がうなずくと、くいくいと羽織の袖が引かれる。なにかと思って振り向けば、いたずらっぽく目を輝かせた愛姫がそっと耳打ちした。
「嘘ですわよ。ついさっきまで、腰が重いと言ってご機嫌斜めでしたのよ」
「Hey, 愛。聞こえてるぞ。それは言わなくていいって言ったよな?」
「あら、殿。さすが、お耳が聡くていらっしゃいますわ」
内緒の注進を聞きつけた政宗に、愛姫はころころと笑う。小十郎も苦笑して、政宗の傍によると、手を伸ばして、労わるように前髪を梳いた。
「それでも、しばらくは、あまりご無理をさせてしまわぬよう、気を付けます」
いくら政宗が平気だと言っても、小十郎がそんな政宗を見たくない。小十郎が抑制すればいいだけのことだから、余計にそう思う。
だが、政宗はその小十郎の手を掴むと、「いい」とつぶやいた。
「政宗様?」
「遠慮はいらねえ。もう俺はお前のもんだ。好きにしろ」
「政宗様……」
2人だけの空気ができ始めたことに気付いた愛姫は、気付かれないように音もなく部屋を出る。
確かに恥ずかしかったし、痛くもあった。けど、あんなに幸せな気持ちになれるんなら、なんてことはねえ。
照れながらも、そう語ってくれた政宗の蕩けそうなほど幸せな表情を思い出して、愛姫は同じくらいに幸せな顔をした。
今日の夕餉は、お赤飯にしましょう。重臣たちだけではなく、城中に振舞いましょう。
その愛姫の思い付きが、伊達軍にいらないお祭り騒ぎを招いたのは、言うまでもない。