「筆頭、熱出てねえですか?」
「Do not worry. I am all right.」
「筆頭、これ、滋養にいいからぜひって、うちのばあちゃんが」
「Thank you. Send the best regards to your grandmother.」
政宗の懐妊が判明して数日。祝い事に浮かれた伊達軍は、重臣から足軽まで、入れ代わり立ち代わり政宗の見舞いに訪れる。上下の風通しがいい伊達軍は、こういうとき、収拾がつきにくいのが難点だ。
「筆頭、瓜冷やしてきましょうか」
「Do not mind」
「筆頭……」
「うるせえ、てめえら!! てめえらみてえのが次々来たら、政宗様と腹の子に障るだろうが!!」
繊細さを人生のどこかの時点に置き忘れてきた足軽たちは、ただ目出度いと見舞いに来ては、なんだかんだと政宗をかまおうとするが、政宗はつわりがひどいことに加えて、初産で情緒不安定になっていて、小十郎は群がる足軽をときおり散らさなくてはならなかった。
「Be quiet、小十郎……頭に響く」
「申し訳ありません、政宗様」
足軽たちが蜘蛛の子を散らすように去った部屋で、政宗を後ろから包み込むような位置に座った小十郎が、そっと政宗の肩を引き寄せて、自分に寄りかからせる。政宗は一瞬、恥じらうように身じろいだが、すぐに背中を小十郎に預けた。
こんな女々しい触れ合いなど、恥ずかしいだけだと思っていた。だが、この数日、小十郎とこうしている時は不思議と安心できて、体調も楽になっている気がした。そうしているうちに、こうしていないと寂しくも感じてしまうのだから、『慣れ』とはつくづく恐ろしい。
「そうだ、小十郎。この間報告があった大内の……」
「その案件でしたら、綱元殿が処理しています。ご心配には及びません」
「じゃあ、二本松は……」
「そちらは成実が対処しています。…政宗様はご自身と子のことだけをお考えください」
政宗が寝込むわけにいかない理由にしていた懸案事項も、小十郎はさっさと対応してしまっている。なんだか、このまま自分が『奥州筆頭』ではなくなってしまいそうな気がして、政宗は黙り込んだ。
だが、それさえも予測していたかのように小十郎は続ける。
「政宗様がまた出陣できるようになるまでの地ならしは、この小十郎がお引き受けします。ですから、いざそのときになって、合戦に出られぬなどということがないよう、政宗様もご油断召されますな」
「小十郎……」
伊達軍は政宗がいてこそなのだと言外に告げる小十郎の言葉が嬉しい。だが、なんだかすべて見透かされていたようで、政宗はすこし悔しくなる。だから、政宗は反撃に出た。
「All right、小十郎。医者にも落ち着いたら軽い運動は必要だって言われてるし、腕がなまらねえようにしとく。だからおまえも、地ならしばっかりに気ぃ取られてねえで、ちゃんと嫁を探しとけよ?」
「は? 嫁、ですか?」
「That’s right.」
ハトが豆鉄砲を喰らった…とはこういう表情のことだろうと、政宗はにやにや笑う。小十郎は意味がさっぱり分からずに、顔をしかめた。
「小十郎の妻は、政宗様ただ一人のはずですが」
「Naturally. 俺以外の女なんざ、許さねえ。…『お前の妻』じゃねえよ、小十郎。『片倉家の嫁』だ。忘れたのか? 俺の最初の子は、片倉家の跡継ぎにするって言ったじゃねえか」
「あ、ああ……。そうでしたな」
「片倉家の嫁として、この子の乳母になれる女が必要だろ。探しとけよ」
政宗の言葉を聞いた小十郎は、ふと真顔に戻ると、政宗を抱き起して向かい合い、居住まいを正す。つられて、政宗も表情を引き締めて小十郎の言葉を待った。
「政宗様。そのお話なのですが……本当によろしいのですか?」
「奥州筆頭に二言はねえぞ」
「ですが、あのときの政宗様はまだ、母としての心情もご存知ではなかった。子を孕むことも、ご自身が子を産み落とされることも、現実に起きる未来として考えておいでではなかった。身籠った今、あのときと違う気持ちでおいでであっても、なんの不思議もありません」
ぴくりと政宗の眉が動く。隻眼は睨むように眇められ、小十郎を見据えていた。だが、小十郎は動じない。
「政宗様のお気持ちは、有難く頂戴します。ですが、無理に子を手放すことをしてほしくはありません」
小十郎が言い終えると、数瞬、沈黙が下りる。政宗はまっすぐに小十郎を見つめたまま、口を開いた。
「小十郎」
「はい」
「戦国の世の守護大名の妻が自分の子をすべて手元で養育できたと思うか?」
「それは……確かに、乳母を立てるのが通例ですが」
「なら、片倉家の嫁を乳母にして預けても同じだろ。どの道、俺は母親らしく付きっきりで傍になんていられねえ」
「それでも、伊達家の嫡出子と、片倉家の跡目では、扱いがまるで変わります」
「子は親の家臣だ。はっきり線を引くか、引かねえか。違いなんざ、そんなもんだ」
政宗の口調にためらいはない。本気なのだと悟るには充分だ。口が悪くてすぐに強がる、情の深い政宗が、自分の子を養子に出して平気なはずがない。だから、もし自分の子として手元に置きたいと一言でも言ってくれたなら、小十郎はなにをしても……それこそ自身の生家を断絶させても、政宗に子を抱かせる。そう決めたのに、政宗の決意は揺るぎもしない。
「政宗様……」
小十郎がつぶやくと、政宗は小十郎の胸に頬を摺り寄せながら、小十郎の顔を見ずにとんとそこを拳で突いた。
「俺は、俺とお前を出会わせてくれた父上と片倉家に感謝してる。父上はああいう結果になって、だから余計に片倉家にはちゃんと恩返しがしたい。片倉家の跡目はいなくていいなんて、言わねえでくれ」
「政宗様」
「いまなら、この子は最初からそういう運命の子だったと思って手放せる。そう思えるうちに、そう決めさせてくれ。……頼む」
「政宗様……」
小十郎の腕に力がこもり、ぎゅうっと政宗は抱き締められる。政宗はその腕とその匂いとその熱に浸りながら、言葉を続けた。
「『俺の子』じゃなくても、折に触れて顔を見ることもできる。二度と会えねえわけじゃねえ。実はそんなにつらいと思ってるわけじゃねえよ」
言いながら、政宗の隻眼から涙が一筋零れ落ちる。なにがあろうと政宗を泣かせたくなかった小十郎は、息を飲んでさらに腕に力を込めた。つらいと思ってるわけじゃないなんて嘘だ。だが、無理やりに子を政宗の手元に残したところで、それは解決になりはしないとわかってもいた。
「俺なら大丈夫だ。お前がいる」
「政宗様……」
いま政宗の腹にいる子の代わりはいない。でも、小十郎がそばにいてくれるなら寂しくない。それに、また子に恵まれることもあるだろう。それは、救いになる。
「わかりました。明日にでも、愛姫様にお願いして、然るべき家柄の乳母になれる女子を探していただきます」
「愛に?」
「ええ。小十郎は、親しい女子は政宗様と愛姫様と姉上しかおりませんので、伝手がないものですから」
「そうか。まかせる」
そして政宗はまた小十郎の胸に身を預ける。政宗の具合が気になって仕方ない伊達軍の面々が見舞いに来るまで、二人を身を寄せ合っていた。