孤独と愛しさを混ぜ合わせたら 01

 目が覚めたら、すぐ隣に見知らぬ男性が寝ていた。

 ……いや、よく見ると小十郎に似ている。小十郎の父…にしては若い。歳の離れた兄がいるとは聞いたことはないはずだったけれど。

 それ以前に、なぜ彼が自分の隣に床を延べているのか。自分は彼と同じ部屋で眠る間柄なのか。

 自分の置かれている状況がまったくわからなくて、戸惑っていると、腹の辺りがやけに重たい。「え…?」と思いながら、なんとかして起き上がると、自分の腹がぽこりと膨れているのが見えた。

「きゃあああああっ!!」

 自分が悲鳴を上げるのを、藤姫は遠いところで自覚した。




 意識の片隅で、小十郎は政宗が起き上がる気配を察していた。

 家臣として、政宗より遅く起きるわけにはいかないと、政宗が目覚めるより先に床を上げ、身支度を済ませていた時期もあったが、それはあまりに寂しいと言われてからは、できるだけ同時に起き上がるように調整している。

 そうか、そろそろ起きる時間か。そう思い、小十郎が起きようとした瞬間だった。

「きゃあああああっ!!」

 絹を裂くような悲鳴が響き、小十郎は跳ね起きる。悲鳴はすぐ隣の布団から聞こえた。小十郎は身構えながら隣を振り向く。

 小十郎の視線の先で、身を起こした政宗が頭を抱えて震えていた。視線は自分の腹に向いている。

 一瞬、小十郎はわけがわからなかった。政宗の腹はなにもいま急に膨れたわけではない。なぜ今朝になって突然動揺するのか。

 だが、まずは政宗を落ち着かせるのが先だ。

「政宗様。どうされました!?」

 そう声をかけたが、政宗はなんの反応もしない。

「政宗様?」

 そう言って肩に手をかけると、ようやく政宗は小十郎を振り返った。小十郎を見上げる目は、驚愕と困惑に潤んだ目。小十郎はその肩を包むように掴んで、戸惑う視線をしっかりと受け止める。

「どうされました、政宗様。なにかよくない夢でも……」

「まさむね、って、誰? おまえは、小十郎の親縁?」

「政宗様? 小十郎は小十郎です」

「うそ。姫の知ってる小十郎は、もっと若い。おまえが小十郎のはずがない」

「『姫』…?」

「小十郎はどこ? 小十郎を呼んで。姫が小十郎を呼んでいると伝えて」

 小十郎の腕を振り払おうと身を揉みながら、政宗は小十郎を探す。その口調はやけに幼く、小十郎の古い記憶を揺さぶった。

 確か、まだ小十郎が仕え始めたばかりの頃、『藤姫』と呼ばれていた頃の政宗が、こんなふうではなかったか……?

「小十郎? 姫が呼んでいるのに来ないの? うそつき、ずっとそばにいるって言ったのに! 小十郎?」

「ま…藤姫様」

 試しに藤姫と呼びかけてみると、政宗は小十郎を探すのをやめて振り向いた。やはりと思いながら、小十郎は手を伸ばして、政宗の体を布団にそっと押し戻す。

「あまり大声を出されては、御体に障ります。いま喜多を呼びますから、横になってお待ちください」

 慣れ親しんだ乳母の名前を聞いて、政宗はほっとしたように表情を緩める。その体に上掛けをかけ、すこし乱れた前髪を梳き撫でて、小十郎は立ち上がる。

 政宗を安心させようと乳母であった姉の名を出したが、相談に行く先は決まっていた。




「あらまあ。それは、つまり……」

「ええ。政宗様は、男として生きると決める前の頃に記憶が戻ってしまっているようです」

 起床早々の訪問にも驚くことなく部屋に通してくれた愛姫は、だが、小十郎の話を聞くとさすがに驚きの声を漏らした。

「わたくしが伺っているお話ですと、確か十で元服なされておいでですから……」

 その歳には、もう男として生きると決めているはずだ。愛姫の確認に小十郎はうなずき、

「はい。この小十郎がお仕えするようになったのが、政宗様が九つのとき。その頃はまだ藤姫様と名乗られていました。おそらく、その頃に戻っているかと」

「なんてこと……。いったいどうして、そんなことに」

 嘆息した愛姫は、だがすぐに気を取り直すと、小十郎に問いかけた。

「それで、殿は今どちらに?」

「かなり動揺して、すこし激しく動かれましたので、いまは横になっていただいています」

「お傍には?」

「侍女が次の間に控えています」

「それでは意味がありませんわ。…もう、なんてこと。片倉殿も相当動揺されていましてよ。九つの女の子が、いきなり大人の身体で身籠っていてごらんなさいまし。何の知識もなく、腹が大きく膨れていますのよ。どんなに恐ろしいことか」

「あ……」

「わたくし、すぐ殿のところへ参りますわ。片倉殿は朝餉の膳を寝間に運ばせるよう手配を」

「し、承知」

 愛姫に叱咤されるまま、小十郎は立ち上がる。政宗が寝室で朝餉を取れるよう、指示しに行くのだ。

 愛姫に言われるまで、気付かなかったとは。

 確かに自分も相当動揺していると、小十郎はため息を吐いた。




「喜多じゃない……」

 愛姫が政宗の寝室に行くと、心細そうな面持ちの政宗が泣きそうな声でつぶやいた。愛姫はそっと枕元に座ると、深々と平伏する。

「愛と申します。喜多の代わりに参りました。お許しいただきましたら、愛からご説明仕りまする」

「喜多は、いないの…?」

「申し訳ございませぬ。生憎と所用で、数日前から使いに出しておりまする。愛でお許しくださりませ」

「……ん。わかった」

 こくりとうなずく様は確かに九つの少女だ。愛姫は小十郎の話を実感しながら、顔を上げた。

「愛は数年前にお傍仕えに上がらせていただき、同時に喜多は藤姫様の乳母のお役目を解かれましてございます。愛はそれ以来、藤姫様のお話し相手を務めさせていただいておりまする。ご記憶はございませぬか?」

 ぷるぷると首を振った政宗は、さびしそうにつぶやく。

「喜多は、もう来ないの……」

「愛がお傍におりますゆえ」

 愛姫がそっと手に触れて言うと、政宗は起き上がり、すがるように愛姫を見た。

「愛は、ずっと傍にいる? 喜多や小十郎みたいに、いなくなったりしない?」

「ええ。ずっとずっと、愛が死ぬるまで、藤姫様のお傍におりまする」

 正確には小十郎は至極近くにいるが、それをいま言ったところで意味はない。

 愛姫の言葉を聞いた政宗は、安堵の表情を浮かべてうなずいた。

「……なら、許す。それと、言葉遣いも無理に丁寧にしなくていい。丁寧な言葉遣いをされるのは苦手」

「さようでございますか。それでは、お許しを得まして、ご無礼仕りまする」

 にこりと微笑んだ愛姫は、堅苦しい言葉遣いから解放されて、思わず肩から力が抜ける。政宗は敏感にそれを察して、自分も表情を緩めた。

「…愛、姫はどうして愛のことを覚えてないの? もう何年も仕えてるって愛は言うけど、姫は知らない」

「すこし、お疲れが出たのでございましょう。疲れると、物忘れも多くなるものですわ」

「姫は、なにを忘れてるの?」

「右の御眼を病で失われたことは、ご記憶がおありでいらっしゃいますかしら?」

「うん」

「でしたら、そうですわね……藤姫様は、立派に成人遊ばされて、いまは伊達家の家督をお継ぎになっていらっしゃいますわ」

「そうなの」

 愛姫の言葉に、政宗は軽い驚きを浮かべながらも素直にうなずいた。うなずきながら、それで自分の手足が伸びて見えたのだと得心する。それが伺えて、愛姫はくすりと笑みをこぼした。

「そして、半年ほど前に婿君をお迎え遊ばされました」

「婿…? うそ」

 これには表情を曇らせる政宗に、愛姫は首を傾げる。

「わたくし、嘘など申しませんわ。藤姫様は、姫様を恋い慕う殿方を婿に迎えられて、それは睦まじくお過ごしでいらっしゃいますわ」

「姫を恋い慕う男など、いるわけがない。片目を失った醜女と皆が噂しているのを、姫も知ってる。婿なんて来るはずない。愛のうそつき」

 言い張る政宗を見ていて、愛姫は毛を逆立てた猫のようだと思う。警戒心を隠そうともせず、威嚇する。威嚇しながら、相手を見定めようとしているのだろう。どこまで許してくれるのか。敵か、味方か。

 だから、愛姫は優しい微笑を崩さずに首を振る。

「嘘ではありませんわ。婿君がいなくては、そのようにお腹が大きくはなりませんわよ」

 言われて、政宗は自分の腹に視線を落とす。今朝、目が覚めた時に驚いて、つい叫んでしまった大きな腹。

「……この腹は、病ではないの?」

「ええ、病などではありませんわ。やや子が宿っているのですもの」

「やや子……」

 驚いたようにつぶやいて、政宗が自分の腹を撫でる。愛姫はその様子を見て、本当に誰も政宗を『姫』として扱わなかったのだと、実感を以て悟った。

 少なくとも、武家の姫として有力な家に嫁ぎ、子を生す務めを教えられていたなら、大きな腹に怯えることもなかっただろうに。なにも教えられていないという事実が、伊達家の長子でありながら、片目がないというだけでいかに軽んじられていたのか、愛姫が嫁ぐ以前の政宗の扱いが手に取るようにわかって、苦しくなる。

 胸を締め付けられるような悲しさが押し寄せてきたが、自分が泣いてはいけない。愛姫は政宗に気付かれないように涙をこらえて笑顔を作る。

「ね? わたくしは嘘など申しておりませんでしょ?」

 すると、政宗は遠くを見つめてつぶやいた。

「婿となった男は気の毒。こんな醜女の夫として生を送らねばならないなんて」

 この一言に、愛姫はたとえようのない衝撃を受けた。

 本当なら、自分に恋焦がれる男に愛されて、子を授かることを、幸せに想うはずだろうに。

 愛姫が政宗に嫁いだときは、もう政宗は『政宗』で、強気で、豪気で、華やかで美しくて、でも繊細で優しい『殿』だった。同性とわかっていながら一目で憧れ、この人を支える存在でありたいと願った祝言の日を、愛姫はたぶん一生忘れない。

 その政宗と、この『藤姫』はあまりに違いすぎる。

「そうなんですの? 愛には、とても睦まじく、愛し愛されておいでと映りますわ。時折、お二人とも、愛が同席していることをお忘れになるくらいでしてよ」

 愛姫はあえて屈託なく首を傾げる。嘘を言っているのだろうと政宗は猜疑に満ちた目を向けた。

「じゃあ、その婿は、どうしていまここにいないの。姫を独りにして、平気なんでしょ。そんなの、愛してない」

「そんなことありませんわ。愛が姫様のお傍にいるから、安心して、ご自分のなさることをなさっているだけですわ。ご記憶をなくされた藤姫様を、それはそれは心配しているのを、愛は見ましたわよ」

「姫を措いてやることって、なに?」

「藤姫様と一緒に朝餉を摂れるよう、厨に命じに行っておりますわ。おそらくは、その足で、城表に政の指示も出しに行っていることでしょう。きっと、今日一日、ずっとお傍についてくださいますわよ」

「そんなのうそ」

「嘘ではありませんわ。…ほら」

 愛姫の言葉とほぼ同時に、小十郎が部屋の障子を開けた。手には、二人分の朝餉が乗っている。

「ま…藤姫様。遅くなりました」

 どうしても『政宗様』と言いかけてしまい、小十郎は名を呼び直すことになる。それを政宗は警戒心も露わに見ていた。

「小十郎の縁戚の者か」

「あら、この方は片倉殿ご本人ですわよ」

「えっ!?」

 愛姫に言われて、政宗はまじまじと小十郎を見つめる。

「確かに、頬の傷は一緒だけど……」

「まあ、片倉殿ったら、姫様の誤解も解いていらっしゃいませんでしたの? …もう。本当に藤姫様のことになったら見境がなくなりますこと。それでは姫様のお腹のお子が産まれる時には、どれだけ取り乱してくださいますことやら」

「え?」

 政宗は今度は、愛姫を凝視する。

「あら姫様、なんですの?」

「愛、いま、姫の子が産まれる時、なんて?」

「片倉殿がどれほど取り乱されるかわからない、と申しましたわ」

「なんで?」

 まだ小十郎が自分の夫だと知らない政宗は、心底不思議そうに愛姫の答えを待つ。その政宗に、愛姫はあっけらかんと教えた。

「だって、姫様のお腹の子の父親は、片倉殿ですもの。愛がお話しした『姫様に恋焦がれる殿方』とは、片倉殿のことでしてよ。…もしかしてわたくし、まだお教えしていませんでしたかしら」

 あら、と口元を押さえる愛姫に、政宗はこっくりとうなずく。

「でしたら、いまお伝えいたしましょ。藤姫様の婿君は片倉殿ですわ。それはそれはもう、睦まじくされておいででしたのよ。愛はこれで下がらせていただきますから、あとは片倉殿とお話しくださいな」

 開き直り、愛姫はすべてを小十郎に丸投げして、にっこりと微笑む。自分があれこれと言うよりも、本人から直接聞く方が信じられるだろうと考えてのことだった。

 戸惑う政宗の様子に気付いていないふりをして、愛姫は廊下に出る。これ以上、いまの政宗にできることは、自分にはないと気付いていた。

 いまの政宗―――藤姫は、心に深い深い傷を負っている。けれど、それは自分が嫁いできた頃にはわからなくなっていた。その深い傷を癒したのは、疑う余地もなく、小十郎に他ならない。小十郎の献身と、それをさせた政宗へのひたむきな愛が、政宗を癒したのだ。

 ならば、愛姫にできることは、小十郎を信じてすべてを委ねることだった。


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